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NPC劇場

2010年01月27日 | 物語愉楽論
「NPC劇場」というのは、テーブルトークRPGの用語です。……用語?用語というかスラングですねかな?元々、RPGで編まれる“物語”の登場人物(キャラクター)には二種類あります。プレーヤーが“演じる”登場人物=PC(プレーヤー・キャラクター)と、それにゲームマスターが“演じる”PC以外の登場人物たち=NPC(ノン・プレーヤー・キャラクター)がそれです。

それら二種類のキャラクターのPCを主軸に、NPCを織り交ぜて物語を編んでいくのがTRPGというゲームなんですが、時にゲーム・マスターによって作られる物語が一方的な展開で、かつPCの活躍を必須としない、そういうシナリオが用意され強行されてしまう時があります。まあ、これはシナリオの内容にも因るちゃあ因るのですが、これらの事象が繰り返されると大抵の場合、プレーヤーたちはウンザリしてしまうでしょう。それで「ゲーム・マスターはくれぐれもNPC劇場にはならないように…」と戒めとして用意された「言葉」なんですよね。

ちょっとたとえを出すと、一般汎用的なファンタジーRPGの場合、ゲームのスタート時大抵PCはレベルが低い所からスタートします。通常、これが次第にレベルアップして行きそれによって体験して行く方式がとられるワケですが…。
この時点で実はゲーム・マスターは「世界を破滅の危機から救う話」がやりたくて仕方なくて、そういうシナリオを用意していたとしましょう。すると、どうなるか?まあ、当然ながらPCのパーティだけではレベルが低すぎてとうてい世界なんて救えない。すると、どうなるか?まあ、施策の一つは強力なマジック・アイテムなどを与えてPCを強引に強化する事ですね。しかし、これをするとちょっと問題が起こる事もある。というのは強力なアイテムを持たせてもPCパーティが世界を救う方向に動いてくれるとは限らない、というかむしろ世界を破滅方向というか、ぶっちゃけ悪事に使って行く事もあるワケです。
※ …いや、まあ、世界を救うシナリオがしたいなら最初にセッションを組む前にそれを宣言して、その意を汲んでくれる(世界を救う範囲内でのプレイを心がける)事を確認の上、充分なレベルを与えてスタートするのが正しいのですけどねw基本、完全自由なプレイを目的として集まった際に、あまり自由度のないシナリオを書くヤクザなゲームマスターのたとえ話なんで……当然、プレーヤーもヤクザな対応したり…という、まああくまでたとえとしての悪いプレイの話ですね。

そうするともう一つの施策として、用心棒をつける…というのがあります。ここでNPCというヤツが登場します。こいつにPCパーティよりも高いレベルを与えて、それこそ束になっても勝てないようなレベルを与えて、シナリオを強引に“そっち”に誘導する。…まあ、ぶっちゃけ言うと、この用心棒(NPC)が英雄になってしまうワケですね。そうしてPCパーティはせいぜいが、英雄のお供、その他大勢になってしまう。そうすると、もうPCパーティはそのシナリオあんまり面白くないんですよね。だって、その物語を“決める”場面で自分が舞台の上にいないような“NPCが演じる劇場”の観客のようになってしまうから、プレイしている意味が薄れてしまう。NPCが「強く」てPCの物語でなくなってしまう。



こういう状況を「NPC劇場」と言うワケですが…。今は、どうなんでしょうね?もう、かなりこなれて来てこういう悪いシナリオやプレイは躱すようなノウハウがあるようにも思いますが…。昔は慣れない事もあって、勝手なゲーム・マスター、勝手なプレイヤーはそこらじゅうにいました。…つか、僕がゲームマスターやって最初に組んだシナリオはこんな感じなんだけどな!(`・ω・´)
また、日本で一番知られているであろうTRPGのリプレイ「ロードス島戦記」も初期の段階では、この「NPC劇場」をやらかしているはずです。その後、様々なメディアミックスを経て、歴史絵巻的な視点にブラッシュアップされているワケですが。英雄戦争の件り、特に皇帝ベルドとファーン王の対決=両者ともNPC、なんてあたりは、あそこで決着がついてさらにでてくるのまでカシュー王=NPCというかなり“観ているだけ状態”になった事が想像されます。
まあ、雑兵として、その戦闘のダイスは振っていたでしょうから飽きはなかったでしょうけど、レギュラー・キャラじゃなくっていつ死んでもおかしくない兵士Aに近いような枯れたロール・プレイを楽しむ事にはなっていた……と言えなくもないワケです。(まあ、もっと見せ場が与えられた事は知っていますけど、敢えて落として言っている)そういう編まれた物語に対してあまり中心でない脇のさらに外に追いやられてしまう状況を「NPC劇場」と。

