=電線の鳥blog=「今日もどっちつかず」

 一般的にどうなのか、みたいなことは、結局、重要なことではない~チップ・エクトン

玉裂き、焼く~頭音変換は広大無辺

2005年07月30日 | 文化・社会
 笑いについて最も優れた定義をしたのはベルグソンではなく南伸坊さんだ。
 南さんによると、笑いとは「人の脳が余りにも想定外の刺激にさらされた時の緊急避難」なのである。(出典忘却)
 初めて「ドクトルまんぼう航海記」を読んだ中学生のとき。初めて「びっくりハウス」を読んだ高校生のとき。初めて「はみだしぴあ」を読んだ浪人生のとき。初めて「VOW」を読んだ社会人のとき。
 ジャブだフックだアッパーだ!(古すぎる)とばかりに笑いの連打に打ちのめされ、畳の上を転げまわったっけ…。
 そしてまた出会ってしまった。
 すなわち、
 けつだいら まん
 であり、
 なまず しりあきら
 である。
 頭音変換というのは決して新しくない。たしか内田百も随筆で書いていたと記憶する。私も自分や家族の名前でやったことはある。
 しかし、不覚なことに掘下げが足りなかった。
 残念ながら、このサイトは更新終了となっているが、その功績は称えきれない。
 「笑っていいとも」で、
 阿藤快⇔加藤あい
 というネタをやっていたが、出もとはおそらくここ。
 私もやってみた。
 まずは最近の投稿から拾ってみる。
 くこうだ ムニ子
 であ~る、ムニムニ。
 クリ下 もるみ
 は、どうであろう。そこはかとなくエロいのは看板女優の貫禄という他ない。
 じゅいずみ コンいちろう
 は、どうか。何となく長生きしそうだ。コーンっ!
 へけなか たいぞう
 も地味ながら味わいがある。…へけなか。
 そして表題である。賢明な貴方はすぐにお分かりのことと思う。
 前川やくさん、ハラショー。
 ダーチン ぷいとうりょう
 前川さんのサイト「Sledge hammer web」はこちら(仕事中の閲覧厳禁)

面差し

2005年07月29日 | 森下くるみさん
 カテゴリーが繋がっていないけれど、前回の続き。
 向田邦子と森下くるみさんは、面差しが似通っていると思う。
 目の位置が少し高く、聡明なリス(本物のリスは大食いで馬鹿だが)のように光があって少し裂れ長。目と目の間は離れ気味。
 鼻梁はやや太く、鼻先がふっくらとしている。
 その下の唇は、口元が引き締まっているけれど酷薄さはなく。
 そして、綺麗な柳眉。
 全体から受ける印象は「ある一線」を引いたような強さを感じさせるが、どこか傷ついているようでもある。
 「顔の好み」というものを意識したことって余りないが、この機会に書いてみた。

NHK教育テレビ~「知るを楽しむ=向田邦子」

2005年07月29日 | 文化・社会
 7月14日の続き。
 一昨日のこと。深夜の2時に起きて、お風呂が沸くあいだテレビを眺めていた。
 表題の番組については、新聞のテレビ欄でも紹介されていたが、私は計画的にテレビを見ないので、興味はそそられていたものの、観る機会がなかったのだ。この時に思いがけず観ることが出来た(勿論再放送)。
 続き物で、この日は第4回目。妹の向田和子さんをゲストに迎え、向田邦子の人柄が語られる。
 その中で、彼女が二十代の時に妻子ある男性と恋愛関係にあったこと。彼が病に倒れて家族と別れてからは献身的に尽くしたこと。但しそのことは誰にも語らなかったこと。などが紹介されていた。これは「向田邦子の恋文」(向田和子著)で初めて世に知られたらしい。
 結局、二人の関係は男性の自殺で幕を閉じた。
 7月14日の投稿で、高島俊男さんの「メルヘン誕生」を取り上げたが、その中にこんな一節がある。
 「向田邦子の深刻な恋愛体験は三十代のなかばごろ以後にあったと見てよいのであろう。」(同書176頁)
 同書の初版は2000年7月であり「恋文」の出版が2年後の同じ7月だ。だから高島さんは執筆当時にはこの恋愛について知る由がないのだが、結果的に上記の記述は誤りということになる。
 一方で、向田邦子の小説に登場する男性がどれもこれも設定以上の存在感がなく金太郎飴のように似通っている(だから男性との関りに乏しかったはず)との指摘は、極めて説得的に書かれているのだ。
 和子さんによると、向田邦子は親族の大黒柱的存在だったという。
 人を支えることを自分の支えにする性質だったのか。
 本当は誰かに支えて欲しかったのにそんな自分は受け入れることが出来なかったのか。
 一体どちらだったのだろう。
 さて、番組であるが太田光が素晴らしいホストぶり。そもそもが知的な人だが(分野は違えど)表現者として向田邦子を敬愛する姿勢が保たれていて爽やかだ。
 ブラボー。
付記:引用した高島さんの記述は、森繁久弥さんが自分のラジオ番組の台本を書いていた32歳当時の向田邦子が「処女だった」との発言(そう直感したということ)を受けて書かれている。「経験豊富な人(森繁さんのこと)にはそういうことがわかるらしいから」というが、論旨の裏付けに厳密なはずの高島さんがどうしたことだろう。もとより、そんなことは確認できるはずもなく、森繁発言は一種のパーティージョークだろうに。

原始人

2005年07月26日 | 暮す日々
 兄嫁の父上の話。
 今使っているテレビが古くなったので、兄夫婦と量販店に出かけた。
 売り場の特等席では、液晶大画面のテレビが並んでいる。
 夫婦間では購入方向に空気が傾いていたが、伯父が待ったを掛けた。
 「いや、こんなものダメだ。止しとこうっ。」
 兄が理由を尋ねると、
 「こんなに薄いのは、きっと部品をケチってるからだ。そのくせ高い。」
 伯父は実直な江戸っ子で冗談を言うタイプではない。
 兄は説明を試みたが、どうしても納得して頂けなかったという。
 話を聞いて笑ったが、馬鹿にはできない。
 私もブログなぞやっているが、例えば未だに電話が不思議で仕方がない。電話嫌いの癖に、時には「遠くの人と話せて便利だなあ。」としみじみ思ってしまうのである。
 世の中こういう人は案外いるのではないか。

ご清潔でご誠実

2005年07月25日 | 文化・社会
 5月25日の続き。名付けランキングの男子編です。
 男子は女子と違い、切り口が難しい。
 「○○お」(当てはまる漢字は男・夫・雄・生etc)タイプが多いかと思ったが案外ランクインしていないのだ。
 一文字三音タイプが圧倒的に多い。
 以下、気づいたことを記す。
 1.大正と昭和の始めは「正一・正二・正三」「昭一・昭二・昭三」と生年をそのまま反映させた名前が多い。大正5年(1916)は「辰雄」トップ「辰男」10位。これは干支ですね。
   まだ記号なのである。
 2.昭和13年(1938)から同20年(1945)までの8年間は「勇」もしくは「勝」が首位で分りやすい。たしかに切ない気持ちにもなるが、赤ん坊がすぐ兵隊になるわけでもないのに、一体この方たちは何年間戦争が続くと思っていたのかという疑問も湧く。
 余談だが、上が「米偏に英」下が「治」で「えいじ」という名前の次兄を持つ方を知っている。「米英を統治する」という意味で、漢字まで拵えてしまったのだ。ご本人は団塊の世代(戦後生れ)で「三男」といい、急にヤル気を失った様子が伺える。
 3.敗戦後昭和21年は「稔」が首位。何故だか分らない。2位に「和夫」が入っているのは納得。ただ、7位に「進」8位に「勇」が残っている。頑固な方なのだろう。
 4.戦前に王朝を築いたのは「清」。実に15回(内、戦後1回)の戴冠である。
 5.戦後は「博」「茂」「隆」がそれぞれ政権を奪取するがいずれも3年以内の短命に終わり、昭和37年(1963)から「誠」王朝が始まる。この王朝は長く、途中「健一」のクーデターに遭うが、実に18回の戴冠で昭和53年(1978)まで続く。
 6.強大な「誠」王朝を倒したのは「大輔」共和国。昭和54年(1979)から同61年
(1986)まで8年間の繁栄をみる。
 7.その後「達也」をはさんで平成は「翔太」「大輝」連邦が躍進。
 8.同数で順位を分け合う「バラケ現象」は女子同様に見られる。連邦に与するを良しとしない国家独立の気運か。
 以上である。って勿体ぶっているが特に深い意味はない。
 強いて言うなら、男女ともに80年代に変化が見られることか。
 結果として、偶然にも(と思うが)正田美智子さんが明仁殿下(いずれも当時)を評した
言葉が、二つながら日本人の好む男子の名前になっている。
付記:本当は、ここ20年位の名付けについては思うところがある。以前の投稿で書いた小学校の名簿を作成した時にも強く感じた。
 それは男女共に名前が「愛玩的」になっていることだ。
 ただ、その是非を語る資格は私にはないだろう。