マイコー雑記

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「子どもと親は対等」というアドラー心理学の言説について&「しつけの原点」とは?

2018年01月02日 | 子育て全般

大晦日に、アドラー心理学を基にした、

心理学者ジェーン・ネルセン氏主宰の

「ポジティブなしつけ」講座の最後の課題を提出しました。

 

荒波にもまれ、

「予定通り今年中に終えるのは無理…」と

何度も思ったんですが、

最後の最後に、少し時間を手に入れることができ、

ありがたかったです。

 

子育てしながら何かに向き合う時、

なかなか思うようなペースや計画通りには進まないものですよね。

 

仕事ならば、

何としてでもスペースを確保するわけですが、

特に、こうした「基本の生活」の上に築く、

「学び」なり「資格」なりといったものへ注ぐ時間やエネルギーというのは、

どうしても、「必要不可欠」な物事の、

あとへあとへと押しやられていきます。

 

そして、

まとまった時間に満足いく形へと達成できない「やるせなさ」を抱えながら、

「オール・オア・ナッシング」と諦めることなく、

細切れに手に入る時間に課題を分散し、

こつこつ続ける「忍耐」を学ぶ必要があります。

 

また、私自身、何度か身体を壊し学んできたことですが、

睡眠、食、運動という土台を削るのならば、

より早く進むこともできるもの。

 

でも、短い期間での目先の結果と、

長い目で見た全体的な前進のどちらを目指すのかといえば、

やはり、土台を極端に削ることは、

全く、理にかなってないのですよね。

 

ですから、もう本当に、

周りが1時間でできるところ、

1週間、いや、1か月かかってもしょうがないと腹を据え、

とにかく、こつこつと続けていくこと。

これしかないなあ、そう思います。

 

みなさん、

長い目で見たゴールを日々思い出し、

自分にできるペースで、できることを

続けていきたいですね。

 

 

 

さて、

ここ数か月、講座を通し、

様々思うことがありました。

 

今日は、

・「親と子であっても対等」という心理学者アドラー氏の考え

・「しつけの原点」

について、まとめさせてください。

 

 

親と子であっても対等?

日本でも『嫌われる勇気』などでブームとなった

アルフレッド・アドラー氏の研究に影響を受けた

この「ポジティブなしつけ」講座でも、

何度か、「親と子でも対等」というアドラー氏の言葉に出合いました。

 

こちらの記事でも私自身、

『It Mama』寄稿:親バカもほどほどに!褒めすぎると「失敗を恐れる子」になる!?&褒める代わりに何ができる?

「褒める」についてとりあげ、

「褒めるのは結局、

関係として対等ではないから

子育てにそれほど必要じゃないですよね」と書いてます。

 

 

でも、大人と子供って、

「対等」なわけないですよね。

 

子どもは、この世に暮らす年数も親に比べて少ないですし、

知識量も、体験も、スキルも圧倒的に少なく、

親は教え、子は学ぶというのが、

「しつけの原点」でもあるわけです。

子育て生活で感情マックスになったときほど「しつけ(discipline)」の原点「教える・学ぶ」に立ち返る

 

 そこで、

このアドラー氏の言葉を理解するには、

そうした年数や、知識や、体験やといったものの先にある視点が

必要なのですね。

 

それが、

アドラー氏の言葉にもあるように、

「人の尊厳」です。

 

つまり、

「尊厳や尊敬に値するか」ということに関しては、

「親も子も、全く対等」というわけです。

 

以前書いたこちらの記事も、

このコンセプトを理解するのに役に立つと思います。

米国士官学校教育長によるパワフルなスピーチに思う。私達は子供の「尊厳」を忘れてやしないか?

 

「親と子は対等」という言葉は、

こうした「子どもの尊厳」という視点を大切に、

子どもに向き合っていくことを、

思い出させてくれます。

 

 

 

「しつけの原点」とは?

以前、しつけについて米国でのベストセラー本の著者で小児精神科医ダニエル・シーゲル氏は、

ラテン語の語源に戻り、「しつけ」を

「教え・学ぶ」と定義していると紹介しました。

子育て生活で感情マックスになったときほど「しつけ(discipline)」の原点「教える・学ぶ」に立ち返る

 

 

ジェーン・ネルセン氏の、

しつけについてのラテン語の解釈は、

「真理(truth)を求めるものとして教え・学ぶ」というものです。

 

つまり、教える側も、学ぶ側も、

「真理」が中心にあり、

「真理」を前に、対等というのですね。

 

図で表すと、

こんな感じになるのではないでしょうか。

 

    しつけの原点は「教え・学ぶ」こと。

 

しつけの原点は「真理(truth)を求めるものとして教え・学ぶ」こと。

 

真理を目指すものとして、

大人も子供も、対等。

親に従う子を育てるのではなく、

真理に従う子を育てるわけです。

 

私自身、なるほどなあと、

とてもしっくりした解釈でした。 

 

 

 

また、知識や体験量やといった面では、

「親は教え子は学ぶ」という立場ですが、

でも、確かに、知恵や真理と言う面では、

親が子どもから学ぶことって多くあると思いませんか?

 

例えば私自身、

子供から教えられ続けているなあと思うことに、

・今この瞬間を楽しむこと

・無条件の愛情

があります。

 

子どもは、今この瞬間を楽しむ天才ですよね。

それが、年を重ねるにつれ、

過去をひきずり、未来を悩みと、

重たくなっていきます。

 

そして、親がどんなに失敗しても、

どんなに後から「ごめんね」と思うような反応をしてしまっても、

子どもから親に向けての愛情ほど、

「無条件な愛情」ってないと思いませんか?

 

なんでこんなにも、こんなことをしてしまっても、愛してくれるの、

私自身、何度そう驚き、泣けてきたか分かりません。

 

「無条件の愛情」を体現するロールモデルとは、

子どもに他ならない、

私は、そう思っています。

もし、親にそのロールモデルを求められないのならば、

目の前の子どもに、学ぶといいのですよね。

 

 

 

・親も子も、尊厳に値し、そして、真理を前に、対等である。

・しつけとは、その場その時点での真実を求め、教え学び合うこと。

 

みなさん、

子どもに向き合う日々に、

思い出していきたいですね。

 

 

講座では、こうしたコンセプトを基に、

様々な具体的事例や方法やツールを学んできました。

伝わる形へと、こつこつまとめていきますね。

 

 

 

 

さて、元旦。

次女と三女の回復と共に、

大晦日は大はしゃぎしていた次男が、

熱と嘔吐ですよ。

 

こちらは2日から学校なのですが、

我が家は体調が戻るまで、

少し遅れてのスタートとなりそうです。

 

私自身、子ども時代、

しょっちゅう熱を出し、病気になっていたんですが、

ありがたいことに、今は、風邪菌が荒れ狂う中でも、

それほど影響を受けなくなっています。

 

免疫力を養い、

強くなる過程なのだと見守りつつ、

子どもたちがたっぷり休息し、

体調回復するのをサポートしていきます。

寄り添えることに感謝しつつ。

 

年末の散歩。

氷点下ですよ。

次女撮影。

 

みなさん、温かい年始を!


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