はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

〔コメント数の数字クリックで書き込みができます〕
 



-----
2月5日の「疑問の構造とは何か -サイホン現象を例に(1)-」の続きです。
-----

前回、サイホン現象を見たときの疑問を整理して、以下の2つに行き当たった。

(1)川の水の流れとサイホンとの違いの本質は何か?

(2)砂と水の違いの本質は何か?

これはもちろん今の私が書いているわけだが、実は、少年はぎわら_m が感じた不思議の中味を、大人の言葉と分析力で明快に言いかえたに過ぎない。子供は、そのように分析的には意識しないが、その時のサパライジングを受けた際には、このような比較矛盾を直感的に感じ取っている。

さてそこで、上の(1)(2)をもう一段分析しよう。

(1)については、水の流れが、閉じた管の中で起こるか、(上半分が)空中に開いた状況で起こるかの違いだ。流れる水の外形状に対する制約と自由度の問題と言っていいだろう。

(2)については、「水」と「砂の集まり」には似たところと違うところの両面がある--という、バックグラウンド的な不思議さが基本にある。一まとまりの水のかたまりを、いくつもに分けることは容易にできる。同様の(バラバラになり易い)性質が、砂や粉の集まりにもある。しかし、水道の蛇口に水が溜り残ったり、丸い水滴ができるのと同様の現象は、砂の場合には見られない。時によっては、水は、少なくとも自重に逆らって一体を保つ程度に強力につながっているのである。

サイホン管の中の水をつながったものと思えば、サイホン現象は、同様形状の滑らかな管中に鎖を通した状況になぞらえる事ができる。ここまでくれば、最高地点より出口側にある分の鎖の自重が、最高地点より入り口(池)側にある鎖の自重よりも重くなる状況が実現したとき、全体一連の鎖は出口の側へ向かってひとりでに滑り動くことは不思議ではなくなる。

どういうときに水はつながったものとして振る舞い、どういうときに散り散りになるものとして振舞うのか?その二面的な性格を分かつ条件を直感的に感じ取れないか?

疑問の構造の本質にかなりたどり着いたようだ。

-つづく-


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )