L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

ダニーボイル『スラムドッグ$ミリオネア』

2009-04-25 00:14:32 | 映画

 歯医者の定期検診に行ってきたついでにJRタワーのシネコンにて『スラムドッグ$ミリオネア』を鑑賞してきた。長く続いた腰痛のため、映画館のシートに体をゆったりと沈めてスクリーンを鑑賞するという行為が今まで不可能というザマだったが、ようやく体の調子も戻ってきた。良くも悪くもダニー・ボイルらしい作品だったように思える。

 スラムでろくに教育を受けていないコールセンターのお茶くみ係ジャマールがなぜクイズミリオネアで次々と正解を連発できたのか?その疑惑を受けてジャマールは警官に取調べを受ける。だが彼は嘘偽りなく全て正解を知っていた。その問題の出題内容が、彼の今まで経験した過酷な人生の中で得た知識がそのままクイズに直結していたからだ。それは出題の順番さえもジャマールの人生と編年体的に予定調和のごとく結びついている。

 映画はクイズの出題と、その答えに係わっているジャマールの追憶が交互に往復していく形式で物語が進んでいく。冒頭でインドの学校では大デュマの『三銃士』が授業で扱われていることに驚いたが(実際そうなのかは不明ではある)、それがまた最後に伏線になっている構成は面白い。ジャマールと兄サリームは 「三銃士の三人目の従者」である初恋のラティカと出会い、三人はスラムを脱出しようと試みる。だがラティカは列車に乗らずにはぐれてしまう。やがて兄弟との仲も溝が深まり、ジャマールの人生はその後ラティカと再び巡り合うことが目的となり「運命」に翻弄されていく・・・。

 ミリオネアの司会者はジャマールを「コールセンターのお茶酌み係」としきりに見下した強調をしている。売春や幼児虐待、貧富格差といった不潔なスラムの場面よりも、むしろこちらのほうがはるかに「貧困」を感じさせる。というのもコストダウンのために海外にコールセンターを設けている会社も多く、インドの実情をさらけ出しているからだ。ジャマールの応対した客が「どこにつながっているの?」としきりにセンターの場所を問い質し、すぐに「悪いけど、上司に代わってくれない」と即座に交代を求めるのがなんとも心がチクンと感じてしまう。ジャマールがやっていたように勝手に顧客を検索するのは本来はタブーだ。

 ジャマールの目的はクイズミリオネアで賞金を得て金持ちになることではない(ジャマールの商才は列車やタージマハールの場面でうまく描かれている)。彼の目的はあくまでミリオネアに出演してラティカに自分の注目を集め存在をアピールすることにある。一般のミリオネア出演者のように高額賞金の難問で長時間熟考してファイナルアンサーに悩みまくることはない。すばらしいのは、最終問題でライフラインのテレフォンで掛けた電話がラティカに繋がる奇跡のようなシーンだ。この感動的な寓話は、運命を信じて願いを引き寄せる究極のセレンディピティーでもあろう。何と幸福ないたずらだろうか。


春の変化に・・・

2009-04-23 18:03:50 | 雑記

 諸事情でいろいろな書類を作成してあちこち提出しに行く用事が多くなった。交通費も掛かるので思い切って自転車を使うことにした。「思い切って」と書いたのは、とっくに雪が溶けたとはいえ腰腰のこともあるので、チャリに乗るのもためらう心境だったからだ。実際に乗ってみると無問題!とはいえ、無理してスピードを出すというのは腰にくる気もするので、必然的にゆっくりめの運転を心掛けるようになる。ともあれチャリンコに乗れるくらいにまで回復したのはよかったことだ。

 冬の間歩くことのなかった道を春になって自転車で通ると、建物や店がいろいろ変わっていることに気がつく。昨年の春頃からこの街はビルの窓やシャッターに「テナント募集」というゴシック体のデカデカとした文字でカラフルに彩られたポスターの数が急増した。それは一年たった今もほとんど変わらない。テナント募集どころか、その建物自体が取り壊され空き地になったままの場所も多い。街に隙間がたくさんできてしまった。どうしてここまで活気がなくなったものか。

