撫子的な日々

どーってことない日常の魂のつぶやき

ドバイ

2014年06月12日 | イスラエル・ヨルダンの旅
6日目は、早朝5:30分ホテル出発という強行軍で、ペテロからアンマンの空港へ。
アンマンからドバイへと、全編移動日でした。



【ドバイ】
7日目、レストランでのランチまで自由時間があったので、ホテルの近くのお店に行こうと外に出たが、朝なのに暑い。(日中は38度)その上湿気もあるわで、ホテルでの休息を選択。

2022年、FIFAワールドカップがカタールで開催されるが、こんな暑さの中大変だなと、余計な事を思ってしまう。
ま、お金持ちの国だからサッカー場は全面冷房完備するとおもうけど。




ホテルで遊ぶ。



ホテルの部屋は広く豪華だった。大理石がいっぱい。
さすがドバイ。




レストランで食事の後、市内観光。

【スークへ】





ゴールドスークにて






世界一大きな金の指輪






スパイススーク


ゴールドスークもスパイススーク共、もっとスークが長ーく続いていると思っていたので、ちょっと拍子抜けした。




【アブラに乗船】












【ドバイモール】



ドバイモールの水族館。



【バージュカリファ】



全長828mの世界一高い高層ビル 
エレベーターは124階の展望台まで1分程で上がります。









望遠鏡を覗くと、今のドバイの風景と10年前の風景が映し出された。
10年前は高いビルも少なく画面の7割は砂場でした。
今はこんなにビルが建ち開発されている。
オイルマネーの凄さを実感。




上から見える噴水ショー




全体
夕方30分おきに噴水ショーがあります



下から見た噴水ショー



モールの中をうろうろして外に出てみたらすっかり夜に。



噴水と一緒にサラ・ブライトマンさんの「Time to say goodby」が演奏され、それが噴水、周りの風景ととても良く合っていました。








レストランで夕食の後、空港へ。
出国手続き後、解散。
仲良くなった成田からの方々とお別れし、夜中3時発の関空行きに搭乗。

機内ではぐっすり眠り、夕方5時に関空に着き旅も終わりました。

ヨルダン 「ペトラ遺跡」

2014年06月09日 | イスラエル・ヨルダンの旅
今日は楽しみにしていたペトラ遺跡。

ペトラ遺跡の事は、映画のインディジョーンズ「最後の聖戦」で知り、一度行って見たいと思っていました。



入口


入口からシークまで馬に乗りました。



馬の乗り場
乗りやすいように高くなっています。



遺跡に向かうお馬さんと、隣の歩道を行く人達。




途中、馬を引いてくれてるベドウィンのオジサンに、カメラを渡し撮って貰うように頼む。
帽子、サングラス、日焼け防止のフェイスマスクで完全紫外線防御対策もバッチリ。
朝なので、まだ元気で張り切ってマス。




ベドウィンのオジサンが、ここの方が良い写真が撮れると、再度写してくれました。


馬の手綱を持たされた時はびっくりしたけど、おとなしいお馬さんで全然大丈夫でした。
名前を聞いたら「エレナ」と教えてくれました。

初乗馬だったけど、とても気持ちが良かったです。




オジサンも写してあげたら「good madam」なんて言ってました。
オジサンは私にエレナの手綱を持たしたまま、訛りのある英語でずっと話しかけます。
結局、終点までエレナの手綱は私が持ったままでした。


ガイドさんはチップは普通に乗って3$。
写真を撮って貰ったりしたら5$と言ってましたが、大人しかったエレナにも。




馬を降り、シークへ。
徒歩で歩きます。





ローマ時代の石畳も残っています。
シークの道幅は、狭い所で2m、広い所で10mほどです。






岩の上には用水路の跡






ドゥシャラ神を祭った跡





「ナバテア人」の彫像を祭った跡










50分ほど歩くと、細い通路の向こうにチラっと見えて来ます。






エルカズネ登場!

