フツーの見方

フツーの論理で考えれば当然だと思うことが、なぜかマスコミでは出てこない。そんな意見を書き残しておきたいと考えてます。

科学は生活の役に立つ (1)

2023-01-08 | Weblog

 オーディオはあくまで趣味なんで、本来語りたかったのがこちらのシリーズ。オーディオ関連もまだ色々ネタがあり、終わりが見えないので並行して始めてみよう。
 論文よりは柔らかく書いてるつもりだが、正確性も必要なので文章が堅めになるのはお許し願いたい。

 まず、世間でよく言われる「学校の勉強は社会では役に立たない」という話は絶対的に間違っている。大体本当に無駄ならば社会全体で膨大なコスト(教育予算+各家庭の教育費)を掛けて学校教育を維持するわけがない。
究極的には、教育費の大小が将来の国力を決める。教育の影響は数十~百年後に効いてくる。現在日本が先進国でいられるのは、40年以上前には国立大で極めて安く研究できた成果と言って間違いない。人口を減らし高等教育を高額化した日本が今後(発展途上でない)後進国になるのは避けがたい必然だ。

 亡国の大きな流れはともかく、個人においては科学はツールであり、使わなければ本当に無駄になる。折角学校で学んだ知識を日頃から使えていれば、役に立たないという意識は持たないはずだ。要するに科学的な思考をしていないなら知識が役に立たないのは当たり前なのだ。
 その辺を説明した本ぐらい既に出てるだろうと思っていたが、検索しても一向に見つからない事に寧ろ驚いた。クイズ的に身の回りの現象を科学的に解説した本はあったけど、雑学本に近く、日常生活に活かすという方向性では無かった。

Ref.1)「身のまわりの科学の法則/小谷太郎」(中経) ~忘れてる法則の復習には良い。切り口が新鮮なので面白く読める。かなり端折っているので厳密さを求めてはいけない。

 大学で生活科学という学科もあるが学習概要を読む限り、環境問題研究がメインのようで日常生活で直接的に役に立つとは思えない。Wikiを読むとそもそも方向性が違うようだ。
 科学の重要性は現代人なら否定しないだろうし、社会もその有用性を認めてるのに、実生活における活用が論じられないのが不思議でしょうがない。かくいう私も具体的に教わった覚えはないから、自主的に観察した日常の現象をこの様に科学で分析すると納得がいくというだけの話に過ぎない。
 誰も語らないから自分で書いてみるか、というのが発端。文章書くのは面倒なんだが思考の整理にはなるし、記録を残せば誰かが発展させてくれるかも知れない。
なお、先例が無い(見つからない)ので当然以下の分析は私の個人的見解になる。鵜呑みにせず、あくまで最終的な判断は自己責任でお願いしたい。科学者の基本は自分で考え、確認した事しか信じないという姿勢だ。
人の言う事を信用すると判断をした時点で当人の自己責任であり、私は経済的な責任は一切取らない事を宣言しておく。一方、論理が間違っていると考えるなら否定するのは自由、というより自説に正当な根拠があると思うなら批判・反論を行うのは科学者の基本だ。
私としても本筋に関わる間違いがあれば、根拠を示して指摘してもらえると寧ろ嬉しい。

 導入として、科学的知識が生活の役に立つ例を一つ。
 最近ネットで角箱の豆乳をカップに注ぐ時、注ぎ口を上にする方が注ぎやすいという雑学情報を見つけたのでやってみたら確かにその通りと感じた。口を下にして注ぐと脈流になって流れが制御しにくいが、上から注ぐとスムーズに出た。ただし量が残り少なくなると今度は注ぎ口を下にしないと注ぎにくい。しかもこれはマルサン製豆乳の場合で、キッコーマン製豆乳の場合は箱を押した分だけ出る構造なので、注ぎ口をコップに近づけて箱側面を押し、押しにくくなったら口を上に向けて空気を入れてからまた押す手順が正解になる。
 丸暗記だと、これだけの豆知識を個別に覚える必要がある。また他のメーカや、将来箱の構造が変わったら無駄になってしまうだろう。豆乳以外への応用もできるかどうか怪しい。
一方、科学的に分析すれば、「密閉容器内の液体と空気の交換が一番スムーズに行える方法を選べば良い」と理解できる。この知識であればペットボトルやガラス瓶にも直ちに応用できるはずだ。
 以上の説明は、現代の科学教育を受けていればスンナリ納得してくれるだろうが、空気の存在が発見されたのは人類史的には結構最近の話だ。

Ref.2)Wikipedia 空気 ←リンク切れやすいので自分で検索して欲しい
  「空気の発見/三宅泰雄」(角川) ~読者評高くて面白そうだが、未読なので ref.には含めない