 「100年に一度の不況」なんて言葉が良くマスコミで使われているが、あまりにも紋切り型の陳腐な言い回しだ。正直100年どころではない気がする。今の時代は「心」の景気の回復の方が先決のように思える。いわば人間の尊厳というか、失われた誇りを取り戻す必要がある。

 腰を痛めてから読んだ漫画に『絶望に効く薬』がある。漫画家の山田玲司が各界の才人達にインタビューをしてどう人生を送ってきたか、どう危機を乗り越えてきたかを彼の切り口で伝記風に描いている。現在9巻まで読んだ。別に今を「絶望」しているわけではないが、このマンガに登場する人たちの言葉は胸に突き刺さるような、大いなる励ましみたいなものを感じる。全ては自分を信じることだ。少しでも心のレベルを上げて新しいものを獲得したいと日々思う。

 そのためには一冊でも一行でも何かを読んで自分を高めよう。

 そして、早朝の朝日を浴びよう。目覚めの良い朝を迎えることが人生の上昇への近道だ。

 桜が満開になる日も近い。 


日ハム 開幕3連戦から見た今季の展望

2009-04-06 12:11:08 | 日ハム

WBCの熱狂も落ち着き、プロ野球シーズンが開幕した。北海道日本ハムファイターズはまさかの開幕3タテ!そりゃないよ~~(泣)

 開幕戦のダルビッシュは立ち上がりの悪いクセが出てしまった。

 チャンスを作ってあと一本ヒットが出れば、というところで併殺or内野ゴロ。

 新守護神武田久が打たれた。
 
 「あと一本出れば勝てた」という昨年からすっかりおなじみになってしまった展開から脱却せねばならない。ホームランに期待すると言うよりは、やはり昨年のようにつなぎに徹して得点を取る、というここ近年の戦略を今年も引き継ぐことになりそうだ。

 ここ数年揶揄されてきた日ハムの「貧打」は、開幕三連線を見る限りはあまり当てはまらない。むしろかなり打てている。金子誠が絶好調だ。にもかかわらず負けているのは、得点圏のランナーをうまく返すことができないからだ。相手のミスにつけ込み、いかにチャンス時に効果的にタイムリーを打てるか、というのが一層重要になる。

 今季の日ハムピッチャー陣最大のカギはマイケル中村の穴をどう埋めるかにすべて全てが掛かっている。新守護神武田久で負けたのは大きい。1点リードを守り抜いて勝つのは日ハムの十八番だったはずなのだが・・・。その原因は「新方程式」によって、浮かび上がる課題が3つあるように思えるからだ。特に、ダルビッシュ以外の先発陣の時に、梨田監督に多く求められることである。少しまとめてみよう。

①マイケル不在の影響
②昨年終盤に半壊してしまった新守護神武田久が今季復活するか。
③武田久が勤めていたセットアッパーと同じ役割を他の投手がどうカバーするのか。

① 序盤の失点が多すぎるのは、マイケル不在によって日ハム投手陣が終盤の精神的な柱を失ったことも影響が少なからずあるように思える。それは9回が武田久では不安だということではない。逃げ腰のピッチングではなくポジティブな攻めのピッチングをして欲しい。先発陣は二桁勝利をできる実力があるはずだ。

②については①とも関連するが、武田久が力不足で守護神を務められないということはないはずだ。あの楽天戦を見る限りちょっぴりまだ不安だが、幾度も修羅場をくぐり抜けてきただけに心配は無用だと思う。彼ほどのピッチャーならば問題ないはずだ。今季も彼の右腕に掛かっている。

