「韓国から日本をながめていると、日本が“心”という字に見える。北海道、本州、四国、九州と“心”という字に並んでいるのではないか。日本はすばらしい。
万世一系の御皇室(御をつけられる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、国家全体が調和された形で形成されている。“八紘為宇”という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと判る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい」
「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落としていた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい」
「現在の日本人の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。"事態ここに至る。坐して死を待つよりは、戦って死すべし〃というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうによって決まる、というのはクラウゼヴィツの戦争論である。
日本は戦争敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖國神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである」
日韓共鳴二千年史より
これは昭和41年に、名越二荒之助氏が韓国に訪問したときに「韓日文化研究協会」の朴鉄柱氏が述べた言葉です。
この朴鉄柱氏は昭和天皇崩御の時も東京に来られています。
その時のことが以下のように書かれています。
「平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足を引きずって彼は東京にやってきた。
先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。ご大葬の日には、雨の中を早朝から皇居の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を以て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったことであろう。」
朴鉄柱氏は、平成二年一月二十五日韓国の馬山で肺ガンで亡くなっています。
昭和天皇崩御の時、既に癌におかされていました。しかし、それでもご大葬のために我が国に来られました。
はじめまして。
こちらこそ宜しくお願いいたします。
言いたい放題ですが、失礼。
韓国の今は異常です。確かに半島国家である以上どっちかに付かなければ生存できない面もあるでしょう。
我が国も朝鮮半島が我が国にとって大事なのを理解していたから、古事記や日本書記の時から朝鮮半島に関係してきたのでしょう。
朝鮮半島が民主的に安定することは日本にとって安全保障上欠かせないことです。
韓国にはまだまだ歴史を知っている親日の人が居ます。その人達が政権の中枢に坐るようにならなければ本当に支那に飲みこまれるでしょう。
これからもお邪魔させて下さいね。
反日と言っても、韓国人全部がそうではありません。
戦前を知っている人ほど親日的です。
親日国と言われているほとんどが、敗戦以前に関係を持った国々です。
この事からも、敗戦までの日本がどのような国だったかが分かると思います。
これからもご訪問歓迎します。