…で、これ。「漫研」では特にPCもNPCもない、普通の「物語」を評する時に使ったりする事があります。使えそうな「言葉」だったので流用したんですね。当然、「物語」にはPCもNPCもいない(あるいは明確に分けられない)ので「受け手」が何をそう評するか?に対して解釈の幅が出てくる事ではあるんですが。でも、まあ、単純に言えば任意のキャラ……おそらくは「作り手」にすっごく気に入られたキャラが、フォワードで活躍して主人公が近い位置にいるにも関わらず、ほとんど“動いて”いない状態だったりすると「あ、「NPC劇場」になってる」とか言ったりしますね。

要は「受け手」の視点として用意されたキャラとは別のキャラで物語が動いていって、視点が置いてけぼりにされると視点がぼやけるのではないか?という予想のもとに見立てをするのですが。逆に「作り手」が視点のつもりで動かしていても「受け手」にその意識がなければ「NPC劇場」に観える…という現象が起こるでしょうし、主人公(視点)に変な「回らない」設定をつけてしまったりして、後から出した「回る」キャラの使い勝手に依れてしまって「受け手」を混乱させる…なんて事もあります。当然「受け手」の問題(特性)だってある。まあ、なかなかそう一概にはくくれない事でもありますね。



ちょっと何かサンプルとなる作品を上げてみようかと考えたのですが……有名所はけっこう、そこらへんは“味”のようなものになっていて“依れ”とか“混乱”みたいなものは飛び抜けてしまっている場合が多いので、なかなか難しいですね(汗)それでも今川泰宏監督の「ジャイアントロボ~地球が静止する日~」は分りやすいかな?と考えました。
この話、世界征服を狙う悪の組織BF団と、それを阻止すべく活躍する国際警察機構の戦いの中で、巨大な大怪球を使って地球のエネルギー活動を全て停止させてしまおうとする作戦“地球静止作戦”の顛末を描いたものなんですが…。まあ、観てみると分るんですが、今川監督あきらかに戴宗や衝撃のアルベルトをはじめとした超能力エキスパート達の事が気に入っていて、この作品のタイトル…つまり大主役のジャイアントロボや他の巨大ロボたちの事なんて二の次!三の次!ってな感じなんですよw

とてつもなく巨大で強力な“大怪球フォーグラー”に最初ジャイアントロボはあえなく敗れ去りまして……いやいや!その後大反撃かと思いきや、最後のクライマックスになってパワーアップしてさえも、どうもこの大怪球にはやっぱり歯が立たずそのまま蒸発させられそうになるんです。………そこに敵幹部の衝撃のアルベルトが割って入って気力全開でこの大怪球の機能を停止させてしまいます。そこで勝負が決まっちゃうんですが……じゃあ、ジャイアントロボの面目って何?とか思っちゃうわけですよwそれどころか観ていると、BF団の最高幹部である“十傑集”や国際警察機構の最高幹部である“九大天王”の内何人かは確実に大怪球を破壊できそうなんですよね。多分、彼等が本気になればこの戦いの決着はあっという間についてしまう。……それって何なの?とw

いや、いろいろ言いたいこともあるけど「ジャイアントロボ~地球が静止する日~」はなかなか「楽しい」作品ではあるんですよ。はっきり言って僕も超能力エキスパートの皆さんは大好きです。でも、作品観ていて今川監督は衝撃のアルベルトが大好き!!ってメッセージはめちゃめちゃ伝わってくるんですが(他のエキスパートが好きな気持ちも含めて)、ジャイアントロボと、そして主人公の草間大作くんの物語として観た場合、その描線はかなりぼやけてしまっている気がします。大作くんが何かを決断しても、その決断が昇華される前にアルベルトのおっさんが割って入って“いいところ”をかっさらってしまった。…そういう印象で、それはこの作品が「NPC劇場」をしていたって事だと思うんですよね。

まあ、そうは言っても、もうこれって今川監督のある種の“芸風”になっていて…その後、この人は「ガンダムの意味は?」と思わせてしまう「Gガンダム」の東方不敗や、「機械獣の意味は?」と思わせてしまう「今川マジンガー」のあしゅら男爵なんかを登場させて、観客を沸かせているんで、当然その走りであるアルベルトを「そこを「楽しむ」んだよ!」って話もあるんですけどね。つか、僕もアルベルトは大好きですしね。ただ、同時に「NPC劇場」になってない?とそういう角度の話もあるって事ですね。

「NPC劇場」は「作り手」が妙になにかのキャラにのめり込んだりして「受け手」側との意識にギャップが生まれると出てくるもののようです。上述したように「作り手」がそのキャラクターをめっちゃくちゃ気に入っている事はよく伝わってくるんですが、それが過ぎて用意していた“はず”の本筋を阻害してしまったりしはじめると、少なくとも元のテーマはぼやけて来てしまうようです。…まあ、それはそれで「面白く」なったりするのが、物語を「愉楽する事」の「愉しい」所ではあるんですけどね。「NPC劇場」だから駄目…ではなく、そこは一旦立ち止まって考える必要がありますが。ここらへん現象に対して意識があると、より「愉しめる」のではないかと思います。


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