つれづれそう

その時々の世の中の出来事を徒然に
老人の戯言ですので、文章に責任持ってません。時々、若い人がかわりに書きます。

国にあること(3)

2007-10-30 19:39:31 | Weblog
政治面を見てみましょう。
連立与党ということで
ここ数年、「小さい政府」
を目標にやってきました。
しかし、できたのは「格差社会」でした。
結局は、貧富の差の拡大であり
貧者が困る社会の創造だったようです。
その分、貧者から富は富者へ移動し
より富者が増えたようです。
そればかりでは、ありません。
政治面でも、自分の信念を貫こうと
すると、刺客を送られる始末でした。
これでは、国民も正直ものが馬鹿をみる
社会なんだと早合点してしまいます。
子どもにも、当然悪影響が出ます。
強い者が、弱い者を切り捨てる風潮は
子供から正直に生きることを奪います。
そんな中で、政治は学校に自由競争という
怪物を持ち込んできています。
学校の目的は、人間づくりのはずです。
学力を人間づくりより重視することは
もはや教育と呼べないのではないでしょうか。

国にあること(2)

2007-10-30 19:27:52 | Weblog
先回は、経済面のことを書きました。
教育面はどうでしょうか。私の校区の中学校は
授業中に女生徒が、隣の席にまたがって寝転び
寝ています。その席の男子生徒は避難して他の生徒の
机を借りて学習しています。
中には、授業中にもかかわらず、トランプをしている
生徒もいます。先生が注意してもやめず、静かにしている
からいいだろうと、文句を言っています。
こういう生徒の親はどんな親か想像がつきますね。
親が人間としてのルールを越えているのでしょう。
しかし、子供の状態を親は知らない。親自身も自分を知らない。
経済の世界では、偽装メーカーは「信用」を失います。
しかし、上のような親や子供は何を失うのでしょうか。

国にあること(1)

2007-10-30 19:18:53 | Weblog
こんばんは
お久しぶりです。
最近は、メーカーの製造年月日などの偽装などで
新聞の紙面がにぎわっていますね。
老舗の偽装は、何年もかかって築いてきた信用が
崩壊してしまいます。老舗の強みは、信用でしょう。
それを裏切って、お金を追い求めることは
資本主義のルールを越えた行為です。
自由競争が前提の資本主義も、ルールがあるわけです。
自由ではあるが、ルールがある。当然ですね。
しかし、老舗ですら、ルールを破っている。
日本の経済はこんなものなのでしょうか。

比較文化(2)

2007-10-14 07:45:47 | Weblog
おはようございます。
少し肌寒い今朝は
「ティファニーで朝食を」を思い出します。
オードリーの大きな光を放つ目、引き締まった
口元の笑み。そして売れない作家に扮する
後年、スミス大佐で人気をはせた
ジョージペパード。
彼らのアパートのシステムキッチンやクロゼット
は、1961年のアメリカの世界。
彼らの生活レベルは
今の日本でもかなりの高額所得者の生活に値するでしょう。
この約50年前のアメリカに今の日本は匹敵するでしょうか。
答えは「ノー」でしょう。
新しい議員会館は、国会議員1人あたり100平方メートル。
約2.5倍になるそうです。
小渕総理の時、国民の住宅面積を5倍にしょうとスローガンを
つくったが、その成果でしょうか。しかし、国民住宅の方は広くなった
とは聞きません。まずは、国会議員からと言うわけでしょう。
しかし、この50年でもアメリカの水準に達していないのですが。


信用すべき社会

2007-10-13 17:21:28 | Weblog
私達の社会は、信用が根本にあって
成立しています。
例えば、レストランに入って、安心して食べるのも
信用して食べています。
電車に乗って目的地に行くのも
その電車が目的地に行くはずだから乗ります。
資本主義は、自由競争ですが
すべてが自由競争では、成り立ちません。
ここに資本主義の守るべきルールがあります。
例えば、教育に自由競争はふさわしくありません。
なぜなら、人格形成は競争すべき次元のものとは
異なるからです。
切磋琢磨のためなら、自由競争も
いいのではという考えは、教育の本質を見失って
そう考えるのではないでしょうか。
学力を切磋琢磨することは、教育の目的ではありません。
学習を通じて、人格形成が教育の目的であり本質であり
学力向上が目的ではありません。学力向上が教育の目的と
考えるのは、教育を就職目的と考えるのと同じではないでしょうか。


