ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

道に迷いながらもゴール!

2007-09-01 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


朝7時のスタート、ワンウェイの50キロ山岳マラソン、まだ薄暗い6時に主催者手配のバスに乗り込みスタート地点に移動します。わたしは遠くから参加しているほか二人のランナーと一緒に主催者のユリウスさんのお宅に泊めてもらったので寝坊の心配なし、4時半起床で行動開始です。
 


心配なのはお天気です。夜半からの雨の音で目が覚めてしまい、家を出る頃には雨は止んだもののまだ降りそうな気配。ユリウスさんは雨の準備をしていなかった私にウインド・ブレーカーを貸してくださいました。標高1235mのスタート地点では長袖Tシャツ+ロングタイツ+手袋だけでは寒くて、小雨も降りだし、ウインド・ブレーカーを着込んでの出走となりました。
 


レースは全面オフロードの山岳マラソン、ここから標高1495mまで上がり、その後は下り中心、ラスト13キロでハーフ・マラソンのコースに合流し標高930mのチェックポイントを経て、標高655mのペンシオーネ・シュタ前がゴールです。
 
ハーフのコースに合流するまでは給水ポイントはなし、それまでに必要な水と食料などを自分のリュックサックに詰めて走るのがルールになっています。
 
今回新設されたこの50キロのコースに挑む男子の筆頭は、240キロ余のサハラマラソン完走者。ここらあたりでは有名な「ベケシャバ・アラド・マラソン(下に注1)」200キロの完走者でもあります。「男子3名+女子1名」のチーム部門には2チームが参加。女子の個人参加者は私ともう一人。
 
けれども夏の初めから6週間の間に3本のマラソンを走り、しかも3本目は46キロスーパーマラソン、疲れをためてしまった私はこのレースにはLSDとして参加、スローペースのジョギングに徹します。
 
「スタート後、2キロ程ノ所ニ、野犬ガ多イカラ、ソコマデハ、ミンナ一緒ニ行クヨウニ。」と主催者のアドバイスを受けて、かたまりでスタートしていきます。さっそく穏やかなのぼり、細長い1~2列になりました。
 
先頭集団は1チームを含む6~7人、すぐに離れて行き、続いて個人ランナーが3~4人、私はもうひとつのチームと一緒に走っています。ほぼ同じペースで黄色ジャケットの男性個人ランナー1人。アルバ・ユリアから参加の73歳最高齢ランナーは自分のペースで最後尾となっています。
 
山岳マラソンとはいえ日本でのイメージとは異なり、ごく穏やかな稜線を見せるルーマニアの山々。主に放牧に使われている山なので、緑の丘陵地といった感じです。尾根伝いを走っていきますが、登りも下りもごく穏やか、岩場もなく楽に走れる傾斜です。
 
ゆっくり走り始め、身体も温もって来て雨も上がり、周りの山々は眼下、気分も上々になってきました。霧も晴れてきて、自分がすべてのものの上を走っているような風景。緩やかな斜面は緑の牧草地帯、ところどころに森が見え、深くはない谷も見られます。パノラミックな絶景とはこのことです。

LSDですがあまりゆっくり行くのももったいないような景色。自分のペースで走りたくなり、グループから抜け出しました。トコトコトコと走ること1時間余り、砂利道と緑の道の四ツ辻に出ました。コース標識がうまく見つかりません。

ここで後のグループを待っていればよかったのですが、立ち止まりたくない私は直進。緑の尾根道をまた登り始めました。が、これが間違い。10分以上走って前方見通しの利くところで、まったく前に誰もいないことに気付きました。前のグループとこんなに離れていなかったはず。来た道を引き返すことにしました。

引き返す道中でも後続のグループに出会いません、選んだ道は完全に間違いでした。四ツ辻迄戻り、コース上で右折する形で砂利道をたどり始めました。ロスタイム20分以上。この地点で私は完全に取り残されてしまいました。私の後ろは73歳最高齢ランナーだけです。

しばらく走っていると、マーシャル(=コース管理)のマウンテン・バイク隊3名が追いついてきました。ああ、この道で良かったんだ、と確認できたし、バイク隊からキャンデーをもらって気分を取り直しまた走り始めました。

バイク隊に追い越され、また一人に。でも道には、ところどころ自転車の車輪のあとが残っています。ぬかるんだところには先のランナーのフット・マーク(=足跡)も残っています。これらを頼りに走ることにしました。いくつかの牧場を通り抜け、羊や牛たちに出会い、脚も動いています。

