原作は読んでいない。映画のできがそれなりにいいだけに、きっと原作はもっと心打つのだろうと期待させられてしまう。『このミステリーがすごい!2003年版』(宝島社)『傑作ミステリーベスト10』(週刊文春)で、いずれも1位に選ばれた横山秀夫の傑作ミステリーが原作。否、ミステリーというよりも、感動作と言った方がいいのだろう。あなたは、誰のために生きていますか?―
この問いに僕等はどう応えられるのだろうか。
1人の男が妻を殺害したとして、警察署に自首してきた。男は元捜査一課の警部で現在は警察学校の教職に就く梶聡一郎(寺尾聡)。聴取を担当するのは捜査一課のエリート・志木刑事(柴田恭兵)。アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、梶は止むに止まれず嘱託殺人という重罪を犯したと言うのだが、妻殺害から自首までの空白の2日間については口をつぐんだままだ。「現役警察官の殺人」、「空白の2日間」について騒ぎ出すマスコミに追われ、県警幹部たちは志木に体のいい捏造した事実を梶に受け入れさせるように強要し、警察組織の習性を知る梶はこれを受け入れる。
そうした誤魔化しを受け入れられない志木は独自に梶の「空白の2日間」を追う。また同じように組織防衛のために自分の信念を曲げることを求められる検事・佐瀬(伊原剛志)、同僚との不倫の関係に疲れた新聞記者・中尾(鶴田真由)が、「空白の2日間」、梶がそこまでして守ろうとしているのは何かを追いかけていくのだった。
横山秀夫の作品を読んだことがある人なら分かると思うが、この人の作品というのは「警察」や「司法」といった、本来的に曖昧模糊を許さず秩序を秩序足らしめる組織、所謂「正義」を司る組織の、制度疲労あるいはその正統性維持のためゆえの矛盾をストーリーに結びつけるところに真骨頂がある。「警察」という組織が組織防衛に躍起になるのは、「正統性」維持のためということが当然あるとはいえ、同時に「官僚」「組織人」として(民間企業ならどこにでもあるような)出世競争や派閥抗争があるというのもまた事実なのだろう。しかしそれを表に見せることのできないところに「正義」を司るこれら組織の矛盾と葛藤がある。
この「半落ち」も登場人物たちはそうした組織上の矛盾や葛藤に引き裂かれた人々だ。時間的なこともあって映画では描き方が十分ではないけれど(おそらく小説ではしっかり描かれているのではないだろうか)、志木は組織防衛のために嘘の「供述」をさせることを求められる。警察官として、また梶の姿の中に本当の理由を求めたいとしながらも、同時に「警察」を守ることの必要性と、あるいはこれまでのエリート人生を守りたいとの思いに引き裂かれる。
あるいは佐瀬は、任務遂行の結果とはいえ、エリート検事としての道をいったん外してしまっている。そのあせりからか、あるいは元特捜としての正義感からか、警察の嘘の「供述」を許すことができない。しかしまた彼も検察と警察の裏取引の下で、自らの信念を曲げることを求められる。検察もまた国民に対して「正義」でありつづける必要があったのだ。
新聞記者・中尾もまた「スクープ」を求められる会社や人間関係の中で苦しんでいる。「記者クラブ」制や他社とのスクープ合戦の下で、真実を追求することだけを求められるわけではなく、時には警察との取引をも求められ、また1人の女性としてどうジャーナリズムと向き合えばいいのか決めきれずにいる。
彼らだけではない。社会的弱者を助けるために法曹界に入ったはずの弁護士も理想だけでは暮らしに余裕もなく、自らもまたアルツハイマーの父を持つ判事は建前と実際に感じてしまう気持ちとの間で揺れ動いている。それぞれがそれぞれの社会的役割の下で、現実との葛藤に引き裂かれ、自分の信念を貫くことに苦心している。