③については、武田久と同等のセットアッパーの台頭が必須だ。可能ならば武田久はセットアッパーのままで、別の投手に守護神になって欲しかったが、ではポスト武田久は誰か?今年は建山と宮西の役割がとてつもなく大きくなる。若手には大きなチャンスだ。さらには、効果的に追加点をもっと取らねばならない。つまり、得点力アップが昨年以上に求められる。もっと紺田を使って足を絡めた攻撃を積極的に仕掛けても良いとも思う。

 新戦力では須永に期待したい。2年前の交流戦で金本に満塁ホームランを打たれてマウンドを降りて以来一軍のマウンドから遠ざかっており、彼の行く末を密かに心配してはいたが、よくぞ開幕一軍の座をつかみ取った。もうかつての須永ではないはずだ。菊地も楽天のクリーンナップを抑えられたし今後が大いに楽しみだ。

 鎌ヶ谷の吉川、星野、山本、八木のカムバックにホント期待している。ルーキーの谷元榊原の台頭に大きく期待だ。

 そして、改めて思うのは、稲葉はすばらしさだ。本当にスゴイ、凄すぎる。WBCの原采配で一番面白かったところが4番に稲葉を採用したことだった。打つべきところで確実に打ってくれる、すばらしい堅実なバッティングを披露してくれた。WBCの稲葉のバッティングを見て、日ハムには稲葉がいるのだ、という絶大な心強さと安心感を感じた日ハムファンは私だけではないはずだ(と思う)。世界一の「4番」稲葉は今季も日ハムの生命線だ。

 さらに鵜久森佐藤吉宏、市川といった次世代の日ハム外野陣が一軍に上がってきたらもっともっと面白いことになる。糸井が今季どれくらい大化けするのかも目玉の一つだ。

 ひちょりも早く復帰してくれ~。頼む~。

 まだ始まったばかりだ。パ・リーグは昨年以上に大混戦で、どこが優勝しても最下位になってもおかしくはない。川崎憲次郎や大塚光二のように日ハムを最下位か5位と予想している評論家もいるわけだが、低い評価を見事に覆して、優勝へ向かって今年のスローガンであるRe:Challangeを心底信じている。

 がんばれファイターズ!! 


MaruyamaClassの出現による円山の変化の考察

2009-04-04 22:56:24 | 街と文化

 腰痛を患ってから身体上の理由で行動範囲が近所の病院くらいに限られるという期間が続いたので、驚くほど出かけるのが億劫になってしまった。歩かないと筋肉も弛緩するので、リハビリもかねてオープンしてから初めて円山クラスを訪れた。週末ということもあってスゴイ混雑だった。人混みが落ち着くまでにはまだまだ掛かりそうだ。

 メルパルクが解体された跡地がなになるのかというのは、てっきり巨大なマンションができるものだという選択肢以外に全く考えていなかったので、商業施設ができると聞いたときは大いに驚いた。工事現場の建物が少しずつできあがっていくのを見て、外観がマンションのようにも見えていたからだ。

 円山クラスは、規模は遥かに及ばないものの、ミニステラプレイスのような様相を呈している。オープンしたばかりのため、その施設の新しさ、清潔さが非常に光っていた。食料品売り場はどの店も行列ができていたので、また落ち着いてからゆっくり回ることにしたいと思う。やはりファッションのフロアは女性向けのため、顧客ターゲットが少し絞られる。

 2Fのなにわ書店は思ったよりも広くて、ある程度の新刊はキチンと入荷しているので、個人的にはわざわざ市中心部まで出かけなくても手に入る本が増えるのは非常に助かる。ただ、平積みのマンガの並べ方が少々乱雑だったのが気になる。もう少し本がピシッと整えられて並んでいたら視覚的にもキレイに見栄えがしたはずだ。

 今後、MaruyamaClassの出現によって円山界隈の業界勢力地図と人の流れがかなり大きく塗り変わる可能性が考えられる。スーパーやテナントが近隣の商業誌施設と被っている店が少なくないため、棲み分けというのが少々難しい感もある。

少しポイントを列挙してみると・・・

1,ダイエーによって、フードセンターと東急、まるやまいちばの売り上げの影響がどうなるのか?
2、スターバックスの影響が近隣のカフェにどう影響が出るのか?
3、なにわ書店ができたことによってTUSTAYA宮の沢店と東急の明正堂書店の売れ行きがどう変化するのか?
4,べーカリーpain au traditionnelの開店が近隣のパン屋に及ぼす影響は?
5、コナミスポーツクラブの新規出店が宮の森スポーツ倶楽部やセントラルなどに及ぼす影響は?