社会のルール

2007-10-13 17:02:08 | Weblog
こんにちは
社会に必要なものは
他にもあると思います。
例えば、子供のわがままをどうするか。
絶対にためなことは、絶対だめ。
これが、子供の成長には必要だと思います。
大人が、だめと言ったことを
わがままを通してしまうと
やりたい放題です。
子供を立派な大人に成長させるためには
だめなものは必ず必要です。つまり
わがままを通させていけないというルール
です。
大人のわがままと違います。
子供のわがままです。
だから、先日のボクシング戦では
反則をしたのだから、失格にすべきです。
これができて、初めて
信頼関係ある社会は成立します。
テレビでも放送されたのだから
その反則を子供も見ています。
だから、厳しく失格にすべきです。
そうでないのなら、テレビ中継すべきでは
ありません。子供に害を与える放送は即時
禁止すべきでしょう。それが大人です。

社会に必要なもの

2007-10-12 20:48:19 | Weblog
安倍さんが、戦後体制からの脱却と
スローガンを唱えた。
しかし、戦後の何がいけなかったのか
が表現されなかった。あるいは言えなかった。
私は、憲法にある平等ということは
良い事だと思うけれど、授業参観でびっくりした
ことがあります。
それは、先生に対して見下したような発言をする生徒
の姿でした。しかし、年上の者に対してこの生徒の言は
ダメですよね。平等だからと言って、この生徒の態度は
ダメです。相手を尊重していない。平等がわかっていない。
やはり年上の者を尊重すべきです。しかるべき言葉遣いも
必要です。こういうことを今の教育は教えない。
教育の専門家も必要性を言わない。教育再生会議も言わない。
中教審も言わない。文部科学省も言わない。
年上の者を尊重することが教育の基盤です。
それがなければ、教育は成り立たない。
教育が不成立なら、社会は成り立たない。

ボクシング

2007-10-12 19:58:50 | Weblog
こんばんは
昨日のボクシングは
大変な内容だったようですね。
同時に今の若者の精神的未熟さが
露呈したようです。
ボクシングというルールのもとで
行われるプロの試合が、
投げ技?などで別の格闘技に変わる
ような内容になったのは
ルールを守れないプロはプロでは
ありません。もっともまだ10代後半で
まだまだ大人ではないのですから
マスコミが騒ぎたててきたことも
マスコミに罪があることなのです。
大相撲でも横綱らしからぬ行動があれば
大関にもどすなりして横綱の権威を
高めてもらいたいですね。
人気稼業だからできないというなら
伝統国技でないわけです。
若さは花であるようで、真の花ではないですね。
年齢を重ねてこそ、真の花ができあがります。
せっかくの才能も、つついて
台無しにしないよう
マスコミも自粛してほしいものです。



特攻野郎Aチーム

2007-10-06 22:22:19 | Weblog
こんばんは
最近は「特攻野郎Aチーム」を
よく見ています。
4人のチームですが
一人一人が個性的で
結構気に入ってます。
何回見ても、見れば見るほど
このチームの人物が好きになります。
ハンニバルは、どんな困難なときでも
ユーモアを忘れず、めげない。
一番好きな人物です。
みなさんもぜひ見てください。

小学校は天国

2007-10-04 21:47:29 | Weblog
こんばんは
近所に中学校の先生が住んでいます。
彼は、小学校から転勤してきたばかりです。
どんな小学校か聞きました。
1年生から6年生までで60人あまりの学校だった
そうです。職員は12人ほど。のんびりした
雰囲気のなかで平和な時間が過ぎて行き
そんな中での授業だったそうです。
今の中学生を見ると、あの小学校が夢のような毎日に
思えるとのこと。
今日も授業中に3年生は校舎の屋根の上でダンスを
踊り、職員は下から見上げるだけ。
授業のない空き時間は、授業を抜け出した
生徒を探しに行き、授業研究をやる時間もないとのこと。
抜け出す生徒からは暴言や暴力を受け、人間としての
尊厳を奪われる日々とのこと。
生徒の暴力による骨折で、公務災害の申請も管理職の
非協力的な態度で申請もおぼつかない有様。
申請をすれば、翌年は過重な仕事を持たされる始末。
それを考えると、公務災害の申請はできないとの。
万一、申請しても公務災害基金は解決に非協力的。
そして、管理職と生徒の板ばさみにあるとのこと。
理解を示す父兄がいるわけでもなく、もしも、職員の
苦境を理解する父兄がいれば、保護者会でそういう理解できる
父兄は他の父兄からつるし上げられる始末。
そんな事を聞きますと、この世の地獄ですね。
文部科学省の存在は、ここには有りませんね。
「健康で文化的な最低限度の生活」も有りませんね。