L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

2013年お世話になりました

2013-12-31 23:29:54 | 雑記

年末の掃除がようやく終了。結局大晦日までかかってしまった。12月上旬の雑紙ゴミの時に不要な書類(チラシ、フライヤー)などを袋に詰め込んだら、重さで破けてしまった。およそ7,8キロはあったと思う。不要なゴミはもうこれで終わりだろう、と思っていたが、まだまだ出尽くしていなかった。月末になると、40リットルの袋合計三つ分の不要なゴミが出た。自分でもびっくりの量。スペースクリアリングにもなって、心もスッキリ。新しいことが入ってくるといいなぁ。

振り返ってみると、今年は新しく取り組んだアクティビティー実に多かった。東京、福岡、名古屋、岐阜、津などLCCと夜行バスを駆使して行動範囲を可能な限り広げた。活動としてはgenronスクール、蝦夷クラスタの活動、コワーキングカフェ36とSapproCafeでの数多くのユニークな人たちとの邂逅、KLAPS HALLでの「勝手わりゼミ」の発表、札幌限界研究会、函館と札幌でのフューチャーセッション、「どうでしょう祭り」三日間のボランティア、BehanceSapporo、教育パワーランチ、札幌オオドオリ大学での活動、AKB48ライブなどなど。

一過性に終わらず、イベントで出会うことができた人や情報がきっかけとなって、そこから次の新しい出会いに結びつく、ということも多かった。それらの関係を図示してみると、蜘蛛の巣のように糸と糸が複雑に絡み合う。意図して起こすことは不可能なことの連続だった。18年ぶりくらいに中学の同級生と再会できたのもとてもふしぎな偶然だ。何かに導かれたのでは、と思えるようなシンクロニシティもたくさんあった。

一方で停滞したこともたくさんあった。自分の力だけでは不可能なことや、絶不調に陥った時期もあった。つくづく心を整える、というのはとても大事だと思う。だが、そのことで思わぬ知識や人との出会いもあって、無駄なことは何一つないんだなぁと実感した。どんなに不可能に思える出来事でも、必ず解決策があるということも学んだ。

お世話になった渡辺保史先生が急逝されたのは本当にショックだった。先日にはF1のシューマッハがスキーの事故で、現在も生死をさまよっているというニュースが飛び込んできた。人間は、明日も元気で生きているという保証はどこにもない。明日どころか五分後もだ。元気に生きている、という一見あたり前に思える何げないことが、どれほどすばらしい「奇跡」であるのか。そのありがたさに感謝しないといけないと思う。

渡辺先生が執筆されていた「自分たち事」に関する情報デザイン本も九割近く完成していたとのことだが、絶筆に近い。自分も後を引き継ぎつつコミュニティ、場作り、つながり、都市論などについて、可能であれば本に論をまとめてみたいと思う。今後考察したいテーマとしては、コミュニケーション、つながり、ソーシャルキャピタル、都市論、社会的包摂、もちろん文学もだ。渡辺先生が実行委員を務めておられた「つなぐ人フォーラム」が大変気になる。

来年は札幌国際芸術祭もある。自分の能力は何に貢献できるか、どのように活かすことができるのかを意識しながら、活動できる内容も幅も、行動範囲も広げられるだけ広げていこう。そのためのインプットとアウトプットをできるだけ増やしていこう。

普段は面と直接言うことはできないが、今年出会うことができた全ての人、家族に感謝!本当にみなさん、ありがとう。


「さっぽろ未来創造シンポジウム」から「自分たちごと」の施設について思う

2013-12-11 17:08:58 | インポート

Img_3131_2

先日、日本総合研究所の藻谷浩介さんが札幌を訪れ、札幌市の上田市長らを交えたシンポジウムがかでる2・7で開かれた。題して、「さっぽろ未来創造シンポジウム」。サブテーマが歩いて暮らせるまち、札幌市の公共施設についてである。創成1.1.1区(そうせいさんく)に5年後に市民交流複合施設が誕生することもあり、9月にこの施設をどうするかについて議論するイベントにも関わる機会があって、見逃すわけにはいかないテーマであった。

100年かけて爆発的に増えた人口が、再び100年掛けて減っていく。今はすでに減少期に入っている。人口が減った後で増え始めた時と大きく異なるのは、年齢の構成比である。65歳以上の人口はどんどん増え、生産年齢と呼ばれる15歳から64歳以下の人口が大きく減少する。子どもの数は増えない。これは札幌も東京もどこも同じ。年を取った人が増えるのは、それはそれで健全なこと。生産人口が減っていき、超高齢化社会がますます加速していくのは避けられない。だが、子どもが増える未来になると、状況はまた変わってくる。そのためには、お互いに支え合うコミュニティーやつながりが大事になってくる。札幌市にある児童会館の数は104。これは中学の区域に相当する数。今後、学校の空き教室を地域の施設として利用する方法が求められる。札幌市にある公共施設が「私たちの施設なんだ」と思える身近な場所にして、行きたくなる場所にしていく必要がある。そのためには、公共施設は特定の人だけのもの、という既成概念と偏見を壊して柔軟になる必要がある。

おおざっぱにまとめると、上記のような内容が出た。

これを聞いて思ったのは、故渡辺保史先生が仰っていた、「自分たちごと」というフレーズだ。最近、せんだいメディアテークで2002年から五回にわたって行われた「共有のデザインを考える」というトークイベントのアーカイブを発見した。コミュニティやプロジェクトを企画、運営していく際に、どのように人を巻き込み、予期せぬ出会いを生み出し、人と人をつなぎ、新しい価値を生み出していくかについての詳細が11年も前に話題になっている。使う道具(ネット回線やWiFi、iPhoneなど)は進化したが、人と人とのコミュニケーションに関しては、いつの時代も古びることのない普遍的なテーマだ。

まちを歩きたくなるためには、賑わいを創出し、楽しいと思える場所をどうたくさん作っていくかがポイントとなる。単にイベントの時だけ行く施設ではなく、行けば「何か」があって「何かが起こる」状態が常に続いていることも必要になってくるだろう。

それをどうするか?

