音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

日航機123便墜落から25年

2010-08-14 22:33:16 | 時事問題
一昨日は日航機墜落事故から25年、映画「沈まぬ太陽」のヒット、JALの経営破綻(また破綻するでしょうが)などのトピックを受けて、まさに節目の年だったからか、例年以上の報道量だったように感じます。

あの日は夏休みでしたが、炎天下での部活練習を終えてくたくたになって帰宅した後、見ていた歌番組の中でニュースを知りました。未曾有の惨劇でしたが、奇跡の生還を果たした川上慶子さんの救出シーンを鮮明に覚えています。彼女もナースになった後に結婚して、今は東京在住だそうですね。

この年になってみて、事故関連で最も心揺さぶられるのは、商船三井の神戸支店長だった河口博次さんの遺書のことです。揺れる機内で記された手帳のメモは、現在は羽田空港内の日本航空安全啓発センターで展示されているそうです。

山崎豊子『沈まぬ太陽』3巻(御巣鷹山篇)にも実名で、この有名なエピソードが挿入されています。河口さんというのは人格者で、職場でも要職に就き、奥さんとは深い信頼で結ばれていて、娘二人からもこのうえなく敬愛されていたといいます。ただこういう非のうちどころのない親父というのは息子にしてみれば煙ったい存在で、実際、大学生の津慶さんは父に反抗してばかりいて、時に取っ組み合いの最中に殴りつけてしまうこともあったそうです。

でもしみじみ思うのは、父親にとって息子というのは特別な存在なんだなあということです。河口さんの遺書は、奥さん(ママ)を除いて2回登場するのは、息子の津慶さんなんですね。最後の最後で息子に「しっかりたのんだぞ」と書き記した河口さんの心情が、親になってみるとわかるような気がするんです。娘というのは甘えてきたり、かまってくれるので普段のコミュニケーションは活発なんですが、父親と息子というのはお互いに何を考えているか掴めないところがあります。

自分も同じ状況になったら、何かメッセージを残せるでしょうか。乗っている飛行機がダッチロールしたら乗客は皆パニック状態でしょうし、同じ姿勢を保っていられるかもわかりません。現代であれば、携帯やアイフォン使う人もいるでしょうね。揺れている中ですから、手書きよりは変換候補が表示されるモバイルツールの方が入力しやすいかもしれません。電波が通じればツイッターに投稿するかもしれませんが、メモ帳に保存した場合、遺族がそれを発見してくれるか心許ありません。


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日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事 (アッキードF19で小沢一郎を撃退希望)
2018-09-02 13:56:46
日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事におけるJAL123便の元気な生存者が、日本の埼玉県警察の警察官(日本語で おまわりさん?)らの手により
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/ainugakuin/e0011938_16494167[1].jpg
といった惨憺たる虐殺死体と化した

一方、救助に奔走したのは米国のみであった

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