つれづれそう

その時々の世の中の出来事を徒然に
老人の戯言ですので、文章に責任持ってません。時々、若い人がかわりに書きます。

こんばんは

2007-03-14 21:19:36 | Weblog
寒い日がつづきますね。
アクセス状況を見ますと、やはり暖かい日の
アクセスが多いです。
アクセス状況にアクセクしてもしょうがないですけどね。
今日は、愛犬の調子がよくなく風邪を引いたかも。
犬も風邪を引きますね。
いまだに、ブログの利用法がよくわかりません。
パスワードもよく間違えます。1回間違えますと
その日は縁起が悪いので、書きません。
ブログの更新がない場合は、旅かパスワード間違いの
どちらかです。
だんだん私がおわかりになられたでしょうか?
よくメールで更新が遅いと言われますが
それはーー私をご存知ないからです。

学問

2007-03-13 22:39:12 | Weblog
こんばんは
急に寒さが戻ってきました。
老体にはこたえます。
さて、今日のテーマは「学問」
です。
学問とは私どもが若いころは
人づくりであると言われました。
しかし、最近の学問(勉強)の
とらえかたは、違いますね。
勉強して学力をつけることが
優先されます。でも、これは
学問本来の目的から考えますと
邪道ですね。学力つけたから
偉人になれるわけではありません。
学問を身につけることで、人として
立派であるといわれることが大切です。
学力という得体のしれないものは
相手にしないで、ただ人として
なすべきをなすことが大切ですね。
学力に限定すると、人格形成という
目的がなくなり、枝葉末節な点数主義
となります。点数をあげて喜ぶのは
やぶ医者ぐらいなものです。
お金に直結する点数が勉強の中心となる
ならば、「せこい」人間を
育成することになります。
これでは、精神レベルの成長はあてにできません。
昔から、「あの学校で勉強したものは、立ち居振る舞いが
違う」と言われるようでないといけません。
それが「学問」の威力でしょう。

私塾2

2007-03-03 20:32:52 | Weblog
こんばんは
先回は塾について書きました。
好評でしたので
続きを書きます。
孫の中学生の学校環境はひどいものです。
いじめはあります。
クラス自体が、勉強できる環境ではありません。
授業中に私語するは、歩き回るし。
こんな環境に可愛い孫を置きたくない。
どうして公立学校はこうなってしまったのだろうか。
昔は体罰がありましたね。しかし、それで規律が
保たれていた時期がありましたね。
それが、今はできない。体罰がないから、子供は
悪さをしても怖い物無しです。
昔の子供には怖いものが、4つあった。
地震・雷・火事そして親父です。
今、地震・雷・火事そして親父すら
怖くない。学校の先生も当然怖くない。
先生は仕事がら、授業を進めないといけない。
しかし、悪い子供は、その弱みにつけ込みます。
ますます悪い子供はダメになっていく。自分を縛る
枷がないから暴走します。
その影響で、周囲の学習環境・生活環境はダメになる。
塾のよさが光りますね。
入塾テストはがんばらないと希望の塾に入れません。
私語厳禁ですから、守らない子供は退塾させられます。
こんな塾のよさを見習う必要があるのでは。
孫は学校より塾の方が勉強できる環境で、喜んでいます。
公立学校はこのままでは、アメリカの二の舞ですね。
どこが塾と違うのか国民が考えれば、きっと変わります。
クリントンさんは、日本の塾の多さを褒め称えていたのを
思い出します。

私塾

2007-03-02 19:52:19 | Weblog
こんばんは
テレビでやってましたグルメ旅行に
行ってきました。
お久しぶりです。
孫の顔見たさにぶらっと訪ねてみました。
孫は中学生です。塾へ行くとのこと。
その塾は授業中にしゃべっていたら
即退学ならぬ退塾となるそうです。
それぐらいのきびしさがないと
学問はできません。
私らが小学生のころは、母親が木の棒を
持って、私らの勉強を見ていました。
ちょっとでもよそ見をすると、木の棒が
頭に飛んできました。
しかし、今考えるとそれがよかったですね。
それぐらいしないと、学問はできません。
小学校や中学校の先生は気の毒ですね。
木の棒も退学も武器を持ってません。
それで、きびしい学問の道をどう案内できる
んでしょうね。孫の教科書を見て、びっくりです。
地理なんか、これが本かと思うような内容です。
旅行のパンフレットの方がずっとましですな。
教科書というしろものではありません。
こりゃ中学生が気の毒です。
もっとも平成の大合併とかいって、地名のもつ
歴史はどこかへ飛んでいきました。そして、教科書も
中身が飛びました。こりゃあ確信犯ですな。
教科書会社の知り合いに聞きましたら、こんな中身でないと
検定が合格できないとのこと。
そういえば、教育の場にも「若様修行」でキャリアの方が
来なさるとのこと。そんなお金があるのなら、教師の一人でも
雇いなされ。とは、近所の井戸端会議での結末でした。