スタートから2時間余り走るとまた、分かれ道に出ました。やや上に登っていく左側の道と、やや下っていく右側の道です。もう、コースの最高地点は越えているはずだから、くだりかな?標識もうまく見つからず、見当だけが頼り。

分岐点から走り始めると緑の木の枝にリボンが結び付けられています。これが標識かな?きっとそうだろうと思い走り続けるといくつかの間隔でリボンあり。間違いないだろう、と穏やかなくだりを走ります。

が、かなり走ってから車(馬車かもしれません?)のタイヤの跡はあっても、自転車の跡がないことに気付きました。でも、リボンが結んである道だし?不安になりながらもまだ、走り続けます。大きくぬかるんだところでランナーの足跡も自転車の跡も見つからず、この道が間違いであることに気付きました。

けれども分岐点からかなり走ってきています。この時点で完全にもとのコースに引き返す気力を失ってしまいました。いま走っている道は、道幅も広くなってきていて下ってもいるし、なんとなく人里も近そう。自力で下山することにしました。どこの村でもいい、とりあえず下りて行けば何とかなるはず。

まだ、朝の9時半過ぎ、天気も持ち直しているし、リュックには充分な水と簡易食も入っているし、勝手異なるルーマニアの山とはいえ、下り方向に走っているとそのうちに誰かに出会うだろう、と気分を取り直しました。

もともとレースとして参加したのではなく、マラニック気分、無理せず走ってきたので脚も元気だし、その日のうちにはミエクラチュックにたどり着けるだろうとサバイバル。

走り続けて不安になる間もなく、ほどなくして羊とヤギの放牧地帯で世話をしている子供2人に出会いました。「ミエクラチュックハ、コノ道?」「ウン。」、話しかける私を見てものすごく不思議そうな顔で答えてくれました。子供達にとって初めて見るはずであろうアジア人、ルーマニア語もたどたどしく、しかもリュックを背負って走ってきているのです。

「マラソン、見タ?」「??」、「ランナー、見タ?」「??」、子供達、何のことかわからない様子。胸に付けたナンバーカードを示して走るまねをします~「知ラナイ。」、ああ、やっぱり間違いだったんだ。でも、ミエクラチュックはまっすぐ下りて行けばいいとのこと、「ドレ位、カカルカナ?歩イテ3時間?4時間?」「2時間」。子供達、しっかり答えてくれました。

しばらく行くと木材置き場。ひと気はありませんが重機も置いてあり、人里に近づいていることを確信。そして予想通り集落に出ました。庭仕事をしているおばさんに「ミエクラチュックハ、コノ道?」「エエ。」、またまた不思議そうな顔で答えてもらいました。

「何時間位?」「1時間半。モウスコシ行クト、左ニ曲ガッテ行クノヨ。」と親切に道を教えてもらいました。ふむふむ、子供の脚で2時間、大人だと1時間半、とりあえず進んでいけば間違いのないことを確信。そのとき時刻は朝の10時過ぎ、余裕で帰り着くことが出来そうです。

だんだん家も多くなってきて村です。人も通りに出ています、農作業や工事の人もいます、みんな私を見てものすごく不思議そうな顔です。無理もないです、ここらあたりの田舎で見かけることのないアジア人、しかも胸にはナンバーカード、ぬかるんだ道もあったので足元はかなり汚れています。

いくつかの交差点に出会いましたが、道を尋ねるのに苦労はしませんでした、ここは村なかの道なので、人も適当に往来しています。「ミエクラチュックハ、アソコダヨ。」、街の中心部の建物やブロックハウスが見えるところまで出ました。

目で見えるところまで走っていくのにそんなに時間はかかりません。「アスファルトノ道ヲ辿ッテ行クト、ミエクラチュックダヨ。」、村なかの道は土の道、市街地に通じる道がアスファルトなのです。じきに市街地に入りました。

市街地も市街地、チェントラル(=市の中心街)を横断する形になりました。ここまでくると見知った街です。過去3度ここに来ているのですから、もう、道順はわかります。街行く人がみんな、見てくれます。ナンバーカードをつけたままなので「マラソン?」と訊いてくれる人もいます。どんなに不思議そうな顔で見られても、にこっと笑って手を振ることにしました。

チェントラルから3キロほどでペンシオーネ・シュタ、ゴール地点となります。近づいてきたとき腕時計を見ると、走り始めてほぼ4時間。う~ん、道に迷ってからは途中でかなり立ち止まったし、トイレも3回、いや、4回かな、どう見積もっても走行距離40キロには満たないです。

