L'Appréciation sentimentale

映画、文学、漫画、芸術、演劇、まちづくり、銭湯、北海道日本ハムファイターズなどに関する感想や考察、イベントなどのレポート

シルバーウィーク@東京編

2009-09-24 23:56:39 | 旅行記

 シルバーウィークは中学時代の友人の結婚式に参列するため、東京に何日か滞在してきた。会場が目黒の雅叙園だったので、式の前日夜に目黒駅近くのとあるホテルに宿泊。今回7年ぶりに再会する友人(しかも大幅に遅刻してくる強者だ)もいたりして、とっても楽しい一時を過ごすことができた。長くつきあうことのできる友人がいるというのは、本当にとっても幸せで楽しいことの一つだ、とつくづく思う。 

 二人の幸せを皆で祝い、またの再会を誓って友人と別れた翌朝からは、去年まで引きずっていたダークな気分からも解放されていることにも気がつき、改めてその喜びを味わう。とりあえず目黒から山手線に乗って渋谷にいく。午前中はまだシャッターが閉まっている店も多く、人もまばらだ。ブックファースト文化村通り店が開いていたので少し立ち寄る。店舗面積の割には量も充実していて、かつてのブックファーストの懐しさと快適な空気が感じられるのがとてもGoodだ。

 Bunkamuraザ・ミュージアムで行われている「ベルギー幻想美術館展」を鑑賞。レオン・スピルアートの夢なのか現なのか判然としない、人間の苦悩が色濃く繁栄されている黒を基調とした絵からは、作者の苦境が伝わってくる。ジェームズ・アンソールが描く群衆の一人一人の表情は、漫☆画太郎の絵のようにも見えてくる。マグリットの絵はいつ見ても不思議な気分の連続だ。

 考えてみたら、ポール・デルヴォーの絵を一度に大量に見る機会というのはかなり貴重だ。機械人形が好きだったデルヴォーのように、独特のフェティシズムを持つというのは芸術家足るべき条件の一つなのかもしれない。立ちっぱなしが続いて持病の腰痛が若干悪化したのか、痛みが再発。ベンチで休憩を多めに取る。

 Bunkamuraを出てから、近くの「小川」というラーメン屋でラーメンを食した後、地下鉄を乗り継ぎ、故・黒川紀章が設計した新国立美術館へ。乃木坂駅から美術館に直結している出口に向かうと、佐藤可士和がデザインした赤い「新」というデザインのシンボルマークが描かれたポスターが目に飛び込んでくる。テーマは「光」ということで、画家の松本陽子&写真家・野口里佳、二人のコラボレーションの展示を見る。 

 松本陽子は抽象画家として名高い。ピンク色が爆発したうねりと勢いのあるポロック風の絵が壁全面に並んでいて、ひどく暖かみのある迫力が漂ってくる。野口里佳の写真もスゴイ。太陽の球体が写真の中央で光り輝いている構図の写真が、無数の種類展示されている。それも、木漏れ日が葉の間から差し込むという光ではなく、太陽の光球そのものが木と同化して放射状に光を放って丸く輝いているのだ。これはとても不思議だ。同時に、なんだか子供の頃によく遊んだ公園のことを思い出して懐かしい感じがした。

 きれいな夕日や朝日を見ると、その光をそのまま何か形に残したい、という気になることがある。その瞬間だけの「画面」を切り取る、というのは密かにやってみたいと思っていたことだ。それを既にこういう形で行っている写真家の作品を見ることができたことに、何ともいえない感銘を受けた。

 同時に開催されていた「新制作展」も鑑賞。多種多様な視点から対象物がとらえられているあまりにも夥しい数のユニークな絵を大量に見ると、脳内細胞も変革したような新たな気分になる。こんなにも芸術の創作意欲を爆発させている人がたくさんいて作品を発表してる、という事実に驚く。人間の創造性は留まるところを知らないのだ。

