読書と映画とガーデニング

読書&映画&ガーデニング&落語&野球などなど、毎日アクティブに楽しく暮らしたいですね!

植松三十里「辛夷開花」

2011年05月09日 | あ行の作家

 

文藝春秋
2010年9月 第1刷発行
443頁

「美貌の功罪」を改題
静岡新聞に2009年2月16日~2010年3月1日まで連載

 

明治初期
幕臣の娘が薩摩の男に嫁ぎ欧州外交界で活躍
西太后とビクトリア女王に日本人女性として初めて拝謁した美貌の外交官夫人
後に初代文部大臣となった森有礼の妻、常の半生を描いたものです


美しく聡明な常は、自分の英語力、外交力を生かすべく、嫌っていた薩摩出身の森有礼と結婚しますが、まだまだ古い封建制度が色濃く残る時代
嫁姑の確執は想像を絶するものであり最後には頼りとしていた夫からも「薩摩の人間ではないよそ者」と言われる始末
同じ日本人同士でも国際結婚なみの価値観の違いがあったのでしょう

アメリカ人教師と結婚の約束をしながら、周囲の圧力もあり将来性を天秤にはかって森有礼を選んだ常の選択も当時としては仕方のないことだったのでしょうね

外交官の妻としてロンドンで不平等条約の改正に力を注ぐ日々
しかし、夫から「自分は外交には向いていない、日本に戻って文部大臣として教育制度の改革に携わりたい」と言われショックを受けます
自分は、何のためにこの人と結婚したのか、日本に戻って何をしろというのか
外交に強く拘る常に有礼が「もっと柔軟になってくれ」と頼みますが、聞き入れようとしない妻
夫婦の間には修復できないほどの溝ができてしまいます
「愛」ではなく「ビジネス」のために相手が必要だったのでしょう


薩摩人気質についてはかなり手厳しいです
筆者が徳川家が移封された静岡県出身というのも関係あるのかも?

記録によると、帰国後、有礼と正式に離婚した常は函館に渡り、榎本武揚の助力を得てアメリカに渡ったそうです
小説は、史実とは異なり脚色された部分もあるようですが、大きな時代の転換期、坂本龍馬や西郷隆盛、明治新政府に名を連ねた男性の陰に、こういう生き方をした女性もいたのだと思うと感慨深いものがあります

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 石原千秋「漱石はどう読まれ... | トップ | 古代メキシコ・オルメカ文明... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

あ行の作家」カテゴリの最新記事