昨日の続きです。
もう何をどういう順番でどう載せるか。
こういうの苦手です(笑)。
どうか組み立てて読み進めてください(汗)。
三角山マガジンより
昨日載せた2枚です。
接写っ。
山頂にある【反射板】、
これ覚えておいてくださいね。
一本木って?
聞いたことない言葉が出てきました。
もう伐採されてないのか、
私が知らないだけなのか…
今度調べてみなくちゃですわ…
…みどりの一本気ならこれだってね。
三和山荘?
スキーの??
これも分かりませんわ。
この道路って今の三角山小学校のあれでしょか。
答えは出てこないってね。
この道は文化通りって言いましたっけ?
メモらなかったので間違いかもしれませんけど、
今の中央区と西区の境目のあの道路。
この地図は昭和40年の宮様スキー大会大回転競技コース図で、
三角山ではこの昭和40年の大会が最後だったそうです。
すでに宅地化が進んでいたんですって。
でね。
この図の『小屋』って言葉を見ながら閃き気がついたのですわ。
ここらへんは宮本スロープと呼ばれていて、
スキー客用に商売も行われていた…
昨日写真を握り締めて大なまこ山に行ったと書きました。
このとき二枚持っていたんです。
そのうちの一枚が山の手南小学校裏の公園からのアングルに酷似しておりまして。
ジャンプの友(爆)から送られた画像でして、
ちらりと出してもよいでしょか?
まずかったら削除しますので。
もっと西高寄りで奥なんでしょけど、
広くて眺めが写る場所といったらこの公園ぐらいでして…
手前左端に小屋が写っているでしょ?
昭和40年よりずっと前の写真でしょうけどね、
パンフレットの小屋は大会用の小屋の意味かもしれませんが。
商売の小屋ならそう簡単に場所を移したりしないのではと。
小屋があって道があって大なまこがあって、
その先にジャンプ台。
いかがでしょ?
そしてこのパンフレット作成時にジャンプ台はもう無くなっていて、
書き込まれることはなかった。
いかがでしょ?無理でしょか。
さて。
私の愛蔵本、
札幌から見える山 朝比奈英三・鮫島惇一郎編 北海道大学図書館刊行会
この本の三角山のページで気づいたことがありまして。
これってどこから写したのでしょ。
気になるわぁ。
いえ、
山頂付近をチェケラッチョーっ。←疲れて壊れてきたな…
ほら、
覚えておいての【反射板】ですっ。
大倉山のこれは旧大倉山でしょね。
撮影年月日が分からないんですわ。
裾野ははげている。
別の位置からもう一枚。
これも撮影場所はどこ?(笑)。
さぁ、ここからよっ。
(もう終わりにしたいんですけど、本心はね、脳がもう限界と叫んでおります)
さきほどの大回転競技のコース図と重なるでしょ?
反射板があって、
大なまこの横を通って、
西高目指してゴールっ。
反射板は大なまこの方を向いているでしょ?
私、
この反射板の残骸?遺物?遺構を二回写しているんですわ。
今年の3月10日に写しておりまして。
冬木立の隙間から大なまこ山の背がみえているでしょ。
ズーム。
この2本のコンクリート柱と、
もうひとつ何やらブツが今も残っているはずです。
前回2008年1月12日は下まで下りていって様子を写しております。
今回は根性筋力足りずで行きませんでしたけど。
三角山のコンクリート柱 興味のある方はどうぞ。
…しっかし。
2年前からジャンプ台探していたんだ、私。
読み直すと2年前からかわらぬ私。
笑っちまいましたわ、冷や汗ながしてね(笑)。
で。
写真中央下部が三角山小学校の校舎と体育館。
体育館の横が大なまこ山。
大なまこ山の先にある白っぽいブツは?何??
「軍人さん」だったという果樹園の方のお家?
この本の発行は1981年5月。
撮影はそれ以前でしょ。
前年の10月?10月だけは書いてあるんですわ(笑)。
宮の森病院開業が1983年。
三角山小学校開校が1977年。昭和52年ね。
今唸っているんですけど。
採石の痕が見えてない…
上手い具合に隠れてる?
山肌の黒い部分は?
この撮影場所ってどこなんでしょね。
きっと私が普段あまり歩かない場所なんでしょね。
いやぁエンドレスですわ(笑)。
おやすみなさいっ。
寝ます。