フィリピンの田舎暮らしは

フィリピンに住みつき15年
目にした事や身を持って体験した事を
このブログを通して皆さんに伝えたいと思って居ます。

台風のメッカの我が家はブロッグ積み建築だ

2015年02月26日 07時09分30秒 | 日記
前回の我が家造りの続きです。
今回の投稿は着工から2ヶ月目位の工事の様子を載せましたが・・・・!!
我がブログをご覧に成られた皆さんから建築費用なども教えて欲しいと言うご意見が有りましたので
今回のブログは我が家の建築で使った材料や経費など参考に成る程度に載せさせて頂きました。



写真:5月始めには屋根の骨組みもこんな感じで仕上がってます。
3月中旬から始めた家の新築工事で゜すが1ヶ月半余りでこんな感じです。No1





写真:5月半ばには雨避けテントを張り少し位雨に濡れても支障の無い天井周りや室内の壁などの仕上げに取り掛かっています。
No2・No3







写真:工事を始め2ヶ月頃は保々、外周りの外壁のブロック積みが出来上がって来て居ます。
併せて天井部分の工事も工事着工から2ヶ月位で工事が進んでいます。No4・No5・No6.











写真:家の外壁や内壁・そして床仕上げも出来るヶ所からこの時期はどんどん進めています。No7・No8・No9・No10・No11・



写真:我が家で1番広い空間リビング・ダイニングキッチンの流し台を造ってます。No12
此処は、キッチン台は水場食器洗いヶ所2ヶ所と左側に冷蔵庫2台分のスペースを確保そして右側にはガスレンジ
スペースそして洗濯機2台分+飲料水スペースなど確保してます。



写真:我がプライベートルームでPCなど置くテーブルを事前に造って居ます。
部屋の広さは8m×4mでテラスに面した部屋に成っています。No13



写真:居間の外側の外壁で此処にテラス縦3m×横8mの屋根付きのテラスを造ります。No14



写真:玄関前の駐車場で3.8m×6mの広さを確保しています。
勿論、母屋の一角に確保しています。No15



写真:リビングダイニングの流し台の下は60cm幅深さ50cmの側溝を設け給水・排水周りのPVCパイプを這わせて居ます。No16
メンテナンスを考え上蓋を載せて何処からでも確認が出来る様にしています。
通常は庭や敷地に埋めて仕舞いますが我が家は屋内と外を含め14mの長さはこんな遣り方を施工しています。





写真:我がプライベートルーム居間の内壁部分(ブロック)の上の仕上げの様子です。No17・No18




写真:玄関のトビラの付近の様子とリビングダイニングの工事の進み具合です。No19

こんな感じで屋内部分や外回りの外壁などが工事着工から2ヶ月半位で進んで居ます。









写真:2ヶ月半を少し過ぎた当たりで屋根工事が入りました。No20・No21・No22・No23
併せて屋根が載り始めたので外壁のセメント上塗りが終ったヶ所は塗装が始まりました。



先ず家の大きさ把握して貰う為に屋根を載せる平面部分こんな感じでした。
(縦15.80m×横11.80=186.44㎡)です。
実測では屋根の面積は傾斜部分も有りますので204㎡の広さに成りました。
住まいの地は台風のメッカですので台風の強風にも耐えられる鋼鈑で厚さの有る屋根を専門業者に依頼しました。
屋根の骨組みが出来上がった5月初めに業者を呼び実測し工事一式の価格を出して発注依頼を掛けました。
屋根は工場で製作と言う遣り方でしたが1ヶ月位で出来上がって来ました。
フィリピンでは日本の業者の様に社会的な信用度が違います。
相手任せでは後で後悔致しますので必ず施工主が直接動く事が必要です。
屋根の工事は工事込みで150.000ペソでした。
工事期間は5日間程で仕上がりました。

家の基礎工事と梁工事ですがこれも3月の中旬から基礎の穴掘りから始め家の要の梁工事まで約2ヶ月程で施工して
居ます。
日本の棟上工事と同じで基礎(土台)から始まり柱を建て梁を渡し屋根を載せる迄がメインに成りますね。
基礎や柱に関してですが我が家は台風のメッカなので床下150cmから基礎工事を施工して居ます。
基礎は家の土台になる150cm下に20cm台の石を約70cm幅に敷き詰めその上に鉄筋(前回のブログで載せた鉄筋造り)
と同様な物を外壁ヶ所に敷設し型枠にセメントを流し基礎の土台部分を造りました。
この段階で基礎の土台に1m間隔に12mmの鉄筋を立てこれに合わせて外壁と成るブロックを積み上げて行きました。

