安倍新内閣のニュースを見ていました。明日の新聞の論調も大体想像がつくのですが、「論功行賞内閣」「お仲間・身内内閣」「華がない」のオンパレードでしょう。私は安倍晋三首相の思想や政治信条に必ずしも与するものではありませんが、マスコミが今回の組閣をくさしているのに滑稽さを感じてなりません。
小泉前首相の独断人事で元気をなくしたのは、抵抗勢力だけでなく大マスコミの政治記者たちです。これまでは派閥のボスや実力者に張り付いていれば、人事のおおまかな全容は事前に見通すことができました。インサイダーの特権です。我が国には政局ウオッチャーは多勢いても、真の政治記者がいないとはよくいわれることですが、誰にも相談することなく、一人公邸にこもって、ワーグナーを大音量で聴きながら人事を練っていた小泉さんに、政治業界関係者は皆お手上げでした。
安倍晋三氏は、派閥の弱体化とそれにともなう今回の選出経緯からして、首相として「変人でなくても自由に人事ができる」初めての権利を手にしました。だったら自分の好きな人で固めるに決まっているじゃありませんか。むしろそうしない方がおかしい。
党内の付き合いを30年間ほとんどしてこなかった小泉さんは、しがらみがない代わりにどんな人材が党内にいるのかさっぱりわからなかった。誰にも相談しないのですから、最新の情報も入ってこない。組閣の際、議員名簿を片手に、鉛筆をなめなめしながらせいぜい頭に浮かぶのは、森派か慶応出身者か二世で親父を知っているかくらいなもので、抜擢根拠が薄弱で、多分に印象論的、観念的な人事だったわけです。あとは適当に大向こう受けする「サプライズ」ですね。
その点、安倍氏は父親の秘書をやっていて同僚をよく見てきたし、地盤盤石のサラブレッドですから選挙の心配がなく、若い頃から色んな部会に顔を出していたようです。さらに幹事長代理になってからは選挙の応援演説に駆けつけた回数はダントツのチャンピオンですから、派閥横断的な支持を短期間で拡げたのは伊達ではないのです。(この辺は私も世耕本の影響を受けているのかもしれませんが・・・)
党内外が拉致問題に冷酷だった頃から、または自民党改革というのが重鎮に鼻でせせら笑われていた頃から、一緒に苦楽をともにしてきた同志を起用しないで、一体誰を使えと言うのでしょうか? 帰趨が決しない段階から安倍氏を担ぎ、支持に動いた人たちは、いわば先物買いをしているわけで、まずはその人たちにリターンを与えずしては、会見で表明した「頑張った人が報われる社会の実現」という理想も説得力をもちえません。それに党改革の成果として、自民党は自己申告シートなるものを採用しているといいます。これまでの自らのキャリア(どんな部会に属していて、どんな議員立法を上げたとか)と、これからどんな仕事を主にやっていきたいかという本人の希望も併せて提出させていて、小泉内閣時代も副大臣以下の人事は、この申告シートを勘案していたのえはないでしょうか。
従来の派閥均等順送り人事は、当選回数6回以上の「入閣適齢期」の議員を派閥のボスが首相に推薦して押し込んでいたというシステムで、いわば「年功序列型」ともいえるものです。任命権者がろくにその人となりや能力を知らずに、党内バランスのみを考慮していたものなのです。日本的といえば甚だ日本的ですが、極めて受動的な仕組みといえます。当時は「滞貨一掃内閣」などと揶揄していたマスコミも、一転して今回の能動的な組閣を否定的に捉えています。現金なものですね。
たしかに仲良しチームの弊害もあるでしょう。逆風にさらされたとき、脆さを露呈するかもしれません。意見の違う人を抱える胆力がリーダーに必要なのだというのも一理あると思います。しかし、自分の意見に賛同できない人への調整に足を絡めとられて、政策実行のスピードが鈍るよりも、まずは仕事をさせたうえで、その方向性が正しくないとすれば、有権者は選挙で審判を下せばいいのではないでしょうか。
それにしても、毎日の三宅久之や岩見隆夫、岸井成格、日経の田勢康弘、共同通信の後藤某といったアウトオブファッションな連中は、いいかげん早く退場してほしいものです。派閥記者出身の彼らは、基本的に番記者という名の使いっ走りで育っていて、ただの「政局追っかけ」でしかないのに、フィクサーになる者、政治家になる者(今回の自民党三役には二人いますが)、大学教授になる者、TV芸者になる者と、今までの時代はとてもつぶしが利いたので、「昔はよかったなあ」と懐かしんでいるだけの存在なのです。その経験や蓄積したノウハウが殆ど意味をなさなくなっているのですから、TV局の方もコメンテーターとして彼らを呼ぶのはそろそろお終いにしたほうがよいと思うのですが。