しかしこの映画の凄いところは、こうしたそれぞれの葛藤を描くだけではなく、そうした葛藤が実は梶が突きつけた問題の前ではたいした意味を持たないものとして描かれてしまうところだ。
梶の突きつけた問題、それは「尊厳死」の問題でもあるし「臓器移植」の問題であるともいえる。もっと雑駁に言えば、人であるために「死」を求めることと、他者の臓器を移植してでも生きることとの間にどれだけの違いがあるのだろうか、ということだろう。
「臓器移植」については、国家的な教育もあって、多少の戸惑いはあっても今後肯定的な意見が中心になるのだろうが、「尊厳死」の問題はそう簡単な話ではない。肯定派もまだまだ少数だろうし、感情論以外の否定派も必ずしも多くはないだろう。むしろ全員がなんとなく「ダメ」とは言いつつも、問題を直視していないと言った方がいいのだろう。
しかしこの映画を見た後でそんな風にごまかしつづけられるだろうか。「人」として生きつづけていくために他者の「臓器」を貰うことと、「人」であるために「殺して欲しい」と願うこと。その両者の違いはどこにあるのか。また本当に愛しい人の願いである時、前者のみ認め、後者を認めないなどできるのだろうか。
結局、梶は妻の想いともう1人の息子を守るために、つかの間の「生」を生きることを選択し、求刑を受けることとなる。しかし本当に彼を、彼の想いを裁くことができたのであろうか。「警察」や「検事」や「判事」、「法治国家」や「裁判」「法」といった仕組自体が、人為的に作り出された「茶番」でしかない以上、「人」として生きるとはどういうことか、に対しての有効な答えなど導き出せない。
梶の持つ魂の重さ、その想いに届いたのは、もう1人の息子の声なき「声」だけだったのだろう。
【評価】
総合:★★★★☆
樹木希林に心打たれます:★★★★★
2時間では時間なさ過ぎ:★★★★☆
---
DVD「半落ち」
「半落ち」/横山秀夫
「陰の季節」/横山秀夫
「動機」/横山秀夫
この問いに僕等はどう応えられるのだろうか。
1人の男が妻を殺害したとして、警察署に自首してきた。男は元捜査一課の警部で現在は警察学校の教職に就く梶聡一郎(寺尾聡)。聴取を担当するのは捜査一課のエリート・志木刑事(柴田恭兵)。アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、梶は止むに止まれず嘱託殺人という重罪を犯したと言うのだが、妻殺害から自首までの空白の2日間については口をつぐんだままだ。「現役警察官の殺人」、「空白の2日間」について騒ぎ出すマスコミに追われ、県警幹部たちは志木に体のいい捏造した事実を梶に受け入れさせるように強要し、警察組織の習性を知る梶はこれを受け入れる。
そうした誤魔化しを受け入れられない志木は独自に梶の「空白の2日間」を追う。また同じように組織防衛のために自分の信念を曲げることを求められる検事・佐瀬(伊原剛志)、同僚との不倫の関係に疲れた新聞記者・中尾(鶴田真由)が、「空白の2日間」、梶がそこまでして守ろうとしているのは何かを追いかけていくのだった。
横山秀夫の作品を読んだことがある人なら分かると思うが、この人の作品というのは「警察」や「司法」といった、本来的に曖昧模糊を許さず秩序を秩序足らしめる組織、所謂「正義」を司る組織の、制度疲労あるいはその正統性維持のためゆえの矛盾をストーリーに結びつけるところに真骨頂がある。「警察」という組織が組織防衛に躍起になるのは、「正統性」維持のためということが当然あるとはいえ、同時に「官僚」「組織人」として(民間企業ならどこにでもあるような)出世競争や派閥抗争があるというのもまた事実なのだろう。しかしそれを表に見せることのできないところに「正義」を司るこれら組織の矛盾と葛藤がある。
