ヒロちゃん一言居士

世の中に対する警句を随時発する

水無月雑感’17

2017-06-19 16:47:43 | Weblog
(1)不寛容の時代

 自説を間違いないと考える人は、自説に反対しる人を毛嫌いする。毛嫌いするだけではなく。相手を罵倒し、力ずくでねじ伏せようとする。相手の「異見」に耳を傾け、論理的に、受け入れられない点を指摘するのではなく、兎に角、反対するだけ。

 これでは、何も新しいことは生まれてこないし、世の中のことが改善する糸口さえ見つからないのは当然のことである。

 まず、耳を傾けることから始めてみよう。耳を傾け、良く相手の言わんとすることを傾聴すれば、どこに、自説との違いがあるのかが見えてくる。また、自説の誤謬も当然明らかになってくる。

 信念を曲げないことは重要なことである。しかし、それは「異論」を排除することではない。

 最近、我が国の政治家を見ても、その基本的なことができていない人が多すぎると思う。

 SNSを見ても、殆どが、罵倒の交換だけの様な気がする。罵倒しても、相手は、100%非がある時でも、自説をまげて、降参する人はほとんどいなくなる。それは、感情しか働いていない現象が起きて、理性が失われてしまうからに他ならない。


(2)いわゆる「共謀罪法案」

 これは、どんなに好意的に解釈しても「素晴らしい法律」とは思えないし、また、この法案で、東京オリンピックが安全に運営されるものでもない。

 多くの人々が指摘している様に、これは、テロを未然に防ぐための法律ではない。それだけなら、現行法で、いくらでも対応できる。

 現政権が、どうしてこのような法律を、制定したのかが全く、私には理解できない。そうは、考えたくないが、独裁政権に反対する人々の力を、事前に削ぎ落そうとする、という目的のためだと考えられてもおかしくはない。


(3)官僚支配からの脱出

 戦後の日本は、政治家の力が弱かったか、政治家のかなりの部分が官僚OBで占められていたからか、官僚が、実質支配をしていた時代が長く続いた。
 
 それを、変えようとしたのは、今の「民進党」の前身「民社党」だったというのは、ある意味正しい。

 しかし、実際に、それを成し遂げたのは、現政権、第二次安倍内閣そのものである。

 それは、本来、どちらが強いかという問題ではなく、政治家が、最後の判断はするが、有能な官僚、もしくは官僚機構を、うまく使い、いろいろの官僚からの提案を上手く生かしていくというのが、本来の姿であるべきだ。

 ところが、現政権は、恰も、恐怖政治であるかの如く、人事権を利用し、官僚を、自分の意のままになる召使であるかのごとく付き従わせているのは、あまり褒められたことではない。

 いうまでもなく、各機構の官僚は、元々、我が国の人材の中でも特別優秀な選りすぐりの人材であるし、それぞれの幹部、あるいは、幹部候補生は、経験から言っても、政治家よりも、その道のエクスパートであるし、良き相談相手、あるいは、アドバイザーであるはずだ。

 アドバイザーというのは、耳に、心地よいことっばかりを並べる人のことを言うのではない。時には、まったく、聞くだけで腹の立つような厳しいことも言う人のことを指す。

 側聞の域を出ないことを承知で述べるが、今の政権では、そのような、骨のある官僚がいないのか、はたまた、恐怖政治のため、元々骨のあった人材が委縮してしまったのか、上手く、回っている感じがしない。

 今回の一連の、騒動もその辺のところに主因があるような気がする。それでは「政治主導」の言葉がむなしく聞こえる。「政治主導」は、上述したように、政治家と、官僚の関係が、緊張感を持ちながらも、お互いに尊敬し合えないと、上手くいかない。

                   ヒロちゃん拝