 特にパン屋に至っては、DONQが再び円山に再出店し、円山ベーカリーも定休日がなくなり水曜日も営業するようになった。ドイツパンのBURGやコゼット円山店、もう少し東に進めば円山育ちといったパン屋もあり、今やパンの大激戦地区である。

 こうしてみると一挙に生き残りがシビアな群雄割拠の地域になったといってもよい。地下鉄直結というアクセスの便利さに加え、元々人気の高い地区だけに集客力はあるだろう。消費者の選択肢が一つ増えたことにもなる。またしばらくしてから周辺の影響を実際に歩いてみて深く考察してみたいとも思う。
 
 不況で消費が低迷と言われている中、MaruyamaClassの出現によって少ないパイの奪い合いに終わるのではなく、競争によって経済相乗効果が高まり、魅力ある商店街作りがさらに活気づいていくようになって欲しい。円山地区全体の一層の活性化と全体の底上げに期待したい。


腰痛の果てに 絶望から希望へ「CHANGE」の時代

2009-04-03 01:12:12 | 雑記

 2月に入ってまもないある夜だった。自宅の風呂で身をかがめたときに、腰に鈍い痛みが走った。「ウッ」と思ったが、体を傾けるのに不自由はあったものの、体勢によっては痛みを感じなかったし、その時はそんなに不便というわけではなかった。風呂の中だと浮力の関係であまり痛みと負荷がかからないので、大したことはないだろうと思った。だが、それはとんでもない大いなる錯覚だった。
 
 翌朝8時前に目が覚めたとき、体を少し動かしただけで腰に激痛を感じた。一番痛くない体勢を何度も寝返りを打って試行錯誤しながら起き上がり、ベッドのハシゴを下りるだけで1時間半も掛かった。服を着替えるだけでさらに20分。階段を這いつくばって下り、洗面と食事をするのも一苦労。座るにしても、激痛を減らすために本能的に片手で体重を支える姿勢を自然と取ってしまう。

 その日の仕事は昼頃からだったので、病院に行くのは時間的には全く余裕だったが、少し身を前に倒そうとすると痛みが走るので、靴紐を結ぶことも出来ない。仕方がないので紐を結ばなくてもよい形状の別の靴を借りることにした。だがいざ外に出て、バス停一個分くらいの距離にある整形外科までわざわざタクシーで行くほどの距離ではないし、身を屈めて車に乗り込むことも痛みで不可能な状態だったので、徒歩でおそるおそる行くことにした。一度立ち上がってしまえば腰の痛みは軽減されるが、つるつる路面で転んだ時に激痛で起き上がれないまま自動車が来たらジ・エンドだったな、と今思うとブルブルっとなる。

 レントゲン検査の結果、骨に異常はなさそうだったが、体の疲労が溜まっていると腰の筋肉がやられることがある、と医者に言われた。日常生活もままならない日々が続いた。座っているときは常に片方の腕で体重を支えないといけない状態が続いたため、今度は肩も痛くなってきた。夜もよく眠れなかった。日が経つにつれて腰の痛みは少しずつ軽減していったが、今の環境が続くとこのままでは持たないのではないかという恐怖が自分を襲った。今思うと軽いパニック障害に近い症状も出ていたかもしれない。凄まじいストレスと不安も感じた。