岩の割れ目を出ると、まさしくジャーンといった風に巨大な遺跡が現れました。

2000年ほど前に造られただろうと言われている。
高さ43m、幅30mの宝物殿は他のものを小さくみせます。







土産物屋さん





名前入りのボトルを10$から作ってくれます・
注文して帰りに受け取ります。
記念に名前をいれた一番シンプルなボトルを作ってもらいました。
ちなみに、年月日など入れて文字数が二段になると値段も倍になります。





エルカズネの辺りには土産物屋さんや休憩できるお店などがあります。
コーラの値段も人によってまちまちで、私は偶然2$で購入している人の後で買ったので2$。
3$の人も5$払った人もいました。






ラクダの座った後ろ姿が可愛い










途中、日陰がほとんど無いので木陰になってるベトウィンのオジサンの露店土産店の場所に、皆が入って休憩。
オジサンも気にしない。




ローマの石柱




階段を上がると「グレイト神殿」




向こうの道では少年がロバに乗り、ヤギも。




凱旋門




「カスールアルビット」



エル・ハズネから、だらだらとゆっくり歩き1時間30分ほどかかってレストランに到着。
ここで終わりの人もいるが、坐骨神経痛をこの日の為に、鍼とお灸で必死で治した私はエド・ディルを目指す。


【レストランで昼食の後、エド・ディルへ】



950段の階段の始まり




はるか向こうにレストラン



だいぶ登ってきました




この旅で初めて見たワンコ
ベドウィンの子供達や女性が、こうした台の上に土産物を置いて売っている



何度も休憩しながら、頂上を目指す。
ロバで登る人もいて、不規則な石段にロバのウンチが落ちていて踏みそうになる。
除菌好き日本人としては気が気でなく、ひたすら下を向いて登ったので景色を見る余裕が無かった。






エド・ディル到着




エド・ディル内 
中は空っぽです





エド・ディルからさらに頂上を目指す
右下には休憩所




やっと頂上に着きました
ヨルダンの国旗の下で



頂上から見たエド・ディル




エド・ディル前の休憩所



その後、下山




夕方のエル・ハズネ 
朝とは色が違っていました。


「ムヒ」「虫よけスプレー」をしっかり持って行ったが、余りの暑さに虫の方が逃げていたのか、ハエ以外全然見かけなかった。

日焼け止めパウダーも持って行ったが、登っている最中はそれどころでなく、平地を歩いてた時すれ違った外人さんに、「パーフェクトガード」と言われたフェイスマスクもうざくなって首におろしたまま。
塩分補給にと持参した塩飴も舐める暇もなかった。
一番必要としたのはペットボトルの水だった。
粉のポカリスウェットを溶かして飲みました。


役にたったのは、日本から持って来た「リポビタンゴールド」だった。
朝出発前と、途中に飲みました。
タウリン2000は、さすがに効きます!

エルサレム オリーブの丘&死海

2014年06月08日 | イスラエル・ヨルダンの旅
【オリーブの丘】

万国民の教会






庭には「peace」の文字が














3日目の朝、再度オリーブの丘へ





オリーブの丘から見える岩のドーム






ユダヤの人達の墓





【Dominus Flevit Church(主の泣かれた教会)】




入口










遺跡の掘り出した後










教会内の窓から








イスラエルを出国してヨルダンへ



殺風景な景色が続く。
ヨーロッパの街を思わせる、清潔で近代的なイスラエルに比べ、走っている車も町も貧しさを感じる。
途中、ヨルダン川に掛るモダンな橋を渡る。ほとんど水はなかったけど。
この橋は日本政府が援助して出来たと聞き嬉しくなった。



ホテルのロビー

ヨルダン側から死海体験をする為、ホテルに寄る。
ホテルのプライベートビーチで浮遊体験をするのだ。
バスタオルも貸してもらい、普通のプールのようにシャワールームも完備している近代的ホテルだった。
ここでランチの後、死海に入る。





子供の頃、死海で椅子に座って浮いている様を雑誌で見てからぜひぜひ体験したかった。







ホントに浮きました!


最初は慣れなくてジタバタしていたら、ホテルのスタッフの人が来てくれました。
後ろから支えてくれ、指示通りに足を伸ばしたらすぐ浮きました。
塩水はしょっぱいのではなく、めちゃ苦かったです。


皆でドロを体中に塗ってパック。
肌がすべすべになったような…。

子供達が小学生の時以来の海水浴。
ほんの数十分しか浸かっていないのに、なぜかとても疲れました。







途中お土産屋さんに寄る。
死海グッズはイスラエルより安かったです。
体験した死海の泥パックが気に入ったので、死海石鹸とパックを購入。

イスラエルでは、どの店も普通に値札が付いていたがヨルダンでは値札が無い事が多かった。
交渉しだいという事だろうが、これが苦手でめんどうくさい。

死海グッズは「2個買ったら3個あげる(1個はおまけ)」という商法だった。
で、1個だけ買う人はほとんどいなくなった。 ヨルダン商人勝利!