風で物が倒れる事、水に入れば呼吸が出来ない事、等から当然空気の存在は解るハズと言うのは今だから言えること。空気の存在が実証されるまでには人類史でも長い期間が必要だったのだ。今から考えればコジツケとしか思えない「精霊の力」等が広く信じられていた時代も確かにあった訳だし。
 更に、その空気の影響で液体が出にくくなるという関係性も、直感だけでは解らない→真空、大気圧の存在、圧力の等方性といった“概念”の理解が必要になる。今は義務教育で教えられている筈だから具体的な公式は忘れても概念は何となく理解できてると思う。だから、「液体を密閉容器から出すには容器の体積を変えるか、液体と同体積の空気を入れる必要がある」という関係性がスンナリ認められるのだ。
これを全く科学的基礎の無い中世以前の人に説明しようとすれば、相当面倒な話になって結局「実際こうなるんだから全部丸暗記しろ」と言ってしまうのではないだろうか。

 この様に、科学、特に自然科学の原典は自然現象の経験則だ。その多くは「長老の伝承、おばあちゃんの知恵」の様な過去の経験から未来の予測に繋げる知識…知っていれば所属する集団の生存に有利に成る事だから当然生活に密着したものだった。
 ただし長年の蓄積で経験則があまり増えると覚えるのも大変だし、また場所や時期によって的中率が変わってくるとなると、できるだけ共通化/一般化するために、その本質を理解する事が必要になる。それが自然科学の始まりであろう。だから本来、科学は生活の役に立つ事が大前提なのである。

 逆に現代では科学に対して信用を高くし過ぎてるかも知れないので、常に意識すべきはその検証方法だ。この辺を少し格調高く書いたものがネットで見つかったので参考に。

Ref.3)「ゼロからはじめる「科学力」養成講座1(2009年度)/鈴木久男(北海道大学大学院理学研究院教授)」
 第1章 自然科学とは何か?
https://ocw.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2016/01/ScienceLiteracy1-2009-Text-01.pdf

 特に、「科学的方法とは?」の項で述べられている事が重要。科学とは、まず再現性のある観測事実があって、それを上手く説明できる仮説を立て、仮説に基づいて予測し、それが当たっているかを験証し、再現性高く間違いなさそうだとなった説を“法則”としてまとめたものである。
 研究の基本としては、自ら検証したこと以外信じないというのが正道だが、それでは余りに世界が狭すぎ発展しないから、科学の世界では論文を書いて世に広める事が必要とされる。論文は同分野の学者の査読を受け、更に公開された後、他の学者の験証(再現や応用)で正しいかどうかの試練を受ける。そうして否定されずに残ってきたものが正しい法則として現在認められている訳だ。掲載されたから正しいという訳ではない。
 また上述のように科学の法則は基本的に経験則だから未来永劫成り立つ保証は無い。明日突然法則が変わる事は絶対ないという証明は自然科学では不可能だ。但し過去に遡って銀河開闢まで同じ法則で説明できるなら、今後も続くと考える方が確実性は高いだろうという程度が信頼の基盤だ。

 余談になるが、この永続性の問題は神の存在証明にも繋がるという哲学もある。神が決めたからこそ絶対的な真理は永続するという訳だ。
特に、恐ろしく複雑に見える現象が美しく簡潔な数式で表される事が証明されると、神がこの様に決めたに違いないと信じたくなる気持ちも解る気がする。
まあこれは信じるかどうかの話になるので科学では立ち入れない。学者なのに神を信じる人がいても直ちに矛盾ではない訳だ。私自身は神の存在を信じてはいないが、否定できる根拠も持たない。

 さて、長年信じられてきた法則で説明できない事例が見つかっても直ちに法則が間違っているとは限らない。長期に渡って活用されてきて矛盾がなかったものであれば全く間違っているとは考えにくいから、法則の成立する条件が限定されるのではと考える方が合理的だ。その条件が解明できれば、範囲外の事象を説明できる新理論が必要となる。そうして生まれたのが相対性理論や量子力学。実際その理論は従来理論を包括するものであり、否定するものではなかった。その結果、厳密には不正確だと解った後でも日常的な出来事には古典力学で十分な精度があるから現在も利用されており、学校でも先に学ぶ。
 以上の流れから当然だが、科学で対象とする事例は実験や観察で再現性が確保できるものでなければならず、検証できない事象は科学では対象にならない。仮説を立てても再現実験が出来なければ証明できないし、逆に否定する事も出来ない。
よく超常現象番組に学者っぽい人物が出てきて「科学法則に反するから嘘だ」とか「独自の説で科学的に説明できる」と言うのは、検証できない以上全くナンセンスだ。科学の本質を理解していないとしか言いようがないので学者の肩書を外して出演してほしい。
 超常現象的でも蜃気楼やブロッケン現象の様に再現条件が解ってくれば、科学的な解明ができた例もある。データ蓄積により正確な再現条件が判るまでは、「現状では科学的には説明できない」と言うしか無い。
「月が暈をかぶると雨」というのも科学的な分析以前に、再現性が高かったから伝承されたのだろう。後に気象学的に解明されて実際に天気予測の目安にできる事が解った訳だ。一方で、気象はカオス現象と現代人なら理解できるハズだから外れても許容しなければならない。
 このカオスという概念も結構最近理論化されたもので、事象の関係性が解明できても結果を100%精度では予測できない事が科学的に証明されたという、文章で書くと何となく矛盾してるようで面白い。要は自然界には予測不能な事象で溢れているという事を科学が認めたという事だ。現代では必須な概念だと思うが、今の義務教育では教えてるのかな?