 死とまではいかないにしても、人は心に途方もない闇を抱えてその出口が全く見えない時、どんなに肉体が頑丈な状態でも突然意識が消滅してしまって瞬く間に死に至ることがあるのではないか、と思う。心があまりにもネガティブで深い闇に黒く閉ざされ、もがき苦しむ力さえ尽きた時、死神が待ち構えたようにやってきて魂を奪っていくこともあるのではないだろうか。

 昨年の自分のテーマは「変革」であった。そのために必要なことは、いかにして自分の仕事を含めた全ての能力を高めるか、どうすれば運も上がっていくのか、いかにして人生を少しでも良い方向に変えるか、ということだった。ちょうど昨年の今頃、早番勤務の後に札幌駅の地下にある某書店で少しでも人生のヒントになるような類の書物という書物を買い漁った時期があった。決まって毎週金曜日だった。翌日の土曜日が休みだったので、一日で読み終えることもしばしばだった。そんな週末が何回かあった。どうすれば「変革」を自分に起こせるか、少しでも救いが欲しかった。そして、そのエッセンスや引用をワープロに打ち直し、プリントアウトして時折読み返して吸収していった。

 そうすると思いがけないことが起こり始めた。とてつもない能力を持った凄腕の人との出会いがあり、カウンセリングを受ける機会があった。その人との出会いでわかったのは、自分が何をするために生まれ、何をなすべきかということだ。それがぶれると人生は進んでいかないのだ。そうでないと人生にブレーキが掛かるようになっている。

 そして、今まで先送りにしていたことをなんとか08年の内に一つ達成させた。年が明けていつもの日々がはじまった途端、どういうわけか尋常でないくらい心が変調をきたした。昨年まで何事もなく当たり前に行っていたことが全然簡単にできなくなった。それは自分のキャパシティーをいちじるしく越えていた。無理をしているつもりは自分にはなかったが、それが全く思いもよらない形で自分に返ってきた。こんなことは初めてだった。とうとう限界がきたのだ、と思った。

 だが、同時にそれは考えようによっては大きな転機でもあり救済ですらあるように思えた。腰痛は一つのサインであるように思った。重度の腰痛を患うというのは予想していなかったが、遅かれ早かれ体調に異常をきたすのではないかという漠然とした予感は少なからずあった。体がまともに機能しなくなってから恐ろしく様々な思考が巡ってきた。死の恐怖を感じつつも、同時に希望も出たり入ったりするような感じだった。

 「変革」というCHANGEをスローガンにかかげた黒人政治家が史上初めてアメリカ大統領に就任した。それは必然の結果だと思う。自分の現状に満足しているのであればCHANGEは不要だ。CHANGEを求めるというのは、なんとか今の状況から少しでもよくなりたいという悲鳴にも似た叫びだ。それは各個人の肉体や精神に限らず、現在は地球規模でCHANGEが必要になってきている。
 
 新聞やTVの経済ニュースは派遣切り(この言葉は雇い止めという言葉に取って代わった)、失業、○○億円赤字というニュースや、貧困で仕事が見つからない人の苦しみや焦りを伝えるネガティブなルポやドキュメントであふれかえっている。この世から金持ちが一人もいなくなったかのような錯覚すら感じる。それは不安を一層煽るだけの効果しかもたらさない。不安の下降スパイラルだ。

 資本主義という人類が発明したシステムが破綻するという予測もある中、今後世界の仕組みがCHANGEしていくのは間違いない。だが、それは絶望ではなくむしろ大きなチャンスだと考えたい。パーソナルブランドの時代だ。

 自分の持っている能力と才能をフルに発揮し、それを活かして仕事をするというのが最も魂に忠実な生き方だ。重い車輪は回転しはじめるまでは大変だが、一度動き出すと勢いよく進んでいくものだ。それがこれからの道になっていくのだと思う。今までの経験を糧にすること、そして新たな方向に向かって自らの能力で道を切り拓いていくのだ。それは大きな決断でもある。

 今ままでお世話になった人達には本当に感謝したい。ありがとうございました。