ROMAのCAFFE'でおしゃべりを

Due chiacchiere al caffe’ di Roma

愛してたよ~

2009年05月05日 | わたしのこと


あ~あ、また懐かしくって、今でもまだ胸がキュンとなるような感覚を感じさせてくれる数少ない人が逝ってしまいました。

 忌野清志郎。

 訃報を聞いていろいろなサイトを検索していたら、こんなものにぶち当たってしまいました。すごい・・・。日本でもこんなことできたんだ。こんなこと、ふざけた感じに見せて(でも実はメッセージ入ってる)、軽~いノリでできちゃう人もいるんだと、ちょっとびっくり。大人だけど社会への小さな反抗。でも重くないのがいいんだなあ。日本人で、皮肉とかユーモアを強烈に、でも重くなく表現できる人は少ないと思うから。
 
タイマーズ YouTubeより


これは今回の訃報に対して「心の美しさが歌に表れている人でした。」と言ってらっしゃった矢野顕子さんとのデュエット。とってもきれいな曲です。

矢野顕子&忌野清志郎 「ひとつだけ」


でも、でも、何といっても私にとっていちばんの思い出の曲といったら「雨上がりの夜空に」でしょうか。もう学生時代に完全に簡単に戻れちゃうというか、あんまりああいう甘酸っぱい感情(恋愛的なことに限らず)って好んで思い出したくない方なんですけれど、この手のせつなさって年をとるごとに感じにくくなるじゃないですか。だから久々に昔の音楽とか映像を見るのは、使っていない感情の器官を刺激するという意味では、かなり重要ですね~。

 RCサクセション 「雨上がりの夜空に」


うちのレオさんは、例えばお料理が全くできないとか、掃除機をかけてもそのあとに埃や髪の毛がわんさか残っていたりとか、私としてはけっこう小姑のように言いたいことは山ほどある人なんですけれど、でもそんなことはどうでもいいくらい気があうのですね。ただ、いつも残念だと思うのは、彼と過去の時代の共有ができないこと。今回も清志郎の歌を何曲か聴かせましたが、やっぱりあの私が若かった頃の感情をこの曲からわかれと言ってもかなり無理があります。音楽って、自分が生きてきた背景も関係しますから。さらに日本語のリズムって、洋曲(ロック等)に合わせるとすごく変なんですって。だから無理矢理聴かせてもぜんぜんわかってくれない。これが少し哀しいかな、と・・・。

ブログを長らくお休みしていたのですが、どうしてもこのことは忘れたくなく、いきなり書いてしまいました。また後日、もう少していねいに書き直すかもしれません。あまりの乱文、失礼いたしました。


秋風と共にサングラス

2008年09月28日 | わたしのこと

あっというまに夏が過ぎ、ここ数年恒例の『昨日までは真夏でしたが、いきなり今日から晩秋ですか?!』状態に、突入しました。夏があまりに暑くまた長すぎて、秋の訪れを待ちに待っていたのでこの涼しさはありがたいのですが、やっぱり普通じゃないですよね。不安になります。ただこの涼しさで、PCはなんとか頑張ってくれているようです。

う~ん、ここまで長くお休みが続いてしまったため、何から書いてよいのかわかりません。それで今日は軽く(なぜか)先日衝動買いしたサングラスのお話でも。それにしても、夏が終わったというのに今頃サングラスとは。さすが私・・・。 最後にサングラスを買ったのは、たぶん3~4年前。今かけたら相当な流行おくれとしか言いようがない、イタリアでは一世を風靡したフレームなしのアイマスクタイプで、グラスの色が薄いもの。これはさすがにもうかけられない。

その日はぜんぜんサングラスを買う予定はなかったのです。眼鏡屋さんに注文しておいたO2コンタクトレンズを取りに行ったのですけれど、そうしたら魅力的なサングラスがたくさん並んでいるではありませんか! 眼鏡屋さんでいろいろ試させてもらうのって、何となく億劫ではありません?ちょっと恥ずかしいし・・・。日本人的に“あまりたくさん試させてもらうのも悪い”とか、意外にも私、その辺では弱腰派なもので、必要なくお店に入って不必要に働かせるのが嫌い。でも、ここのお店はもう長いおつきあいで、ぜんぜんそういう遠慮がいらないものですから、気になっていた形に是非トライしてみたい気になったのですね。お店の奥様がなかなか商売上手で「近眼の人は白内障になりやすいから、冬でもサングラスは必須よ~」なんて言うし。

さて、ここ最近私の心をときめかせていたサングラスと言えば、アンジェリーナ・ジョリーがよくかけているのを見て一気にその気にさせられてしまった『トム・フォード』。まあアンジーと自分を重なり合わせることは、犯罪に近いことは百も承知。でも横から見るとフレームとレンズの間に隙間があるこのタイプ、なぜだかわけがわからないのですが、私的に完全にヒットしてしまったのですね♪

こちら↓も非常に美しい。エレガントだわ~

海外にお住まいの日本人の方々には、私が眼鏡屋を恐れ、哀愁まで漂わせてしまう気持ちがよくわかってもらえるのでは。欧米人のメガネやサングラスのフレームが、我々日本人には哀しいほど合わないんですね。何せ骨格(この場合顔の骨格ですね)がこれほどまでに違うか、というほど違いますから。特に致命的なのは、目と目の間の鼻の一番低い部分。この部分に骨がないために、骨がある人用に作られた芸術品を私がかけると、鼻に引っかからずに頬の高い位置で引っかかってしまう(爆)したがって、サングラスが安定感のない宙ぶらりん状態になります。

トップガンの時代から、常に私のあこがれはこの↓ドロップ型でした。でも上記の理由から、これは完全に却下せざるを得ません

これは私にとっては完全にやばいタイプ

これはさらにダメかも・・・

今日のトピックスの最初の写真は、今回私がゲットしたもの。ちょっとなんちゃってトム・フォードって感じじゃありません?実はこのグラスが大きなタイプ、私にとってはいつもの悪夢で頬骨でとまるんじゃないかと思っていたんです。ところが、不思議なことに大丈夫だったんですね。なんて幸せなの♪

海外にお住まいのみなさま、サングラスでお悩みの時はこのタイプをお勧めします。このデカ・グラスは、一応今のところまだモードな感じが漂いますし。秋になるとファッションに力を入れたくなります。秋風と共にサングラス。そんなのもありかな、なんて。

ちょっと自己満足の世界。

 


