今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

382 城ヶ崎(静岡県)吊り橋の崖の底では渦が巻き

2011-09-27 13:43:35 | 静岡・山梨
海を眺める若者の腰の据わりが悪い。こわごわと覗き込んでいる様子なのである。もう一人は顔を出すのも恐ろしいとばかり、しっかり握った手すりから離れようともしない。伊豆半島東海岸の中ほど、相模灘に張り出したここは伊東市城ヶ崎海岸の門脇崎だ。崖の高さは20㍍ほどらしいから、それほど怖がることはないと思うのだが、半島先端の石廊崎や、西海岸の黄金崎に匹敵する荒々しい海岸線だ。深く澄んだ蒼い海も凄みがある。

そそり立つ断崖は、色と形状からして火山活動による岩盤であることは私にも分かる。そしてその溶岩流が、少し内陸にあるお椀を伏せたような大室山から来たことも察しが付く。しかしその噴火が4000年前という、比較的新しい事件であったとは知らなかった。すでに縄文人が独自の文化を発達させ、穴居時代を経てささやかな集落を形成し始めていたころではないか。伊豆縄文人は大地の鳴動、噴煙、溶岩流に逃げ惑ったことだろう。

火山や地震による地殻変動は、人間の命と暮らしをいとも簡単に奪ってしまう恐ろしい自然現象だが、同時に温泉を湧出し、変化に富んだ景観を生んで人間を楽しませてくれるという、厄介な? 二面性を持っている。縄文人は生き延びることに汲々とさせられたのだろうが、地殻がやや安定期にある現代人はその恩恵だけを享受し、何の不安も持たずにレジャーにいそしむのである。

しかし、へっぴり腰で崖際に近づく若者の海の覗き方は正しいともいえる。伊豆半島が太古の昔は伊豆島だったことは以前書いたが、本州島に接岸したことで広大な灘は相模湾と駿河湾に分断された。そしてそのいずれもが、プレートが海底深く潜り込む地震の巣を形成することになった。だからこの蒼く澄んだ海が、いまこの瞬間にも突如として盛り上がり、烈震とともに巨大な津波となって押し寄せて来ないとも限らないのだ。

そういえばこの若者たち、どことなく縄文人に似ていなくもない。彼女か姉妹か、4人連れの彼らは灯台を背景に写真を撮ったり、吊り橋でキャーキャー叫び声を挙げ、賑やかに帰って行った。岬の先端では釣り人が一人、「われ関せず」の風情で竿を延ばしている。「何が釣れますか?」「釣れない」「怖くないですか?」「怖いから見ない」。ではなぜここで釣りをしているのかと問い詰めたくなるほど、釣りマニアとは無愛想な人種である。

この変化に富んだ海岸線は門脇崎の南北に延びて、自然研究路やピクニックコースが続いているらしい。その北はずれが川奈のゴルフコースになっているのだろう。確かあのコースの中に、こうした崖の入り江を越えて打って行くスリリングなホールがあった。若いころ、そこで小規模なコンペがあって、急に誘われた私は貸しクラブで飛び入り参加したことがあった。飛び入りなのに優勝したなどということは、どうでもよろしい。

川奈の西側の山中に一碧湖という湖がある。南隣りの大室山より遥かに古い水蒸気爆発による火口湖だそうだ。「黒ずみて湖水も石のここちすれ山の底には夕明りなし」と与謝野晶子が歌った「伊豆の瞳」である。

火山に湖に断崖に温泉。伊豆はよくできた景勝地である。だから丘陵を俯瞰すると、別荘の屋根が森の中をどこまでも登って行く。こうした暮らしに憧れて人は汗を流し、知恵を働かせ、時には欺きもして人生を過ごすのだろうか。伊豆は私を皮肉屋にするようだ。(2011.9.7)

        





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