MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

星と音楽 (11) 「暁の明星」 (後)

2008-10-24 05:51:41 | 星と音楽・科学一般
10/24  J.S.バッハ(1685/3/21~1750/7/28、ドイツ) の

        カンタータ第1番
いと麗しき暁(あけ)の明星』。


          (以下の音源、譜例は前回と同じものです。)


        原曲のコラールいと麗しき暁の明星






      カンタータいと麗しき暁の明星第1曲 (バッハ)







 この第1曲目を聴いてみると、原曲のコラールではないことがすぐ判ります。 しかし、このコラールをよく知っている者にとっては、響きが何となく似ているのです。

 まず最初の小節。 メロディー・ラインは動きが速く、コラールとはまったく異なりますが、響きは同じヘ長調。 4小節目まで聞くと、全体のハーモニーの並び方 (和声進行) も大体似通っています。 それで “何となく” あのコラールと同じ気分になるのです。 (もっとも、このようなコラールで用いられる和声の種類は、ある程度限られているのですが。)

 すると2小節目で、すぐに華やかな響きがこれに答えます。 まるで星たちのこだまのごとく。 天体の音楽(響き) が、何かを祝福しているかのようです。

 以上、文で説明すると大変長いが、実際はせいぜい5秒前後の出来事です。 曲は、基本的にこの交代を繰り返しながら滔々と流れていきます。


 ところが、大分先へ行ってからのことですが、突然、何か新しいメロディーが聞こえてきます。 高いホルンの音が奏するのは、あの有名なコラール。 音はゆったり、一つひとつが長くなっています。 周囲の華やかな響きから、くっきり浮き上がって。 「あっ、これ、知ってる!」

 会衆の誰もがそう思うことを、バッハは望みました。 ただ、聞こえるのは最初の短い第1節だけ。 賑やかな響きに、すぐかき消されてしまいます。

 すると低音域で、また何かが聞こえてきます。 今度は、続く第2節です。 すぐに中音域で繰り返されると、最後にまたホルンで、高らかに歌われます。


 こうして、すべては渾然一体となって流れていきます。 聞き手は、自分の知っているメロディーが ”次はいつ現れるか”、そう期待しながら、いつのまにか音の奔流に身を任せているのです。

 注意して聴いてみると、原曲のコラールは最初の第1、第2節だけでなく、いつのまにか最後まで歌われてしまうのが判るでしょう。 (ただし、楽譜の二段目、フェルマータのある最初の2小節間を除く。) 以後はすべて、高音のホルンのみで。 やはり二倍に長く引き伸ばされて。

 響きはいとも豊麗です。 でも、ただ賑やかなのではない。 大変珍しい例なのですが、絶えず煌いているのが二つの独奏ヴァイオリン。 このために、ひときわ輝かしく響くのです。


 そう、今日は受胎告知の祝日礼拝。 歌われているのは、もちろんイエス・キリスト。 その降誕を待ち望む喜びは、もはや抑えることが出来ません。

 この喜びを歌っているのが、終曲の第6曲。 ほぼコラールの原曲のままです。

 「何と心が躍るのでしょう。 この身は御身を待ち焦がれます。」 (ヨハネ黙示録に基づく。)


 では、コラールの散りばめられた第1曲目は、何と歌っているのでしょう?

 「恵みとまことの妙なる星よ。 いと高き君よ (大村恵美子訳)。」 (ルカ福音書に基づく。)

 ここで歌われているのが、麗しい暁の明星の輝きなのです。 もちろん主イエスになぞらえて。 こうして曲は始まります。
      


 この第1曲と第6曲に囲まれているのが、2~5曲目。 テナー、ソプラノの独唱などです。 全曲はこのような構成で出来ています。

(続く)