L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

斎藤佑開幕戦勝利、初完投!

2012-03-30 22:39:41 | 日ハム

ファイターズ開幕戦勝利!やったね。9-1で圧勝だ。佑君の初開幕投手、初完投!前評判の声はいろいろあったが、全てねじ伏せた。ホント良かった。後半のイニングは、少ないボール数で打たせて取るピッチング。併殺打でスリーアウトという展開にシビれた。いいね。すばらしい!佑君がこうも頼もしいピッチングをしてくれるとは、嬉しい誤算といっては失礼だが、今後がとても楽しみでしょうがないのだ。

今季の日ハムの投手陣は、ダルビッシュの抜けた穴をどう埋めるかに掛かっているが、大がかりな補強をしなくても、今いるメンバーでやりくりするのが日ハムのスタイルだ。今後、どんなピッチャーがブレイクするのか、非常に楽しみ!八木と吉川にまた復活して欲しいな。スレッジが戻ってきて、Sledgehammerと応援歌を聞くと、ものすごく懐かしい感覚が甦る。スタメンも絶好調。糸井のパワーと俊足はスゴイし、稲葉のバッティングも心強い。涼しげにヒットを打つ二岡のバットさばきはさすがだ。

それにしても、プロ野球がはじまると、何かちょっと違ってくるね。何かこう、感情が熱くたぎるものが日常の中にあるのは、とても楽しい。それがこれから半年近く開催されるのは、本当に面白い。2012年のペナントは、まだはじまったばかり。栗山監督の采配、鎌ヶ谷組の台頭、稲葉の2000本安打へのカウントダウンなど、見所はたくさんある。頑張れファイターズ、今年こそ日本一だ!


まちを歩けば世界が見える 銭湯からまちを見る

2012-03-28 20:04:30 | まち歩き

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OYOYOにて、まち文化研究所主催の塚田俊信先生による、すばらしい講義を聞いてきた(チラシのデザインもステキ!)。題して「まちを歩けば世界が見える」。今回は、銭湯から世界を見ようというものだ。

塚田先生は、一日で最高7件もの銭湯をハシゴしたことがあるという猛者。北海道新聞社から「いらっしゃい北の銭湯」という著作を出している。これまで、札幌西野地区のそば屋さん、お菓子、食堂など、数々のニッチなテーマでまちを掘り起こしてこられてきた。

講義で言及されたのは、のれんの種類、お店の外観、タイル絵の違い、地域によるケロリン洗面器の大きさの比率、木札鍵の下駄箱、浴槽内外の階段の数’(稚内地方は浴槽内の階段が二段、大阪は浴槽外に階段が一段ある)、風呂桶(江差地方の金属桶をわざわざもらってきたそうだ)、風呂上がりに飲む牛乳瓶の違いなどなど、実に多岐に及ぶ。銭湯に配置されてあるアイテムのに注目して、その成立プロセスや時代による変遷、地域による差などから文化を見ていく視点に圧倒された。あっという間の二時間だった。

歩く、見る、聞くというのはまち歩きの基本である。それだけでなく、得た情報を書いて実際に発信していくことが重要ことのこと。何事も差異に注目して、視点と切り口を変えていくことで新しいテーマが見つかり、まちの見方も変わっていくのだ。

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「札幌銭湯まっぷ」をゲット。このマップは、札幌市内74店舗のスタンプラリー帳も兼ねている。札幌の銭湯でスタンプラリー(ゆラりYuRallySapporo)が行われていることを知ってはいたが、肝心のスタンプ帳をどこで手に入れるのかわからなかったので、ラッキー♪である。聞くところによると、銭湯にこのマップが置かれているらしいのだが、最近いった銭湯ではどこも発見できなかった(ポスターは貼ってあった)。銭湯にふだん銭湯に行かない人にスタンプラリーの存在を知ってもらって人を動かすためには、カフェなどのフライヤー置き場や町の案内所等にも置いてもらうべきなのだ。

かつて北海道に1000件近く会った銭湯も今は300件くらいに激減したとのこと。それでも、「札幌銭湯まっぷ」を見る限り、かなりの数の銭湯がまだ札幌には残っている(スーパー銭湯は見事に除外されている)。自分が行ったことがあるのはその内の6,7店舗くらいだが、雪も溶けて自転車が使える季節になってきたので、銭湯マップを片手に、今年はまだいったことがない銭湯を巡ってみようという気になってきた。車がないと厳しいエリアもあるが、行くことができる限りの銭湯に行ってみよう。そうでないと、閉店して一生行くことができなくなってしまうかもしれない。銭湯に行かずしてまちを語ことなかれ。春からの楽しみが一つ増えた。
塚田先生、ありがとうございます!


