音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

体罰考

2013-01-14 10:17:27 | 事件
例の痛ましい事件があって、自分の体罰経験を振り返ってみた。中学の時に自習中に居眠りしていたら、突如担任が現れて後ろから拳骨で殴られた時のことしか思い出せない。「いきなり後ろから頭を殴らずに口で注意すればいいじゃねーか、この低脳体育教師が、死ね!」という感想を持つも、私が教員から暴力を受けた記憶はこの1回のみ。

体罰現場の目撃ということでいえば、小学校の高学年の時に印象的な出来事があった。運動会の組体操の練習中、担任教師が隣のクラスの児童に、衆人環視の中で殴る蹴るの暴行を加えたのだ。担任は激情型というわけではなく、人格者と評されるタイプの人だったが、その時は尋常じゃないほどに激昂して、興奮のあまり顔が真っ赤に紅潮していた。この児童はその後、16歳の時にバイク事故で命を落とすことになるやんちゃだったが、小学生の頃だから問題児というほどもない可愛い奴だった。家が金持ちなので甘やかされていて肥満児だったのを憶えている。おふざけを注意するのは教師として当然なのだが、実は両者の間にはちょっとした因縁があった。それは何かというと、当時、担任はその子の親がオーナーの賃貸住宅に住んでいて、問題の場面では、どうもそれを揶揄されたらしい。「店子のくせに」とかなんとか・・・。未熟な児童相手にあれほどキレたのが、そのことと無関係でないのは子どもの目にも明らかで、なんだかんだ言って教師の体罰は、私怨や個人的な感情・気分が混じっているものなのだと思うようになった。

桑田真澄氏が指摘する通り、学校の部活における体罰は本当に罪が重い。仕返しされない上下関係の中で行われるというのも勿論だが、チーム競技の場合、顧問=監督が選手起用の権限を握っているから、親が迂闊にクレームを付けにくい構図がある。保護者や地域の大人といったステークホルダーが部活の練習を手伝ったり見物するのは、サポートの他に顧問の暴走を監視する意味があるはずだが、いわゆる「実績」のある指導者は勝てば官軍で、校内でも治外法権化する傾向があり、保護者会も単なる御用組織。よって生徒は絶対的弱者の立場に置かれる。

桜宮高校バスケ部の少年はキャプテンだったがゆえに、顧問の体罰の主たる標的になった。「主将を降りるならBチーム(2軍)に落とすぞ」という理屈も妙だが、これも少年を追い詰めた一因だったようだ。大学の体育会も、主将向きの性格とかまとめる力とかポジションとか関係なく、自他ともに認める一番うまい(強い)選手がキャプテンになるのが、最もシンプルかつ合理的という考え方がある。これは幾つかの効果があるが、監督が起用せざるを得ないというのも一つ。亡くなった少年は立候補で就任したということだが、おそらく他の部員は、20年近くも同校に君臨する天皇のような監督のもとで主将を務めるのはリスキーだと回避した可能性もある。

最後に、体罰の及ぼす深刻な影響について。体罰を反面教師としてうまくやり過ごせるようなタフな生徒もいれば、自死を選ぶほど追い詰められる子もいる。そして、一番恐ろしいことは体罰の連鎖じゃないかと思う。虐待されて育った子が、自分も親になって同じことを子どもにしてしまうことが多いというが、体罰という名の暴行も同様である。

我が国の犯罪史上において、最も残虐な犯罪とされる「綾瀬女子高生コンクリート殺人事件」のことを最近読み返す機会があった。事件発生から20年以上経つが、当時大学生だった私は色々な文献を読み漁ったものだが、現在はインターネットで幾つかの詳細なサイトが存在する。少年事件であり、少女を41日間も監禁して嬲り殺しにした中核メンバーの4人が本件では既に刑期を終えて出所(サブリーダー格だった男は案の定、04年に再犯し刑務所に)していることや、あの飯島愛も事件に関わっていたのではないかという噂などから、ネットの世界では今もなお話題が尽きていない。私も娘の父親という立場になったので、読んでいると動悸が激しくなり、正直冷静でいられなかった。人間がここまで残虐になれたことに戦慄を覚える。事件の態様は、まともに読むと精神衛生上良くないので、あえてリンクは貼らない。

集団心理やメンバー間の微妙な人間関係による対抗意識や恐怖心、現場である自宅が特定されているので帰すに帰せず引っ込みがつかなくなった等、幾つかの要因はあれど、ここまで鬼畜の所業がエスカレートした理由が気になっていた。鍵になるのは、主犯格の男の経歴である。男は160センチと小柄ながら、東海大付属高輪台高校に特待生として入学したほどの有望な柔道選手だった。しかし、柔道部の顧問と先輩からの酷い体罰に嫌気がさし、1年の3学期に学校を中退している。柔道特待生だから、部活を退部したら学校も辞めざるを得なかったかもしれない。そこから先はお決まりの転落コースで、ヤクザの事務所に出入りし、ひったくりや傷害、強姦や輪姦の常習犯となっていった。男は札付きのワルではあるが、根っからのサイコパスではない。コンクリート殺人事件の発覚は、別件で刑事がかけたカマに、まんまとはまったことによる。悪夢にうなされる日々で限界だったというのだ。凄惨な犯行内容は、およそ人の痛みや尊厳について相当に鈍感でなければ成しえないことだが、恒常的に暴力を受け続けた人間は、やがて慣らされて感覚が麻痺してくる。他のメンバーも、中学時代に教師の体罰や先輩からのいじめによって歪んでしまったケースがあったようだ。

1日に30~40発などという、息を吸うがごとく生徒を殴る指導者に付いて行った子も、潰された子も非常にネガティブなものを背負うことになる。将来、指導者や管理職、人の親や配偶者になった時にも、少なくない人格的影響を与える仕事をしていることに、教職にある者は自覚的であってほしい。


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