先週のことではあるが、OYOYOにてブラサトルさんの「『札幌市電唱歌』で都心・山鼻の歴史散歩」に参加してきたので、その様子のレポート&市電についての考察をしてみよう。ブラサトルさんは、まちあるきの達人。明治時代に作られたとされる鉄道唱歌を、札幌の市電の電停全23個(プラス新駅1つ)のために一人で創作した市電唱歌を披露してくれた。その内容が実に味わい深くて素晴らしい。七五調と明治期の日本語文法を取り入れた、詩的センス抜群の作品に仕上がっている。とんでもない才人がいたものである(プレゼンがまた上手い!)。
札幌市の市電は、札幌の歴史と供に発展し、そして地下鉄の発展と反比例するように縮小されていった。近年はエコの観点から見直されて、札幌市の市電はループ化が決まった。ブラサトルさんは、市電の電停沿いの風景を、今と昔を比べながら、一駅ずつ紹介していった。懐かしい風景が写真で次々と映し出されていく。
そういえば昔、西線16条駅前には、かまぼこ屋根のもいわ体育館があったのだ。中央図書館前駅近くには、洋館風の喫茶店があった。もはや記憶の中にしかない、失われた風景がたくさん甦ってくる。あまりの懐かしさにタイムスリップした感じがした。
新たに知ったこともたくさんあった。
西線14条駅近辺にはかつて黒澤牧場があり、辺り一面は牧場だったようだ。今となってはほとんど異世界のようでピンと来ないが、そんな歴史があったことに驚きを禁じ得ない。行啓通の行啓とは、当時の皇太子さまが外出されることを意味する言葉。実際に当時の皇太子様が行啓されたことに由来するとのこと。知らなかった。札幌の市電は、あなたの知らない札幌の歴史を走っているのだ。
・なぜ市電の走る風景は味わい深いのか?
また、市電の走っている都市は、全国どこでも、味わい深いまちの雰囲気が醸し出されているという。それが何故なのかは、電車が走る音が響くからとか、いろいろな意見が飛び出したが、わからずじまい。なぜだろうか?
個人的な意見(というか仮説)としては、市電が毎日走ることで、市電通り沿いは常に「見られる」場所であることが関係しているのではないだろうか? 市電は、鉄道や新幹線と違ってゆったりと車窓が流れるため、市電に乗るとまちの変化を目の当たりにすることができる。市電の乗客にとっては、ビルの建設過程、建物の配置やデザイン、店の発展や衰退、リニューアル、空き地、新しい店のオープンなど、つねに視覚的にまちを捉えることができるわけだ。
市電沿線のまち側にとっても、乗客の目を意識せざるをえない。また、線路が通っている乗り物が走る、ということも大きい。バスだとそうはいかない。踏切が不要で、電車との距離が近いことも関係しているだろう。再演もされている劇団TPSの『西線11条のアリア』という、市電の電停が舞台になっている劇もある(以前もこのブログで触れた)。市電沿線は、乗客も、市電沿線側も、お互いの視線が交差し合うダイナミズムが常に作用している空間なのだ。
この仮説は証明や数値化が不可能だが、だからこそ、市電は魅力が尽きないのだと思う。札幌の市電は、未来に歴史を接続する「生き証人」として、これからも札幌を走り続けるのだ。