=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

冷しトマト

2007年02月27日 | 暮す日々
 ウォリス展を観た日は、もうひとつ所用を済ませたあとで、義理の伯父夫婦の家に泊った。
 兄嫁の父母、すなわちまる子(姪:中1)の母方の祖父母にあたる。
 夕食は、近くの鰻屋。鰻だけでなく、酒肴も豊富な店だ。
 伯父は鰻を好むが下戸なので、両方にとって好都合である。

 ガラス戸を開けるとすぐカウンター、右手にテーブル席。
 3人は、間を通って奥の座敷に上がった。
 店に入るとき、カウンターの一番手前に座っていた男性が、私の顔をじいっと見上げたので気になったが、
その理由は、後に知れる。

 伯父「まる子ちゃんはさ…アタマがいいんだよね。オレなんか子どもの時分はさ…鉛筆をなめなめ、
ゆっくり考えないと答案が書けなかったんだけどさ…まる子ちゃんはさ…サササッと書いちゃうんだよね。」
 私 「そうですね。アタマの回転が早いんですよ。」
   『ろくに問題を見ないからですよ。よく単位を書き落として兄に叱られています。早くても間違ってたら
意味ないでしょう。』
 カギカッコ内は、心の声だ。

 しばらくして、頼んでいない冷しトマトが運ばれてきた。
 カウンターのお客さんからだという。
 伯父は座敷からカウンターを覗き、戻ってくると硬い表情になって、料理に箸をつけなくなった。
 そして、地震が起きたときのようにガバと立ち上がり、熊の子みたいに座敷を行ったり来たりし始める。
 「K沢さんだ…。」
 伯母に尋ねるとお隣さんだという。関係も良好らしい。
 なんだ…因縁のある相手かと思った。
 「○○さん(私のこと)。すぐにお礼に行ったほうがいいかな。それとも後の方がいいかな。」
 真剣に悩んでいるのである。
 「そりゃ、すぐに行った方がいいでしょう。」と私。
 伯父は、少しほっとした顔で戻ってきたが、今度はお返しをすべきかどうか、おろおろ思案をし始めた。
 「○○さんは、こういうことに詳しいから。」と伯母は泰然としている。
 …別に詳しくはない。
 「いや、今日はいいでしょう。好みも分らないし、あちらは先に呑んでいるのだから、お腹がふくれているかも。
それに3人連れです。お一人だけにお返しというわけにも行かないし。後日でいいのではないですか。」
 納得したのか、伯父はようやく鰻に箸をつけ、あっと言う間にたいらげてしまった。
 なにしろ去年、町内会の班長が回って来たときに胃炎を患って入院した人である。
 なんでも受け止め方が素直で真面目なのだ。

 翌朝。
 私が出発するときに、ちょうどK沢さんが庭に出ていらした。
 そこで私が何者であるかを述べ、昨晩のお礼をした。
 その日もやや寒く、伯父はコートを貸してくれ、伯母と犬とでバス停まで見送ってくれた。
 そのコートは「ゆき」がたいぶ短かったけれど、暖かかった。

 ところで、冷しトマトのお返しには何が相応しいのだろうか。

アルフレッド・ウォリス展

2007年02月26日 | 文化・社会
○アルフレッド・ウォリス(1855-1942)

(左)「通りの角」 制作年不詳:私蔵
(中)「緑の野原の側を横切るブリガンティーン」 制作年不詳:ケトルズ・ヤード蔵
(右)「大きな橋の手前の船(ソルタッシュの橋と訓練船)」 1935-37頃:ケトルズ・ヤード蔵

 先週末は上京していました。
 ひとつだけ仕事、あとは遊びがてら。
 珍しく美術展を観たのでそのことを…。
 会場の東京都庭園美術館は、最寄りは地下鉄南北線の白金台なのですが、目黒駅からでも600メートル
足らずなので、歩くことにしました。
 この日(土曜日)の東京は思ったより寒く、風も強くて、コートを羽織って来なかったことを少し後悔。

