難しい状況でも、
立ち上がり歩き続けていける人、
折れて動けなくなってしまう人、
その違いは何かといえば、
「レジリエンス(跳ね返す力)」があるかどうかといえます。
ではこのレジリエンスはどう培われるのか?
さまざまな研究があるわけですが、その中のひとつに、
「自己批判」を「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」におきかえていく、
というのがあります。
失敗の後、「過度の自己批判」は、
一時的に立ち上がるためには効果的かもしれませんが、
長い目で見たら「弊害」が出てくるといいます。
たとえば、以前紹介したスタンフォード大学医学部の
「コンパッションと利他主義のリサーチと教育センター」のディレクターで心理学者Emma Seppara氏は、
その著書『The Happiness Track』の中で、
「過度の自己批判」はうつや不安障害を引き起こしやすいとし、
以下のような「弊害」をあげています。
1.「過度の自己批判」は失敗への不安感を増す
失敗への不安感が増すにつれ、
・よいパフォーマンスがより難しくなり
・すぐにあきらめるようになり
・貧しい決断をするようになります。
「カンニングなどの近道へ走ったり、ビジネス界では倫理的でない投資家を見過ごしたり、賄賂を許容したりしがち」とのこと。
失敗を回避するためなら何でもしようという姿勢ですね。
・また、本当にほしい物事を失わせるようになる、とも。
「この授業を取りたいけれど、失敗しそうだから、無難なものにしておこうなど。」
結果、自分が何をしたいのか分からなくなっていくんですね。
2.「過度の自己批判」は自らへの「ネガティブバイアス」を促進する
以前書きましたが(ネガティブなことに引きずられない、「ネガティビティー・バイアス」の緩和)、「ネガティブバイアス」とは、ポジティブ面よりネガティブ面にフォーカスして物事をみるヒトの性質です。人類が生まれて以来99パーセントの期間を占める狩猟採集時代、生存を脅かす危険に常に囲まれながら生き残るために、必要不可欠な性質だったとされています。確かに、岩で遊んだり岩のそばで休んだりと、「岩」に関係したどんなに楽しく心地よい体験をしたとしても「以前岩の後ろにライオンが隠れていたことがある」というネガティブな事実を覚えておかなくては、生き残ることはできなかったでしょうね。
そうした時代の名残から、物事をみると、99回よいことがあっても、1回の望ましくないことを、現代でもヒトはよりしっかり覚えているいる、というんですね。
心理学者のShelley Gable氏と Jonathan Haidt氏の研究によると、ヒトは、ネガティブ体験の3倍以上のポジティブな体験をしているにも関わらず、ネガティブな体験にフォーカスする傾向にあるといいます。
そこで、「もし、私たちがありのままに物事をとらえるとするなら、75パーセントの人生はだいたいうまく言ってるわけですから、人生をかなりポジティブに眺められるはずなんですよね」とSeppara氏は言います。
それで、「自己批判が過度」になるにつれ、自分に対してのこうした「ネガティブバイアス」が、より促進されるといいます。とにかく、自分のネガティブ面ばかりに目が行きフォーカスするようになるというんですね。
3.「過度の自己批判」は自分のポジティブ面を当たり前にとる姿勢を培う
批判ばかりに目が行きますから、それ以外は、通り過ぎるようになるといいます。どれほどポジティブでありがたい部分を持っていても、どれほどのことを成し遂げても、「欠けている」部分ばかりが目に付いてしまうんですね。
きついですよね。自分に対して全然フェアじゃないどころか、失礼過ぎますよね。
何よりも、こんな状態で、将来に向けすくすくと力を伸ばし発揮していけるわけがありません。
いずれ、行き詰まります。
敏感でネガティブ面も強烈に迫りくる子、
一点のしみがすべてを台無しにしてしまうように感じる完璧主義の子に、
「過度の自己批判」を、不完全さを包み込む「自己への思いやり(セルフ・コンパッション)」へと変えていくことの大切さを思います。
こういう子達は、少しの失敗にも、自らを残酷なまでにも吊るし上げがちですから。
自分を大好きで大切なお友達のように「思いやり(コンパッション)をもって扱うこと、
思い出させていきたいです。
そして周りの大人が、自ら体現していくこと。
難しい状況でも折れてしまわないレジリエンスを高めていくために、
実行していきたいですね。
HSPの親とHSCについても、
のちほど引き続きまとめていきます(週末ぐらいになるかもしれません)!
みなさん、今日もよい日をお過ごしください!