「プログレッシブ教育」のトレーニングが始まりました。
・『日本語継承センター』にて「文化を伝えるプログレッシブ教育」トレーニングを受けることになりました
私自身目指す方向に、がっつりと合わさっていて、
そこに立っている自分があまりにも自然な気持ちがして、
こうした場に巡り合えた一連の流れに、感謝がこみ上げます。
ベテラン先生方から学びたいことが山ほどありますよ。
何十年もかけて培われた姿勢や具体的スキルを備えた存在が、
身近に何人かいらっしゃることの有難さを、噛みしめています。
しかもベテランながらも、
こうした方がいいかな、こっちはどうだろう?と
みなさん今も好奇心溢れた様子でひとつひとつの授業に向かわれていて。
根掘り葉掘り質問攻めでくっついて回る私にも、←目がハート状態
あり得ないほどオープンに親身に接して下さる先生方に感謝しています。
日本人の方々にこれほどまとまった人数お会いするのも何年ぶりかのことですから、
ああ、この感覚懐かしい、ああ、そうだったそうだった、などと
改めて、「日本らしきもの」を実感してもいます。
近辺には、日本の「伝統的な教育のあり方」を用いる「日本人補習校」があり、
生徒さんの数も「継承センター」の約7倍の700人。
日本にいずれ戻る家庭も含め、
日本語を母国語レベルで頑張りたいという子供さんたちが通っています。
それでも、普段、米国の現地校に通っていることもあり、
「日本的な教育スタイル」がどうしても合わないと感じ、
「継承センター」に移ってくる子もいるとのこと。
様々な事例についての話を聞きながら、
ああ、確かに、私自身も子供時代、
そうした「日本の伝統的な学校の雰囲気」を感じて、
「不登校」になりがちだったんだと、思い出していました。
その場の「エートス」(*)を意識的にも無意識的にも、
敏感過ぎるほど感じ取る子っているんですよね。
(*)エートス:ここでは、社会学で用いられるエートスのことです。
習慣によって形作られた「生活態度」、その場を構成する人々が選択している「心的態度」、
個々の選択の基準となる「正しさ」からなる「倫理的態度」をひっくるめた
その場を特徴づけているもの。その場を覆う雰囲気。
例えば、
・皆が一斉にきっちりと同じことをしなくてはいけない
一方、「プロジェクトがメイン」の授業の在り方だと、やはり「個性の幅」「レベルの幅」「他の選択肢」が許される雰囲気があります。
強烈に感じたり敏感な子にとって、圧倒されて立ち止まる対象も立ち止まる物理的時間も周りと異なりますから、「一斉にきっちりと同じこと」って難しすぎます。
「鈍くする」ことのみが、唯一の方法になってしまいます。
・先生のオーソリティーの強さ(権威主義的)
英語には、敬語もありませんから、英語での先生と生徒との会話は、日本人にとっては、まるで「ため口」ような驚きがあります。
先生というのは「リスペクトするべき存在」ですが、生徒ともより「対等」に向き合っているという雰囲気があります。
生徒たちも、疑問などは「なんでそうなるんですか?それはおかしくないですか?」と、授業中でもストレートに口にします。
日本人的な感覚では、先生に対して「失礼」とも見えることがあるかもしれません。
こうしたこちらの学校の感覚で、日本の伝統的学校で過ごすのは、やはり、難しいと感じる子もいるでしょうね。
米国の問題としては、対等に見えるあまり「リスペクトは大切」ということを忘れてしまう生徒がいるということですね。
敏感な子の場合、反発する気持ちもあるでしょうが、「自分を抑え込む」「萎縮する」ということがありますよね。
・姿勢、座り方、仕草などもこまごまと注意される
「ごそごそする」ことが許されない学習環境だと、逆効果の生徒もいるものです。
・ごそごそ動いた方が学習効果アップ!ADHD・ギフテッド・舞踏家タイプの子
「だらしない子」などとレッテル貼られ、挽回できないとなるときつ過ぎます。
これまで受け持ったクラスでも今回のトレーニングでも、必ずこうした子がいます。
それでも、そうした子達が、
工作やプロジェクトなどに、驚くほどの集中力と細かさを見せたりするんですよね。
放課後スクールで「落ちこぼれ」とされていた子たちが、
アートや創ることに没頭して目を輝かせていた姿が目に焼き付いています。
敏感な子の場合、本人が叱られやしないかと落ち着かないこともあるでしょうが、
周りが理不尽に叱られたり見下されたりする様子に耐えられないということもあるのでしょうね。