今日の目標はLSDで5時間以上走ること。このまま戻ったのでは走行距離も時間も目標に達していません。何のためにここまで来たんだろう、ブカレストでは決して走ることの出来ない山道を走るためです。

ゴール地点手前から、ループ状の5キロのコースがあります、昨日の夕方、子供達も一緒に設営を手伝ったコースです。ゴール会場に戻らず、いったんこのコースを走り、フィニッシュラインを駆け抜けることにしました。このままとぼとぼとゴール会場に戻るのはコースの逆走になるのです。

まだ脚は動きます、そうと決めてれば、トコトコトコ。集落を通り抜け、緑の牧草地の中のコースに出て行きました。たしか5キロコースのスタート時刻は10時半、いまは11時過ぎ、かなり遅い目のランナーが走っていてもまあ、許されるでしょう。

中間点でコース・コントロール、ナンバーカードにチェックを受けました。昨日一緒にコース設営した子供達がチェック係をつとめています。「50キロコースヲ走ッテイタケド、道ヲ間違エタノ。」「頑張ッテネ。」

途中からハーフ・マラソンのコースと合流します。50キロコースもすでにコースに合流しているので、3コースが一緒になってラスト2キロ余りを走っていきます。見覚えのある黄色のジャケットのランナーが上から下りて来ました。一緒に50キロのコースをスタートしたランナーです。嬉しくなって手を振りましたが彼はかなり疲れている様子。ラスト1キロ足らずを一緒に走り、一緒にゴールしました。4時間22分が審判の計測してくれたタイムでした。



「デモ、道ヲ間違エテシマッテ、人ニ訊キナガラ、村ヲ通リ抜ケ、チェントラルニ出テ、此処マデ、戻ッテ来マシタ。ツイデニ、5キロノコースヲ走リ、フィニッシュシマシタ。」、私の話す様子に審判員一同、大笑い。ナンバーカードをつけた私に出会った村の人たち・市街地の人たちの不思議そうな顔を思い浮かべていたのでしょう。私が元気に戻ってきたので、すべてが大笑いになりました。

50キロのコースの最高タイムは3時間25分。女子トップは3時間43分。チームの一番は3時間57分。コースを完走した人に尋ねると「50キロハ、無イト思ウワ。」ここらあたりのメンバーは何人かずつまとまって走っていたそうです。道を探すのに苦労した、とも。地元の人でもそういうくらいなのだから、私が間違っても当然。それにしてもへとへとになる前にちゃんと戻れてよかったです。

あとで訊くと、コース最後に私が出会った黄色ジャケットの男性ランナーも道を間違えたそうです。だからあんなに疲れている様子だったんだ~彼は地元ランナーです。

さらに審判員が言うには、50キロコースを2時間半でゴールした人あり。世界記録?~この人も道を間違えたそうです。この記録はカットされましたが、私と黄色ジャケットの人の記録はそのまま認めてもらえました。黄色ジャケットの人は地元ミエクラチュック市在住の1番ゴールとなりました。

賞金レースではなし、参加し山の景色を楽しみ、長距離を走って戻って来ることが先ず第一。マラニックで参加した私も女子2位の賞状をいただきました。主催者の趣旨が伝わってくる大会です。

スタート前に小雨が降っていたのでカメラを濡らしたくなかったため、デジカメを持って走るのを断念、あのパノラミックな風景は私のまぶたの中です。次にまた機会があって晴天に恵まれれば、絶対にカメラを持って走ります。あの風景は日本では見られない、この土地だけのものです。元気に走って来ることが出来て、本当に良かったです~。

一番上の写真はハーフ・マラソンと5キロコースのスタート地点。2番目の写真の砂利道を下り、いったんアスファルト道に出て、山に向かって登っていくのがハーフのコースです。



途中でこんな風景に出会います。目の前を羊が道路横断していることも・・・突然現れてトコトコと走っていくランナー達に羊達の横断も中断してしまうこともあります、ごめんね、びっくりさせて。

(注1) ベケシャバ・アラド・マラソン(Bekescsaba⇔Arad)



 ルーマニアと西隣の国ハンガリーを結ぶ国境越えのあるウルトラマラソン。初日ハンガリーのべケシャバからルーマニア西部の都市アラドへ103.8キロ、2日目アラドからべケシャバへ93.1キロを戻っていきます。同じルートを4人でつなぐ駅伝もあります。写真は2003年にチームリレーで参加したマイダーリンの参加賞Tシャツのバックプリントより。




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