とのさま日記なるもの

思いのすべてを書きます

辛いあの日は消えはしない

2017-01-18 06:34:27 | 考える
昨日は震災の日でした。

私はあまり触れたくなくて

昨日は黙祷だけして関連するニュースやテレビはみませんでした。

神戸で35歳の時に震災にあい、子供三人をかかえ、夫は揺れる洋服ダンスを押さえていました。

母も同居をしていたから部屋で震えていたようです。

水は一週間止まりました。

西神に家を建てて数年目。

淡路の立派な瓦をのせて当時の太陽で水を暖めるソーラータンクがあり、家は揺れが大きく2階はかなり揺れたようです。

食料品と水の確保が大変でした。

でも、長田のかたや、灘方面の方々を考えると家族も無事、家も無事で誰も文句は言わないで日々を暮らしました。

元主人の実家が淡路で連絡がとれるまでは生きた心地はできず、義理の父から
みんな無事か?こちらも無事やから心配するなという声を聞いてみんなで良かった良かったって。

こんな時

子供の存在は頼もしかった。

長男、次男はもう小学生

長男は怖い怖いといい、訳のわからない3歳の娘に

お前はなんも怖さがわからんでエエな~~

次男は根が明るいから不安がる私の母を笑わせようとギャグ連発。

娘は家族が居間で皆で眠るのがキャンプみたいとおおはしゃぎ。

黙々と大人は日々をすごす。

実家の事業は稼働せず。

私の父は亡くなっていたので震災は知りません。反対に良かったと思います。

段々衰退していく父が作り上げた事業。

混乱時に、庭なんか誰もする人はいません。
ただ、崩れた塀を撤去、倒れた木々を撤去。

家の基礎がずれて修復にかなりの費用がかかり、会社は立ち直れず

垂水の実家は無事でしたが何故かそこに帰る頭は私や母にありませんでした。

空き家を人に貸していた事もありますが。

西神の家は売却

そして三木に……

もう震災から数年経っていましたが春の桜の季節に越しました。

桜がなんて多い町なんだろうと思いました。

私の中には都落ちという思いがありました。

そこで住み、子育て、離婚

今は三木の人と再婚

子供たちは社会人になり三木を離れました。

母も神戸の自分の家に戻りました。

神戸が恋しくて越してきてころは飼い始めた犬と毎朝、夕方に、裏の山に上り、遠くに見える西神の町並みをみていました。

何にもわからない犬はそれでも私の悲しさが分かるのか、横で涙をポロポロ流す私の頬をペロペロ。優しいおとなしい犬でした。

緑が丘は神戸に一番近く、でも私には一番遠いのです。

将来は夫婦で一緒に垂水に帰るのも良いなと話して笑っています。
今の夫は三木の人ですから絵空事ですね

月日の過ぎるのは本当に早いです。

震災にあった方々の気持ちはまだ止まったままのほうが多いと思います

元気を出して、勇気を出して……

そんな綺麗事はいりません

神戸で被災された方々はもう十分元気出して頑張りました。


そうですよね








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