ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

Tiberias Marathon

2009-01-08 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


2005年に初めて足を踏み入れたイスラエルの大地。滞在先は北部辺境地域。冬でも温暖な気候に恵まれ、オリーブ・アボガドが茂る穏やかな稜線を見せる丘陵地帯。そこに暮らす人々は、美しい風土の中で豊かな心を持ち、人と出会うこと、そして人生を楽しんでいる様子でした。
 
その後2006年夏にレバノンとの抗争など、北部地域は一時、危険情報が流れましたが今ではまた落ち着きを取り戻し、今日、イスラエルのマラソン選手権ともなっているティベリアス・マラソン(フル)が開催されています。

2005年のティベリアス・マラソンのようす、こちらのサイトからのレースレポート転載です。上の写真はマラソンで南半周をぐるりと巡るガリラヤ湖。

【2005.1.6 world race report】

Tiberias Marathon
the "lowest" Marathon in the world

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建国1948年という若い国、パレスチナとの抗争だけが取りざたされているイスラエルに、マラソンを走りに行くことになった。きっかけはフランス・ノルマンディーでのレースで知り合ったイスラエル・チームのコーチに誘われたこと。フランスでのレースは2004年の5月。その後7ヶ月の間、アントニオというそのイタリア国籍だがイスラエル・チームのコーチは熱心に手紙やメールでイスラエルのことを知らせてくれていた。

    
写真上:イスラエルチームのコーチ・アントニオと

どこにでも走りに行くわたしも、中東のイスラエル、と聞いてまだまだ戦争やテロが続いている国に足を踏み入れようとは思わなかった。イスラエルという国そのものに対して、危険意識だけが先行し、イラク情勢などと一緒くたになっていたのである。

第一、外務省の海外安全ホームページを検索してみても「理由のいかんにかかわらず渡航の延期をお勧めします。」とのこと。そんな国にのんきにマラソンなんて走りに行くなんて、それこそ「捕まえられて、首をちょん切られて帰ってくることになるわよ!」(=我が母親の心配~イラクへ自分探しの旅に出かけた日本の若者がテロリストに連れ去られ殺害された事件は記憶に新しい・・・)

マラソンレースは年明け早々の1月6日。ちょうど日本の年末年始にあたるため、行くとなれば海外航空券の手配を早めにしておかなければならない。3ヶ月前にweb-siteで予約を成立させ、その後も安全情報に留意しつつ、渡航を迷っていた。

出かけて行って果たして無事に生きて帰ってこれるのだろうか?航空券の代金決済を済ませてもまだ迷っていた。おまけにパレスチナのアラファト議長が死去し、情勢は悪化しているといえそうだ。

そんな時、わたしの背中を大きく押してくれる1通のメールが届いた。差し出してくれたのは、東京在住の見知らぬ日本人女性。彼女は、イスラエルのランニングチームに所属しているイスラエル人ランナーの大親友で、「日本からこんな女性がイスラエルのチャンピオンシップを走りに来るといっている、その女性は東京国際女子マラソンも走っているはずだから、検索してみて。」といわれて、わたしの存在を知ることになったという。ハイテク関連の仕事上で知り合った彼らは、日本とイスラエルを往復する仲であるそうだ。

イスラエルのことを良く知る彼女は、わたしにイスラエルという国がいかに美しい国で、イスラエル人はどんなにもてなしの心にあふれた人々であるかということを、その後の何通かのメールで楽しく知らせてくれた。危険情報についても、「情勢をわかっているイスラエル人と一緒に行動するのであれば、何の心配もいらない。」との彼女からの明言を得て、わたしは日本からはるかに離れた中東のイスラエルに大きく一歩を踏み出したのであった。