PCが・・・

2008年08月15日 | わたしのこと

昨年のバカンス時の写真


みなさま、ご無沙汰しております。コメントの返事が遅れましてすみません。実は、コンピューターの調子がいまいちなんです。以前も夏にこんなことがおこりまして、あの時はハードディスクが壊れて変えなければいけなかったのですけれど、今回も嫌な予感・・・。おまけにこの暑さ。できるだけコンピューターは稼動させないようにしております。

そんなわけで、様子を見ながら更新していくつもりです。お返事、もう少しお待ちください。せっかくの夏休みなのになあ、もう少しブログ三昧できるかと思っていたのに。

みなさまは、よい夏休みをお過ごしくださいませ。





有給休暇に命をかける 2008

2008年06月29日 | わたしのこと
夏休みシーズン到来です。

みなさま、昨年は夏の有給休暇において、同僚にしてやられた私を覚えておいででしょうか?覚えていらっしゃらない方は、こちらをどうぞ。

有給休暇に命をかける(1)
有給休暇に命をかける(2)



今年のバカンス予定地


もうどうでもいいんですけどね(ちょっと投げやり)。日本人のサガで、有給休暇取得ににここまで心身ともにのめりこむことが不可能だと自分で十分納得できましたので。ただ一応みなさまに、今年はどうなったのかご報告だけでもしておこうかと。

結論から言うと、見事に今年も撃沈されました、例のアルゼンチン人に・・・

うちのレオさんの働いている会社は8月の2・3週目が完全に閉鎖されるため、社員全員有無を言わさずその期間に夏期休暇を取らされます。そして私の同僚アルゼンチン人のA子の彼も同じ時期がお休み。これが私たちが毎年対決をしなければいけない単純な理由なんですね。

今年もいつものごとくみんなの夏期休暇にかける意気込みは深く、非常~に深く、2月(!)からその期間について社員全員で討論開始、もちろん年長からその期間は確保され、今年も私とA子がハズレをつかまされることになりました。8月の休みは1・2週と3・4週で分けないと、他の人たちと重なってしまうため、もう物理的に無理なのは目に見えています。

そこで部長は私とA子に言いました。
「8月の中間期間に2人ともというのは無理なので、前期と後期で分けるように」

昨日まではそれで一応収まっていたのです。ただ6月に入り、新入社員が何人か入社したことから以前休暇期間を決定したときよりは、いくらかシフトが楽になってきていたんですね。そこに目をつけたA子。

A子「一緒に部長に2・3週目に休みを取りたいって言いに行こうよ」

私 「 部長はもう無理だって言ったじゃない。私は同じことを聞くのは嫌よ」

A子「だったら私ひとりでお願いしに行くわ」




そしてその結果・・・

彼女は希望通りの期間をゲットしたわけなんですねぇ。恐るべしアルゼンチン魂・・・。いや、昨年も彼女は部長ともめにもめ、やっぱり無理矢理希望の期間に休暇を取ったのですけれど、そのことがネックになって、後からネチネチとけっこう陰湿ないじめにあったのです。そのほとぼりがやっと冷めたのが数ヶ月前だって言うのに、今年も同じ暴挙に!!!彼と一緒に休暇を取るためなら仕事上のリスクは一切恐れないというこの身上。やっぱりへなちょこの私がその肝っ玉にかなうはずもなく。

部長は、私と彼女が同じ期間を希望していたことを、忘れていた・・・。それでお願いに行った彼女にだけ許可を出したわけ。それはないんじゃないの、部長~。

くやしいけれど、私にはあの度胸はないからなあ。今年もこれで良しとするか・・・。

来年こそは、ぜったいに希望期間に休みを取るぞぉ!って心に誓ったわけですけどね。まあ、去年も同じこと言ってましたし。来年の報告も、あまり期待しないで待っていてくださいませ。何せへっぴり腰でA子に戦いを挑んでも、あまり勝ち目はありませんからねえ。これが私がこの会社で働いた2年半で学んだことのひとつでしょうか。(こんなこと学びたくなかった・・・)





小さなプレゼント

2008年06月18日 | わたしのこと
私には多くの女性が好むことが、あまり好きではない場合が時々あります。

例えば、現在イタリアで上映中の『Sex and the City 劇場版』ですが、たいてい若い女性(&ゲイ友)に聞くと皆が口を揃えて「見たい!」って言うのですね。これだけ人気のあるTVドラマだったわけですから、私も以前何度かトライしたことはあるんです。でもまったくその面白さが理解できず、もちろん『デスパレートな妻たち』もダメでした・・・。かといって、それ系の超表面的お気楽ドラマがダメなのかというと決してそうではなく、『ブリジット・ジョーンズの日記』なんて大好きですから♪ お気楽ドラマの代名詞、ヒュー・グラントちゃんの大ファンなんです。その辺の基準がまったくわけわからないのですけれどね。

そんなへんてこ思考の私の、プレゼントに対するこだわりについて今日はひとこと。





昔は私も、人から何か贈っていただいた時には純粋に大喜びしていました。ところがそれから何十年も経ってしまった現在、誕生日&ヴァレンタイン&クリスマス・プレゼントの重要性が見出せず・・・。私が今話しているのは、友人や知り合い同士のそれではなく、カップルでの贈り物についてなんですけれど。

誕生日の時は、プレゼントよりもおいしいものをたくさん作り(←自分作でO.K.)、いつもよりいいワインを開けて相手にお祝いしてもらうととてもうれしい。相手にも同じように手料理でお祝いしてあげたいと思います。あるいは、普段家で食事ばっかり作っている私へレストランでの夕食をプレゼントされてもうれしいな。

なぜ行事的なプレゼントに興味を示さなくなったのか自己分析をしてみると、まずパートナーからのプレゼントはある程度金額がはるために、自己選択の失敗を恐れる男子たちは相手に欲しいものを選ばせ、プレゼントすることが多い。そこでかなり形式的な感じになってしまいますよね。男子よりは買い物上手な女子たちは、自分たちで選択することが多いでしょうが、そのプレゼントも必ずプレゼントが届く日に届く、それもセーターだとかスニーカーだとか、やはり実用的なものであってビックリ感は低い。

自分が働き始めて大抵のものは自分で買うことができるようになった、というのが大きな一因のような気がします。物欲も若いときと比べたら、もうすでに枯れてますから(笑)そうそう欲しいものもなく、まあ家は別として(笑)

ところが最近味を占めたプレゼントの方法があるのです。

私が最近レオナルドに贈ったプレゼント。
贈った理由は、あることで彼が落ち込んでいたから。少し元気になって欲しかったから。

贈り物の候補は、光熱費の支払いで行った郵便局で偶然見た、DUCATI(レオのバイク)の記念切手シート。ただこれは切手4枚で14ユーロもしたので、別に彼は切手のコレクターでもないし、すぐに却下しました。それでその後買い物に行ったスーパーで見た、ブラッド・ピットの最新作『ジェシー・ジェームズの暗殺』のDVDに決定。だいたいレオはウエスタン映画が大好きで、結局逃してしまったけれどこの映画は劇場に見に行きたがっていたし、DVDも買うんだとはりきっていたから、まあ手堅い選択でしたね。