 その後まだ時間があったので秋葉原に赴き、ラノベやDVDなどをいろいろ眺めている内に予約しているホテルのチェックインの時間が近づいてきたので、再び電車を乗り継いで渋谷へ。荷物を部屋に置いて、近くのそば屋でそば&牛丼セットを頼む。牛丼もそばも予想よりも遙かにボリュームが多い。丼もミニではなく、通常の一人前分ぐらいある。寝る直前でこの量では胃に負担がかかるな、と思いつつも全部平らげてホテルに戻る。すっかり疲れていたのですぐに爆睡。

 翌朝の天気予報が曇りだったが、太陽が出ていて明るい。とりあえず原宿へ。駅を出るとすぐに「君に届け」episod0の無料冊子をもらう。街をよく見るとキャンペーンで爽子や風早くんのポスターが貼られている。明治神宮に参拝すると境内では偶然にも結婚式が行われていた。前日結婚式に出たばかりということもあり、不思議な偶然を感じながら竹下通りや表参道方面を散策。

 表参道は、いつ来ても独特の気が流れており、ビルの形やブランドのロゴを眺めるだけでもとても楽しい通りだ。スゴイ人混みでウンザリするも、安藤忠雄がデザインした表参道ヒルズの内装には今更ながら驚く。そして、ZARAのビルのようなセンスのある建築物が札幌には全くないことに思い当たる。もう少しデザイン性のあるビルが札幌にもあった方がいいのではないか?

 歩きっぱなしで疲れたので、途中カフェで休憩しようにもどこも大混雑。しょうがないので、そのまま歩いて青山ブックセンターへ。何冊か専門書を購入するが、4年前に比べてすっかりこの本屋も変わった。本屋の質は、並べられている本棚のデザインや空気から知的興奮を感じられるかどうかにかかっていると思う。詳しくは敢えて書かないが、さらなるABCの「復活」を望みたい、と一ファンとして心から思う。

 さて、こうしてつらつら書いてみると、なんともとりとめのないアホみたいな彷徨の連続だ。札幌に戻ると急にいつもの日常に戻ってしまったが、この日常は昨年とまで全く違う生活でもある。いろいろな「気」を取り入れてきたので、これからの変化がとても楽しみだ。


内藤隆嗣『不灯港』

2009-09-19 00:34:20 | 映画

 内藤隆嗣監督の『不灯港』という映画を見た。漁師の万造は38才、独身。一軒家に一人暮らし。来る日も来る日も朝早くから港に出て魚を捕る。仕事を終えた後はスーパーで食材を購入し、料理も自分でこなして、孤独に食事する。時折バーに出かけて飲むのが唯一の楽しみ、という生活を送っている。

 ある日、万造は市の財政政策でお見合いパーティに参加することになり、会場で流す自己紹介ビデオを自宅で撮影する。その自己紹介で万造は「嫁が欲しくて欲しくていてもたってもいられない。ぜひあなたを抱きしめます」というまじめな苦しい胸の内を吐露する。ところが、パーティ会場で公開された映像には、万造の背後に幽霊みたいな見知らぬ女の顔が映っていた。実はその女(美津子)は、男に逃げられ、子供一人を抱えながら食料を盗み食いするために万造の家にこっそり忍び込んでいたのである。万造は美津子と一緒に暮らすようになるが、結局は彼女にもてあそばれる・・・。

 婚活がという言葉がすっかり定着しても(婚活という言葉だけがブームになっているだけなのか?)、あまりにも婚活という単語そのものがマスコミの影響で一人歩きしており、婚活以前に存在するはずの「恋」の存在がすっかり見過ごされているようにも思える。それだけに、万造の発する数々のセリフ(「女は誰もが通過者だ」、「独りで食う飯はどんな味付けをしたってまずいんだ。一緒に食えるのは最高の調味料さ」など)は見事にまでクサいアフォリズムであると同時に、ひどく落ち着いたキャラには何とも言えない魅力がある。

 そんな万造の「調味料」でもある食事のシーンは、この映画でかなり大きな要素を占めている。万造という男は草食系、肉食系という二元論的なカテゴリーに収まらない。魚を採り、焼き魚を食べる「魚食系」というものだ。それは単純に漁師で魚を食うから魚食系というのではなく、自らの精神が女に「釣られ」てしまった魚食系である。