日本からの直行便はないため、フランクフルト経由でトランジット(乗り継ぎ待ち時間)も含めて27時間、到着したテルアビブの空港は明るく広く、およそ中東のイメージとはかけ離れていた~それもそのはず、まだ2~3ヶ月前に新装なったところだそうだ。イスラエルは広く海外からの移民を受け入れている国だが、得てして空港には白人と見られる人種が多く、顔を覆ったアラブ系の人々はあまり見かけなかったし、武装した兵士なども皆無だったことから、イメージを一新した。


写真上:テルアビブの空港内

空港には7ヶ月ぶりの出会い、アントニオが出迎えに来てくれていた。彼のチームの男性ランナーも一緒だった。テルアビブから北へ車で走ること約2時間半、レバノンとの国境に近い北部のビレッジにホームステイすることになった。


写真上:レバノンとの国境付近から見たイスラエルの国土

数年前まではレバノンとの抗争激しく、ミサイル弾が飛んできて村の女の子が直撃されたり、国境からテロリストが入り込み銃弾戦になったり、と、そののどかな風景とはかけ離れた流血の惨事があったそうだ。「ガ、今デハスッカリ落チ着イタノデコノアタリハ大丈夫、大丈夫デナカッタラ、マラソンヲ走リニオイデ、ナンテ誘ワナイヨ。」と、そのコーチ。レバノンとの国境はオリーブや深い緑の樹木が続く美しい稜線を見せていた。
     

写真上:国境付近からレバノン方面を見る

レースまでの間に多くのランナーに出会い、一緒に走り、彼らの家を訪問する機会を得た。もちろん市民ランナーである彼らは、それぞれの職業を持っている。日本との友好深く日本人家族の友人を持つアビ・アペル氏はハイテク技師。ほかにイスラエル独自の共同生活体「キブツ」で生活するランナーも多い。みな仕事のかたわら、走ることが好きで走ってる市民ランナーなのである。


写真上:マラソン当日のわたし。背景はマラソンコースから見えるティベリア湖。

イスラエル唯一のフルマラソン・レースはAIMS公認で当国のチャンピオンシップ(選手権)になっていた。ハーフマラソンや短い距離のロードレース、クロスカントリーなどはそのつど大会があるそうだが、マラソンは年に一度きり、1月初旬に催されるこのティベリアマラソンである。ある程度の賞金が出るので、男子の部はエチオピアやケニアの選手が賞金稼ぎに来ている。女子の部はイスラエル人女性が2時間40分台前半のタイムで常勝しているそうだ。


写真上:イスラエルのオリンピックランナー、ニィリィ・アブラハムスキーさん、大阪世界陸上にも来日。

マラソンの舞台は海抜マイナス200Mのガラリア湖畔。滞在先から車で2時間ほどだ。朝9時のレースに備えてランナー仲間が車を乗り合わせて出かけること、早々に到着したと思っていたらまだ私たちよりも先着のランナーたちがいて早くも軽くウォーミングアップをしていること、多くのスタッフが忙しそうに横断幕を張ったりして準備していること、など、日本で見かけるマラソン大会の風景とまったく同じだ。


写真上:AIMS公認レースでスペシャルドリンクの受付もあり

マラソンだけのエントリーは500名ほど、そのほかに12キロのレースが併設されていて、受付はシェラトンホテルのラウンジだった。アントニオのランニングクラブのメンバーにくっついていって受付を済ませるのだが、一緒に行動していたアビ・アペルは当年とって50歳のベテランランナー。ベスト記録2時間28分を持つ彼はランナーの知り合いが多く、10歩あるけば友人に出会い、そのたびにぎやかにお互いの参戦をたたえあい、健闘を祈りあい、ランナーの交流が深まっていく。


写真上:ランニング仲間

「ヒロコ、僕ノ友人ニ会ッテ。サア、ミンナ、日本カラ来タヒロコダヨ。」とわたしも紹介してもらっていた。「彼女ハトテモ走ルコトガ好キデ、too many marathon races、11月ニ東京女子マラソン、12月ニホノルルマラソン、ソシテ今日、イスラエルノチャンピオンシプヲ走ルンダヨ。」と解説してくれた。

