日本の教育の問題点
この欄で何度か指摘していることを、また蒸し返します。
日本の高等学校までの教育は大きくは間違っていません。いや「詰め込み式だ」「記憶力に偏った教育だ」などの批判があるが、基本的に、教育とは、勉学を志す人々が、平等に受けられるべきものであることは言うまでもない。しかし同時に、勉学に勤しむ気概と、能力が必要であることは間違いないのに、この点を強調すると、ややもすれば誤解を生み、批判の対象になることが多い。
つまり、早い話が、勉強する気のないものに、強制的に勉強させても無駄だということです。それを選抜するために受験勉強が生まれたのです。
記憶力偏重などというが、基本は記憶力であることは間違いない。しかし、1970年台前半までに教育を受けた人々は感じることと思うが、それ以降の教育はやや間違った方向に進んでいきました。
それまで、長い間、謂わば、国立大学への入学をするために行われていた教育が、国立大学の学費値上げ(つまり私立大学との教育費の接近)、また、私立に倣って国立大学の文系が、入試試験科目数の削減を受け入れたことなどで、一部有名私立大学の方が、優秀な人材を集められる環境に激変した。
その結果、文系を目指す人々は、数学や物理など理系の科目の履修をしなくとも(あるいは、おざなりにやり過ごしても)一流と言われる大学に入れるようになり、またその結果、大会社などへの就職が有利になったりしました。
それまでは、一部の理系の難関私大以外には、どんな有名私立大学でも、ほとんど理系の科目が劣等でも、簡単に入れたのですが、国立大学は、たとえ、文系の単科大学でも理数系の学問を身に付けないものは門前払いを食らっていました。
なぜこんな話をするかと言えば、今、政治も、経済も、全てが上手く行かなくなった原因が、この辺にあると強く思うからです。つまり、余りにも浅薄で、口だけが上手な人間が社会の中枢に蔓延っていることが、この国をダメにしている原因と思えるからです。理数系の基礎のある頭がなければ、歴史も、心理も、経済も、文学も、社会学も、本当には理解できないし、それを欠くが為に、新しいアイデアや、難しい局面にあたったときの解決方法が見つからなかったりするのではないかと思います。
もう一つは、日本の有名難関大学は、大学入試までは、上記のような高等学校までの優秀な人材を集めた結果、素養のあるものが集まっているのですが、いかんせん、大学教育の内容が、その優秀な学生を本当に優秀な人材に仕上げることを怠ってきました。
よく、アメリカの有名大学の「ハーヴァード」や「イェール」や「スタンフォード」や「MIT」などと、日本の大学が比較されるが、比較の対象にもならないと思います。ただ、学生の潜在能力は、むしろ日本の大学性の方が、これらアメリカの大学性より数段上かもしれません。その理由は上記の高等学校までの教育が日本が素晴らしいからです。しかし、その優秀な学生を集めたまでは良かったが、そのあとの教育が全くなされていないからこのような体たらくになったのだと思います。
今回の大震災でもかなり明らかになったが、「専門家」と評して、「大学教授や、准教授、助教授」などが出てくるが、素晴らしい内容の話をしている人々は、ほぼ皆無と言ってもいい状況ですが、皆様はそう思いませんか?つまり、日本の大学は、セクト主義や、学問のための学問しかやっていないなどの、多くの課題を抱えたまま、これまで進んできて、それが改善されている様子は、殆どないのが現状です。大学に入れば、学生も競争しないが、先生方は、敷かれたレールに乗っているだけで、何の勉強もせず、そこそこの給料を貰い、定年になったら、よりレベルの落ちる大学に再就職するというパターンがは蔓延っているようではこの国の未来はありません。
ヒロちゃん拝
この欄で何度か指摘していることを、また蒸し返します。
日本の高等学校までの教育は大きくは間違っていません。いや「詰め込み式だ」「記憶力に偏った教育だ」などの批判があるが、基本的に、教育とは、勉学を志す人々が、平等に受けられるべきものであることは言うまでもない。しかし同時に、勉学に勤しむ気概と、能力が必要であることは間違いないのに、この点を強調すると、ややもすれば誤解を生み、批判の対象になることが多い。
つまり、早い話が、勉強する気のないものに、強制的に勉強させても無駄だということです。それを選抜するために受験勉強が生まれたのです。
記憶力偏重などというが、基本は記憶力であることは間違いない。しかし、1970年台前半までに教育を受けた人々は感じることと思うが、それ以降の教育はやや間違った方向に進んでいきました。
それまで、長い間、謂わば、国立大学への入学をするために行われていた教育が、国立大学の学費値上げ(つまり私立大学との教育費の接近)、また、私立に倣って国立大学の文系が、入試試験科目数の削減を受け入れたことなどで、一部有名私立大学の方が、優秀な人材を集められる環境に激変した。
その結果、文系を目指す人々は、数学や物理など理系の科目の履修をしなくとも(あるいは、おざなりにやり過ごしても)一流と言われる大学に入れるようになり、またその結果、大会社などへの就職が有利になったりしました。
それまでは、一部の理系の難関私大以外には、どんな有名私立大学でも、ほとんど理系の科目が劣等でも、簡単に入れたのですが、国立大学は、たとえ、文系の単科大学でも理数系の学問を身に付けないものは門前払いを食らっていました。
なぜこんな話をするかと言えば、今、政治も、経済も、全てが上手く行かなくなった原因が、この辺にあると強く思うからです。つまり、余りにも浅薄で、口だけが上手な人間が社会の中枢に蔓延っていることが、この国をダメにしている原因と思えるからです。理数系の基礎のある頭がなければ、歴史も、心理も、経済も、文学も、社会学も、本当には理解できないし、それを欠くが為に、新しいアイデアや、難しい局面にあたったときの解決方法が見つからなかったりするのではないかと思います。
もう一つは、日本の有名難関大学は、大学入試までは、上記のような高等学校までの優秀な人材を集めた結果、素養のあるものが集まっているのですが、いかんせん、大学教育の内容が、その優秀な学生を本当に優秀な人材に仕上げることを怠ってきました。
よく、アメリカの有名大学の「ハーヴァード」や「イェール」や「スタンフォード」や「MIT」などと、日本の大学が比較されるが、比較の対象にもならないと思います。ただ、学生の潜在能力は、むしろ日本の大学性の方が、これらアメリカの大学性より数段上かもしれません。その理由は上記の高等学校までの教育が日本が素晴らしいからです。しかし、その優秀な学生を集めたまでは良かったが、そのあとの教育が全くなされていないからこのような体たらくになったのだと思います。
今回の大震災でもかなり明らかになったが、「専門家」と評して、「大学教授や、准教授、助教授」などが出てくるが、素晴らしい内容の話をしている人々は、ほぼ皆無と言ってもいい状況ですが、皆様はそう思いませんか?つまり、日本の大学は、セクト主義や、学問のための学問しかやっていないなどの、多くの課題を抱えたまま、これまで進んできて、それが改善されている様子は、殆どないのが現状です。大学に入れば、学生も競争しないが、先生方は、敷かれたレールに乗っているだけで、何の勉強もせず、そこそこの給料を貰い、定年になったら、よりレベルの落ちる大学に再就職するというパターンがは蔓延っているようではこの国の未来はありません。
ヒロちゃん拝