L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

『STUDIO VOICE』9月号から現代の日本マンガ界の現在を探る。

2006-08-31 00:23:37 | 漫画全般

Sv0609_220  今年に入ってから雑誌で本の特集が組まれているのをよく見かけるようになり、そのいくつかはこのブログでも紹介してきた。最近もまた『STUDIO VOICE』の9月号が「現在進行形コミック・ガイド2006-2007」というタイトルで特集が組まれている。このマンガ特集が圧倒的に面白い。

 前回『STUDIO VOICE』でマンガ特集が組まれたのが2005年6月号であり、それから現在に至るまでの間にもマンガ界はリアルタイムで目まぐるしく変化している。『DEATH NOTE』を初めとした人気長期連載が次々と最終回を迎え、『NANA』ブームもひとまず落ち着き、戦後日本文学の金字塔である大西巨人『神聖喜劇』が漫画化され、綾辻行人&佐々木倫子『月館の殺人』も完結した。

 今回の『STUDIO VOICE』ではマンガ雑誌レビューから、現在のマンガの最先端がはっきりわかる構図になっている作りが実にすばらしい。マンガ表現論の革命的傑作『テヅカ・イズ・デッド』の作者伊藤剛が記事の執筆をしているところが実にいい。インタビューに登場している作家のセンスがまた素敵である。

 今年上半期最大の傑作である若杉公徳『デトロイト・メタル・シティー』のギャグマンガとしての殺人的なまでのクオリティーの高さには面食らったものだが、あのギャグを作者が夜中に金属バッドを手に徘徊しながらネタを考えているというのだから凄まじい。石川雅之『週刊石川雅之』が出た頃から密かに注目してきたが、『もやしもん』でその才能が花開いたと言える。あずまきよひこ『よつばと』保坂和志の文学の関係はなかなか興味深い。

 今のマンガ界をざっと見ても、山田芳裕『へうげもの』柏原麻美『宙のまにまに』といった新たな題材をテーマにした作品や、まだまだ序章に過ぎない幸村誠『ヴィンランド・サガ』岩明均『ヒストリエ』鈴菌カリオ青山景笠辺哲岩岡ヒサエといったIKKI系の作家の躍進や、身につまされるような花沢健吾『ボーイズ・オン・ザ・ラン』信濃川日出雄『fine』など、楽しみな作品を挙げていくとキリがない。マンガ界には「空白」などあり得ないということであろう。


夏の蠍座にて映画鑑賞

2006-08-22 00:09:27 | 映画

 久しぶりの更新。駒大苫小牧の決勝戦は仕事中だったのでニュースでダイジェストを見たが、ほとんど勝ち負けを超越した凄まじい域にまで達している試合だった。彼らに負けない様に自分も気合いを入れねばと思うこの頃である。さて、お盆に本州在住の友人達が入れ替わりに札幌に帰ってきたので、その中の一人エ○○ヘア氏と蠍座で映画を観てきた。ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』中村高寛『ヨコハマメリー』

ブロークンフラワーズ
0318_1  『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で衝撃を受けて以来、僕にとってジャームッシュはとびっきりの映画体験を約束してくれる数少ない監督の一人である。かつてプレイボーイでならした老人ドン(ビル・マーレイ)の元に差出人のないピンクの封筒が届く。手紙によると、ドンには19歳の息子がおり、近々自分を訪ねるとのことである。真相を探るべく、ドンは当時付き合っていた昔の恋人を訪ね歩く旅に出かける。このピンクという色は全編を通じて登場するキーカラーである。

 ドンの旅は現在における過去の恋人との対峙であり、同時に歳月を経た元恋人の現在までに至るまでの空白期間を知る旅でもある。自分と係わった後、その人がどうなるのかという「関係性」が一つの大きなテーマになっているが、ミステリーの様に謎がほどけていき最後に見事解決・・・という展開には決してならないところがいかにもジャームッシュらしい。

 自宅のPCでサイトのアドレスにアクセスできない隣人ウィンストンは、ドンの過去の恋人の「アドレス」を探偵の如く突き止める。ウィンストンの部屋でキツツキの切手が貼られているピンクの封筒を開けてスタートしたドンの旅は、キツツキの絵が壁にかかっている町のレストランで終わる。もちろんこの絵は「切手」の表象となっており、同時に息子と思しき若い男がこのレストランに「送り届けられる」。

 このレストランはドンの旅の終着地点であり、同時に新たな「人生」という旅のスタートの地点になっている。呆然としているドンをぐるっと一回りキャメラが回るラストシーンは、過去の恋人との出会いからこれから向かうであろう現実、そしてこれからはじまる未来へ「永劫回帰」する見事な演出であろう。

 ラストのあまりにもはぐらかされた様な、とってつけたような終わり方に混乱してしまうが、それこそが一からこの映画を扇動的に再思考させるように仕向けたジャームッシュ一流の仕掛けなのだ。過去の恋人と対面するごとに現在と過去を何度も往復したドンの旅は、未来へと再び続いていく。

ヨコハマメリー
Merry  さてもう一本は『ヨコハマメリー』である。横浜の伊勢佐木にいた伝説の娼婦メリーさん。彼女は顔に真っ白なおしろいを塗った特徴ある風貌で、町で彼女を知らない人はいなかった。だが1995年から彼女は姿を消してしまう。果たして彼女は何者か?