「伝統的な学校スタイル」の方が伸びる子もいます。
でも、もし合わない場合、
こうした「継承センター」のように、
「伝統的スタイルの学校」以外にも、友達とワイワイ学びながら伸びていく場が、
もっともっと日本にも必要ですよね。
「日本の伝統的なスタイルにどうしてもフィットできなくて、
こちらに移ってきて驚くほど伸びたんです」
という親御さんの声を聞きながら、
子供時代の私自身のような、
日本の「不登校」の子どもたちを思っていました。
関連記事:
・精神科医清水將之氏へのインタビュー記事、「不登校」とは今の学校が「おかしいと疑問を持つ子が割りを喰っている」状態という指摘に納得
・ちきりん氏の記事に思うこと、「学校で無駄に過ごす」から「多様な選択肢のある」システムへ
・「ちきりん『学校は不利な人をより不利にする場所』 イケハヤ『まだ不登校で消耗してるの?」について思う
・『ひといちばい敏感な子』を訳した明橋氏が訳書の冒頭に書かれている言葉に思うこと
・朝日デジタルの記事に思う、多様な学習スタイルを選べる教育システムでは「不登校」なんて存在しない
とにかく、全身スポンジ状態で、
具体的スキルを吸い込み、実践していきます。
それが、私にできることのひとつ、そう思っています。
「『スポンジボブ』を驚くほど精密に描いた集団から外れやすい子のまぶしい笑顔」を思いつつ。
低学年から中学年のクラスでは「くまもんダンス」を一緒に踊ったんですよね、くまもんが何たるかも知らず初めてでしたが・・・。
「踊りの一挙一動を記憶し生き生きと踊る人前ではあまり話さない子」の姿が頭から離れません。
先生方、言語を文化を子供たちがいかに自然と身に着けるかをホント工夫してらっしゃいます。
みなさん、初夏の空をお楽しみください!
日本でもぜひ広まってほしいアプローチですね。
先日お話しした日本の「教育の機会均等法」は、当初「多様な教育の機会」を目指していたものが、多様な教育を前提とすることは不登校を助長するよいう国会の審議につながり、結果として「多様な」が削られてしまったようです。
何かズレている。。。
日本で国会に出るような人たちやエリートと言われる人は、日本の伝統的な教育制度でうまくいった人たちなので、なかなかそれ以外に成長の方法があることを認められないのかもしれません。
日本ではますます不登校が増えていて、今後、通常の学校以外の学びの場を充実させていくことが、切実な問題となってくるのだと思います。
こちらの記事によると:
「教育機会確保法 不登校対策は」(くらし☆解説http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/263477.html
「昨年度、病気と経済的な理由を除いて30日以上学校を欠席した不登校の小中学生は、12万6000人を超えています。小中学校とも子どもの数は減っているのに、3年連続で増加していて、中学生はクラスに1人は不登校の生徒がいる状態で、高止まりが続いています。中でも90日以上と長期間学校を休んでいる子どもが7万2000人あまりと全体の6割近くに上っているんです。」
とのこと。子どもの数は減っているのに「高止まり」状態。
Tomoeさんが、先日のチャットで疑問にもたれていた「教育機会確保法」、「多様性」が削られたのだと教えてくださりありがとうございます。今年2月に施行されたんですね。
2015年ぐらいからフリースクールやホームスクールも義務教育として認可されるかもしれないといわれていたのが、この記事によると、国会では、「学校に行かないことを安易に認めるべきではない」「学校に行かないことを助長する」「まずは学校を充実させるべき」という意見が強く、認可には至らなかったんですね。
それでも、何が何でも登校せよ!ではなくフィットするのが難しいなら「休んでもよい」
また今の学校だけが絶対ではないよ、という「学校以外の場の重要性」が認められたということは、
確かに、期待したほどの変化ではないにせよ、前進ではあるのかもしれませんね。
>日本で国会に出るような人たちやエリートと言われる人は、日本の伝統的な教育制度でうまくいった人たちなので、なかなかそれ以外に成長の方法があることを認められないのかもしれません。
確かに。このシステムでうまくこれた人々ですからね、「よりよく=システムを強化する」しか発想がないかもしれません。
できることに、こつこつと取り組んでいきたいな、そう思ってます。いつもありがとうございます!