ホテルに着い時には、もうへとへと。
ホテルにプールもあるというので元気な人は泳ぎに行ったが、私にはそんな活力は残ってなかったです。

エルサレム 「シオンの丘」

2014年06月07日 | イスラエル・ヨルダンの旅
ランチの後、シオンの丘エリアを観光



途中にダビテ王の塔が見える




シオン門
第三次中東戦争の時の銃弾の跡が残っている




第三次中東戦争でヘリコプターで占領した時に亡くなった兵士の記念碑
イスラエルディなので花輪がたむけられ、人々がお参りしていた。




ダビテ王の墓に向かいます。
ダビテ王の墓の上には「最後の晩餐」の部屋があります




入口


ミラノで「最後の晩餐」を見てから、ぜひ訪れたかった場所。
とても楽しみにしていたが、中はガラ~ンとしていて拍子抜けした。


最後の晩餐の部屋
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に描かれている「最後の晩餐」の絵は、レオナルド・ダビンチが自分の時代に合わせて描いてあるので、全員机に座っているが、2000年前の当時は床に座り敷物の上で晩餐をしていただろうと、ガイドさんの説明。

シスターや神父さん達が座って二部合唱で讃美歌を歌っていらした。
教会に厳かに響くその歌声を聴いていると、心が洗われるようだった。



その後、TV局が撮影していた。






男女別々の部屋に棺が置いてある。



鶏鳴教会



イエスがペテロに「私が捉えられた後、お前は私を知らないと3回言うだろう」と予言したとおり、ペテロが3回否定した時に鶏が泣き、ペテロは悔い改めて泣いたという場所を記念して、この教会が建てられました





ペテロと3人の質問した兵士像







右側イエス、左側ペテロ
後ろはイエスを3回否定するペテロ。柱の上には鶏





イエス様が一晩留置されたと言われる洞穴




階段横にはレリーフ

最後の晩餐の後、ゲッセマネに祈りに行くためにイエスと弟子達がこの階段を降る様子




イエスが連行される様子




イエスが連行された道








教会の側のお土産屋さんに寄る。
イスラエルでは、US$が普通に使えた。
紙幣の$は使えても、おつりはイスラエル通貨のシュケルで帰って来ると思っていたが、
US通貨の¢のコインで帰ってきたのにはちょっとびっくりした。
アメリカとの強い繋がりを感じた。



オリーブの木で出来たクロス



可愛いセラミックの壁掛け





エルサレムの泊まったホテルで買った死海グッズ
何が何だか分からなかったが、とにかくばらまき用に購入。

エルサレム 「神殿の丘・ビアドロローサ」

2014年06月06日 | イスラエル・ヨルダンの旅
二日目。今日は終日エルサレム観光。

旧市街エリアを主に観光予定なのだが、イスラエルディではあるし、早く神殿の丘に入場したいと7時にホテルを出発。

このツアーはコンパクトに主要な観光地をセッティングされていたが、その分時間を有効に使う為、最終日を除いて毎日早朝起床を余儀なくさせられた。
後期高齢者の方も結構いらしたが、皆さんとても元気でびっくり。






通勤時間帯であったが、わりとスムーズに「神殿の丘」に到着。




途中で「アル=アクサー・モスク(銀のドーム)」も見えた。




黒ずくめの服装のユダヤの人をあちこちで見かけた。



イスラム教徒ではない我々は、嘆きの壁から右側にある入口から入って行きます。



早いと思っていたが、すでに列が。



門から入った後、この木で作られた渡廊下を通っていきます。



通路に防御のプロテクターが置いてある。




左手に「嘆きの壁」が見えます。
男女別々で祈り、左の人数の多い方が男性。右は女性。

渡り廊下を終え、しばらく進むと広場に出ます。




岩のドームが観られる広場では、物々しい警備隊の人たちが待機していました。



兵士さんに、これ以上近寄っては駄目と言われた地点で黄金に光る「岩のドーム」を背景に撮影。




写真を撮った後、しばらくすると外から大きな歌声が聞こえて来た。
すると、岩のドームの門の辺りに人々が集まり始めた。

この歌声は、ユダヤ教徒の若い男性がエルサレムディを祝福して歌っているもので、この後もあちこちで歌いながら行進する彼らに遭遇した。

エルサレムディとは
1967年の第三次中東戦争(6日間戦争とも言われる)で、イスラエルがヨルダンから旧市街を含む東エルサレムを奪い統合したことを記念する日です


現地のガイドさん曰く、こうした派手な行動に出ているユダヤ人は入植地に新しく来た若者が多く、イスラエル建国当時から住んでいるユダヤ人は大人しくて、パレスチナの人達と共存しているそう。