ブロッグはNo4とNo5のサイズが有りますが家の壁面にはNo4を使用しました。
敷地のブロッグ塀にはNo5を使用しています。
No4のブロッグは縦18cm横40cm幅10cmの大きさで建設時は1個6ペソでした。
No5のブロッグは縦18cm横40cm幅12cmの大きさで1個7~8ペソでした。

我が家の鉄筋型組は直径16mm×長さ5.2mの鉄筋4本/12mm×5.2m×6本が柱や基礎の土台部の仕様でした。
家の建設当時の鉄筋の値段は16mm×5.20m/155ペソ・12mm×5.20m/135ペソ・10mm×5.20m/125ペソ・
9mm×5.20m/95ペソ位です。

柱の数量は14本、基礎の土台部分14ヶ所で壁面の梁20ヶ所で鉄筋購入費用は約150.000ペソでした。
外壁や内壁はブロックを積み上げて造りますが、ブロッグは土台部分に4段そして床面から梁まで2.6mなので
約13個程使用します。
そんな訳で外壁のブロッグの積み上げが壁面の縦に17個そして柱と柱間が4mなのでブログ1個の長さが40cmです
から横のブログ数は10個となり縦2.6m横4mの壁面のブロッグ積み上げ総数は約170個程に成ります。
こんな壁面に使用するセメントは約4~5袋使用しました。

我が家の購入したブロッグは約3.000個程でブロッグ購入は18.000ペソ程でした。
セメントは屋根下総床面積が10m×14m=140㎡で柱や基礎(土台)壁面・天井の梁など使用で約500袋/1袋約200ペソ
でしたのでセメント購入費用100.000ペソ位でした。

屋根の骨組みや天井に使った角材・ベニヤ板などの木材は200.000ペソ程でした。
足場用の木材(ココランバ)椰子の木の角材で5cm×5cm×4mのサイズをツーバイ2と呼び1本/45ペソ約200本程足場用
として使いました。9.000ペソ
5cm×8cm×4mのサイズをツーバイ3と呼び1本/55ペソで100本程使用しました。/5.500ペソ。
5cm×10cm×4mサイズをツーバイ4と呼び1本65ペソで約50本程使用しました。/3,250ペソ。

砂利は4tトラック1台当たり950ペソで10台程で/9.500ペソ。
砂は4tトラック1台450ペソで20台/9.000ペソ。
20cm台の石4tトラック1台当たり650ペソで約15台/9.750ペソ程でした。
窓の設置ヶ所11ヶ所/約28㎡工事一式/80.000ペソ
家の塗装は外壁・内壁・ドア・流し台付帯を含め工事代金・ペイント代含め総額150.000で仕上げています。
床仕上げのPタイル購入/60.000ペソ。
電気系統の配線及びコンセント・工事代込み100.000ペソ。

こんな感じでの建築材料は日本円で200万円位で住みました。
人件費が親方クラス3人/1一人当たり日当300ペソノーマルの工事人の日当200ペソ/8人使い一日2.500ペソの人件費で
1ヶ月25日で約6ヶ月ほど掛かりましたので375.000ペソ程でした。

工事人のおやつと食事費用が1日/350ペソで6ヶ月で52.500ペソ程掛かりました。
安いお米と安い魚など毎日買わせ現場で調理させて1日2回の食事をさせました。
工事現場に集まる人達は殆どが日雇いレベルで食事も満足に取って居ません。
そんな訳で食事は1日/2回・・・朝の10時頃と午後3時頃に取って居ます。

井戸掘削と汲み上げポンプ一式で50.000ペソ。
コンクリートミキサー購入40.000ペソ。
鉄筋切断用の電動カッター8.000ぺソ。
木材の穴開け用の電動ドリル3.000ペソ。
排水ポンプ7.000ペソ。
電動カンナ4.000ペソ。
木材切断用電動カッター7.000ペソ。
ガソリンエンジン用発電機30.000ペソ。
スコップや鋸・ハンマーなど10.000ペソ。
雨避けシート6.000ペソ
庭土の購入4t/30台約30.000ペソ
物置小屋新築・汚水槽・CR貯水槽250.000ペソ
家の設計図面や建築申請25.000ペソ

