Whisky Heritage Centerを出ると、まだ外は明るい。
午後3時だから当たり前なんだけど。
というより、午後3時でこの暗さ、というのが本当はすごいことなのだけど。
4日もスコットランドにいる間に日が短いのにすっかり慣れてしまった。
とりあえず、一番近くにある、Royal Museum of Scotland(スコットランド王立博物館)に行ってみることにした。
エジンバラには、ほかにもNational Museum of Scotland(こちらは美術館)とか、似たような名前の博物館が複数あり、混乱する。
Joは、昨日車でエジンバラの街内を散々迷ったこともあって、「It's crazy. ウィスキーはいいが、こんなIllogicalな街は二度とごめんだ」などとお怒りの様子。
確かに、アメリカに比べると、道路標識も分かりにくいし、道路の名前の付けかたも全く論理的ではない。
でもそんなの、アメリカ以外の、普通に歴史がある国なら、当たり前のことなんだけどな。
と、Joに言ってみるが、理解しない。
エジンバラごときで腹を立てていたら、日本に来たら発狂するに違いない。
-------------------------
王立博物館は、どちらかというとスコットランドの歴史に注力した展示。
スコットランド人がどこから来たのか、に始まり、どのような技術を生み出し、どのような変遷を経て、今のスコットランドがあるのか、というのを(ある程度)時系列に説明している。
スコットランドは、実は技術の国だ。
蒸気機関車を作ったJames Watsonはスコットランドの出身だし、ほかにも印刷機の進化や紡績機など、産業革命をドライブした技術の多くが、実はスコットランドから生まれている。
それだけじゃなく、橋を作る技術もすばらしいものだ。
14世紀ごろから、現在にもまだ残る強固な橋を作る技術があった。
エジンバラ名物のFirth of Forth Bridgeの素敵なデザインは、これらの技術の結晶とも言える。
あの綺麗な橋が実は19世紀にデザインされたものだとは、と驚く。
スコットランドは、Q-Celtic(Qケルト人)、Picts、そしてその後ノルウェーから入ってきたVikingが入り混じっている。
その中の、特にVikingは優れた造船技術をもつ人たちだ。
この技術力こそ、彼らが北欧を駆逐した力の源泉ともいえる。
そして、これがノルウェーやスウェーデン同様、スコットランドの技術の元になっているのかもしれない。
工芸品もまたすばらしい。
これは展示されているもののほんの一部だけど、デザインの緻密さ、大胆さ、そして上薬技術、どれをとっても、日本の九谷焼や有田焼に匹敵する、またはそれ以上かもしれない。
--------------------
この歴史博物館は、スコットランドがイギリスの一部である、というイデオロギーを植えつけるためにあるのではないか、と思える展示箇所が複数ある。
スコットランドが18世紀に財政難に陥って、イギリス王室の支援を受ける、もとい併合されてから、イギリスの全てに協力してきた、ということが強調されていた。
アメリカ独立戦争では、イギリス軍以上にたくさんの兵士を出して協力したこと。
その後の戦争でも、常にイギリス以上に先頭に立って、イギリス軍の戦略をサポートしてきたこと。
産業革命はもとより、あらゆる産業の側面で、イギリスが世界でトップに立つところに貢献してきたこと。
いったい誰がこの博物館のコンセプトをつくっているのだろう。
1950年にはイギリスから即位の石を「盗み返し」たり、1997年には住民投票でイギリス議会とは別のスコットランド議会が作られることが決まったり、何かと独立の兆しを見せ付けるこの国が、博物館のようなフォーマルな場で、「イギリスの一部」であるように振舞うのは何ともおかしな感じだ。
とはいえ、今はスコットランドを代表する二つの銀行は、どちらも財政難に陥って、イギリス政府の支援を受けていて、独立どころじゃないけどね。
RBS(ロイヤル・バンク・オヴ・スコットランド)って、去年まではオランダの銀行、ABNアムロの買収などで異常にアグレッシブに戦ってたけど、それがたたってサブプライムの影響をもろに受けて破綻寸前。
そしてイギリス政府の支援を受ける。
たしか、18世紀に財政難に陥ったのも、戦争のし過ぎでお金がなくなったときに、恐慌になって破綻しかけたからなんだよね。
そして隣国イギリスの支援を受ける。
この国は200年経っても変わってないのかね。
ほかのスコットランド旅行記(1)~(13)を読む → ●スコットランド旅行記