劇団アトリエ第4回公演「色褪せた先生、生、、、」

2012-03-22 01:04:22 | 演劇

今札幌の若手劇団で、最も豊かな才能と実力を持っている楽しみな劇団は、劇団アトリエである。先週末のことではあるが、BLOCHで劇団アトリエの第4回公演プロブレム作品2「色褪せた先生、生、、、」を見てきた。短編オムニバス3本の公演である。演劇の可能性を広げようとする試みに満ちあふれているステキな舞台だった。

「東京パラレルワールド」
先月の札幌ショーケースでも上演された作品で今回見るのは二回目。秋葉原事件に至る過程を連想させる会話劇。登場人物五人のうち、会話の節目ごとに二人が前方に移動して立ち位置がめまぐるしく変わる。これぞ、舞台でしか不可能な手法だろう。

「ラベリング」
コンビニでヒマをもてあそぶ店員の二人(男と女)。そこに間抜けな強盗が拳銃を持ってやってきて店員を脅すが、男店員はあっさりと銃を奪ってしまう。店員は退屈しのぎに、自分が人質としてビルに立てこもる計画を強盗に持ちかけ、警察に通報する。やって来たのは刑事とTVの女性リポーター。人質として振る舞うコンビニ店員が強盗犯に命令して警察を煽るが、二人の間に内部分裂が起こり、物語は思わぬ展開へと進んでいく。

「コロンブスより長い旅」
ある婦人の家を訪ねた若い女性。婦人は3年前、我が娘を女性に突き落とされて死んだ過去を持つが、女性は覚醒剤をやっていたことで無罪となり、服役を免れる。婦人は、泣いてすがりながら謝罪する女性を、容赦ない言葉でじわじわと追い込んでいく。「まだ人生は長いんだから、これからも生きてあなたを恨みつづけるわ」と語る婦人は、「あなたを恨むために、生きていく」と言い直す。二人の関係が少しずつ明かされていくシナリオ展開と、重苦しい内容に心も滅入ってしまった(それくらい重い!)。

さて、3つとも雰囲気も作風も全く違うように思えるが、形を変えながらも通底しているモチーフがいくつかある。それは、息苦しさ、閉塞感、殺人だ。登場人物はみな、法(警察、覚醒剤)、資本主義(コンビニ、会社etc)の中で閉じ込められ、社会や家族に苦しみを抱いている。

特に注目したいのは、ドタバタコメディーのような二番目の「ラベリング」に登場する、マユミというコンビニの女店員の存在だ。一見脇役のようにも見えるマユミは、親子のズレと葛藤に苦み、母親に向けて銃を撃つ。だが、最後は結局、家族の元に戻る。ドタバタ劇の中で小さなエピソードとして描かれている、いい子を演じ続けてきたマユミの息苦しさが、物語の思いも寄らない展開から心に襲いかかってくる。これは非常に巧みだ。恐るべし、劇団アトリエ。

この方向で、さらにとんがった作品を見てみたい。次回も期待大!


札幌市唱歌

2012-03-19 23:01:45 | まち歩き

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先週のことではあるが、OYOYOにてブラサトルさんの「『札幌市電唱歌』で都心・山鼻の歴史散歩」に参加してきたので、その様子のレポート&市電についての考察をしてみよう。ブラサトルさんは、まちあるきの達人。明治時代に作られたとされる鉄道唱歌を、札幌の市電の電停全23個(プラス新駅1つ)のために一人で創作した市電唱歌を披露してくれた。その内容が実に味わい深くて素晴らしい。七五調と明治期の日本語文法を取り入れた、詩的センス抜群の作品に仕上がっている。とんでもない才人がいたものである(プレゼンがまた上手い!)。

札幌市の市電は、札幌の歴史と供に発展し、そして地下鉄の発展と反比例するように縮小されていった。近年はエコの観点から見直されて、札幌市の市電はループ化が決まった。ブラサトルさんは、市電の電停沿いの風景を、今と昔を比べながら、一駅ずつ紹介していった。懐かしい風景が写真で次々と映し出されていく。

そういえば昔、西線16条駅前には、かまぼこ屋根のもいわ体育館があったのだ。中央図書館前駅近くには、洋館風の喫茶店があった。もはや記憶の中にしかない、失われた風景がたくさん甦ってくる。あまりの懐かしさにタイムスリップした感じがした。