ホントに、イスラム教徒とユダヤ教徒は隣合わせなんだなと実感。
何やら不穏な空気になってきたので、我々は次に移動。
夜、TVを見ていたらこの後のバトルの様子を放映していた。


門から出て嘆きの壁へ



女性の方の嘆きの壁へ入ってみた


壁に近づくと、皆さん壁に手をあててズ‐っと祈っている。
何人もの若い女性が、頬に涙をつたわせながら長い祈りを捧げていた。
当初、神社の絵馬感覚で、お願い事を紙に書いて壁の隙間に入れてこようなどと気楽に思っていたが、彼女達の涙を見たら厳粛な気持ちになり、祈りの重さの違いを感じて自分の願いなど書けませんでした。
壁に手を当て、ただひたすら平和を願って来ました。



皆さん本を持ち静かに歌を歌っていた。


本の貸し出しもある模様。




苦難の道に行く途中のトンネルで、頭にキッパを乗せた幼稚園児の団体に会う。
イスラエルディに皆で参加しているみたい。

あちこちで若い団体を見かけたが、イスラエルの人口は日本と違ってピラミッド型だそうだ。
若い人の愛国心も旺盛なようだし、人口増加で今後の国力も増すだろうし、イスラエルは東エルサレムを手放さないだろうなと思った。




ビアドロローサ 「苦難の道」
第1留~第14留

イエスが裁判を受け、鞭打ちの刑を受け十字架を背負って歩いたとされる道。
1~9留(ステーション)までは旧市街にあり、10~14留までが聖墳墓教会にある。


イスラム地区の道を進んでいく







第2ステーション「鞭打ちの教会」


教会内のイエスが磔を背負わされた絵



教会の後ろの席にローマ時代の床があった。






第3ステーション
黒い目印の中にⅢの数字が刻まれている



第4ステーション
ここでマリア様と会ったとされる


ここは入場





マリア様とイエスが抱き合っている像




第5ステーション
イエスの代わりにシモンが十字架を背負った場所



イエスの手形……らしい



第6ステーション
ベロニカがイエスの顔を拭いた場所



第8ステーション
ラテン十字架がはめ込まれている。











皆でぞろぞろ行進してイスラム地区を出て、キリスト教地区へ行き、10~14ステーションのある元カルタゴの地に建つ聖墳墓教会へ。




聖墳墓教会

聖墳墓教会は、イエスが十字架に架けられ処刑されたコルタゴの丘の上に建てられており、イエスの墓があります。












ガラスの中はイエスが処刑された時に入ったとされる亀裂がある。







第11ステーション
イエスが十字架にはり付けられる






第12ステーション
イエス息をひきとる



イエス像の下に祭壇があり信者の方がひざまずいてキスをしていました。






13ステーション
香油の石
十字架から降ろされたイエスの遺体は、この石の上で香油で清められました。
皆さん熱心に香油を体につけたり、ハンカチにつけてそれで自分の体を清めたりしています。
現地ガイドさんが、香油を付けるとそこが良くなると言われたので帽子に香油をたっぷりつけました。
これで帽子を通して、少しでも頭が良くなるかもと。






第14ステーション
イエスの墓
この聖堂の中のお墓の部分には入ることも出来るので、長蛇の列が出来ていました。


外に出てレストランに向かいます


道の上にはローマ法王を歓迎する垂れ幕







途中ダビテ王の塔が見えます


ランチ


ユダヤ料理は、イスラムと同じように豚は食べないが、牛・鶏肉を食べる時は必ず親子の状態で食べてはいけない戒律があるとか。
例えば、牛肉&ミルク、鶏肉&卵といった組み合わせは無し。
この後、ホテルでも牛肉の出ている時にはコーヒーのミルクも無かった徹底ぶりだったし、卵がある時には鶏肉のかけらも見かけなかった。
日本の親子丼なんて、もってのほかなんだろうなあ。美味しいのに。