仕事から疲れて帰ってきたレオは、暗闇の中で自分の机の上に何か乗っているのを発見♪

レオ「何これ?」

私「ふ・ふ・ふ」

レオ「(ブツが何であるか気づき)あっ~!!!」

私「元気なかったからね、ちょっとしたプレゼント(pensiero)」

いや~、喜びましたね。イタリア語でsorpresa(ソルプレーザ)と言うのですが、まさに予想外のプレゼントってうれしいものです。「(こんなプレゼントがあるなんて)ぜんぜん想像していなかったよ~」と言っていました。ここまで喜んでくれると、贈った者として冥利に尽きるという感じ。pensiero(ペンシエーロ)というのは気遣いとか、思いやりという意味もあって、結局のところ相手が自分のことを考えて贈ってくれたものという“気持ち”が、何よりの贈り物になるのではないかと思うのです。

日本だとやはりある程度金額をはることに意味があるので、たぶんこの私の方法は有効ではないだろうけれど、イタリアではかなり効力を発揮するのではないかな? プレゼントをする方の自分もわくわくするし。

是非是非、みなさんにもお勧めします。





ローマの休日(6)

2008年06月15日 | わたしのこと
弟がローマに到着したのが5月1日だったので、滞在記録書くだけですでに1ヶ月半が経過してしまいました。すごい、私って・・・ すでに忘却の彼方って感じ。

一応旅行記は前回の『ローマの休日(5)』で終わりなのですが、おまけに長引かせすぎでたぶん皆さんも、書いている本人もちょっと飽き飽きって感じで、でも一応ここまで書いてきた以上、〆ないと・・・。今日は手短に行こうっと

今回の旅行で彼に望んでいたことは、すでに以前書きました。
弟が見る新しい世界





たった5泊7日の短い滞在であったのですが、結果はこれ以上にないくらい良かったのではないかと。いちおう観光コースの一番重要な部分は押さえ、おいしいものも食べたし、なんたって現地の空気を十分に吸うことができたようです。

彼が最初にびっくりしていたのは、イタリア人の良い意味での田舎臭さで、お店やスーパーなどで知り合いでなくてもおしゃべりし合い、外国人である私や彼にでも平気で何か話しかけてくる人懐っこさに面食らったようです。人との最低限のつきあいが、まだかろうじてここにはあります。

それから私が最も期待していた『人生を楽しむ余裕』もどうやら感じ取った模様。日本では感じにくい時間の流れる感覚がどういうものなのか、彼にもわかったようです。この時間の流れって、ローマに住んでいても普段の生活に流されていると気づかないことも度々あって、本当に気をつけないといけないのですが、私自身もこの期間弟と旅人のように過ごすことで、この甘美な感覚を再認識させてもらいました。

すでに日本での日常生活に戻り、仕事や日々のゴタゴタに巻き込まれる日々のようですが、たぶん今回の旅行は彼の人生の中でもかなり思い出深い、また影響を与えられた経験になったのではないかと確信しています。そしてその瞬間に立ち会えたことに感謝。

弟とは性格も合うし、理屈的(屁理屈的?)で共感し合える部分が多く、以前からかなり仲のよい姉弟でしたが、今回の旅によってその関係もさらに深いものになったと思います。お天気は最高で、それから彼がお休みを取れたこと、私もレオも同じ時期に彼と過ごす時間が取れたこと、彼の訪伊によって普段忙しくて会えないでいた友人たちとも会う機会を作れたことなど、すべてのことが順調に運び、本当にびっくりしました。オーバーですが、運命的なものを感じてしまった。

最後に、弟と私に精神的な意味合いで“ぜったいに必要だと思う”と言ってこの旅を勧めてくれた私の親友Hに感謝の気持ちを伝えたい。彼女のおかげでこの旅が現実化したと言っても過言ではないのです。この項目読んでくれるといいけれど・・・。

それでは、弟がローマに戻ってくることを祈って『ローマの休日』の締めとしましょう。

これだけローマに恋したのなら、きっと戻ってくるのだろうな
戻ってきて欲しいな・・・



P.S.
これだけ旅行記をダラダラと書き続けた姉が姉なら弟も弟で、唯一よく撮れた写真を送るといっておきながら、やっとEメールで昨日送ってきたのがこの写真・・・。




う~む・・・。これってよく撮れてるわけ?  
か~な~り~微妙なんですけど・・・。





ローマの休日(5)

2008年05月30日 | わたしのこと
5日目 : 2008年05月05日(月)


以前の記事はこちらからどうぞ
ローマの休日(1)
ローマの休日(2)
ローマの休日(3)
ローマの休日(4)


この日は、ヴァティカン博物館へ行きました。ローマへ到着した翌日に入館できなかったため、弟は何が何でも行きたいと言います。私は行きたくなかったのですけれど・・・。いや、すばらしいのはよくわかっているのですが、あの膨大で目もくらむような美術品の数々に魂が吸い尽くされるというか、非常に疲れるものですから。





5月のローマは最高の季節で、そのため世界各国からの観光客が街に溢れています。また並ぶのかあ、と重い足取りで現地へ向かいました。13時頃に現地に着くと、この日は信じられないことに入場待ちの行列は皆無。月曜日は普通美術館はお休みなので、もしかしたら情報を持たない多くの観光客は美術館めぐりをはずしたのかもしれません。





入場料は14ユーロ。さらにオーディオガイド6ユーロを借りて入館。それにしてもヴァティカン博物館に、何のガイドブックも持たずに入るって、かなり度胸があるというか、バカにも程があるというか・・・ 入った後でかなり後悔してしまいましたわ。あのだだっ広い敷地を、信じられないほどの数の美術品を、何の案内もなしに見学するって「で、あなたぜんぜんやる気ないわけ?」って感じですよ。完全に私にまかせっきりの弟が、気を利かせてガイドブックなんて持ってきているわけもなく。結局オーディオガイドを借りたときに渡された超いい加減な館内マップだけを頼りに、全行程制覇! だって全部見たいって言うんだもの ヴァティカン博物館全行程制覇ってどれだけキツイか、行ったことのない人にはきっとわかってもらえないでしょうね(遠い目)何せ総面積4万2000k㎡、全長7kmですから。



ラッファエッロ『キリストの変容』(絵画館)