 映画は歌手の永登元次郎とメリーさんの交流を中心に市井の人たちやインタビューで構成されており、彼らの証言からメリーさんがどういう人だったのか浮かび上がっていく。彼女の行動パターンはメリーさんの通っていた理容師やクリーニング店の店員さんから推測はできるものの、彼女の実態は謎だらけであり、不揃いのジグソーパズルの様に全体像が見えてこない。その謎めいた神秘さこそがメリーさんをメリーさんたらしめる要素であろう。
  
 彼女の役回りはむしろ共同体の中のスケープゴートでもあり、ヒロインでもあり、トリックスターの様な存在だ。流動性の高い横浜での町で、彼女の代名詞でもある白い顔は伊勢佐木町のシンボルでもある。彼女を忌避する人もいるが、彼女に声をかけられること自体が名誉でもあるのだ。彼女の存在自体が都市伝説でさえある。

 それにしてもこのメリーさんには妙な魅力がある。冒頭の元次郎のコンサートに花束を渡すメリーさんの姿から惹きつけられたが、ラストの真のメリーさんの姿が映し出された時は声を上げそうになった。彼女の生き様の何ともミステリアスなことか!そして何という人生だろうか!元次郎とメリーさんの交流は愛と哀しみの記録でもあるのだ。 


大ナポレオン展 文化の光彩と精神の遺産

2006-08-13 01:19:10 | アート・文化

Kaiga01  STVSPICAで行われた大ナポレオン展を見てきた。ナポレオンに関する展覧会を見るには今回が初めてではないだろうか。入り口から入ってすぐジャック=ルイ・ダヴィドの有名な「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」が目に飛び込んでくる。ダヴィドのこの作品を見ることができただけでも十分価値はあるとさえ言える。

Kaiga05_2 さすがにルーヴル美術館に展示されているダヴィドの巨大な「皇帝ナポ レオン1世と皇后ジョゼフィーヌ戴冠式」はなかったが(あたりまえか!)、 ダヴィドの弟子であるフレミーの描いた同名の作品があった。カンバスの大きさは25×35センチとビックリするほどミニサイズで驚いたが、ナポレオンを語る上では欠かせない作品であろう。

 また書物も多数展示されており、ナポレオンが愛読した『プルタルコス英雄伝』、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』や『ナポレオン法典』の英訳版などを見ることができる。セント・ヘレナ島に幽閉されてから彼は一日中読書をして暮らしていたそうだが、「それにしても私の人生は何という小説であろう」という名言は読書家ナポレオンならではのセリフと言えそうだ。

 他にも肖像画や実際に使用していた装飾品や工芸品、数多の宝石が展示されていた。その豪華さと光り輝く宝石のきらめきは、彼の栄光そのものを表したものであろう。晩年のナポレオンは威光も権力も失墜するが、今回の展示は徹底してナポレオンの「光」の部分にスポットを当てた展示と言える。惜しむらくはナポレオンの生涯や後世に与えた影響、様々なエピソードなどに関しての解説パネルが少なかった点であろう。

 ショップではナポレオン関係の書籍が多数販売されていた。アンドレ・マルローが編集したナポレオン伝があるのは不肖ながら今回初めて知った。藤本ひとみの浩瀚な『皇帝ナポレオン』は文庫になってから読もうと思う。西洋歴史小説を多数執筆している直木賞作家の佐藤賢一がまだナポレオンを題材にした小説を書いていないのは、少々意外な気もする。ダヴィドの描いたナポレオンのクリアファイルを購入したが、これを使うのはちょっともったいないかな。


北海道立近代美術館「鑑真和上展」 鑑真和上坐像の神秘にふれる

2006-08-10 00:54:34 | アート・文化

Ganjin02  鑑真和上展を見るため北海道立近代美術館に行ってきた。ここを訪れるのは去年の「ベラルド・コレクション 流行するポップ・アート」展以来ほとんど丸1年ぶりだ。唐招提寺は現在10年がかりの修復中であり、工事が終わるのが2009年である。札幌で鑑真像を拝むことができるというのも不思議な縁だ。

 今回の「鑑真和上展」では唐招提寺に貯蔵されている曼荼羅や仏像、経典、工芸品が多数展示されている。経典を見ても中国語や佛教の知識に疎い私には漢字の羅列からひたすら意味を推測する他なかったが、経典には当時の僧侶が送り仮名を振っているのもあり、当時の僧侶達にとっても解読は一筋縄ではいかなかったと思う。

 薄暗い展示場に不思議な霊気が静かに漲っており、鑑真和上坐像は思ったよりも小さく見えた。鑑真の象と正面に向き合うと、寒気の様な鋭い冷気が背中に走った。盲目のはずの鑑真和上の「目」は確かに自分を見据えており、口元には穏やかな微笑みを湛えている様にも見える。鑑真和上坐像は1300年近く経てもなおも生きているのだ。それは、6度も渡航を試み盲目になっても佛教を日本に伝える鑑真の崇高な精神が象にも宿っているからであろう。

 井上靖の『天平の甍』は鑑真を題材にした史実に基づいた小説である。たまたま家にあった筑摩書房の井上靖集の目次を見ると『天平の甍』が収録されていたので読んでみようと思うが、なかなか時間がとれないなぁ・・。