ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

パリ、テキサス:ヴィム・ヴェンダースの最高傑作!

2009年03月22日 | 映画♪
ロードムービーは嫌いではない。退屈だという人もいるだろうけれど、その退屈さや日常の延長上に物語が存在することを「是」とするならば、ロードムービーにはやはり独特の魅力がある。「イージーライダー」「スタンド・バイ・ロー」「テルマ&ルイーズ」「プリシラ」「タンデム」「菊次郎の夏」「モーターサイクル・ダイアリーズ」など魅力的な映画はいくつもあるが、その中でももっとも退屈で、もっとも切ない映画といえばヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」だ。

Paris,Texas JAPAN_Trailers 15"sec


【あらすじ】

テキサスの原野。一人の男(ハリー・ディーン・スタントン)が思いつめたように歩いている。彼はガソリン・スタンドに入り、水を飲むと、そのまま倒れた。病院にかつぎこまれた彼は、身分証明もなく、医者(ベルンハルト・ヴィッキ)は一枚の名刺から男の弟ウォルト(ディーン・ストックウェル)に電話することができた。男はトラヴィスといい、4年前に失踪したままになっていたのだ。病院から逃げ出したトラヴィスをウォルトが追うが、トラヴィスは記憶を喪失している様子だった。トラヴィスは口をきかず飛行機に乗ることも拒む。車の中でウォルトは、さりげなく、妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)のこと、ウォルトと妻のアンヌ(オーロール・クレマン)が預かっている息子ハンター(ハンター・カーソン)のことを聞くが、何も答えない。ただ、〈パリ、テキサス〉という、自分がかつて買った地所のことを呟いた。そこは、砂しかないテキサスの荒地だが、父と母が初めて愛をかわした所だとトラヴィスは説明した…(「goo 映画」より)

【レビュー】

僕たちはどこへ行こうとしているのだろうか。日々の生活を駆け抜けながらそこに「安らぎ」を見出すことはできるのだろうか。この物語はもちろんトラヴィスとジェーン、ハンターをめぐる「家族再生」の物語だ。しかしその一方で、この物語により深みを与えているのは、この物語が、「安楽の地」を失ってしまった「現代」という時代の悲劇と可能性を描いているからだろう。

トラヴィスは過去の記憶もないままにテキサスの原野を彷徨っている。彼が目指しているのはトラヴィスの父と母が愛し合い、自分に命を与えた場所だ。しかしそこは何もないただの荒野でしかない。

まっとうに現代的な生活を送っているウォルトやアンヌからすれば、トラヴィスのこの行動は理解できないだろう。彼らは「広告」パネルを設置することで生業を得、住宅地に家を買い、ハンターを学校に通わせている。時間を節約するために飛行機に乗るくらいの常識はあるし、ハンターの実の父親が現れれば、不安になりながらも、トラヴィスが父親だと教え敬うくらいの常識はある。そう、社会生活を営む上で必要となる常識に従って行動しているのだ。

しかしトラヴィスは違う。4年前に何かが家族を崩壊させ、彼を放浪へと導き、父と母が愛し合った場所へと向かわせたのだ。彼はまだどこにもたどり着いていないのだ。

ハンターとの交流を通じて、トラヴィスは少しずつ過去を思い出していく。そして探していたものの意味を理解するのだ。自分とジェーンとハンターの3人の生活こそ本当に手に入れたかったものであり、「安楽の地」なのだと。

彼はハンターとともにヒューストンでジェーンを見つけ出す。彼女はピープショーで働いていた。彼はその一室に入り、マジックミラー越しにジェーンに語りだす。自分がどれほどジェーンのことを愛していたか。どれほど自分のものにしたかったか。不安になり、嫉妬し、気が狂いそうであったか、と。そしてその愛ゆえに、ジェーンではなく、自分が妄想したイメージをジェーンの中に見てしまっていたのだと。そしてそれはトラヴィスだけではない。ジェーンもまたトラヴィスの思いを理解することなく、自分自身の生き方、欲望だけを追いかけてしまっていたのだ。

このトラヴィスとジェーンの一連のやり取りをヴェンダースは見事なまでに映像で表現する。ガラス越しに会話する2人。それまでの2人がそうであったように、透明な「壁」によって仕切られた部屋にそれぞれこもり、互いの姿が見えずにいる。そして2人の心の揺れに合わせるように、ガラスを挟んで映るジェーンのシルエットにはトラヴィスの表情が重ねあわされる…

「近代」という時代が、あるいは「資本主義社会」というものが、「個人」の欲望を駆動力として成立しているものであり、その個人主義的な欲望の在り方を「自我」や「エゴ」と呼ぶのであれば、このトラヴィスやジェーンが追いかけていたものは「エゴ」そのものだろう。他者であるジェーンを完璧に手に入れたい/支配したいというトラヴィスの欲望には、ジェーンと「共に」生きようというというものとは程遠い。それは子供ができ自分の思う通りにいかないことに苛立つジェーンにしてもそうだろう。結局は「自分」のことしかないのだ。そんなところに「安楽の地」などあるはずもない。

「諸君は帰らざる国に引き渡される。存在せぬ国に向かって船出する。安楽の地と信じたところには安楽でないものが待っている。」

資本主義の化身であり、個人の「欲望」そのものでもある自動車がハイウェイを走り抜ける。そのハイウェイに向かって男が叫ぶ言葉は、まさにこの時代に対する警鐘といっていいだろう。この近代や資本主義社会のルールの下、僕らはその欲望の果てに「安らぎ」や「幸福」があると信じ、走り続け、彷徨い続ける。しかしそこには「安楽の地」はないのだ、と。

では、僕らに希望は存在しないのか。ウォルトやアンヌのように「現代社会」を成立させるための「常識」に従い、「魂」を向き合わせることなく一見幸せに見える「生活」を築くことしか道はないのだろうか。ヴェンダースは1つの可能性を残していく。それがハンターの存在だ。

ハンターはトラヴィスとウォルトという2人の父を持つ、無垢な存在だ。支配の対象でもなく、また誰かを束縛しようという意図ももたない。だからこそ大人たちは彼に「無償の愛」を与えようとする。エゴではなく、ハンターへの愛情をもって彼と接しようとする。トラヴィスはハンターへの愛情ゆえに「3人の暮らし」ではなく、ジェーンの無償の愛がハンターに注がれることを選び、旅立つことを決めた。ジェーンもまた何も言わず、ハンターを抱きしめるのだった。

「安楽の地」はエゴを越えたところにこそもたらされるのだ。

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【評価】
総合:★★★★★
ストーリー:★★★☆☆
映像表現とはこういうものなのです:★★★★★


「パリ、テキサス」 デジタルニューマスター版




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