ラッファエッロ『アテネの学堂』一部
中央に描かれたのがミケランジェロの顔をしたプラトン(左)と
アリストテレス



作者の名前を書いてくるのを忘れた・・・
天地創造のシーンで、とても多くの種類の動物が描かれている



七面鳥の横にうさぎさんが 動物好きにはたまりません



こちらも個人的な趣味に走って撮影したもの 音楽の天使たち



才能はなくとも音楽は本当に大好き



しつこく3人目の天使


博物館のクライマックスで、最大の見せ場であるシスティーナ礼拝堂。ミケランジェロの最後の審判と天井画で有名。ここは法王選出の選挙(コンクラーベ)の会場でもあります。

もう閉館間近だったので、疲れた体に鞭打って、走ってここに辿り着いたのです。美術館で走るって・・・ 礼拝堂内では写真撮影は一切禁止、お祈りの場ですからあまり大きな声で話してもいけません。私たちは追い出されるまで中に居残り、首が痛くなるまで天井と壁を見続け、それでもまだ見切れずに後ろ髪を引かれる思いで礼拝堂を後にしました。それにしても、短い時間上を向いているだけでひどい肩こりになってしまった私。ミケランジェロは老いた体でどうしてこれだけの仕事が可能だったのか。彼は無償でこの大仕事を請けたのだそうです。



写真撮影禁止だったので、ここからの写真3枚は他から拝借

カトリック教会の裕福さにはいつも溜息が出ます。だいたい教会のあり方には疑問と不満満々の私ですが、芸術は芸術。パトロンとしての教会のレベルの高さは他の追随を許しませんよね。同僚のクラウディオは、「サン・ピエトロ寺院へ行くと、教会の偽善に辟易として気分が悪くなるから行かない」と言いました。確かに世界中で貧困のために人生をまっとうできない子供たちが後をたたないというのに、この贅沢さは何なのか疑問を持たずにはいられません。ローマ教会の豪華さに圧倒されるとき、いつもこの矛盾に突き当たるのです。



ミケランジェロの天井画 テーマは旧約聖書
1508年から1512年の間にたったひとりで描きあげた



ミケランジェロ『最後の審判』
60歳の孤高の天才ミケランジェロがひとりで完成させた 
死者の魂が神の怒りに向かって上昇していく図





お昼ごはんを食べる暇もなく、歩きに歩いた1日。いつもの締めとしましては、やはり生ビールでしょう(爆)もはやアイリッシュ・パブでのダブル・モルト攻撃は、弟と私のローマでの日常とかしていましたね。この疲れて乾ききった体に、1リットルの生ビール(しつこいですがアルコール度9%)はききまくり、家に帰った途端テレビを見ながら2人共ベットで鼻ちょうちん状態。仕事から帰ってきたレオナルドが私たちを起こすまで、気持ちよく眠りに落ちていたわけです。目が覚めてからも酔いは醒めず、改めて『HARP STRONG』の底力に驚愕し、そして“疲れた体にダブル・モルト・ビール1リットルは危険なり”という教訓を頭に叩き込んだのでした。

弟にとってはローマ最後の夜だというのに、夕食もろくに食べられない状態だったのですもの。

つづく





ローマの休日(4)

2008年05月21日 | わたしのこと
4日目 : 2008年05月04日(日)


以前の記事はこちらからどうぞ
ローマの休日(1)
ローマの休日(2)
ローマの休日(3)


飲み疲れだけでなく、観光にも疲れて参りました~。
もしかして皆さんも少し食傷気味?でも、でも、すっごくしつこい性格の私。しっかりレポート続けさせていただきますわ。

この日は朝7時からMOTO GP中国戦があったものですから、レオは時差も何のその、7時前に起きて観戦。弟と私は14時からの再放送を見ました。久々にヴァレンティーノ・ロッシが優勝台に上がり、ほっとしました。家であさりのスパゲッティーを食べた後に、市内へ出かけます。

この日は古代ローマ散策。






ローマ誕生時(紀元前8世紀)

ムッソリーニが、この遺跡の林立する地区のど真ん中に、権力の象徴のようなだだっ広い道路を作り、そこに古代ローマの栄光をたたえて作成した地図です。どのようにローマが繁栄していったかが、手に取るようにわかります。最初は、イタリア地図の真ん中に、まさに点(地図上の白い点)のように存在しているローマ。



全盛期のローマ帝国

白い点は、最終的にこれだけ範囲を広げました。北はドイツの一部、イギリスまで、南はアフリカ北部、東はトルコ、イラクまで、西はスペインのあるイベリア半島全体と、ここまで領土を広げていたのですね。この広範囲を、そして多くの人種を堅実に統治していたのですから、当時のローマ人がいかに優秀だったか簡単に想像がつきます。



トラヤヌスの市場(3階建て)

2世紀にはすでにこのような、ショッピングセンターとオフィスが一緒になった、近代的な建物が建てられていたのです。ローマ時代の建造物を見るときには、いつもため息が出ます。



サンタ・マリーア・イン・アラコエリ

ヴェネツィア広場を通り過ぎ、カンピドーリオ方面へ。その手前の高台にあるマリア様の教会。たいして歩いてもいないのに、歩きすぎでレオは足が痛いといい、足を引きずって演技っています。それを支える弟(←一応彼も演技中だが、生まれながらに俳優なイタリア人には手も足も及ばず・・・)。



カンピドーリオ広場

ミケランジェロ設計のこの広場。いつ見ても調和が取れていて美しい。私は特に、地面の模様が素敵だと思うのです。



市庁舎

広場正面にある市庁舎とその鐘楼。それにしてもいいお天気。4月はぐずついた天気が続き寒かったのに、5月に入ったらこんなに気持ちの良いお天気で、本当に私たちはついていました。イタリア人の色彩感覚がすぐれているのは、こんな空の色と、この強い光に照らされた木々の緑を見て育ってきているからなのではないかと、思ってしまいます。



市庁舎右側

街歩きをしていると、常に新しい発見があるのがローマの良いところ。この広場には何度も足を運んでいるのに、なぜかこのアングルは見逃していました。



フォロ・ロマーノ一部

市庁舎裏からフォロ・ロマーノを見たところ。シーザーがここを歩いていたのかと思うと、胸がはずみます。



フォロ・ロマーノ一部



フォロ・ロマーノ一部

その後、ラルゴ・アルジェンティーナでローマに数ある遺跡の中でも最古のアーレア・サークラ、カンポ・デイ・フィオーリを見て、今日の観光はやっと終了。



エノテカにて夕食

私とレオが会社の同僚で、まだ友達同士だった頃によく通ったこの蔦の絡まるエノテカは、ロコ御用達。にぎやかなのになぜか落ち着いていて、私はここに来ると本当にリラックスできるのです。チーズが特においしい。