如何でしょうか。
日本の建築と違い人力での作業が主ですので人力の作業を極力省ける様に作業用マシーンは買える範囲で用意致しました。
フィリピンの田舎では半世紀前の日本の様です。
工事人は自前の道具は持って居ないのにビックリしました。
鉄筋を切るのは金切鋸・セメントをこねるのもスコップの手作業・板や木材を切るのも鋸・穴を掘るのはスコップ・
そして砂や石を運ぶのはセメント袋に入れて担いで運ぶ・こんな遣り方なので施工主の遣り方一つで人力に頼るのか
マシーンを入れるのかで工事期間も変わって来ます。

日本とフィリピンとでは当て嵌まらない事ばかりなのですね。
経験して初めて判る事が多いフィリピンなんです。

まとめ
家の建築費は日本円で400万円チョットです。
土地購入は1.200㎡を220万円で購入しました。
此処でご参考に、フィリピン共和国では外国人の土地購入は出来ても名義は外国人は出来ません。
買えるのはコンドミニアムやゴルフ会員圏・株などの限られた資産なので十分注意して下さい。

そして敷地のブロック塀工事と土地の埋め立てで約200万円ほど掛かりました。
若し、日本で同じ物を造ったら2.000万円は行くのではと思います。

フィリピンのベソはUSドルに連動している為に現在の為替レートでは日本円1万円がフィリピン・ペソで
3.750円位に相当していますので結構生活が厳しいですね。








台風メッカの家造りはこんな建て方で

2015年02月17日 06時41分26秒 | 日記
台風メッカの家造りはこんなこんな感じで・・・・!!
私の住まいはルソン島南部に位置し1年を通して台風を無視する訳には行きません。
それは住まいの前の太平洋が発生場所になって居るからです。
そんな訳で時には猛烈な台風に見舞われ事も有ります。
気圧も930hPa前後・瞬間最大風速70m/s前後の台風が遣って来ます。
そんな訳で家造りは台風の直撃を考え設計に反映しました。

家の建築は2009年1月から物置小屋の先行工事からスタートしました。
土地はハイゥエーに面して居るので土地の中が見えない様に竹垣を設置して目隠しを致しました。
泥棒天国のフィリピンですから建築現場からの建築材料の盗難を防ぐ対策が必要でした。


写真:ハイウェーに面した箇所に目隠しと不法侵入を防ぐ竹垣の設置の様子です。No1


写真:竹垣の設置工事が終って3月初めに家の建てる箇所の位置決めを私の指示により施工しました。No2


写真:家の建てる位置の測量とタムセ(太いナイロン糸)を張らせ基礎(土台)の掘削ヶ所を明確にさせました。No3


写真:測量に合わせ穴掘りを始めた様子です。勿論、手掘りの人力作業です。No4
作業で雇った工事人は常時11人程でした。


写真:柱や土台部分に敷設する鉄筋を仕上げている様子です。
柱や土台に使用する鉄筋は16mmを使いました。No5


写真:こんな感じで地面から約1.5m程から基礎打ちをしています。No6
基礎(土台)は20cm程の大きさの石を敷き詰めその上に鉄筋を這わせてセメントで固めます。
家の柱を立てる部分は1m四方の鉄筋の台座を作りその上に16mmの鉄筋で作った鉄筋柱を立てセメントを流し込んで造りました。


写真:家の柱に成る部分はこんな鉄筋が建てられました。No7


写真:柱の立つ位置の鉄筋の施工様子です。No8
柱と柱の間隔は4mに決めました。


写真:鉄筋に型枠を取り付け人力でセメントを流し込んでいる作業です。No9




写真:着工から2週間が過ぎた当たりですが柱が建ち始めました。No10・No11


写真:柱が建った箇所はブロッグを積み始めました。No12
プロッグを積んでいるヶ所は壁面に成ります。


写真:こんな感じでブロッグを積み上げ壁面工事をしています。No13




写真:工事を始めてから1ヶ月が過ぎた頃の工事の進み具合の様子です。No14・No15
積み上げたブロッグの上の這わせた鉄筋は柱と柱の間の梁部分に成ります。


写真:屋内の床部分は砂を敷き詰め一定の高さにした後に石の敷設をしました。No16


写真:屋内は石を敷き詰め固めている作業です。No17


写真:屋内はこんな感じで石を敷き詰め水を打ち床部分締めました。No18


写真:石を敷き詰め固まったらセメントを打ち床面を仕上げます。No19






写真:屋内工事と並行して屋根の梁部も工事に着手しました。No20・No21・No22
屋根を載せる木材はGOODLUMBER(グドランバ)と言う硬い材木を使いました。
この材木の購入は街の材木を置いている店には無くでバイヤーとの直接オーダーと言う形で搬入は人目を避けて夜の8時過ぎに成りました。
この材木は規制が有るか違法で販売するのか知りませんが簡単に手に入りませんでした。




