フィリピンの田舎暮らしは

フィリピンに住みつき15年
目にした事や身を持って体験した事を
このブログを通して皆さんに伝えたいと思って居ます。

遣れねえーフィリピン田舎暮らし(kuboは風雨との闘いだ)

2017年10月30日 08時58分25秒 | 日記
Kubo・・・・・タガログ語では小屋と言う意味なんですが

南国では日中の暑さ避けや夕涼みの場所として庭の一角にはkuboが建っています。

我が家のkuboは埋め立てて間もない2010年に母屋から15m程離れた表庭に最初に掘っ建て小屋を建てました。

ルソン島の南部の当地は台風と雨の多いビーコル地方として名が通っています。

そんな自然環境の厳しい処のkuboの維持は結構大変なんですね。

今回はそんな我が家のkuboの移り変わりを取り上げて見ました。




2010年8月に道路に面した前庭にkubo(掘っ建て小屋)を建て始める。
庭に穴を掘って小屋の柱を立てる穴掘りから始める。

オーナーの指示をしっかりと伝えないといい加減な彼ら流のkuboを建てられて仕舞う。


私の指示通りに穴を掘り丸太の柱を立てる。
この頃で直径10cmを超す丸太が3.5mで日本円で200円位でした。


屋根を載せる角材はヤシの木の角材でツーバイ4(4cm×4cm×3.5m)程で一本100円位でした。


こんな形でヤシの木の角材で屋根の骨身を造りました。
その上にバラと言う竹を割った竹を均等に張って行きました。
後でヤシの葉を載せ止めて行く為です。


こんな形で保々屋根の骨組みは完成です。
此処までの作業は3人で半日チョットの作業で出来ます。


屋根葺き用のテクラッドと言う材料でヤシの葉に似た葉です。
作業は簡単ですが風雨には長持ちせずに1年も経たないで屋根の葺き直しに成りました。


こんな感じで作業人3人で2日間で出来上がりました。
費用は工事人の日当を含め日本円で2万円以下で出来ました。


床もセメントで仕上げて行きました。


こんな感じの内部の仕上がりです。


2010年8月に完成した我が家の最初のkuboです。
母屋から離れて居るので庭の作業時の臨時休憩所と暑さ避けの小屋に成りました。




2011年の11月に第1回目の屋根の吹き替え工事を致しました。
今回はヤシの葉に似たアナハウと言う材料を使いました。
このアナハウと言う材料は最初に屋根を葺いたテクラッドより長持ちし約2~3年位持つとの事でした。
アナハウは一束50枚程で日本円で100円程で我がkuboの屋根は2000枚近く用意しました。


こんな感じでアナハウで屋根を葺いて行きました。
アナハウは太いナイロン糸で屋根に這わした竹に止めて行きます。











外側から見るとこんな感じで屋根を葺いて行きました。
屋根を仕上げるのにベテランの工事人で2日程度で仕上げられました。


屋根裏の仕上がりは造形美に満ちたこんな感じの仕上がりです。





屋根が強風で飛ばされない様にネットを屋根の上から被せ仕上がりです。
こんな感じのkuboを建ててから2年目の様子です。


2013年6月~7月に掛けて2回目の屋根葺きと屋根下の改装を実施しました。


kuboの廻りを囲った竹囲いを撤去してブロッグ積みのPタイル仕上げを遣りました。


こんな感じの作業です。


Pタイル仕上げのkuboの屋根下はこんな感じに仕上がりました。


外からの感じはこんな感覚に成りました。



屋根下の改装が終わったので屋根の吹き替え工事に着手しました。


毎度の事ですが古く成ったアナハウを屋根から取り外しに時間が掛かります。
勿論、アナハウを太いナイロン糸で屋根の竹材に止めて居ますからナイロン糸を切って撤去ですから時間が掛かります。


アナハウを撤去した屋根はこんな感じです。





新しくアナハウを屋根葺き竹材に止めて行きます。







こんな感じにアナハウ葺きの屋根はは仕上がって行きました。


2013年7月に屋根葺きの仕上がったkuboの様子です。



2015年7月に当地を襲った台風で見事に倒されたkuboです。
丸太は矢張り南国の風土では5年チョットで駄目に成りました。
勿論、丸太を食い荒らすシロアリに遣られた感じですね。


綺麗に屋根を撤去しkuboが建ってた感じはこんな感じなんですね、


直ぐに今度は出来合いの竹で作ったkuboを購入しました。
フィリピン・ベソで16.000ベソで日本円が100円が45ペソとすると日本円で約35.500円位です。
結構、出来上がりは重たく大人6~7人位で運び入れました。


屋根下はこんな綺麗な仕上がりに成っています。


テーブルもこんな竹でセットして有りました。


2015年7月に新しく成ったkuboです。
前の丸太で建てたkuboより此方の方がメンテでは安く成りますね。




2017年10月の現在のkuboの様子です。
メンテでラッカーを塗りをしました。


現在の我が家のkubo何度も台風に遭っても2015年に購入したkuboはこんな感じに自然の猛威から何とか
持ち応え現在に
至ってます。
我が老いた体はこんなkuboとの毎日が有ります。






遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(開き直って生きるのみ)

2017年10月26日 14時01分49秒 | 日記
日本から戻り体調は元には戻らないものの何とか庭に出る事くらい出来る様になりました。
矢張り健康な体が一番ですね。(笑)
末期癌と宣告され何時まで生きられるか判りませんが逝くまでの日々を自分らしく生きたいと開き直ってます。
今となっては、残された夢はフィリピン・6ロットを当て金持ちに成って貧しい人達へ少しは幸せを与えたい・・・
そして普段から我が家の番犬をしてくれる愛犬と最後の時間を過ごす事を寄りどこにしています。
まぁー欲張っても無理・・・・成る様にか成らないですよね。(笑)









2ヵ月弱の一時日本帰国でしたが宿泊ホテルの近くの川崎大師に行って来ました。
古い老舗の店に並ぶお土産物は何か懐かしさを感じるのは我が歳のせいなのでしょうか。


帰路の飛行機の窓から覗くANAの日の丸の翼・・・・戻れない最後の日本帰国に成りました。

帰路のフライトは台風21号がマニラの東海上に有りフライトの心配がありましたが何とか戻れました。

家に戻った後は台風21号の置き土産・・・・我が家のイエローマンゴ強風で実りの前に実を落とされて仕舞いました。
2008年に今の敷地に食べたイエローマンゴの種を埋め大きく育った木です。
何故、当地にはイエローマンゴの木が見当たら無いのか不思議に思ってイエローマンゴを育て来ましたが疑問は解決です。
当地にはインジャンマンゴばかりでしたので納得した次第です。
今日も頑張って一日を過ごします。







このマンゴの実は食べたマンゴの種を9年前に埋めて育った木に生りました。
我が庭には食べた実の種を埋め育ったジャックフルーツも毎年実を付けてくれます。

我が老いた体は果物の様に何時までとは行きませんね。(爆)

遣ってられねぇーフィリピン田舎暮らし(闘病生活が続く)

2017年10月21日 06時53分28秒 | 日記
我がブログにお出で下さる皆様へ
長らくご無沙汰して居ました。
私ごとですが今年4月の初めに体調を崩し闘病生活を送って居ます。




フィリピンには60の声を聞くと同時に永住ライセンスを取得し住み着き14年に成りました。
今までは何も健康には不安が有りませんでしたが今年に入り不覚にも体に問題が生じました。
4月の初め頃に首筋の痛みと張りを覚えたので血圧を計ったらところ上が160近くも有り高血圧の症状でした。
直ぐに係りつけの医者に見て貰い血圧の薬と血糖値を下げる薬を2か月近く続けましたが普段からこれっと言った
薬を飲まなかった体には血圧の薬が強かった(50mmg)のか薬の副作用なのか食欲不振に陥いって仕舞いました。
食事は拒食症状を患った様に喉を通らず栄養失調状態で体重も2か月余りで13kgも減り寝たきり状態でした。
フィリピンの病院では医療機器も満足に揃っておらず医者も専門医がおらず最悪の状態でした。
そんな中での検査結果で前立腺肥大が判明し動けない体だったので何とかしてと医者に任せたら前立腺肥大手術
をされて仕舞いました。
手術はいい加減で手術後3週間は微熱と高熱に悩まされました。



フィリピンでは日本の様に国民健康保険と言う保険制度が確立していませんので貧乏な人達は病院へ行く事が出来ません。
今回、判った事ですが国の医療制度の不備で優秀な医者は海外に働き出で残って国内で医療に従事している医者は専門医で
も掛け持ちで病院を受け持って居ます。
そんな訳で私の手術も金だけとられ後は看護婦任せのいい加減な手術でした。
薬で何とか動ける様になって来たので友人の手助けを借り緊急帰国をして日本の病院で詳しい検査を受けました。
フィリピンでは前立腺癌とはハッキリせず精密な血液検査のPSA数値で癌らしいと言う程度で日本の医療に掛かる様に医者は
進めていました。
本当に呆れたフィリピンの病院なんですね。



日本では横浜市の東部病院に係り最先端の医療機器での検査と手術をして来ました。
我が前立腺肥大は前立腺癌と診断されステージ4に癌は進行し全身骨格に癌細胞が転移し持っても2年との医者の説明でした。
フィリピンに住む我が身諦めはして居ましたがこんな形で余命が見えて仕舞いました。
癌の進行を抑える為に睾丸の除去手術をして来ました。



男のシンボルを失った現在・・・・残り少ない余命ですが最後までフィリピン・田舎暮らしをエンジョイしたいと頑張ってます。
我がブログを覗いてくれる皆さん・・・・本当に有難うございます。



今回の日本での滞在先は我がブログで知り合った友人の家に1か月世話になり病院に掛かりました。
友人の並々ならぬ苦労と食事の世話には頭が下がりぱなしでした。(笑)
残りの2週間はホテル暮らし・・フィリピン人の妻と我が家の居候のフィリピン人の船員に泣かされぱなしでした。(泣)