弟はすでにローマにぞっこんの様子。観光ができるのも、残すところあと1日となりました。

つづく





ローマの休日(3)

2008年05月19日 | わたしのこと
3日目 : 2008年05月03日(土)


以前の記事はこちらからどうぞ
ローマの休日(1)
ローマの休日(2)


そろそろ飲み疲れが出てきた3日目です。レオナルドは幸運にもこの週末、仕事に追われていない状況だったため、私たちと一緒にローマ市内観光。ローマで建築を勉強した人と周るローマなんて、何て贅沢なんだ。

まずは私の大好きなボッロミーニとベルニーニの教会から。


ベルニーニについて書いた記事をまだ読んでいない方はこちらから
I LOVE ROMA = I LOVE BERNINI



サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会内部
イタリア人は小さなサン・カルロという意味で、サン・カルリーノと
呼ぶが、これは愛称


バロックの巨匠のひとり、ボッロミーニの作品。モダンです。建築家たちがボッロミーニを愛するのは、やはり芸術的に美しいからなのでしょうね。レオ曰く、当時の建築家って(ボッロミーニにしろベルニーニにしろ)あまり計算せずに設計していることが多く、現場の職人さんたちの勘と経験に支えられていたって。面白いです。



サンタンドレーア・アル・クイリナーレ教会外部

サンカルロ教会のすぐそばにあるもうひとりの巨匠ベルニーニ作。ライバル同士の代表作品が、200メートルくらいの間に建っているのです。本当にローマは贅沢な街。ただし、残念ながらお昼休みで中には入れませんでした。色大理石をふんだんに使った楕円形の教会で、形も珍しく、そして小さく美しい。弟は中を見れず、非常に残念がっておりました。

この後トレヴィの泉へ行きましたが、個人的にはあまり好きではないので省略。



ジョリッティのジェラート

イタリアに来たらジェラートでしょう。日本からも職人さんたちが研修に来るくらい有名なバール&ジェラテリーア『ジョリッティ』。弟の選んだのはストロベリー&キウイ&ヘーゼルナッツ、さらに生クリームまで。本当はフルーツ系とミルク系は混ぜないのが決まり。まあ、おいしければ何でもありということで今回はミックスです。



パンテオン内部

日本人観光客は意外と訪れないのでは。ただパンテオン見ずして、ローマを見たとはいえません。古代のローマ人の工学技術って、本当にあれで完成してしまっていますよね。ドームを支える壁は、何と6メートルもあります。屋根内部に四角い枠の彫があるのは、重さを軽減させるため。素材はコンクリート。



パンテオン正面屋根内部

パンテオンは古代ローマのすべての神の神殿として、2000年以上前に建てられました。現在は教会として使用されています。この写真は弟が撮影。何とこの部分は木造なんです。意外だったようで興味を引かれたみたい。柱はすべて大理石です。

昼食は大好きなアイリッシュ・パブで、懲りずに生ビール(今回はストロングではない普通のHARPにしました。観光中ですから一応自粛)と、ハンバーガーにフライドポテト。おいしかった~♪

その後サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会、ローマに住むフランス人のための教会で、カラヴァッジョの初期宗教画『聖マタイ3部作』を。光の使い方や、リアルでドラマティックな描写に、カラヴァッジョを知らなかった弟も真剣に鑑賞しておりました。



聖マタイの召し出し



聖マタイの殉教



聖マタイと天使



トニー&アンドレーア

会社にももちろん顔を出しました。自分の働いているところを見てもらいたかったので。トニー(左)が泣きそうな顔をしているのは、アンドレーア(ロマニスタ)が、無理矢理弟が買ったASローマのTシャツを着せ掛けているからなんです。トニーはバリバリのラーツィオファンですから。アンドレーアの勝ち誇ったような顔がおもしろい

スペイン広場を見た後、一度家へ帰りシャワーを浴びてから、夕食へ。



ピッツェリーア モスカ・マッタ

教会で知り合った、私の年の離れた友人たちと。残念ながら、ここのピッツァはイマイチでした。弟はローマのおいしいピッツァの味を知らずに帰国。またこれは次回の課題ということで。

右端にいるおじさま、アンジェロが結婚と事実婚の違いについて話し始め、事実婚とは一見自由意志の尊重に見えながら、実はカテゴリーの中にはめ込むための政府の新しい策略だと言い、大いに笑わせていただきました。まあ、おもしろい考え方ですよね。

つづく






ローマの休日(2)

2008年05月17日 | わたしのこと
2日目 : 2008年05月02日(金)


以前の記事はこちらからどうぞ
ローマの休日(1)


今日はレオナルドは仕事なので、私は弟と2人で近所にある食料品の買出しに大型スーパー『パノラマ』へ。主な買い物はワインです(爆)赤ワイン合計6本お買い上げ♪

イタリアのスーパーの豊富なワインコーナーは、日本人にとってはやはりびっくりするようで、写真を撮りたいと言い出しました。



赤ワインコーナー一部



ラベルが逆?それもこんなにたくさん・・・。
いつものごとく恐るべしイタリア



家でスパゲッティ・アッラ・カルボナーラの昼食をとり、市内観光へ


午後にヴァティカン博物館へ行こうと思っていたのです。15時頃に行けば、他の観光客は昼食をとっているだろうから楽勝、楽勝♪ なんて高をくくっていたら何と言うこと!ものすごい列が出来ていました。嫌な予感がしたんですよね、あの列を見たとき。だって閉館は18時ですから、入場に時間がかかったらあの広大な博物館は見切れませんもの。並び始めて1時間とちょっと過ぎたときに、周りからすでにクローズしたという声が聞こえるではありませんか。18時に閉館するためには、16時から入場できないということで、「ああ、この1時間はなんだったの???」という後悔と自分に対する怒りで逆切れしそうになりました

結局その日はサンピエトロ寺院に予定変更。夕方といってもイタリアのまだまだ強い光が丸屋根から差し込む神秘的な光景に、一瞬弟は息を飲んでいるようでした。



サンピエトロ寺院身廊



ミケランジェロ設計の丸屋根(クーポラ)内側から



ベルニーニ設計の天蓋(バルダッキーノ)