写真:この右のコンクリート部分が柱と柱の間の梁部分で現地ではTIE BEAM(タイビン)と呼んでいました。
左側はGUTTER(ガーター)と現地では言ってましたが台風など強風で屋根を捲られる事を防ぐ防護壁で雨水を流す側溝を設けて居ます。No23・No24


写真:外側から見たガーターの施工の様子です。No25
こんなガーター工事は見た事は有りませんが何度も風速70m/s前後の台風の強風に遭いましたが屋根はビクとも致しません。


写真:工事着工から1ヶ月半頃の工事の進み具合です。No26




写真:工事着工から約2ヶ月を過ぎた頃の工事の進み具合です。No27・No28

如何でしょうか・・・台風のメッカに住むと成るとこんな形で家の建設を致しました。
家の外壁はブロック積みで日本より強度は数段も上の感じに思います。
柱も台風の強風に耐えられる鉄筋と太さに仕上げました。
柱の太さは30cm四方コンクリート柱です。
次回は家の中の工事を載せたいと思います。
   



我が土地はこんな試練からスタートしました。

2015年02月13日 07時03分58秒 | 日記
我が土地作りはこんな処から始まった。
2006年に今の住まいの土地を買いましたが買って1ヶ月に当地を襲った猛烈な台風に
土地は無残にも川の氾濫で流されて仕舞いました。
何とか元の状態に土地を復旧したのですが2008年に又もや大雨で川が氾濫し我が土地
に流れ込み土地が又もや流されて仕舞いました。
こんな土地でしたがハイウェーに面し土地からマヨンボルケーノの山が望める気に入った土地でした。
2008年の1月には土地の塀造りに着手しました。

2006年の台風の教訓からハイウェー側からの川の水の浸入を防ぐ事や万が一の事を踏まえ塀設置に伴う
基礎設計を専門家に頼みました。
設計は地元のCityホールで建築許可が降り翌年の家の建築許可に繋がりました。
日本のブロック塀の工事ではこんな施工はしないほどの基礎に仕上げました。



写真:土地の塀工事に着手した時のものです。No1
地面から約1.5mの深さから石を敷き鉄筋を敷設しセメントを流し固めその上に石を積み上げハイウーと
同じ高さの基礎工事を致しました。



写真:土地の塀を造る位置の穴掘りで手掘りで゜行いました。No2



写真:土地は川が近いのと湿地と言う事で直ぐに湧水に悩まされました。No3



写真:こんな感じで掘った後に大きな石を敷き詰め基礎を造りその上に鉄筋を組み込んだ基礎を施工しました。
ブロック塀は3.2m毎に柱を鉄筋で組んで強化しました。No4



写真:ブロックを積み上げる基礎は鉄筋を這わせ強化をしています。 
その箇所は型枠を作りセメントを流し補強をしました。No5



写真:ブロックを積み上げる基礎固めが終った後はこんな感じで石を敷き詰め頑丈な石の基礎を造り上げて行きました。No6



写真:こんな感じで石を積み上げセメントで固め石塁を造って行きました。No7



写真:可なり幅の有る石塁で頑丈に造り上げています。No8









写真:同様な造りで全て同じ間隔で仕上げて行きました。No9・No10・No11・No12



写真:施工時期の1月は当地の雨季のシーズンなので雨での中断は困るのでテントを張って施工して貰いました。
此処の施工箇所は他の敷地で我が土地と段差が1~2m付きますので水抜き用のパイプを設置しています。No13



写真:基礎が出来上がった上に補強の鉄筋を這わせセメントで固めた後にブロッグを積み上げて行きました。No14



写真:こんな形で施工していたブロック塀です。
可なり日本のブロック塀と強度が違います。
勿論、後で土地を埋め立てて行きますので塀と言うより基礎囲いと言った方が正しいかも知れません。No15