Ref.4)「決定されているのに予測できない未来-世界観を覆した数学理論-/細野雄三(京都産業大学 理学部 数理科学科教授)」
https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_01.html ~興味を引く書き方で本質が解りやすい

 カオスでなくても、偉い人が言ってるから信じると言うのは歴史的に全く正しくない事は、地動説が教会だけでなく当時の学術的権威多数から否定されていた事からも明らか。学者だって人間だから金や名誉に目はくらむのである。
 現代でも学会内で影響力の強い教授達が科研費を貰うために官僚に協力して、より正しいと推定できる結論を選ばなかった例は多数ある。原発の重大事故は絶対起きないとか、ワクチンを射てば感染を抑えられるとか、確証は無いという事を実は知りながら、直ちに嘘とバレる証拠さえなければ平気で迎合する学者が多数いるのが現実なのだ。官僚に従うなら個人の責任を問われることはないから平気なのだろう。官僚はそういう学者を重用して自分たちに都合の良い結論へ導く共生関係だ。人の本質はガリレオの時代から何も変わっていない。
 また、ニュートン時代の光が粒子か波かの論争で、一旦は波と確定されて百年以上信じられてきた事が、現代では二重性として再認識されている。所が、量子力学を持ち出さなくても、光に粒子性が無いと夜空は真っ白で星は見えなくなる、と今は光の粒子性の証拠の一つとして解説されている。当時の科学者は干渉等で波動論が実験事実を正確に説明できたので、結局「不都合な事実」は無視したのである。学者だって人間だから間違うのである。
善意的に見るなら、星が見えるかどうかより屈折・反射を利用した発明品の方がその後の文明の発展にとって価値が高かったから経済価値の低い問題は先送りしたとも言える。
 結局情報の受け手としては、学者の言う事は一つの説に過ぎず、必ず反対や別視点の説も集め、それらを比較した上で自分で判断する能力が必要だ。明らかな嘘・詭弁は見抜ける程度の基礎知識は身に付けておかないと社会に出ても簡単に騙されるゾ。

 新しい知識を学ぶ際にも科学の基本的知識があれば理解も速いし到達点も伸びる。現実問題に応用するにも有利になる。
利息の計算で単利と複利の違いについても、指数関数や関数のグラフ化の知識を持っていれば本質の理解が早い。
酸やアルカリが一部の金属を溶かすことを理解すれば、料理で酢や重曹を使う時に鉄の包丁やアルミ鍋を使っても大丈夫なのか用心できるし、調理後すぐ洗う必要がある事も分かるだろう。線膨張係数の違いを知っていればホーロー鍋を急熱急冷したらマズイことも理解が早い。
 人に新しい事を教える時も、数学の基礎も知らない人間と話をするのは非常に面倒に感じる。現代の先端技術で数学を使わない分野はまず無いからだ。よほど我慢強く親切な指導者でなければ、「自分で勉強しろ」と知識を教えてもらえなくなるかも知れない。現代では最低限として義務教育レベルの科学知識は社会生活する上でも必要だろう。さもないと丸暗記できるレベルの仕事しか出来ない人生になってしまう。

 おそらくは歌の影響から、役に立たない代表の様に言われる三角関数はどういう意味を持つか。
身近な所では物の形状を数値化するのに有用だ。あらゆる形状も大雑把には単純な○△□の組合せに置換えて捉える事ができると思う。さらに四角は三角2個の組合せだし、丸は正多角形で近似すればこれも三角形の組合せになる。即ち三角形の辺の長さと角度を使って大体の形状は数値化できる。この辺と角度の関係性が三角関数に他ならない。辺と角度のいくつかを測れば他の要素は計算で出せる=楽する為の道具なのである。高い塔の高さが距離と角度から計算できるのが典型例。あらゆる計測に必須な概念なのである。
 さらには周期性を持つ現象は全て三角関数を使って現せる等、実用分野では必須。理論分野では虚数を導入すればlogやexpも統一的に解釈できる超スゴイ世界(オイラーやガウスが活躍したのは何と18世紀だ)に発展するが、まあこれは一般人の実用性からはかなり遠いかな。私も完全に理解したとは言い難いし、日常で使わないからほとんど忘れてるし。

 要するに本質を理解しない内に、学校ではいきなり公式を覚えさせられるから拒否反応で身に付かないのだろう。
 公式も基本的に道具だから覚えてるだけではダメで、使い方が身に付かなければ役立たない。公式よりはその概念を理解する方が本質だ。多分こんな関係性だろうと見当がつけば、公式は調べれば見つけられる。
 その本質を見抜くには日頃から自発的に"日常生活を科学的に分析する習慣"を身に付ける事が早道になると私は考えている。

 次から実際日常的に有用と思える例を挙げていこう。(という予定)

 

コメント
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