これが難しい。結局は「人」なのだと思う。人とのつながりが大事、とか、きずなとかをむやみに宣伝しただけでは、何もかわらない。ハブとなる場と人、吸引力のある磁場の形成、多様なものを受け入れる寛容さ、有能なプロデューサーとコーディネーターの育成などが必要になってくるだろう。高齢化の波の中で、地域の人が世代を乗り越えてどう関わっていくか。ハードルはまだまだ高い。


SCUPと群青色『あした家族』

2013-12-10 17:19:36 | 映画

札幌で活躍している映画作家のショートフィルムのイベントSCUPに行ってきた。このイベントに関わっておられる佐藤さんからこの日の上映会のことを聞いていたこともあり、どんなものだろう、という興味の方が大きかった。

SCUPとはSaporo Creator Upbringing Projectの略で、札幌映画サークルが創造都市推進と活動環境向上のために、道内クリエイターの作品制作と発表の場を支援するプロジェクトのこと。会場が狸小路のプラザ2.5、入場料無料である。札幌国際短篇映画祭の「北海道プログラム」のような感じ、といえばわかりやすいだろう。SCUPでは8人の映画監督による10分前後のショートフィルムが上映された。

実際に鑑賞して驚いた。作風もシナリオも一つとして同じ傾向は存在せず、どれも個性的だった。多少荒削りな部分も見受けられたが、映画を撮影して上映するのは容易なことではない。

佐藤さん本人から映画の撮影と編集をしている、という話は聞いていたが、こんなに短期間で、これほど大きな劇場ですぐにイベントでプログラムが組まれて公開されて、しかも監督として舞台挨拶までこなしている。そのスピードと実行力は衝撃だ。こちらとしても負けられないぞ。

個人的には、「愚怒猛仁愚、ヤンキー!」で綾小路諒真演ずる強烈なヤンキーがインパクト絶大だった。この作品はTSSショートムービーフェスティバルで準優勝、続編の制作が決定、とのことなので、大いに期待だ。

Img_3107

SCUPの後は、狸小路二丁目シアターにて群青色の新作「あした家族」を鑑賞。群青色は高橋泉と廣末哲万による映像ユニットだ。群青色本人たちも札幌に来場。「あした家族」の東京以外での上映は札幌が初めて、とのことで、シアターキノでさえ上映しないっぽいので、超がつくほどレアな上映会である。

孤児施設でともに過ごした境遇の違うともくん、おねえちゃん、やよいの三人は、現在アパートの一室で、血縁はないが「家族」として過ごしている。三人を取り巻く様々な人たちを巻き込みながら、自分を捨てた肉親への思い、復習への連鎖、そして社会への復帰へと向かいながら、すこしずつ「ゆるし」の道のりを進んでいく。そのプロセスで「家族」というカタチが変化していく。その変化は瓦解して崩壊するのではない。逆だ。三人が恢復していく過程で「家族」が解体されていくように見えるが、きずなは深まり、いっそう強調されていく。朝のはじまりに「今日も頑張ろう」と輪になってエールを交換する「今日」のはじまりから、「あした」へと続いていく人生という名の再生のはじまりだ。

群青色の過去作品『14歳』や『ある朝スウプは』に比べると、ものすごく「優しさ」が強調されているなぁと感じた。3.11以降、家族をめぐる物語は、持続と再生に焦点が当てられている。上映後はロビーにて群青色のお二人としばしお話しすることができた。まさかお二人と会う機会があるとは思えなかっただけに、感激もひとしお。次回作もぜひ期待したい。


龍神雲と神々しい太陽

2013-12-06 22:57:14 | 日記・エッセイ・コラム

iPhoneを使うようになって大きな変化は、気軽に写真を撮るようになったことだろう。画素数も悪くなく、操作も楽だ。iPhone以前に使っていた携帯電話(当時ガラケーという言葉はなかったが)にもカメラの機能はついていたが、画素数が少なく、写真管理も面倒だったので、ほとんど使っていなかった。デジタルカメラも持っていたが、3年前にポケットに入れて歩いていたときに、階段で転んでしまって、レンズが壊れてしまった。それ以来、デジカメは持ち歩いていない。そのうち、写真欲みたいなものが高まれば、デジカメを購入するときが来るだろう。

そんなわけで、面白い雲を見かけたり、きれいな日の光が空にあるときは、たいてい写真に撮っている。

ときおり、龍神様のような雲が写っていることもある。

Img_0960

Img_3041

写真を撮影しているときは気がつかなかったが、あとからiPhoneの画面を確認して仰天、というパターンがほとんどだ。

Img_3059

Img_3068

太陽の光は本当にパワフルだ。
美しい光には、心をよみがえらせてくれる力がある。

Img_2367

Img_2992

Img_2991

雲間から太陽のカーテンが輝いている。

カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのものは メッセージ♪(By荒井由実)

そう、全てはメッセージ!
空の色彩や雲、光なども、全てに神は宿っている。