ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

ホノルルマラソンでドーピング陽性

2008-06-26 | 海外&ルーマニア・マラソン大会
doping control in Honolulu Marathon 2007

アメリカから残念なニュース。昨年のホノルルマラソン優勝者エチオピアのアンベッセ・トロッサが、ドーピング陽性で失格となりました。当時の記録は2時間17分26秒、雨風の悪コンディションでした。2006年(2時間13分42秒)に続く2連覇、と取り上げられていたのですが。

35年間の歴史で初のドーピング失格者~じつのところ、ホノルルマラソンでは昨年まで主催者によるドーピング検査は実施されていませんでした。ドーピング検査は、ドーピングコントロール機関が任意にレースをピックアップして実施するか、または、各レースの主催者が主催者の判断と費用負担で、ドーピングコントロールを実施することになっています。

ところが、2006年ホノルルマラソン女子の優勝者リュボフ・デニソワが、翌年4月の別の大会にてのドーピング検査で男性ホルモンの一種テストステロンtestosterone(注:参照)に陽性、5月から2年間の出場停止処分を受けました。

翌年のドーピング失格が発覚したことから、リュボフはホノルルマラソンのときにも薬物を使用していたのではないか、と推測され、ホノルルマラソン主催者は2007年から、ドーピングコントロール機関を雇い検査実施することを決めました。

2006年のリュボフ・デニソワにはドーピング検査は実施されておらず、彼女の戦歴と記録はそのまま残っています。その記録は2時間27分19秒、2004年のリュボフ・モルグノワの記録を14秒上回る大会新記録。

リュボフはこのとき、優勝賞金4万ドル、新記録賞金1万ドル、サブ2時間28分賞として1万7千ドルを獲得しています。



この年リュボフは、エリートランナーのエントリー期間を過ぎてから一般参加と同じオンライン・エントリーをしてきました。エントリーリストに彼女の名前を見つけた主催者は、彼女をエリートフィールドに引き上げ、ほかの招待選手と同じ待遇を受けられるよう特別の計らいをしました(「Distance Running」より)。



この記事を読んで嬉しく思った私は直接メールをして「It is just extending the aloha spirit. 」~それはアロハ・スピリットだよ、と主催者からそのときの話を聞くことが出来ました(07年9月)。そのリュボフが直後の大会から出場資格処分を受けることになって、ホノルルマラソンを大きな家族(=ホノルルの現地の言葉でオハナ)のように思っている彼は残念に思うしかなかったそうです。

そんなことがあった次のマラソンで、2連覇となったはずの男子優勝者がドーピングで失格。その年のマラソンは雨風の影響もあってチップタイミングが故障し、完走者記録はマラソンDVDの録画映像からナンバーと記録を探り当てるという大混乱があった大会でもありました。
 
一難去って、また一難。ドーピング陽性発覚は主催者の落ち度でもなんでもないし、わたしたちアマチュア・ランナーには、ドーピング検査の実施の有無は無関係だけど、記録はちゃんととって欲しいです。かくいう私、2004年のフランスTPC大会でドーピング検査を受けています~もちろんシロ!
 


マラソンブームに乗って、ホノルル熱も高まる一方。もうすでにその時期、日本からホノルルへの直行便の座席を探すことは難しくなってきています~。ホノルルへ行く予定の皆さん、手配は早い目に!
(写真はホノルルを走る2005年のわたし)

(注:)テストステロンtestosterone
2006年ツール・ド・フランスの優勝者フロイド・ランディス(アメリカ)も、ドーピング検査でテストステロンtestosterone陽性となり、タイトル剥奪となっています。100年以上の歴史を持つツール・ド・フランス大会で初のタイトル剥奪でした。
その前年まで、7年連続総合優勝を達成した(1999年から2005年)ランス・アームストロングに続くアメリカ勢の優勝、だったはずが・・・。ランス・アームストロングは精巣腫瘍を克服しての前人未到の偉業達成で余りにも有名。


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