写真:こんな塀を土地の周りに造り上げて行きました。Np16



写真:人力では日数や無駄なしてが掛かるのでマシーンを揃える事が出来る処は機械化を図りました。
購入したコンクリートミキサーでエンジン付きで40.000ペソで購入しました。
このミキサーで人手4人分位の削減が図れました。No17



写真:湧水が激しいヶ所も人力とミキサー排水ポンプを駆使して何とか石塁を造り上げる事が出来ました。No18





写真:土地の最奥部はハイウエーから55mも離れ此処は現在は母屋と物置小屋が建っています。No19 ・No20
此処は隣地と我が土地の埋め立て部分も想定して可なり高い塀に成りました。
土地の一番の弱点はハイウエー側に有りました。
我が土地から40m程の処に清流が流れています。・・・清流はマヨンボルケーノ山麓を源に海まで流れ込んで居る
川なのですがハイウエーに掛かる橋が長年の砂利で河床が浅くなって仕舞っています。
そんな訳で短時間の大雨で上流から流れて来た流木などが橋桁にしっか川の水を堰き止めて道路に溢れて来る原因なのです。
そんな訳で溢れ出た川の水はハイウェーを伝わって一段低い我が土地へ流れ込んで仕舞うのです。



写真:大雨で川が溢れ道路を伝わって我が土地に流れ込んで居る様子です。No21

日本のなら国土交通省の河川管理の杜撰で賠償請求が出来ますが此処、フィリピンは国や行政自体がいい加減で
河川が氾濫して家や土地が流されても泣き寝入りが現状です。
黄色の合羽を着て動き廻って居るのがDPWHと言うフィリピンの河川や道路を管理している行政機関です。



写真:我が土地に川が流れ込んで居る状態です。土地は流され頭に来ました。No22
こんな泣き寝入りも何度も遣られては困ります。自費復旧で2度も金を使いました。



写真:我が土地の弱点、ハイウェー側に面した土地に自費で石塁を築いている処です。
石塁はこんな大きさの石を4トントラックで60台分ほど使いました。No23





写真:ハイウェーから我が土地の石塁を築いた様子です。No24・No26



写真:土地側から石塁の様子です。No25



写真:石塁は鉄筋を敷設し強度を持たしセメントで固め仕上げました。
高さは敷地に面したハイウェーの一番高い処を基準に70cm高い堤防の様な石塁を仕上げました。No27

ハイウエー側の石塁が出来上がったと同時に削り取られた土地の復旧に取り掛かりました。
土地の削り取られた最深部は道路より4m程の深さに成っていました。
4トントラックで400台近い川砂で埋め戻し致しました。



写真:土地の埋め戻しの様子です・・・・1月半位で土地の復旧が出来ました。。No28





写真:土地の復旧が終ってから数ヶ月後には自らの手でこんな土地に作りあげました。No29・No30


如何でしょうか・・
フィリピン田舎暮らしこんな事から我が土地はスタートしています。
あんな試練を受けた土地は今では想像も付かないこんな緑の庭になっています。
この緑も全部自分で作り上げた緑なんですね。





              



我が愛車は19年目の車ですよ~~

2015年02月11日 07時10分51秒 | 日記
我が愛車は96年式のマツダMPVです。
2006年にインターネットから愛知県のロックアップオートと言う中古車屋から購入フィリピンに持ち込みました。
勿論、輸送費や税関など日本側での費用やフィリピン仕様の左ハンドルの改造及び登録費用一切を含め当時のお金で64万円で済みました。
それから現在まで丸8年私の愛車として乗り続けて居ます。



写真No1は我が愛車です。

車は96年式のマツダEfini V6 3.0l GツーリングSオートマチック車です。
外見はフィリピンで使うのには目立た無いスタイルなので安心して乗れます。
それとこのMPVは足回りが硬く出来ているので道の悪いフィリピンでもハードに運転する事が出来ます。
ただ、フィリピン仕様ではハンドルを左に直さなければ使用出来ませんので
オートエアコンやエアーバックなどが使えなく成り安全面や快適差は少し無くなって仕舞います。
そんなフィリピン仕様の車なんですが今年19年目になる車ですね。

2009年にはルソン島からサマール島・レイテ島経由でミンダナオ島への車での旅をしました。
勿論、私の昔付き合った女友達が住むスリガオや友人の娘さんが住むギンゴオクなどを訪ねる旅で友人と
別れた後にヘリーでカミギン島に渡り休養を取った後、ヘリーでボホール島経由でCEBU島に行きました。

