まてぃの徒然映画+雑記

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セデック・バレ 第一部太陽旗 第二部虹の橋 賽徳克・巴萊

2013-08-18 09:07:10 | 台湾映画(あ~な行)

誇りのために死に向かって進んだ人々がいた。

日清戦争の勝利から第二次世界大戦の敗戦までの50年間日本領だった台湾、現地の発展に尽力した日本人も多く、戦後の国民党による本省人弾圧の影響もあり親日的なイメージが強いけれど、その影では悲惨な事件が起きていた。決起に参加した全員が戦死、もしくは自死をした台湾先住民族セデック族の反乱、霧社事件である。「霧社事件」という名前こそどこかで見たことがあるかな、という感じだったが、何があったのかは全く知らず、この映画で「こんな酷い歴史があったのか」と驚きです。監督は『海角七号 君想う、国境の南』の魏徳聖ウェイ・ダーション、キャストは主に台湾先住民族ですが、日本でもお馴染み徐若瑄ビビアン・スー、日本人役で安藤政信や木村祐一、田中千絵などが出演しています。

1895年、日清戦争に勝利した日本は、清から台湾の領有権を奪い開発を進めていた。台湾中央部、木々が鬱蒼と生い茂り渓流が谷を流れ、漢人たちは興味を示さなかったであろう奥地で、セデック族は豊かな自然を相手に昔ながらの、とはいっても弓矢や槍に加えて鉄砲も使っていたが、狩猟生活を送っていた。

自分の狩場に入った者は躊躇わずに襲って首を狩り、それこそが勇者の証だったが、台湾を支配した日本は山中の資源を求めて山深くに分け入り、セデック族の居住地域や狩場にも進出して、頑強な抵抗に遭いながらも圧倒的な武力で制圧していく。帰順したセデック族の頭目たちは、日本本土で飛行機や大砲を目の当たりにして、絶対に敵わない相手だ、という思いを胸に台湾へ帰る。

1930年、日本は警察や学校を通じてセデック族を支配し、セデック族の神聖な森を伐採して木材運搬の人夫としてセデック族の若者を不当に安い賃金で扱っていた。セデック族全体に不満は渦巻いていたが、日本の圧倒的な力を知る頭目、モーナ・ルダオは自制を説くばかりだった。

セデック族マヘボ社の祝宴の場、歌も踊りも最高潮に盛り上がったころ、ふいに訪れた日本人の吉村巡査がセデック族の風習を見下した侮辱的な振る舞いをして、その場でセデック族の若者から半殺しの目にあう。報復としてマヘボ社を襲撃する日本人にセデック族の怒りは臨界点を超え、モーナ・ルダオ以下、セデック族300人が一族の尊厳を守るために死を覚悟して決起する。

日本人も漢人もセデック族もこの地区の住民のほとんどが参加する運動会を襲い、役人、民間人、そして女子供の区別なく100名以上の日本人を殺したセデック族は、日本軍の反攻後も地形を味方につけてゲリラ的な抵抗を続けるが、圧倒的な日本軍の武力と、蜂起に参加せず日本側についたタイモ・ワリスたちトンバラ社のセデック族を相手に戦況は厳しくなっていく。。。

海外の映画祭では1本分に編集したインターナショナルバージョンが上映されたらしいけど、日本では台湾公開と同じオリジナルバージョンで公開されたので、魏徳聖監督の強い希望もあったというけれど、配給会社に感謝ですね。第一部、第二部という形だったけれど、第一部のエンドロールが第二部のものとほぼ同じだったので、一本の作品にしてインターミッションを入れても良かったのかもしれません。

映像では、山林の中を縦横無尽に駆け抜けるセデック族の動きが人間離れしていました。樹上に隠れ、木をつたい岩をつたって自由自在に山林を移動する姿はまさに野生そのもの、目を瞠る動きです。数多くの先住民族が出演したようですが、一般人にはあの動きは絶対無理!