 万造は買っておいたフレンチドッグ(これもまた中途半端な「肉食」の食料に分類される)のパックの減り具合から誰かが家に忍び込んでいることを推察する。美津子は万造の食料を盗み食いし、食堂で働き、万造の家で暮らす。美津子は見事に万造の人生に「侵入」し、自分という「エサ」を差し出していたというわけだ(ラストシーンで焼き魚の中から登場するおもちゃのエサはその暗示に他ならない)。

 ところで、この映画はPPF(ぴあフィルムフェスティバル)スカラシップの作品である。PPF出身監督は、橋口亮介、矢口史靖、荻上直子、内田けんじというスゴイ面々だ。ぜひ、監督の内藤隆嗣には、来る一〇年代の日本映画をしょって立つ映画監督になって欲しい、と心の底から思う。楽しみな才能を持った監督がまた一人現れた。 


インプットとアウトプット

2009-09-18 23:57:46 | 雑記

 ここしばらく「アーキテクチャー」関連の書物のインプットに徹していた。そのため全然アウトプットらしいものがすっかり滞ってしまった。インプットといっても別に大した量ではない。ここ数年間吸収しようとしてもできなかったモノがあまりにも多すぎて、溜まっていく一方だったが、最近になってようやく取り戻した心理的な落ち着きのおかげで、少しずつ溜まっていた量が緩やかに減りつつある。といっても、元々の量が多すぎるので、実に遅々たる進み行きだ。

 宣伝会議社の事務局に行って、宣伝会議賞の課題が載っている号の『宣伝会議』を割引で購入した。パラパラとめくっていたら、コツに「とにかく山ほど入れて、山ほど出す!」とある。吸収したモノをいかに自分の頭を通してどうアウトプットしていくのか、というのがとても重要だ。作品は全てアウトプットという形で現れる。インプットが少ないとアウトプットされるものも貧弱になる。だが、インプット一辺倒では、詰まるだけだ。そのバランスが重要なのだ。膨大な量を吸収して世界で自分にしか出せないアイディアを生み出すこと。これが理想だ。

 何かやろうと思う時には、「~したい」という願望ではなく、「~する」という決意でなければいけない。必要なのはエネルギーであろう。高いエネルギーを発すると磁場が形成され、そのためのシチュエーションが立ち現れてくる。それにはモチベーションや感情のコントロールが欠かせない。そのモチベーションをどう自分でスイッチを入れるのか。そのためには、日頃の感謝を忘れてはいけない。


夏の終わりと心理変化

2009-09-07 17:31:41 | 雑記

 夏が終わろうとしていた。という印象的な書き出しではじまる小説があるが、北海道では夏と秋の区別があまりつかない日も多い。少しずつ寒くなっていくが、それでも心は春よりもずっと快活になった。

 8月は札幌に遊びに来た友人や恒例の「モノカキ例会」などでいろいろな話をする貴重な機会があった。さらに9月からは、また新たにいろいろな講義を聞いて学ぶ日もはじまる。ここ数年間の人生で、自分の中ですっかり失われた文学や社会学系の学問に対するモチベーションがかなり高まってきた。自分でも驚くほど意欲が回復してきたのを感じる。考えてみたら、昔は日々今以上に高揚とした感情を抱きながら過ごしていたものだった。すっかり失われた心理感覚がようやく戻ってきた。

 購入したまま放置プレー状態で、いつ読み始めるのか自分でも謎だった本を少しずつ読み進めていくことに何とも言えない充実感を感じる。久しくなかった感情だ。そして、ここ数年の間の精神的な痛手ですっかり錆び付いたいた脳の切れがだいぶ回復した。ともあれ、環境が変わると心も大きく変わる。こうも変わるとは思わなかった。

 最近はインプットが多いためか、どうしてもアウトプットが少なくなってしまった。アウトプットばかりでは枯渇することもあるが、それでも何かしら発信していくという姿勢が重要だ。情報は発信するところに集まるというのはよく言われていることである。この欠点を少しずつ修正すべく心がけたい。

 ようやく青木淳吾の『四十日と四十夜のメルヘン』が文庫になった。長年読みたかった本が安く手に入るのは喜ばしい。

 ともあれ、願わくば今のこの情熱と意欲が永遠に続かんことを・・・。