 アルフレッド・ウォリスは元々漁船の乗組員で、そのあと中古船具店をして、70歳を過ぎてから
画家になった人です。イギリス南部コーンウォールの港町、セント・アイヴスの風景を描き続けました。
 彼は全くの独学でした。
 「通りの角」では、俯瞰のようで家は正面から平面的に描かれていて、しかも真ん中の家の一部だけに
パースが付いている。私のような、絵の約束事を知らない人間が見たって、パースペクティブが
まるで無視されていることが分ります。
 物の大きさの関係も然り。
 幼児が描くような絵なのですが、かといって彼の絵に「童心」は感じない。
 むしろ、落ち着いた気持にさせてくれます。
 想像するにウォリスはこのようにしか描けなかったし、不安定な構図も彼にとってはグッドバランスで、
しかも観るものがそのバランスに感応できる力を、絵がそなえている。

 私はひとつの展示室に入り、最初に見た素描が急に上手になっているので驚きました。
 彼を「発見」したのはベン・ニコルソンとクリストファー・ウッドという若い職業画家で、二人の絵が展示
されていたのに、それと知らずに入ったのです。
 彼等はウォリスに影響を受けてプリミティブな作風を試みたのですが、やはり訓練が災いするのか、
絵を知りすぎているのか魅力に欠けます。
 ウォリスは絵の描けるものなら何でもカンヴァスにしました。
 だから不定形な作品がとても多い。
 段ボール紙の切れっ端なんかに平気でどんどん描いているんですよ。
 「漁夫かなんかになれるんだったら、これまでの自分をなかったことにするよ…アーティストなんてひとっつも楽しいことないんだからさ」
 こう語ったのはジョン(レノン)ですけれど、ウォリスの作品から「創造の苦しみ」を読み取ることは困難です。
 彼の絵は、威張ったところがなくて「自足」しています。
 すごくいい絵だと思いました。

老舗書店閉じる

2007年02月19日 | ビジネス?
 120年近い歴史を持つ鶴林堂書店(松本市)が先週の金曜日に閉店した。

 私は高校のときに時折利用したことがあって、「カクリンドウ」を友人間では、ふざけて「ツルリンドウ」と呼び、禿頭の人もそのように言い習わしていた。
 新聞(市民タイムス)には「突然のことですぐには信じられない」等の声が載っている。
 まあ、閉店は突然行われるものだ。
 私も残念な気持はあるが驚きはない。
 帰郷してから立ち寄ってみると、建物は同じでも、棚が随分と変っていたから。
 専門書のあった階は、まるごとゲームやアニメにあてられ、新書のスペースがやたらと広くなった。
 指向性を欠いた中小規模の書店は、総花になり棚が雑然とする。
 それに仕事上の本を訪ねても、パルコの地階にあるリブロの方がまだ見つかるので、次第に足が
遠のいてしまった。

 長野市には駅前に「平安堂」があるからまだしも、松本近辺には魅力のある書店が少ない。
 先日、「コルナイ・ヤーノシュ自伝」を探しに信州大学近くの書店に出向いたら、置いてなかった。
 経済学部があるのだから…とアタリをつけたのだが。
 というか、専門書のコーナーそのものがないのだから呆れてしまう。
 結局アマゾンを利用することになる。

 しかしインターネットショップのメールマガジンはどれもこれも鬱陶しい。
 というのは、ネットでは「目的買い」しかしないから。
 実店舗は出会いの場所で、それは書店も同じことだ。
 売り場では「ときめきたい」のである。
 流行りを追いかけているだけの、化粧の濃い女(本)ばかりじゃ萎えてしまうというものだ。

 鶴林堂書店は「ナワテ通り」を西に抜けた千歳橋のたもとにある。
 あった…というべきか。
 (この通りのランドマークだった映画館「中劇」も閉じた。)
 普通でいいけど、もっと店主の顔の見える棚だったら結果はどうだったのだろう。
 「書店経営を知らないくせに。そんな甘いものではない」と叱られるのかも知れないが、
無責任に想像してみる。
 頭書記事によれば、松本市ではここ15年で約40店あった書店が15店ほどに減ったという。
 ちなみに同市の人口は、22万8781人である。(本年元日現在)