フィリピンの島を渡すヘリーは日本の中古のヘリーが使われて居て中古船として頼り無いのですが船のアッチコッチに
日本語が残って居るので変な懐かしい気持ちに成りました。
車のヘリーの乗船は港とヘリーとの間に段差が有り乗用車では車の底が擦る無理な処が何箇所もありました。
帰路は旅なれたCEBU島からサマール島まで直行のヘリーがあり12時間の船旅が出来ます。
勿論、夜間の船旅なので個室を取りゆっくり休む事が出来ます。

ヘリーの乗船は知らない場所では車の載せる事が出来るのかや出航時間は何時だと調べ無いと旅行の日程に狂いが
生じます。
そんな訳で港には必ず早朝に行くか前の日や週何便有るのか調べて置く必要が有ります。
私はルソン島南部のソルソゴンから2週間掛け車での島渡りをして来ましたがガイドブックらしき物は全然有りません。
この辺は日本と違って観光誘致には程遠いフィリピンの観光地なのですね。

こんな楽しい想い出も車が有って出来るのですがフィリピンは日本と違い法定の整備点検は義務付けられて居ません。
年1回のLTOの車検検査を受ければ良い事で車の整備は自己の責任で普段からの自己管理が必要です。



写真はLTOに持ち込む前の廃棄ガス・チェックを受けている処です。
公的機関の代行をしています。
LTOでは車検の書き換えでエンジンナンバーやシャシーナンバーを確認するので面倒な車検になります。



写真は日本の盗難品が修理工場が閉鎖され要らなく成ったのか廃棄ガスの測定器です。
日本語で持ち主の名前が書かれて居ますね。


私の車も2012年に整備工場で素人の修理工にファンベルトの掛け間違いをされクランクプリーの交換の故障に繋がって仕舞いました。
勿論、フィリピンには私の車のクランクプリーは探しても有りませんでした。
そんな訳で元マツダの工場長や店長経験の有る友人にお願いして日本から純正部品を調達して貰いました。



写真は取り外された交換の必要な部品です。No2





写真はパワーステアリングのオイル漏れも確認出来ました。No3・No4
故障箇所のクランクシャフトプリーやラジエターを外し様子です。
勿論、此処に日本から取り寄せた純正の部品交換作業が有ります。



写真は車の修理を任せた修理工場です。No5





写真は愛車が1ヶ月半此処に居候するとはフィリピンらしいですね。No6・No7





写真は友人から送って貰った純正部品一式です。No8・No9
フィリピンの宅配物は全部開けられ中身を確認されます。
非常に杜撰で此方から品物の追跡をしないと勝手な保管で品物を放置します。
本当にフィリピンへの宅配は頭に来る事ばかりですよ。


何してもフィリピンでの車の維持は大変ですね。
新車を買っても壊されて仕舞うなんて当たり前ですね。
私も2004年から2006年までフィリピンで中古車販売会社を遣っていました。
買い付けた軽トラックの故障修理などで沢山のメカニックと知り合いましたがいい加減な修理で何度も泣かされました。
我が愛車は来年で20年に成りますが足回りも外見も問題ありません。



写真は洗車を遣って貰って居るところです。No12
自分で洗車をするより頼んだ方が良いですね。
120ペソで出来ます。



我が愛車もこんな場所で月1回ほどの稼動を待って居ます。
後何年乗れるか・・・此処はフィリピンですね・エンジンが動けばポンコツでも走ってます。
下手をすると私の方が先に動かなく成って仕舞うかも知れませんね。
総走行キロは94.000kmで買ってから2万キロ程しか走ってません。

フィリピンの田舎暮らしではこんなセカンド・カーの乗り物が便利な足代わりとして使用しています。
我が愛車のトライです。




我が愛犬との触れ合いと別れは・・・・!!