その後、丸屋根に上ろうとエレベーターの方へ向かったのがすでに18時、まさに係員が鉄の門を閉じたところ。ここはイタリア生活で培ったずうずうしさに物言わせ「おねがします。入れませんか?」と、ちょっとかわいこぶってお願いしてみました(こえっ)。1分たりとも残業はしたくないのが常のイタリア人なので、ほとんど期待していなかったにもかかわらず、ちょうどおつりになる小銭が窓口に残っていたということで「あななたちが最後だからね」と言いながら、気分よく入れてくれるではありませんか。結果オーライとは、まさにこのこと。閉館時間だから並ばずに入れたのです



ここまではエレベーターで後は魔の階段が待っている



丸屋根の上から見る広場 手前には屋根の影が



サンタンジェロ城とテヴェレ河 ローマはどこから見ても絵になる



サンピエトロ寺院正面(ファサード)


その後、どうしても生ビールが飲みたいとダダをこねる弟を引き連れ、バスに乗ってダウンタウンへ。途中ナヴォーナ広場を見ながら、アイリッシュ・パブへ行きました。そこで『HARP STRONG』というアルコール度9パーセントの生ビール大を2杯ずつ飲み(1リットルですね♪もちろんつまみなし♪)、すっかりいい気分になって帰宅した私たち。

その日は、家でポークステーキとイタリアの生ソーセージ(サルシッチャ)、ローストポテトの夕食を。もちろん赤ワイン3本コースでした。

つづく





ローマの休日(1)

2008年05月15日 | わたしのこと
1日目 : 2008年05月01日(木)


弟が5月1日18時41分に、予定時刻より20分早くローマ・フィウミチーノ空港に到着。いや~、感激しました。3年半ぶりの再開です。イタリア人ビックリの“ハグなし”の再会でした


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弟が見る新しい世界





空港へは車で迎えに行ったので、家までの道中ではもちろん外をしっかり眺めておりました。彼にとっては本当に久しぶりの海外旅行ですもの。初夏のローマは夏時間ということもあって、20時すぎても明るいのです。市街地から少し外に出るとすぐに野原が広がっていますから、それも彼にとっては信じられなかったようです。すでにローマに住んで11年が過ぎ、私の感覚は現地人に近いものになってきてしまっているので、弟の目を通してみる『感動』というのは、私にとっては懐かしい感覚となってしまっています。

家についたらまずはアペリティーボ(食前酒)。数日前に仕入れておいた、ローマのあるラーツィオ州の赤ワインのボトルをレオと3人で空けました。おつまみはサン・ダニエーレの生ハムとチーズとオリーブ。

大阪の伊丹空港から羽田、成田経由でローマという強行軍であったにもかかわらず、その晩も外の空気を吸いたいから、家でなくレストランで食事をしたいという弟。到着第一日目の食事は何と中華料理屋さんで。家から車で15分のところにある、香港系のおいしい料理を食べさせてくれるレストランに行きました。すでに赤ワインを1本空けていたので、混ぜないようにここでも赤ワインを2本。3人で、すでに3本のワインを飲んだことになります。

食事の内容は

前菜
豚肉入り焼き餃子、豚肉入り蒸し餃子、えび入り米粉皮の蒸し餃子
1皿目
肉と野菜入り鉄板焼きそば、叉焼としいたけ入りチャーハン
魚介類のきしめん風焼きそば
2皿目
牛肉の鉄板焼きオイスターソース風味
デザート
バニラアイスクリームの天ぷら(←おいし~い
食後酒
バラ風味のグラッパ


いつもだともっと食べるのですけれど、すでに家で一杯飲んでいたために、食欲はちょっと落ちていましたかねぇ。ちなみにレオナルドとは、片言の英語と私の通訳で、かなり技術的なお話まで発展しまして(エンジニアとアーキテクトですから)、初日からだいぶ意気投合したようです。

さすがに疲れたようで、家についたらすぐにベッドへ直行。順風満帆な感じで、弟のローマの休日ははじまりました。

つづく





イタリア語電子辞書

2008年05月11日 | わたしのこと
日本からローマへ来た弟に、電子辞書を持ってきてもらいました。

私がイタリアに来たのとほぼ同じ頃、私の親友の一人はスペインへ行きました。彼女はすでに日本へ帰国しておりますが、技術通訳など語学を使った仕事に携わることが多いため、時々ブラッシュアップのために、スペインの語学学校へ通ったりしています。つまりかなりの努力家。彼女がずいぶん前から私に勧めていたのが、イタリア語辞書が収納された電子辞書を手に入れることだったのです。

現地に住み始めてある程度時間が経つと、生活する分には支障をきたさないくらいの語学力には達します。ところが、そのレベルに到達すると私のような怠け者は、面倒くさくなって先へ進まないのです。ここが達人になるか、あるいはいつまでも外国人のままでいるかのボーダーラインなんですね。

みなさんは、常に正確な単語で意思を伝えられますか。日本から離れてだいぶ時間が経ってしまっていますから、私はすでに日本語でも正確な単語で、自分の言いたいことを伝えられなくなってきています。自分の言いたいことを表現するのにもっと的確な単語があるのに、それが口に出てこないのです。もちろん語彙力で母国語より格段劣っているイタリア語では、それが顕著に出ます。言いたいことを別の言葉で表現し、イタリア人が私のいいたい単語を当てる、みたいな。例えば「偽善(IPOCRISIA)」という単語が出てこないとします。そうすると「本当はそうでないのに、いい人のふりをすること」とか言って、相手にその単語を言わせるわけです。ところが語学上達のために重要なのは、的確な単語を使えるかどうかなのだと、5ヶ国語を話す私の友人が言っておりました。だいたいのニュアンスを伝えるのではダメ、わからない時はぜったいに辞書を引くこと、と言っていました。

電子辞書の中にはイタリア語辞書だけが収納されているのではなく、英語や日本語など多くの辞書が入っているので、特に外国に住んでいる人たちにとっては、かなり役立つだろうと予測できます。またこれだけ小さいとバックに入れて持ち運べますから、辞書を使う機会もぐーんと増え、わからないままあいまいにしておいて忘れてしまう回数が減るのではないかと、ひそかに期待しています。

インターネットで調べていて候補に挙がったのは、『CASIO EX-word XD-SP7400』と『SEIKO SR-E6000IT』の2機種です。両社ともに収録コンテンツは非常に魅力的で、例えばCASIOですと『日経パソコン用語辞典』『時事英単語帳』『日経ヘルスサプリメント』など、またSEIKOは『ビジネス英語の最強フレーズ』『説得できる英文Eメール200の鉄則』『キーワードで引く英文ビジネスレター事典』など、興味を引くような内容。国語辞典や百科事典ではあまり差がありませんし、どちらか決定するのに考慮したのは、私にとっては一番重要なイタリア語の辞書の充実度のみ。