そのアビ・アペル氏に言わせると、「マラソンハ人生ノ泉、ワキアガッテクルモノハ何物ニモ代エガタイ、人トノツナガリモマタ、マラソンヲ通ジテノカケガエノナイ出会イ。」と。ランナーとしてのわたしは完全に同意でき、ランニングは世界共通であることを再認識するのであった。


写真上:フランスのレースで出会ったイスラエルのラン仲間イアールと再会、中央にアビ

アジア系の人種をまったく見かけない中で、日本人男性4名を発見。彼らも、どこから見ても日本人にしか見えないわたしに気づき、話しかけてきてくれた。シリアとの国境近くのゴラン高原に派遣されている日本の自衛隊の若者だった。

1996年以降、ゴラン高原において日本の自衛隊45名が継続活動中であり、彼らの任期は6ヶ月でこの2月に任期を終えて帰国するとのこと、市民ランナーではないのだが、初マラソンをこのイスラエルの地で走ることにしたそうだ。ティベリアマラソンはゴールまでの制限時間もないというが、初フルが中東、なんて、めったにないことだ。自衛隊所属でイスラエルに派遣されること自体、平穏に慣れたわたしにはとてもたいそうなことに思えた。


上の写真:家族ぐるみの応援団

適・当~~にウォーミングアップを済ませ、保温のためのビニール袋をもらっていつもと同じように身体を覆い、スタートラインに移動した。これまたいつもと同じように、前から数えて早いところに陣取った(少し遠慮して、3列目!~チャンピオンシップの割には申告タイム制のスタート位置もなく、自由にスタート地点に並んでいた。)前のほうから報道カメラマンが写真を撮っていたが、残念ながら体の大きい欧米人やすらりと長身の黒人にまぎれてしまい、どうやらカメラには収まらなかったようだ。先行の車椅子のレースを見送り、いよいよスタートだ。 

   
写真上:スタート直後の様子


上の写真の中央左より、黒のTシャツに赤のスパッツがわたし 

ドン、とスタートしてしまえば、あとは自分の感性で走るのみ。3日前のスピードチェックの2キロを7分27秒で走っていたが、最近の練習量の少なさから考えて脚が持たないと思われ、全長を3時間10~15分を目標に走ることにしていた。

キロ表示が1キロごとにあり、ほぼ平坦なコースなので、時計を目安にしやすい。最初の1キロが穏やかに下っているので4分1秒で入ってしまったが、その後はうまく目標の1キロ毎4分30秒前後のペースに戻すことが出来た。

湖沿いで走路が平坦だと少し退屈かな、と思っていたが、ゆるやかにカーブしたりごく穏やかなスロープになったり、とコース自体は極めて走りやすかった。

が、海抜-200メートル、まわりを山に取り囲まれているためか、吹き降ろす風に悩まされた。幸いにして太陽に恵まれたので、吹く風は冷たい風ではなく、追い風になったときには汗が流れ暑いと感じるくらいだったし、向かい風にしても体が冷えてしまうような風ではなかった。

なるべく体の大きなランナーを風除けにして走ろうとしたが、後半はランナーがばらけてしまい、壁のように感じる風と重たくなってしまった脚、二重苦になってしまった。



脚が重たくなってしまうこと、これもまあ、いつものことである。今回は異国の美しい風景に後押しされ、フィニッシュで待っていてくれているであろうアントニオが手繰り寄せてくれているような感覚で、最後までなんとか脚を動かし続けることができた。最後の1キロは街区を小さく一回りするので声援も多く、いつものごとくとても気持ちよくフィニッシュゾーンに走りこむ・・・。

    

リザルトは3時間14分7秒。女子総合5位、35-44歳の部で2位だった。最近のわたしは記録にも順位にもこだわらない。レースを満喫することが第一目標だが、はるばるイスラエルの地まで来て、トロフィーをいただくとやはりうれしさ格別。「来年モゼヒ来テクダサイ。」~日本の市民レースでもいつもこのように言葉をかけてもらうのだが、はるか離れたfar eastからも再訪のチャンスがやってくるだろうか?
 