小泉前首相の独断人事で元気をなくしたのは、抵抗勢力だけでなく大マスコミの政治記者たちです。これまでは派閥のボスや実力者に張り付いていれば、人事のおおまかな全容は事前に見通すことができました。インサイダーの特権です。我が国には政局ウオッチャーは多勢いても、真の政治記者がいないとはよくいわれることですが、誰にも相談することなく、一人公邸にこもって、ワーグナーを大音量で聴きながら人事を練っていた小泉さんに、政治業界関係者は皆お手上げでした。
安倍晋三氏は、派閥の弱体化とそれにともなう今回の選出経緯からして、首相として「変人でなくても自由に人事ができる」初めての権利を手にしました。だったら自分の好きな人で固めるに決まっているじゃありませんか。むしろそうしない方がおかしい。
党内の付き合いを30年間ほとんどしてこなかった小泉さんは、しがらみがない代わりにどんな人材が党内にいるのかさっぱりわからなかった。誰にも相談しないのですから、最新の情報も入ってこない。組閣の際、議員名簿を片手に、鉛筆をなめなめしながらせいぜい頭に浮かぶのは、森派か慶応出身者か二世で親父を知っているかくらいなもので、抜擢根拠が薄弱で、多分に印象論的、観念的な人事だったわけです。あとは適当に大向こう受けする「サプライズ」ですね。
その点、安倍氏は父親の秘書をやっていて同僚をよく見てきたし、地盤盤石のサラブレッドですから選挙の心配がなく、若い頃から色んな部会に顔を出していたようです。さらに幹事長代理になってからは選挙の応援演説に駆けつけた回数はダントツのチャンピオンですから、派閥横断的な支持を短期間で拡げたのは伊達ではないのです。(この辺は私も世耕本の影響を受けているのかもしれませんが・・・)
党内外が拉致問題に冷酷だった頃から、または自民党改革というのが重鎮に鼻でせせら笑われていた頃から、一緒に苦楽をともにしてきた同志を起用しないで、一体誰を使えと言うのでしょうか? 帰趨が決しない段階から安倍氏を担ぎ、支持に動いた人たちは、いわば先物買いをしているわけで、まずはその人たちにリターンを与えずしては、会見で表明した「頑張った人が報われる社会の実現」という理想も説得力をもちえません。それに党改革の成果として、自民党は自己申告シートなるものを採用しているといいます。これまでの自らのキャリア(どんな部会に属していて、どんな議員立法を上げたとか)と、これからどんな仕事を主にやっていきたいかという本人の希望も併せて提出させていて、小泉内閣時代も副大臣以下の人事は、この申告シートを勘案していたのえはないでしょうか。
従来の派閥均等順送り人事は、当選回数6回以上の「入閣適齢期」の議員を派閥のボスが首相に推薦して押し込んでいたというシステムで、いわば「年功序列型」ともいえるものです。任命権者がろくにその人となりや能力を知らずに、党内バランスのみを考慮していたものなのです。日本的といえば甚だ日本的ですが、極めて受動的な仕組みといえます。当時は「滞貨一掃内閣」などと揶揄していたマスコミも、一転して今回の能動的な組閣を否定的に捉えています。現金なものですね。
たしかに仲良しチームの弊害もあるでしょう。逆風にさらされたとき、脆さを露呈するかもしれません。意見の違う人を抱える胆力がリーダーに必要なのだというのも一理あると思います。しかし、自分の意見に賛同できない人への調整に足を絡めとられて、政策実行のスピードが鈍るよりも、まずは仕事をさせたうえで、その方向性が正しくないとすれば、有権者は選挙で審判を下せばいいのではないでしょうか。
それにしても、毎日の三宅久之や岩見隆夫、岸井成格、日経の田勢康弘、共同通信の後藤某といったアウトオブファッションな連中は、いいかげん早く退場してほしいものです。派閥記者出身の彼らは、基本的に番記者という名の使いっ走りで育っていて、ただの「政局追っかけ」でしかないのに、フィクサーになる者、政治家になる者(今回の自民党三役には二人いますが)、大学教授になる者、TV芸者になる者と、今までの時代はとてもつぶしが利いたので、「昔はよかったなあ」と懐かしんでいるだけの存在なのです。その経験や蓄積したノウハウが殆ど意味をなさなくなっているのですから、TV局の方もコメンテーターとして彼らを呼ぶのはそろそろお終いにしたほうがよいと思うのですが。
たしかに今日久しぶりに朝日新聞を読んだら、吐き気がしてきました。
派閥間で「疑似政権交代」を行うことで、長期政権を維持してきた自民党ですが、同時に首相の任命責任が減殺されてきた面があります。トップが思い通りに集めたチームとその構成員は、トップの分身そのものといえるので、より糾弾しやすい側面がないでしょうか?
政権交代を可能とする「アナザーフラッグ」(民主党ということになるのでしょうが)の存在と、雑誌記事に対して、いちいちファナティックな対応をみせる新首相にびびることなく発信していけるようなメディアがあれば・・・という話ですが。