大きな鍋からひっくり返した、パエリアのようなご飯。
名前を聞いたら、「ひっくり返しご飯」とそのまんまの名前が返ってきました。

ベツレヘム市内 聖誕教会

2014年06月05日 | イスラエル・ヨルダンの旅
【ベツレヘム】
バスで、エルサレムから10Kmほど離れたパレスチナ自冶区に行く。
ここに聖誕教会があります。


ベツレヘム市内



聖誕教会に向かう途中、偽スターバックスを見かけた。


聖誕教会
イエスが生まれたとされる洞窟の上に建てられた世界遺産の教会。
ローマカトリック、ギリシャ正教、アルメリア教会が共同管理している。


聖誕教会前のメンジャー広場
城壁は十字軍の時代に作られたそう。



「謙虚のドア」と言われている低い入口から一人ずつ入って行きます。



ギリシャ正教会の祭壇



キリストが生まれた場所とされている14芒星。
ここでは皆が手を差し伸べ、口づけをしていた。
混雑の中、順番が来るのを待つ。
曳かれるように銀の芒星に手が伸びてしまった。
触れた瞬間キリスト教徒ではないが、なぜか胸がいっぱいになり、この旅で一番感動した。







聖カテリーナ教会
ここで毎年12月24日に行なわれるミサは、全世界に中継されます。




マリア様と生まれたばかりのイエス様。




地下へ


聖ヒエロニムスがこの洞窟の中で、ローマの婦人パウラの励ましと協力によってヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した。
それによってキリスト教が広まったと言われている。
パウラの死後ヒエロニムスは、彼女の骸骨を見ながら翻訳に一生を捧げた、と現地ガイドさんから説明を受けた。














カテリーナ教会の中庭にある聖ヒエロニムスの像。
足元の骸骨は彼を支えたパウラ。




ローマ法王が、前日ここを訪問されており、あちこちに巨大なポスターが貼ってあった。
法王様が帰られた後で良かった。
当日に当たっていたら、渋滞して大変だったろうと思った。




イスラエル&ヨルダン&ドバイの旅

2014年06月04日 | イスラエル・ヨルダンの旅
5月26日~6月2日まで行って来ました。

今回の旅は、個人だとイスラエルへの入国に手間取りそうなのと、ペトラ遺跡までの交通手段がタクシーのチャーターかレンタカーしかないと聞き、とても無理なので両方の観光が入っているツアーを探し、一人参加で行って来ました。


エミレーツ航空のドバイ経由でヨルダンの首都アンマンへ行き、そこからエルサレム・ペトラと巡り、復路はアンマンからドバイに。
ドバイの観光は余り気乗りがしなかったが、どうもアンマンからドバイに着いた後の大阪・成田行きの飛行機がないのでドバイに一泊し観光して日本に帰国というコースになったようだ。

大阪と東京からの合同参加形式で、ドバイのアンマン行の搭乗口が集合場所というツアーでした。



エミレーツの帽子を被って
機内で仲良くなった日本人CAさんが機内のキッチンで写真を撮って下さった。


ドバイで東京・大阪からの参加の方々と合流。
搭乗口に行ってみると東京からの参加の方が圧倒的に多く、一人参加の中高年が多かった。


ドバイから3時間でアンマン着。
ここからバスに乗り換えエルサレムを目指す。


荒涼とした風景が続く。

アンマンの標高は700mほどあり、ここからエルサレムへ行く途中に海抜0mの場所がある。


SEE LEVEL 海抜0m地点


イスラエルへの入国
ヨルダンからの出国は簡単だがイスラエル入国は厳しいと聞いていたが、我々はツアーだったので時間も思ったほどかからなかった。
ヨルダン側では、添乗員さんにパスポートを渡し、バスで待機。
イスラエル側は厳重な警備で銃を持った国境警備隊もいて、撮影も一切禁止。

ネットでは、イスラエルのスタンプがパスポートに押されていると、サウジアラビア・シリア・イラン・イラクなどに入国出来ないので、それらの国にこれから行く予定のある人は、スタンプを押してもらわない方を選ぶようにと書いてあったが、最近のイスラエルはパスポートをコピーした小さな用紙を渡してくれ、↓これが入国スタンプの代わりだった。





エルサレムに入ると、緑も多く美しい街が広がった。














街中、幼稚園児から学生まで、各集団が同じ色のTシャツを着て行進しているのを次々と見かけた。
後で、エルサレムディを祝っているのだと分かった。