下にイタリア語と英語辞書の内容のみ列記します。




CASIO XD-SP7400
<イタリア語>
小学館『伊和中辞典(75,000語)』
小学館『和伊中辞典(40,000語)』
オックスフォード『イタリア語(伊英・英伊)辞典 (300,000語)』
<英 語>
オックスフォード『現代英英辞典(183,500語)』
大修館『ジーニアス英和大辞典 (255,000語)』
小学館『プログレッシブ和英中辞典(/90,000語)』
研究社『カタカナで引くスペリング辞典(67,000語)』
大修館『英語類語辞典(21,000語)』




SEIKO SR-E6000IT
<イタリア語>
小学館『伊和中辞典(75,000語)』
小学館『和伊中辞典(40,000語)』
ハーバーコリンズ『Easy Learning Italian Dictionary』
(伊英22,000項目/英伊19,000項目)
<英 語>
オックスフォード『現代英英辞典(183,500語)』
小学館『ユースプログレッシブ英和辞典(85,000項目)』
小学館『プログレッシブ和英中辞典(90,000項目)』
日外アソシエーツ『ビジネス技術実用英和大辞典(83,300用例)』
日外アソシエーツ『ビジネス技術実用和英大辞典(85,500用例)』
研究社『カタカナで引くスペリング辞典(60,000語)』


伊和・和伊辞典は小学館で両社とも同じ。決定のカギになったのは、CASIOのオックスフォード『イタリア語辞典』。SEIKOのハーバーコリンズ『Easy Learning Italian Dictionary』では比較の対象になりません。またCASIOはPCとUSB接続で、また直接データカードを差込み、後から必要な辞書を本体メモリーに追加、入れ替えできるのも魅力的です。私の場合、例えば忘却の彼方となっているフランス語をもう一度やり直そうなどと殊勝な気持ちになったとしたら、すでに購入済みの電子辞書にフランス語辞典(例:プチ・ロワイヤル仏和+和仏=7,329円)もインストールできるということです。

唯一、非常に残念だったのは、どの会社の電子辞書にも伊伊辞典が入っていないこと。同じCASIOでも、西西辞典や独独辞典は追加コンテンツとして選択できるようになっています。やっぱり日本では、イタリア語の需要が少ないということなのでしょうか。ベースとしてではなくオプショナルで良いので、是非今後伊伊辞典がインストールできるようになって欲しいものです。

問題のお値段ですが、約30,000円。ユーロに換算すると安いお買い物かも。

以上、電子辞書のレポートです。まだ使い始めたばかりなので、あまり使用感はわかりませんが、確実に紙の辞書を引くよりは時間が短縮できますし、何より面倒くさくない。一度に伊和、和伊、カタカナ語、百科事典など同時に検索できますし、案外使用頻度は高いかもしれません。このブログ記事を書いている最中も、何度か使用しました。ただ、やっぱり記憶するためには見るだけではダメですよね、書かないと。その辺、これを購入したから語彙力があがるなど、もちろんそんなにことは簡単に運ばないようです。

日々是精進・・・。






買い物リスト

2008年05月07日 | わたしのこと
楽しい時間はあっという間に過ぎ
弟はすでに日本へ帰国してしまいました。



サン・ピエトロ寺院正面玄関上部後方から撮影


だいたい私のこの湿っぽい性格からいって、一緒にすばらしい時間を過ごした後に、絶望的に別れのときを哀しむのは目に見えていました。何せ彼がローマへ到着したのが5月1日で、2日の時点からすでにその瞬間を想像して、元気がなくなり始めてましたから・・・。

そこでレオが言ったひとこと
「会ってそんなに哀しくなってしまうのなら、会わない方がいいってことじゃない」

ふ~む。いつも冴えてますなあ。彼のこういうものの考え方というか、気持ちの持っていき方って、私がいつもうらやましいと思う部分で、“せっかく楽しいときを過ごせたのだから、別れの後もその気持ちを存分に味わった方がいい”というポジティブ・シンキングなんです。パートナーってやっぱり必要だな、と思うのはこういうときでもあります。くだらないことで深みにはまりそうなときに思考の方向転換させてもらえると、「助かったなあ」と思う。まあ私だけがいつも助けてもらっている感はありますが。

弟のローマ観光については後日お話しするとして、今日は彼に頼んで日本から持ってきてもらったものについて。

スーツケースの中身は私が頼んだ食料品でいっぱい。3年以上帰国していないので、これでもか、というほどの買い物リストを作成しました。何せ空港で買うものまで指定しましたから。鬼姉・・・。みなさんあまり興味ないかもしれませんが、一応これが私の指定した買い物リストです。


1.粉山椒
2.花椒塩
3.味覇(ウェイパー)中華調味料
4.料理用日本酒紙パック
5.ジャワカレー 4箱
6.ゴールデンカレー 4箱
7.福神漬け 2袋
8.しなちく 2袋
9.サッポロ一番しょうゆ味 5個
10.菊水 寒干ラーメン 10個
11.ほたるいか沖漬け
12.海苔
13.讃岐うどん乾麺
14.明太子(空港にてGET)
15.万能ねぎ
16.しいたけ
17.白菜
18.にら
19.うずらの卵 2袋
20.なめこ
21.味噌(実家の味噌)
22.米(実家のお米)
23.耳掻き
24.孫の手
25.よーじや あぶらとり紙
26.ファッション雑誌 3か月分
27.週刊文春(おやじの友)
28.文庫本
29.電子辞書


イタリアサイドで予約すると40キロまでオーケーなのですが、日本サイドで購入した切符だったので、スーツケースの限度は20キロまで。「JALだったら23キロまでは超過料金取らないから」と言ったら、自分の持ち物を最小限にくい止め、本当に23キロギッリギリで、さらに機内手荷物として10キロ(これも限度)、荷物運びしてくれました。ありがとう、弟!これで当分はおいしい日本食が食べられます。

すでに話が長くなってしまったので、今日はこの辺で。次回は、買い物リストの中の29番目にある電子辞書についてのお話。





弟が見る新しい世界

2008年04月26日 | わたしのこと



日本はもうすぐゴールデン・ウィークですね。まだまだローマはお天気が安定せず、太陽が強く輝いていたと思えば、数時間後にはスコールのように雨が降ったり、本当に変な季節です。本当は旅行に適したよい季節のはずなのに・・・。

もろもろの理由から日本へは3年以上帰国しておりません。さすがの私も、少し“懐かしいなあ”状態。そこで仕事を始めてから、たぶん一度も長期休暇を取らず、コツコツと働き続ける正しい日本人労働者である我が弟にささやきかけ、ついにローマに来る決心をさせました♪