2015年02月07日 06時50分29秒 | 日記
我が家は2011年に泥棒に入られた苦い経験から今では番犬として犬を6匹飼っています。
勿論、敷地もある程度の広さが有りますので敷地の要所に犬小屋を設置してガードをさせて居ます。
でも、時にはこんな教育もしています。
私の呼ぶ声に集合そしてお座り・・・全部の犬を座らせるのは大変ですね。



写真のロットワイラーはメス犬で6歳で性格は大人しく非常に賢い犬です。
買い物などで家を空ける時は鎖を解き庭に放しセキュリティーガードをさせます。
前は鎖に繋がずフリーにさせて居たのですが・・・・!!
土地に生息するダニが犬を通して部屋に入り込むので放し飼いを止めました。
私の直ぐ近くに常に居て24時間私をガードしてました。
本当に賢い犬で私の一番の愛犬です。
写真を撮った日に椰子の木の根元を掘り返したので怒ったので少し元気が有りません。
仕方が無いですが怒る事も躾けですから・・・・!!



写真は雑種のメス犬で4歳正門に一番近い処に繋いでいます。
性格は大人しいですが雑種特有の知らない人に良く吠えるので
家の中でも犬の吠え方で人が来たのか判り助かっています。
正門脇に繋いでガードをさせて居ます。



写真の犬は3番目に古いロットワイラーのオスで2歳半、種付け用にと飼いました。
性格は大人しく利口な犬で私の寝室近くに繋いで敷地裏からの泥棒除けとしてをガードさせています。



写真の犬はロットワイラーのメス6歳とロットワイラーのオス2歳半との間に生まれた子犬で9匹生まれましたが
親の飼育放棄で一匹生き残ったオスのロットワイラー1歳2ヶ月の犬です。
私の飼育で生後2日目から育て上げました。
少し雑種の血が混じって居るのか顔はロットワイラーに似ていませんね。
性格は母親・父親に似て大人しく番犬として育って居ます。
敷地の裏側の要所をガードさせています。
生後3ヶ月頃に父犬から踏まれ腰の関節を痛めたのか走り方が蛙の様な飛び方に似た走り方が特徴です。



写真の犬は昨年ロットワイラーとドーベルマンのメス犬との間に生まれた生後11ヶ月のオス犬です。
性格はやんちゃで悪戯好きですが犬小屋への出入りは私の声で出入り致します。



写真の犬も昨年ロットワイラーとドーベルマンのメス犬との間に生まれた犬で生後11ヶ月のメスです。
子犬の時に体調を崩したりして上げる予定が狂い最後まで残った運の良い犬てす。
性格はドーベルマンの母犬の血を引いて知らない人には攻撃的です。
正門の雑種犬の脇に繋いでガードをさせて居ます。



この写真はドーベルマンの母親から生まれた子供達で9匹生まれ母親と7匹は私の手元から離れて行きました。
生後1ヶ月半の頃のもので一番可愛い時期でした。




犬小屋の鉄柵の間から外に出て仕舞うのでKUBOに板囲いして臨時の犬小屋にしていました。




母犬と砂遊びをしている生後2ヶ月を経った子犬達です。
飼い主は懐いた子犬を手放すのは本当に辛いですね。
この時期は全部で家には16匹の犬達が居ました。
でも、母犬は子犬が乳離れした3ヶ月後に子犬達を面倒見てくれた獣医さんに貰われて行きました。
性格の優しい・そして子犬達9匹を育て上げた素晴らしい犬でしたが・・・番犬としては人間に吠えない噛み付かない
そんな犬で失格でした。
でも、野鼠や野良猫などには素早い動きをしてネズミ捕りの上手な犬でしたよ。



今は、毎日早朝明るく成ると同時に6匹の愛犬達を庭へ放す日課から始まります。
一日2回、午後3時過ぎも雨が降っても台風が来ても合羽を着て犬達を遊ばせます。
家を建てて5年間休まず遣って来ました。
体調がすぐれない事も時も有りますが私の宿命だと頑張っています。
フィリピン田舎暮らし犬と共にこんな暮らしが此処には有ります。





雨季はジャックフルーツの実が生り始める季節

2015年02月05日 06時44分10秒 | 日記
フィリピン・ルソン南部の当地・・・太平洋に面したビーコル地方は
この時期はマニラの乾季に対して雨季の季節です。
こんな雨季の季節に併せてジャックフルーツは実を付けます。






今日は雨季の合間の青空が覗きました。
そこで晴れ間に合わせ虫除けの袋を実に掛ける作業を致しました。
歳をとると高所作業は非常に危険なんですが梯子を架け何とか袋掛けを実施。