日本人は敵役となる重要な役どころですが、台湾ではおなじみの田中千絵をはじめ、安藤政信や木村祐一などがいい演技を見せてくれます。日本でお馴染みの徐若瑄も出ているけれど、彼女の母親が先住民族だったとは知りませんでした。

映画を通して考えさせられるのが、苛烈な日本の植民地支配の現実です。ごく一部の心ある人たちはセデック族の文化や風習を認めて尊重しようとするけれど、多くの日本人はセデック族を自分たちより身分の低い扱いをして、小学生くらいの子供までがセデック族の先祖伝来の狩場を「日本人のものだ」と言い切るふてぶてしい態度に、おぞましさを覚えます。大人よりも子供のほうがストレートに差別するから子供同士の間でも怨みがたまって、運動会の惨事でセデック族の子供が日本人の子供を殺すところまでいったのでしょう。

セデック族の中には、日本人社会に自ら積極的に入ることで生きる道を見出そうとする者もいます。一郎と二郎は、成績優秀だったため日本人と同じ学校に進み、警察官となって日本人と結婚し、日本人から見た模範的な先住民族となります。きっとそうなるためには日本人よりも日本人らしくあろうとして、教育勅語など日本人の精神性を骨の髄まで叩き込んだのに違いないのでしょう、モーナ・ルダオの蜂起に際しては、自らはセデックの子なのか天皇の赤子なのか、と自問して自刃します。

台湾の先住民があわせて全人口の2%もいることは、驚きのひとつです。そして彼らが伝統的な風俗を今に伝えていることにも。日本の先住民族というとアイヌが思い浮かびますが、アイヌはどちらかというと自らの出自を隠して日本人に同化する傾向だったから、アイヌ独特の風習がどの程度継承されているのか。そこは同じ島国とはいえ、ほとんど文明の影響を受けなかった台湾と、早くから中央集権国家を作ってきた日本との差なのかもしれません。

セデック族の中でも蜂起に参加した社もあれば、起ちあがらなかった社もあり、中には日本軍に協力した社すらあるというのも、もしかしたらセデック族の全滅を避けようとする壮大な本能なのかもしれません。

第二部はほとんど日本軍とセデック族の戦いですが、必ず負ける戦いだけに悲惨なシーンもたくさん。一郎、二郎の一家心中もそうだし、戦士である男たちを送り出した後逃げるように言われた女たちも、妊婦だけ逃がして、後は食料が足りないだろうからと子供たちを使って食料を男の元へ届けさせ、自分たちは首をくくって自害します。日本軍は開発中のびらん性ガス弾まで使って、飛行機からの機銃掃射や大砲、榴弾砲など圧倒的な火力で最終的にはセデック族を鎮圧しますが、ダバオたちは肉親や一族の女が投降をすすめても、自害を選んで森の中で首をくくります。ぶらんぶらんと吊り下がっているところを目の当たりにした人は、さぞかし気味が悪かったことでしょう。

セデック族の風習である歌や踊りは非常に興味深いものでした。祖先からの言い伝えで、顔に入れ墨を入れた勇者だけが死んだ後に虹の橋を渡って祖先の元へ行くことができる、という約束が、命を賭して蜂起したモーナ・ルダオたちの心の支えになったのでしょう。自分にとって守るべき魂、守るべき誇りはいったい何なのでしょうか。

公式サイトはこちら

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2 コメント

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負けるということ (rose_chocolat)
2013-08-19 07:05:02
生き延びるために同化するか、プライドのために勝ち目のない戦いに挑んで一族滅亡するのか。
どちらも苦渋の選択だったと思います。
歴史の流れなのでしょう。しかしながら胸が苦しくなる。こんな想いを伝えたいという、この映画の姿勢が好きです。
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rose_chocolatさんへ (まてぃ)
2013-08-20 22:48:30
コメントありがとうございます。
セデック族の選んだ道は、身体を殺すか心を殺すか、どちらにせよ厳しい選択ですよね。
世界中でいまだに民族紛争がたくさん起きていることを考えると、きっと解決は非常に難しい問題なのでしょう。
それを正面から捉えて、しかも反日的になることなく伝えているところが素晴らしいと思います。
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