最後に、イスラエル、という国に関していかに自分が無知であったかということを知らしめられた旅であったという事を付加しておく。

18歳以上の男子3年以上、女子2年以上の兵役を義務としているイスラエル軍隊は、狭い国土(=日本の四国程度)と限られた人口(約663万人=2003年現在~ちなみに日本のランニング愛好家人口は600万人程度、といわれている)、そして軍事力を含めた資源の量的制限から、最小の損害で、可能な限り短期間に脅威を排除することが必要であるというイスラエル国家の特性から来るものである。そして、一度でも敗北すれば国家の生存が危うくなる事情から、最も軍事的合理性を追求した政策がとられている。ただし近年、中東和平の達成および人的、物的損害を避ける観点から過去に比べて軍事力の行使には抑制的になっていると見られる(=web-site=外務省→各国・地域情勢→中東→イスラエル、による)。


写真上:中央にいまはカイロプラクティック技師のシェミ(ロス五輪マラソン代表選手)

実際に出会ったイスラエルの人々は、美しい風土の中で人生を謳歌している人々であり、とりわけ訪ねてくる他者に対して寛容でありもてなしの心にあふれ、「ワタシノ家ハアナタノ家ダト思ッテ、ユックリ過シテイッテクダサイ。」とみな歓迎してくれるのである。わたしのイスラエル滞在もホームステイという恵まれた環境であり、外食は一度もなし。

空港到着直後に「外貨ヲ両替スル必要ハナイカラネ。」と言われ、三度の食事をホームステイ先でいただいているか、または訪れた友人宅でいただいているか、はたまたキブツと呼ばれる共同生活体のダイニングルームに紛れ込んで食べているか・・・。いずれにせよ、国交のないレバノンとの境である北部辺境地帯に滞在していたものの、ほんの数年前の情勢とはうってかわって、落ち着いた穏やかな環境であった。

たしかにランニングチームのメンバーにも、兵役が明けたばかりの二十歳代前半の若者がいたのだが、彼らにとって兵役は「important=大事なこと」であり避けて通ることのない当然の事のようであった。

また、今年の10月から兵役に向かう高校3年生(=18歳以上で兵役義務が発生する)のアントニオの長女によると、「国ヲ守ルノハトテモ大事ナコト、今マデノイスラエル軍隊ハディフェンスニ廻ルコトガ多カッタ、デモ、近年ハアタックスルコトモ多クナッタ。ワタシタチハアタックスルコトヲ好マナイ、守ルコトガ大事。」と、兵役前の素直な気持ちを語ってくれた。

イスラエルでは、国家予算のかなりの部分を国防につぎ込んでいることから、国民の生活もけっして富にあふれた贅沢な生活ではないが、質素ながらももてなしの心がわたしの心に溶け込んでいくイスラエル滞在であった。

イスラエルを語るにあたって、ユダヤ人の敬虔な物腰をはじめとする彼らの特質を語らざるを得ないのだが、まだまだ私自身の理解がそこまで(=わたしがユダヤ人のことを語る)までに至っていないので、その機会を待つことにする。~異文化、そして単一文化の中で穏便に育ったわたしには、理解以上のものがあるので、語ることは遠い道のりであろうが・・・。

確信できたことはひとつ、走ることへの気持ちは国境を越えて同じくするものを感じることが出来た。こんな市民交流をきっかけに、友人の出来たイスラエル国、はるかなる中東の国だけれどもとても身近に感じることが出来るようになって来たのである。

(このレポートが東京のYokoさんによって英訳され、さらにイスラエルのアビさんによってヘブライ語に訳され、イスラエルのランニング雑誌に掲載されました。)