新たに知ったこともたくさんあった。
西線14条駅近辺にはかつて黒澤牧場があり、辺り一面は牧場だったようだ。今となってはほとんど異世界のようでピンと来ないが、そんな歴史があったことに驚きを禁じ得ない。行啓通の行啓とは、当時の皇太子さまが外出されることを意味する言葉。実際に当時の皇太子様が行啓されたことに由来するとのこと。知らなかった。札幌の市電は、あなたの知らない札幌の歴史を走っているのだ。

・なぜ市電の走る風景は味わい深いのか?
また、市電の走っている都市は、全国どこでも、味わい深いまちの雰囲気が醸し出されているという。それが何故なのかは、電車が走る音が響くからとか、いろいろな意見が飛び出したが、わからずじまい。なぜだろうか?

個人的な意見(というか仮説)としては、市電が毎日走ることで、市電通り沿いは常に「見られる」場所であることが関係しているのではないだろうか? 市電は、鉄道や新幹線と違ってゆったりと車窓が流れるため、市電に乗るとまちの変化を目の当たりにすることができる。市電の乗客にとっては、ビルの建設過程、建物の配置やデザイン、店の発展や衰退、リニューアル、空き地、新しい店のオープンなど、つねに視覚的にまちを捉えることができるわけだ。

市電沿線のまち側にとっても、乗客の目を意識せざるをえない。また、線路が通っている乗り物が走る、ということも大きい。バスだとそうはいかない。踏切が不要で、電車との距離が近いことも関係しているだろう。再演もされている劇団TPSの『西線11条のアリア』という、市電の電停が舞台になっている劇もある(以前もこのブログで触れた)。市電沿線は、乗客も、市電沿線側も、お互いの視線が交差し合うダイナミズムが常に作用している空間なのだ。

この仮説は証明や数値化が不可能だが、だからこそ、市電は魅力が尽きないのだと思う。札幌の市電は、未来に歴史を接続する「生き証人」として、これからも札幌を走り続けるのだ。


映画の音声ガイダンスWSから考えたこと

2012-03-18 01:00:52 | 映画

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東京のシブヤ大学で、音声ガイダンスゼミをされている松田さんが来札されて行ったワークショップに参加してきた。松田さんは、映画の音声ガイドや音声解説ナレーション台本を作成するお仕事をなさっている。ドリ大の猪熊学長、札幌国際短編映画祭の実行委員のメンバー3名、そして、先天的に目が不自由なYさんとサポートの方も参加され、ディスカッションではかなり盛り上がった。

教材として使ったのは、「アルビン 歌うシマリス三兄弟」の一場面。画面を見ないで、セリフと音声ガイダンスだけを聴いて、どんな場面かを想像するというものである。一回目は音声ガイダンス無し、二回目は音声ガイダンス付き、3回目は実際の画面を見て、聴覚だけの場合と、実際の画面を視聴して感じ方にどんな違いがあるのかを探る、という内容である。

音声とBGMだけで、なんとなく別れの場面で手紙を書いているシーンなのだろうと想像できたが、実際の画面をみると、登場人物の顔や場面のディテールは全く違っていた。一体映画を見るときはどれほど視覚に頼っているのだろうか。英語でセリフを聞き取るため、自分の英語力のなさにも少々自信を失ってしまう・・・。

さて、今回参加されたYさんは、実際に映画館に何度も通い、普段はテレビも「ながら」ではなく、じっと画面と向き合って見ているのだという。視覚で捉えるわけではないので、どちらかというとラジオドラマ風に想像しながら見るという感じかもしれない。「うまく理解できない映画なら、なおのこと理解してやろうと思う」と語る姿は、障害をものともせず、溌剌としたエネルギーにあふれている。映画もTVも観て、本も読み、通信制の大学にも通っているというYさんのパワフルな姿には、こちらの方が圧倒された。面白い映画を観たいという思いは、万人共通なのだ。

映画の音声ガイダンスを作るのには、映画制作会社や劇場など、様々な障壁がある。なにより、音声ガイダンスを付けたところで、障害を持っている方は映画に来ないんじゃない?という制作者サイドの考え方もあるようで(もちろん、そうでないところもある)、事はそんなにうまく運ばないらしい。だが、障害のある方を取り込むことができれば、映画のマーケットも広がるのではないか、と思う。

思ったのは、大人がまず映画の楽しさを伝えていくことが大事なのではないか。そして、目が見えることが、どれだけありがたいことなのか。そして、障害の方でも、映画をもっと気軽に楽しむことができる環境に。そんな未来は、松田さんのような草の根的な活動から少しずつ生まれていく。