撫子的な日々

どーってことない日常の魂のつぶやき

ウズベキスタンの旅 ”タシケント・ブハラ・シャフリサーブス・サマルカンド”

2018年09月18日 | ウズベキスタンの旅


9月3日から9日まで、ウズベキスタンに行って来ました。
ずっと前から、いつかシルクロードを訪ねてみたいと思っていたところに、BSNHKでのウズベキスタンの放送や、日テレの”イッテQ”のイモトのレポートなどの中で、サマルカンドブルーのタイルで彩られた建物を観て、実際に見たくてたまらなくなりました。

友人が数年前に一人でウズベキスタンに行っており、詳細を聞いてみると、向こうでは英語は通じず、結局現地ガイドを雇って観光したと言い、ツアーを薦められました。
そうした時、一人限定参加のツアーを見つけたので行って来ました。

サマルカンドブルーはとても素晴らしかったです。
TVで観たよりも、豪華で今まで観た事のない景色でした。
いろいろあったトイレ事情もお腹に合わなかった食べ物の事情も、すべてを忘れさせてくれた圧巻の美しさでした。



9月3日、関西空港から10:50am発のアシアナ航空で出発し仁川で乗り換え便にてタシケントへ。
タシケントの空港に着いたのは、現地時間夜の9時頃。
スーツケースを受け取り、何だかんだでタシケントのウズベキスタンホテルに着き、自分の部屋に入ったのは夜11時を過ぎていた。
日本とウズベキスタンの時差は4時間だから、体内時計では夜中の3時頃の感覚。
翌朝、5:30からの朝食、6時ホテルを出発して7:30分タシケント発ブハラ行きの高速鉄道アフラシャブ号に乗車。

このツアーは、”コンパクトに巡る”と表記してあるとおり、コンパクトな日程に世界遺産の見所を満載に入れてあるので、かなりキツい行程の旅。
初日からそれを実感する。
しかし、それは事前に分かっていたので、日本から持参した”リポビタンゴールド”を毎日飲み、この旅を乗り切った。


9月4日朝、リポビタンを飲んで、いざ出発。


タシケント駅



<アフラシャブ号



約4時間弱の列車移動を経てブハラ到着。


ブハラ駅


到着してすぐに昼食です。

  
レストラン





1ヶ月は保存出来ると言われているウズベキスタンのナン
美味しかったです



この後、ブハラ観光へ

9月とはいえ30度以上ある気温の中、バスから降りて徒歩で観光。
しかし、湿度が少ないのでカラッとしており、日陰に入ると涼しい。


【世界遺産 ブハラ旧市街】

ブハラはローマと中国を結ぶシルクロードの中間点にある商業都市として栄えた都市だった。
イスラムの庇護のもと優秀な哲学者や科学者が集まって一大都市を形成しましたが、1220年チンギス・ハンの襲撃によって滅ぼされました。
後の16世紀、ブハラはウズベク人のハンにより復興し、多くのメドレセやモスクが建てられました。
ちなみに三蔵法師も訪ねた都市です。




ウズベクメドレセ



【マゴキアッタリモスク】

このモスクは、チンギスハンが攻めて来た時に、ウズベキスタンの人々が地中に埋めて破壊されるのを防いだモスクです。



右端のマコギアッタリモスクは、地面に埋まっていたので土地が他より低くなっている。




【タキバザール】
タキとは、丸い屋根の意味


バザール入口 屋根が丸い












綱ではためいている布は、一見日本の矢絣と似たような模様だが、これがウズベキスタンの伝統的な柄なのだそうだ。





コウノトリのハサミの店の店長さんと
地球の歩き方にも載っている有名人?店長さん
ハサミを買った人だけ一緒に撮影出来る。



名物のコウノトリの金のハサミを$25で買いました。
金・銀いろんな種類のハサミがありました。
帰国してから使ってみるとよく切れました。





ブハラのシンボル 【カラーン・ミナレット】
カラーンとは大きいという意味だそうです




ミル・アラブ・マドラサ(神学校)











【イスマーイール・サーマーニー廟】
中央アジア最古のイスラム建築(892年から943年にかけて建築)
干しレンガを積み上げた9m平方の小さな霊廟。
この廟もチンギスハンが攻めて来た時に地中に埋められ1926年に発掘された。





イスマーイール・サーマーニー廟の内部




絨毯工房

壁には一枚2千万円以上の絨毯が数枚かけてありました。



隣の工房では若い女の子達が絨毯を手作業で織っていました。
絨毯織の仕事は厳しいとイメージしていた私は、イヤホンで音楽を聴きながら作業する子、中にはiphoneをそっと見ている子もいて、何やらホッとしたのでありました。




カラーンモスク





歩いて最後のアルク城へ
アルク城は歴代のブハラ・ハーンの居城だった。




アルク城の外壁


正面


中には昔の牢獄







屋上のこの穴のような入口から1階の王様の部屋近くに通路が続いている





玉座と王様が着ていた衣装 

玉座はレプリカで、本物はエルミタージュ美術館にあるという。
以前エルミタージュ美術館に行った時、ピョートル大帝などの玉座を観たが、どれもふんだんに金で彩られ、背には鷹などの刺繍が施された豪華な玉座ばかりが展示されていた。
これはとても素朴な玉座。
しかし、20世紀70年間ロシアに併合されていたウズベキスタンだが、現在偉大だったウズベクハンをとても誇りに思い、自分たちのアイデンティティーと思っている風に思えた。
ガイドさんの説明を聞きながら、展示しないのなら返してあげればよいのにと思った。




屋上の天井


天井の模様




夕食のレストランへ
ショーを観ながらディナー

昼間は30度以上あったのに夜は10度。羽織る上着を持って行って正解。
日中は、暑い日差しの中、大きなぼうし、顔マスク、日除け手袋、サングラス、薄い長袖を羽織り観光したのに、夜は薄いダウンが欲しい寒暖の差だ。

ショーはダンスとなぜかファッションショー










モデルの方は中東系・ロシア系・モンゴル系の方がいて、どのモデルさんも美しい。
ウズベキスタンは多民族国家なのだと実感する。





夜のラビハウズ