2月に入ってまもないある夜だった。自宅の風呂で身をかがめたときに、腰に鈍い痛みが走った。「ウッ」と思ったが、体を傾けるのに不自由はあったものの、体勢によっては痛みを感じなかったし、その時はそんなに不便というわけではなかった。風呂の中だと浮力の関係であまり痛みと負荷がかからないので、大したことはないだろうと思った。だが、それはとんでもない大いなる錯覚だった。
翌朝8時前に目が覚めたとき、体を少し動かしただけで腰に激痛を感じた。一番痛くない体勢を何度も寝返りを打って試行錯誤しながら起き上がり、ベッドのハシゴを下りるだけで1時間半も掛かった。服を着替えるだけでさらに20分。階段を這いつくばって下り、洗面と食事をするのも一苦労。座るにしても、激痛を減らすために本能的に片手で体重を支える姿勢を自然と取ってしまう。
その日の仕事は昼頃からだったので、病院に行くのは時間的には全く余裕だったが、少し身を前に倒そうとすると痛みが走るので、靴紐を結ぶことも出来ない。仕方がないので紐を結ばなくてもよい形状の別の靴を借りることにした。だがいざ外に出て、バス停一個分くらいの距離にある整形外科までわざわざタクシーで行くほどの距離ではないし、身を屈めて車に乗り込むことも痛みで不可能な状態だったので、徒歩でおそるおそる行くことにした。一度立ち上がってしまえば腰の痛みは軽減されるが、つるつる路面で転んだ時に激痛で起き上がれないまま自動車が来たらジ・エンドだったな、と今思うとブルブルっとなる。
レントゲン検査の結果、骨に異常はなさそうだったが、体の疲労が溜まっていると腰の筋肉がやられることがある、と医者に言われた。日常生活もままならない日々が続いた。座っているときは常に片方の腕で体重を支えないといけない状態が続いたため、今度は肩も痛くなってきた。夜もよく眠れなかった。日が経つにつれて腰の痛みは少しずつ軽減していったが、今の環境が続くとこのままでは持たないのではないかという恐怖が自分を襲った。今思うと軽いパニック障害に近い症状も出ていたかもしれない。凄まじいストレスと不安も感じた。
死とまではいかないにしても、人は心に途方もない闇を抱えてその出口が全く見えない時、どんなに肉体が頑丈な状態でも突然意識が消滅してしまって瞬く間に死に至ることがあるのではないか、と思う。心があまりにもネガティブで深い闇に黒く閉ざされ、もがき苦しむ力さえ尽きた時、死神が待ち構えたようにやってきて魂を奪っていくこともあるのではないだろうか。
昨年の自分のテーマは「変革」であった。そのために必要なことは、いかにして自分の仕事を含めた全ての能力を高めるか、どうすれば運も上がっていくのか、いかにして人生を少しでも良い方向に変えるか、ということだった。ちょうど昨年の今頃、早番勤務の後に札幌駅の地下にある某書店で少しでも人生のヒントになるような類の書物という書物を買い漁った時期があった。決まって毎週金曜日だった。翌日の土曜日が休みだったので、一日で読み終えることもしばしばだった。そんな週末が何回かあった。どうすれば「変革」を自分に起こせるか、少しでも救いが欲しかった。そして、そのエッセンスや引用をワープロに打ち直し、プリントアウトして時折読み返して吸収していった。
そうすると思いがけないことが起こり始めた。とてつもない能力を持った凄腕の人との出会いがあり、カウンセリングを受ける機会があった。その人との出会いでわかったのは、自分が何をするために生まれ、何をなすべきかということだ。それがぶれると人生は進んでいかないのだ。そうでないと人生にブレーキが掛かるようになっている。
そして、今まで先送りにしていたことをなんとか08年の内に一つ達成させた。年が明けていつもの日々がはじまった途端、どういうわけか尋常でないくらい心が変調をきたした。昨年まで何事もなく当たり前に行っていたことが全然簡単にできなくなった。それは自分のキャパシティーをいちじるしく越えていた。無理をしているつもりは自分にはなかったが、それが全く思いもよらない形で自分に返ってきた。こんなことは初めてだった。とうとう限界がきたのだ、と思った。
だが、同時にそれは考えようによっては大きな転機でもあり救済ですらあるように思えた。腰痛は一つのサインであるように思った。重度の腰痛を患うというのは予想していなかったが、遅かれ早かれ体調に異常をきたすのではないかという漠然とした予感は少なからずあった。体がまともに機能しなくなってから恐ろしく様々な思考が巡ってきた。死の恐怖を感じつつも、同時に希望も出たり入ったりするような感じだった。
「変革」というCHANGEをスローガンにかかげた黒人政治家が史上初めてアメリカ大統領に就任した。それは必然の結果だと思う。自分の現状に満足しているのであればCHANGEは不要だ。CHANGEを求めるというのは、なんとか今の状況から少しでもよくなりたいという悲鳴にも似た叫びだ。それは各個人の肉体や精神に限らず、現在は地球規模でCHANGEが必要になってきている。
新聞やTVの経済ニュースは派遣切り(この言葉は雇い止めという言葉に取って代わった)、失業、○○億円赤字というニュースや、貧困で仕事が見つからない人の苦しみや焦りを伝えるネガティブなルポやドキュメントであふれかえっている。この世から金持ちが一人もいなくなったかのような錯覚すら感じる。それは不安を一層煽るだけの効果しかもたらさない。不安の下降スパイラルだ。
資本主義という人類が発明したシステムが破綻するという予測もある中、今後世界の仕組みがCHANGEしていくのは間違いない。だが、それは絶望ではなくむしろ大きなチャンスだと考えたい。パーソナルブランドの時代だ。
自分の持っている能力と才能をフルに発揮し、それを活かして仕事をするというのが最も魂に忠実な生き方だ。重い車輪は回転しはじめるまでは大変だが、一度動き出すと勢いよく進んでいくものだ。それがこれからの道になっていくのだと思う。今までの経験を糧にすること、そして新たな方向に向かって自らの能力で道を切り拓いていくのだ。それは大きな決断でもある。
今ままでお世話になった人達には本当に感謝したい。ありがとうございました。