ヒロちゃん一言居士

世の中に対する警句を随時発する

水無月雑感’11補足

2011-06-18 11:02:20 | Weblog
日本の教育の問題点
 この欄で何度か指摘していることを、また蒸し返します。
 日本の高等学校までの教育は大きくは間違っていません。いや「詰め込み式だ」「記憶力に偏った教育だ」などの批判があるが、基本的に、教育とは、勉学を志す人々が、平等に受けられるべきものであることは言うまでもない。しかし同時に、勉学に勤しむ気概と、能力が必要であることは間違いないのに、この点を強調すると、ややもすれば誤解を生み、批判の対象になることが多い。
 つまり、早い話が、勉強する気のないものに、強制的に勉強させても無駄だということです。それを選抜するために受験勉強が生まれたのです。
 記憶力偏重などというが、基本は記憶力であることは間違いない。しかし、1970年台前半までに教育を受けた人々は感じることと思うが、それ以降の教育はやや間違った方向に進んでいきました。
 それまで、長い間、謂わば、国立大学への入学をするために行われていた教育が、国立大学の学費値上げ(つまり私立大学との教育費の接近)、また、私立に倣って国立大学の文系が、入試試験科目数の削減を受け入れたことなどで、一部有名私立大学の方が、優秀な人材を集められる環境に激変した。
 その結果、文系を目指す人々は、数学や物理など理系の科目の履修をしなくとも(あるいは、おざなりにやり過ごしても)一流と言われる大学に入れるようになり、またその結果、大会社などへの就職が有利になったりしました。
 それまでは、一部の理系の難関私大以外には、どんな有名私立大学でも、ほとんど理系の科目が劣等でも、簡単に入れたのですが、国立大学は、たとえ、文系の単科大学でも理数系の学問を身に付けないものは門前払いを食らっていました。
 なぜこんな話をするかと言えば、今、政治も、経済も、全てが上手く行かなくなった原因が、この辺にあると強く思うからです。つまり、余りにも浅薄で、口だけが上手な人間が社会の中枢に蔓延っていることが、この国をダメにしている原因と思えるからです。理数系の基礎のある頭がなければ、歴史も、心理も、経済も、文学も、社会学も、本当には理解できないし、それを欠くが為に、新しいアイデアや、難しい局面にあたったときの解決方法が見つからなかったりするのではないかと思います。

 もう一つは、日本の有名難関大学は、大学入試までは、上記のような高等学校までの優秀な人材を集めた結果、素養のあるものが集まっているのですが、いかんせん、大学教育の内容が、その優秀な学生を本当に優秀な人材に仕上げることを怠ってきました。
 よく、アメリカの有名大学の「ハーヴァード」や「イェール」や「スタンフォード」や「MIT」などと、日本の大学が比較されるが、比較の対象にもならないと思います。ただ、学生の潜在能力は、むしろ日本の大学性の方が、これらアメリカの大学性より数段上かもしれません。その理由は上記の高等学校までの教育が日本が素晴らしいからです。しかし、その優秀な学生を集めたまでは良かったが、そのあとの教育が全くなされていないからこのような体たらくになったのだと思います。
 今回の大震災でもかなり明らかになったが、「専門家」と評して、「大学教授や、准教授、助教授」などが出てくるが、素晴らしい内容の話をしている人々は、ほぼ皆無と言ってもいい状況ですが、皆様はそう思いませんか?つまり、日本の大学は、セクト主義や、学問のための学問しかやっていないなどの、多くの課題を抱えたまま、これまで進んできて、それが改善されている様子は、殆どないのが現状です。大学に入れば、学生も競争しないが、先生方は、敷かれたレールに乗っているだけで、何の勉強もせず、そこそこの給料を貰い、定年になったら、よりレベルの落ちる大学に再就職するというパターンがは蔓延っているようではこの国の未来はありません。
                         ヒロちゃん拝

水無月雑感’11

2011-06-12 07:55:06 | Weblog
おかしな話あれこれ
(1)周りの皆から「首相」とは思われていないにも拘らずまだ辞めない「菅」
 辞めろと言われると、辞めたくなくなるこの人の性格なのか。本当に、後の教科書に「原発事故を奇跡的に食い止めた首相」との評価を受けたいと思っているのか。辞めない理由が理解できない。
 そんなに「首相」という地位は魅力的なのか?なんの魅力?「金」「地位」「名誉」「勲章の色」「人に命令してそれを自由に動かせる力」どれをとっても、私にはほとんど魅力的とは思えない。
 たとえ百歩譲って、それが魅力的なものとしても、それには、大前提として、関係している人々から、期待を受けて、尊敬され、この人ならではと認められながら、その地位についてこその魅力と思うが、そんな大前提は全く崩れてしまっているのだから。自分の尊厳(そんなものがこの人に残っているとすれば)を少しでも保つためにも早く辞めたほうが良い。

(2)原発でこれまで補助金や、その他諸々の恩恵を受けていた人々が、こうも簡単に反対の立場に一夜にして変更すること
 まさに、先の戦争中の、多くの迎合マスコミの様に、時勢や輿論の趨勢に深く考察もせず、流されてしまう連中。こんな連中を、私は65年余の人生でどれほど多く見てきたことか。そして、その流れに流されて、それによって得られた結論を、拙速に実行した結果がどんなに悲惨なものであったかを、もう嫌というほど見せられた。
 私が、唯一自慢できることと言えば、このことを教訓として、まず、多くの人が大声で、同じ主張を唱え出すと、それが100%正しいと思っても、まずは、立ち止まって、反対の立場を取ろうとすることだ。おかげで、今まで私が所属した組織の中での評価は、常に低いものであったことは言うまでもない。

(3)一部の有名人のボランティア活動と寄附行為
 純粋で、居ても経ってもいられない心優しい人々がいることも確かだが、年間何百億もの収入がある人がたとえ1億や、2億寄付してもそんなものは、年収200万の人が1万円寄付するよりも、なんでもないことだと思う。だからやめておけということを言っているのではなく、そんなものを美談とすることに違和感を抱く。それより、地震直後に、私が主張したように、そんな気持ちが多くの人々に維持されている間に、政府や自自体などが、組織立ててその気持ちを金の形で徴収し、その浄財を被災者に速やかに回すことの方が遥かに効率的だということを、今、、再び主張したい。つまり寄付ではなく臨時税として徴収すること。なぜなのかの理由はここで端的に述べるのはむずかしいので避ける。

危機には超法規的なことや、ある意味犠牲的精神の英雄が必要
 (A)原発事故を収拾するためには、決死隊が突貫工事をする必要がある。その時に被爆量がどうの、疲労 がどうのという人道主義は妨げになる。
 (b)国会は、2~3年は通年開催にして、国会議員の報酬は最低限にし、税金からの政党補助金は当面 凍結。国家、地方公務員は特に責任ある地位の人々は年収半減位にする。
 (c)テレビ放映は、昼間の4~5時間はあのくだらない番組を止め完全無放送にする。
 (d)各企業は新入社員教育の一環として、強制的に被災地に派遣し、ボランティア活動をさせる。
 (e)現在失業中の人々で、その健康状態を見極め、次の仕事が見つかるまで、被災地で、政府、自治体が雇用する。

 菅首相だけではなく、日本中のほとんどの人々がここ数年、危機感もなく、ただのほほんと生きてきたことが、この危機に面しても、何もできず、ただ手をこまねいている状態を作り出した。
 人の批判をするだけではなく、まず行動をし、協力し、この危機を乗り越える気概があれば、想像をはるかに超えた速さでこの国は復旧できる。
                        ヒロちゃん拝