後には脱兎の如し

2007年02月17日 | 文化・社会
 後には脱兎の如し

 近藤ようこ:著 
 晶文社:刊(2004年)

 漫画家、近藤ようこさんのエッセイ集。
 彼女のコミックスで、私が持っているのは以下の4作(読んだ順)。
  ・「鋼の娘」
  ・「アネモネ駅」
  ・「ホライズンブルー」
  ・「アカシアの道」
 後の2つは姉妹作である。

 あとがきで、「本業である漫画の仕事が減っていて、背に腹は変えられない状態」にあるので、
エッセイを引き受けたとある。
 関川夏央さんは「知識的大衆諸君、これもマンガだ」のなかで、こう書いた。
 「…初版は五千部から二万部、マンガとしては相当に低部数だが、彼女の作品は堅実なファンを持つ
  文芸書のようにもとめられている。」
 「…作品の売り場がマンガのそれに限られていることは、彼女の作品の水準の高さからいっても
  大いに惜しむべきである。」
 (同書218頁)
 私もこの見解に同意する。
 但し、近藤作品はたしかに淡々として地味ではあるが、決して「文学的」で難解なものではない。
 内容は家族や生活といった普遍的なテーマで、殆ど読み手を選ばないのだから、もっと広く親しまれていい。
 
 近藤作品はどれも美本(なんて言葉あるのかな)で、本書もその例に違わない。
 反物を思わせる表紙や、「きもの春秋」の章だけ桜色の紙を使っていたり、装丁がお洒落。
 学生時代の思い出や、ご自分の嗜好や暮らしぶりが衒いなく書かれている。
 50代にさしかかろうとする独居女性の身辺記録としても読めるが、私は中世の地獄絵や作画取材についてのエピソードを楽しんだ。
 また私は「ホライズン・ブルー」「アカシアの道」に登場するヒロインの夫が、いずれも余りに鈍感で
ステレオタイプなことに、少し驚いている。
 だから、時折示される男性観のようなものも興味深かった。可愛らしい人だ。

 それにしても、この年代で新潟出身の女性漫画家は、他に高橋留美子さん、高野文子さんと、いやはや
錚々たる顔ぶれであるなあ。

 コミックス作品についてはいずれまた。

 〔余 談〕
 本書冒頭、近藤さんが、ある日の枕頭の書物を列挙したひとつが面白い。
 前田寿安「官能劇画大全5・愛奴」
 …オヤジか。
 (熱心なファンの方、御免なさい)

キミも(M)構造のガンマ・ゼロを加えてご覧よ

2007年02月12日 | 文化・社会
 フェルマーの最終定理の落穂拾い。
 というほど書き込んだ記事でもなかったが…。

 最終定理の証明に極めて重要な役割を果たした「谷山=志村予想」は、すべての楕円方程式はモジュラーと対応するというものであったが、「予想」が証明されるためには、ゲルハルト・フライの提示した楕円方程式が完全に異常だと証明される必要があり、そのために精力を注いでいたケン・リベットが大学近くのカフェで、バリー・メーザーとお茶をしていた1986年カリフォルニアの昼下がり…と思ってくれたまえ。
 (本書311頁)

 リベット「特殊ケースは証明できたんだが、それを一般化して完全な証明にする方法がわからないんだ。」
 メーザー(傾聴しつつカプチーノをすする動きを突然ぴたりと止め、信じられないといった顔で)
     「おい、わからないのかい。もう解けてるじゃないか。
     (M)構造のガンマ・ゼロを加えてやって、きみの理論にあてはめればいいんだよ。」

 そしてリベットは、サイモン・シンにこう述懐するのだ。
 「まったく愕然としましたよ。
 (M)構造のガンマ・ゼロを加えるだなんて、
  こんな簡単なことに気づかなかったのですから。」

 …なんて迂闊なんでしょうリベット教授!
 私なんか、暇さえあれば(M)構造のガンマ・ゼロを加えてますよ…貴方にゃ呆れるね。