この「半落ち」も登場人物たちはそうした組織上の矛盾や葛藤に引き裂かれた人々だ。時間的なこともあって映画では描き方が十分ではないけれど(おそらく小説ではしっかり描かれているのではないだろうか)、志木は組織防衛のために嘘の「供述」をさせることを求められる。警察官として、また梶の姿の中に本当の理由を求めたいとしながらも、同時に「警察」を守ることの必要性と、あるいはこれまでのエリート人生を守りたいとの思いに引き裂かれる。
あるいは佐瀬は、任務遂行の結果とはいえ、エリート検事としての道をいったん外してしまっている。そのあせりからか、あるいは元特捜としての正義感からか、警察の嘘の「供述」を許すことができない。しかしまた彼も検察と警察の裏取引の下で、自らの信念を曲げることを求められる。検察もまた国民に対して「正義」でありつづける必要があったのだ。
新聞記者・中尾もまた「スクープ」を求められる会社や人間関係の中で苦しんでいる。「記者クラブ」制や他社とのスクープ合戦の下で、真実を追求することだけを求められるわけではなく、時には警察との取引をも求められ、また1人の女性としてどうジャーナリズムと向き合えばいいのか決めきれずにいる。
彼らだけではない。社会的弱者を助けるために法曹界に入ったはずの弁護士も理想だけでは暮らしに余裕もなく、自らもまたアルツハイマーの父を持つ判事は建前と実際に感じてしまう気持ちとの間で揺れ動いている。それぞれがそれぞれの社会的役割の下で、現実との葛藤に引き裂かれ、自分の信念を貫くことに苦心している。
しかしこの映画の凄いところは、こうしたそれぞれの葛藤を描くだけではなく、そうした葛藤が実は梶が突きつけた問題の前ではたいした意味を持たないものとして描かれてしまうところだ。
梶の突きつけた問題、それは「尊厳死」の問題でもあるし「臓器移植」の問題であるともいえる。もっと雑駁に言えば、人であるために「死」を求めることと、他者の臓器を移植してでも生きることとの間にどれだけの違いがあるのだろうか、ということだろう。
「臓器移植」については、国家的な教育もあって、多少の戸惑いはあっても今後肯定的な意見が中心になるのだろうが、「尊厳死」の問題はそう簡単な話ではない。肯定派もまだまだ少数だろうし、感情論以外の否定派も必ずしも多くはないだろう。むしろ全員がなんとなく「ダメ」とは言いつつも、問題を直視していないと言った方がいいのだろう。
しかしこの映画を見た後でそんな風にごまかしつづけられるだろうか。「人」として生きつづけていくために他者の「臓器」を貰うことと、「人」であるために「殺して欲しい」と願うこと。その両者の違いはどこにあるのか。また本当に愛しい人の願いである時、前者のみ認め、後者を認めないなどできるのだろうか。
結局、梶は妻の想いともう1人の息子を守るために、つかの間の「生」を生きることを選択し、求刑を受けることとなる。しかし本当に彼を、彼の想いを裁くことができたのであろうか。「警察」や「検事」や「判事」、「法治国家」や「裁判」「法」といった仕組自体が、人為的に作り出された「茶番」でしかない以上、「人」として生きるとはどういうことか、に対しての有効な答えなど導き出せない。
梶の持つ魂の重さ、その想いに届いたのは、もう1人の息子の声なき「声」だけだったのだろう。
【評価】
総合:★★★★☆
樹木希林に心打たれます:★★★★★
2時間では時間なさ過ぎ:★★★★☆
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DVD「半落ち」
「半落ち」/横山秀夫
「陰の季節」/横山秀夫
「動機」/横山秀夫
ビール飲みながらにしては、なかなか深い考察力ですね(笑)読みながら、また考えさせられました・・・
原作の横山さんに関しては全然知識がなかったので一回この機会に読んでみようとおもってます
深い、洞察が深い・・・。テレビ番組で「横山秀夫サスペンス」という冠が成立する理由がようやく分かりました。重厚な作品にこれからも触れていきたいと思います。