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<ティベリアマラソン情報> 
・ イスラエル唯一のマラソンレースで、イスラエル選手権として開催。
・ 12キロロードレース併催。
・ レースは例年1月の第一木曜。
・ 開催地は北部ガリラヤ湖畔のティベリア発着。湖の南側を半周して折り返し、同じコースを復路とする。ガリラヤ湖は、海抜-200mで、世界で一番低いフルマラソンレース。同国の死海は海抜-400m。ハーフマラソンあり。
・ 年代別各クラスあり、3位までトロフィー授与。
・ web-siteはAIMSのトップページからカレンダーをクリック。
・ 2005年が第28回大会。
・ 歴代記録:男子Mogaes Taya=2:12:45、女子Marya Starovska2:34:17

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<ティベリアへの行き方>
 イスラエルの国際空港テルアビブ・ヤッフォーから、国鉄が発着、北上する線に乗り、ハイファ駅下車(約1時間20分)、そこからティベリアまでバス路線あり(約1時間)。または、テルアビブからの直行バスもあり(約2時間半)。ティベリアは温泉のあるスパ・リゾート地なので、シェラトンをはじめとするホテルがたくさんあるし、日本からも予約できる。


いつもご声援ありがとうございますm(__)m


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4 Comments

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精力的に・・・ (ぢぃり)
2009-01-08 20:45:13
目的のところに躊躇することなく旅立っちゃうまどもわぜーる。本当にうらやましいぞ。
こちとら16000円の航空券を買うのだってしんどいしな!
いま、イスラエルの情勢は本当に不安定だし、何が起こるかわからない中東。それでも行っちゃうマドモワゼールはほんとにすごい!

気をつけておうちに帰ってよ!
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わぁ・・・懐かしい・・・ (Yoko)
2009-01-09 12:04:16
ヒロコさ~ん。

懐かしいレポート。たった3年前なんて信じられない。
今、改めて読んでみて、あの頃には感じなかった人との出会いの素晴らしさをシミジミ感じてしまったよ。
素晴らしいレポートですよ、本当に!

その後、ヒロコさんはあれよあれよとルーマニアへ・・・京都再会で頂いたイスタンブール土産の葉書、今でも我が家の壁に貼ってありすよ!

昨日、アビは無事にマラソン完走したそうです。
マラソン前夜、我々日本チームのサポートのために
夜中11時まで仕事してくれたのに・・・
「最近出張多かったから満足な出来ではなかったけど、参加できたことが僕には宝!!素晴らしい雰囲気!!フェスティバルだよ!!!!!」
と帰りの車から電話をくれて、
「マラソン後でこんなにハイ・テンションなの?」
と夫も私もびっくりでした。
マラソンはアビの若さの源ね。
スタッフの皆さん、ヒロコさんのことよく憶えていて、「今年は?」っていつも聞かれるそうです。
お体大切に、
いつかまたイスラエルで走ってください。
そのときは、私らも応援に行きますから!
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ぢぃりさんへ (マドモワゼル・ヒロコ)
2009-01-09 13:33:08
行ったのは2005年ですよ~、びっくりさせてごめんね。今のこの情勢でマラソン大会が無事に開催されるのかと案じながら、当時を思い出していたところ。
でも、人の暖かさを感じるイスラエルの地、また訪ねてみたいです。
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Yokoさんへ (マドモワゼル・ヒロコ)
2009-01-09 13:36:33
嬉しい知らせをありがとう!ナハリヤにロケット弾が着弾したのがマラソンの朝というから、とっても心配していました。
みんな無事だったんですね、そしてマラソン大会も。マラソンどころではないだろう、という声も聞こえてきそうですが、国策に左右されない芯の強さを感じます。
来年はこの時期、日本には里帰りしない予定、ということはもしかして、冬の厳しいヨーロッパを脱出して温暖なイスラエルを訪ねるプランも???
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