実も結構大きくなって居ます。
この間々袋を掛けないで放置しますとショウジョバエと言う害虫に卵を実に産み付けられます。
100%被害に遭うので横着は出来ません。



こんな形で実が付いて箇所は全部袋を掛けました。
袋は米袋50kg入りをパレンケで1枚/7ペソで買って来ます。
この木は昨年の7月に当地を襲った台風に何とか絶えて残った貴重な木なのです。



庭の一角に3本のジャックフルーツの木が有りましたがマリア様のお堂の2本の木は台風に折られ駄目に
成って仕舞いました。
1本は枯れ・・・もう1本は根元から2m位の処で折られて今は再生最中で葉だけが生い茂って居ます。




枯れた木はこんな実が収穫出来て居ました。




折られた木はこんな実が毎年収穫出来ました。




荒れた土地から緑を再生・・・勿論、南国の果物の女王格のジャックフルーツを育て上げられました。
素人の私でもジャックフルーツは簡単に種から育てられます。
満足そうな顔をしているでしょう。




暑さの中での袋掛けも邪魔な枝を伐採したりと結構 歳を取った身体には応えます。
日本なら知人や家族の手助けが有るのですがフィリピン人の身内は横着で金を払っても仕事は曖昧なのです。
そんな訳で自らの身体を動かして遣っています。







後片付けも広い庭は良い運動になります。
この子が居れば結構手伝ってくれるのですが昨年3月に従兄弟と結婚させ日本で暮らして居ます。
頼りに成るPINOYは10年この地に住んで一人位しか居ませんでした。
お手伝いも20数人雇いましたが何も出来ない・・そして働かないのがこの国の性格の様なんですね。
そんな訳で70を過ぎ身体が動く内は自らの身体を動かしています。



勿論、ボケる事も血圧も正常値近く健康で居られる事が何よりです。
如何でしょうか・・・・南国田舎暮らし此処に有りですね。







日本列島を襲う寒気団はルソン島南部の雨季に影響か

2015年02月02日 05時41分31秒 | 日記
日本から約3.000km離れたフィリピンは飛行機で約4時間チョットの距離にあります。
熱帯特有の気候は1年を通して蒸し暑く半そでシャツ1枚で過ごせる陽気です。



しかし、ルソン島の南部の当地は太平洋に面して11月~2月までの数ヶ月は雨季の季節になり気温も26℃近くに
下がる事も珍しく有りません。
ルソン島北部のバギオ市では高地なのでこの時期は10℃近くまで気温が下がる事も珍しく有りません。

今週の日本列島は大陸からの寒気団が南下して大雪警報、東京も雪化粧に成ったニュースが飛び込んで来ています。
気象衛星の画像から雪雲が南下して太平洋まで寒気が覆ってます。
寒気に伴った冷たい空気は日本列島を南下してフィリピンの沿岸まで寒気が流れ込んで来ているのですね。



この影響は3.000kmも離れたフィリピン・ルソン島南部の当地まで影響が出て雨季の真っ最中なのです。
特に大陸の寒気が強力な時はその影響で気温も26℃前後まで下がります。
暑さに慣れた体は気温が26℃前後に成ると体調を崩して仕舞います。



こんな雨季の季節は雨のビーコルと名が通ったルソン島南部の太平洋側では田植えの時期に成ります。
早い処では12月~1月に田植えを終らせ二毛作の稲作が行われています。
我が家の近くもこんな田園風景が見られます。





この写真の場所は家から歩いて4分~5分の処なのですが田園風景の先は海で太平洋に面しています。
何も無い田舎特有の長閑な風景が此処にはあります。



マニラから遠く離れた田舎ではスーパーマーケットなどは有りません。
有るとすると何時来るか判らない客相手に竹で作った椅子やKUBO(掘立小屋)などを道端で売ってます。



そんな田舎にも道路の拡張が行われて居て家の直ぐ傍まで4斜線の道路工事が進んで居ます。
でも、この4斜線の道路工事は歯抜けの様で出来る所だけ遣ると言うフィリピン特有の工事でマニラまでの4斜線は
何十年経っても出来ないのではと思うですが。



如何でしょうか・・・・・マニラから車で10数時間のルソン南部ではマダマダ未開の地が沢山有ります。
昨年は高いブロッグ塀に囲まれた我が敷地に猛毒の蛇コブラの侵入が有りました。
自然と隣り合わせ何ですが時には招かざる客も此処には有ります。
田舎なれどの暮らしですが体を動かす事が日課・・・・ボケる暇も有りません。