今年のゴールデン・ウィークって飛び飛びのために、何日か有給休暇を申請しなければならなかったそうです。それが彼にとっては相当なネックになっていた模様。それにしても、どうして女子は休暇を使い世界を旅して視野を広げていくのに、男子は仕事にのめりこんでしまうのでしょうか。私は日本男子もどんどん国外へ出て、いろいろなものを見て、懐を深めていくべきだと思うのですけれど。そうすれば彼らももっともっと魅力的になるのになぁ。

今回の彼の訪問はもちろん私にとってとてもうれしいことですが、彼にとってはそんなことと比較にならないほど重要なバカンスになると思います。いや、是非そうあって欲しい。

大学時代にアメリカを一度見ただけで日本でビジネスマンになり、成熟した大人の目で日本以外の国を、人を見たことがない弟は、たぶん今回ローマを見て、それもローカルの人間の目の高さで見ることによって、ものすごいカルチャーショックを受けるのではないかと、私はとても楽しみにしています。自分が知らない世界も実は存在していることを肌で感じるって、すべての人ができる経験ではありません。他の文化を見たい、感じたいという好奇心や繊細さが必要だし、それから出会える人にも関係するから運もあるだろうし。

私は日本の旅行代理店で働き、顧客に同行して世界中を回りましたが、短時間にできる限りの場所を訪れる“日本人の観光方法”は今回は避けたい(イタリア周遊だとローマは半日観光で“サン・ピエトロ寺院”“トレヴィの泉”“コロッセオ”のみ・・・)。私たちの場合、サン・ピエトロ寺院とヴァティカン博物館だけで1日は終わるかな。広場に座ってハトを眺めたり、風が吹くのを感じたり、普段時間におわれて生活している彼にとっては、そういう時間が必要なのではないかと思うのです。

現地に知り合いがいるというのは非常に恵まれています。今回、私の知り合いのイタリア人との交流もあるでしょうし、ロコたちが通うレストランやワインバーなどに行くでしょうし、旅人としてでなく、住む人のレベルでものを見るわけですから、かなり贅沢な経験かも。私がイタリアに住み始めた時、現地人の生活を垣間見てそれを感じるまでには、相当な時間を要しました。でも弟は私を通していきなりその世界をちょこっとだけ見ることになるでしょう。

まじめに一生懸命生きている弟に、今回の旅で得ることが、私からの小さなプレゼントとなると良いのだけど。

5月1日にローマ到着です。





イタリアに住める権利

2008年03月10日 | わたしのこと



ちょうど去年の3月10日、このブログを書き始めたので、今日は1周年記念。1年なんて、本当にあっという間に過ぎてしまうのですね。昨年の2月に甲状腺の摘出手術をして、その病欠期間中暇に任せて書き始めたのが、ブログをはじめた理由なんです。なんだかダラダラとくだらないことを書き綴ってここまできてしまいましたが、いつも読んでくださっているみなさまには本当に感謝です。

さて、今日は久々にとても良いことがありました。CARTA DI SOGGIORNO『滞在カード(永年滞在許可証)』がついに手元に届いたのです。それにしても長い道のりでしたわ。過去の滞在許可証関連の記事はこちらからどうぞ 

2006年10月6日に申請を始めたので、オリジナルを手にするまでに1年と5ヶ月・・・

前回の滞在許可証更新の時は、オリジナルをゲットするのに13ヶ月だったから、さらに待ち時間は4ヶ月長引きました。この国って進歩するよりは退化している場合が多いので、まあ驚きもしませんでしたけれど。警察側が書類を受け取ったということは、たいてい申請においては何の問題もないわけで、あとはオリジナル到着を待つだけなのですが、それが手元に届くまでには途方もない時間と忍耐力が必要になります。そしてその間イタリア国から脱出は不可。母国への直行便利用時のみ、イタリアから出国できます。早くオリジナルを手にしたいという焦りだけでなく、ヨーロッパに住んでいながら、ちょっと他の国に足を伸ばすことができないというこの小さな規制は、けっこう煩わしかったですね。

外国に住む場合、労働許可、またそれに伴う滞在許可を得るのは並大抵のことではありません。学生ヴィザで不法労働によって収入を得てそれで食いつなぐことはできても、将来に不安を持って日本へ帰国してしまった人たちをたくさん見てきました。そんな現状で、私は本当にラッキーだったのだと思います。今後は5年ごとに写真を新しいものに変えるだけで、あとは何の書類申請も必要ありません。

ただ、この滞在カードはイタリア市民権ではないので、投票権は持つことができません。それは非常に残念なのですが、市民権を申請することはないだろうなあ。日本政府は二重国籍を認めていないので、日本かイタリアの国籍選択は必須です。人によっていろいろな考え方があると思いますが、私の場合どんなに長く外国に住んでいようとも、自分はやっぱり日本人なんですよね。古臭いのか、まじめすぎるのか、はたまた頭が固いのか。自分のアイデンティティを捨ててまで、イタリア(ヨーロッパ)国籍を得ようと思わないのです。同じ理由で、夫婦別姓に賛成!

というわけで、イタリア滞在に関する書類においては、これでゴールに到達しました。

2006年9月、自分の管轄区の警察に何度通ってもはっきりした申請書類がわからず、またきちんとした説明をしてもらえず、最終的に私はレオナルドにつきそいをお願いしなければなりませんでした。イタリアにおいて、イタリア人の同席は時に非常に重要な場合があるのです。それまで、事務的なことにおいてはすべて自分で行うことを信条としていたため、けっこうな敗北感を感じたのを今でも覚えています。結局レオのつきそいがあっても状況は変わらず、仕事で知り合った警部に話し、管轄区外で申請を受けてもらいました。その時にやっとすべての必要書類を簡単に確認できたわけです。今日は彼への感謝の気持ちとして、大好きな私の住む街ローマのあるラーツィオ州の赤&白ワインを日本の風呂敷につつんでプレゼントしました。ラーツィオのワインってイマイチ、と思っていらっしゃる方は、いろいろ試していないからだと思います。適正な値段でおいしいワインが探すとけっこうあるのです。


macoromお勧めのローマGROTTAFERRATAにある醸造所
STRADE VIGNE DEL SOLE


赤ワインはこちらを選びました。久々のヒットです



そして白はこちら



イタリアでこのような壁につきあたることは何度もあります。このブログによくメッセージを残してくださるMIKAさんも、現在労働許可証の申請に本当に苦労されているようですが、是非あきらめずに進んでください。エールを送ります。

なんだか今日はえらくまじめな内容になってしまいました。ちょっと感慨深いものがあるからかな。なんたって、イタリアに一生住める権利を手にした記念すべき日なのですもの