玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

無能な働き者

2008年11月12日 | 政治・外交
田母神前空幕長の件について、国会やマスコミ(産経を除く)ではほぼ批判一色である。
私はこの状況に不満がある。

といっても、「田母神氏の主張は正しい」「批判するほうが間違っている」と言いたいわけじゃない。
逆に、「まだまだ批判が足りない」「自衛隊幹部の政治的発言に対してもっと警戒心を持つべきだ」「世論がアレルギー反応を起こしてもいいくらいだ」と思っているのである。
私がどれほど田母神氏のようなタイプの「軍人」を忌み嫌っているかといえば、酔っ払い運転常習者を見るのと同じだといえばわかってもらえるだろうか。酔っ払い運転常習者に対して「運転する資格なし」と罵倒するのと同じく、田母神氏には「国防の要職にある資格なし」と批判せずにはいられない。

以下、この稿では自衛隊のことを「軍隊」、自衛官(いわゆる制服組)のことを「軍人」と呼ぶことがある。私自身は憲法9条2項を改正して自衛隊を軍隊として認めるべきだと考えており、「軍隊」「軍人」という言葉に蔑視や非難の意図はまったくない。
それならなぜ軍隊・軍人という言葉を使うのかといえば、国防をつかさどる唯一の武力集団である自衛隊の本質を簡潔に表しているからである。政治家やマスコミは「自衛隊は軍隊ではない」とするお約束(フィクション)を守らなければならないが、私のような一般人が言うには問題ないだろう。

かつて司馬遼太郎は何度も愛国心を酒精(アルコール)にたとえている。
日本においては「正しい歴史」「美しい過去」を求める情熱が特にアルコール度数が高いようだ。戦前には「南北朝正閏論」が大問題だった。足利尊氏は大逆賊で、楠木正成は大忠臣で、それに疑問を持つ人々は皇室に不忠な乱臣賊子とされた。
今から見ればなぜそんなことに血道をあげて大騒ぎしたのか理解しがたいが、現実と離れた「美しい過去」にはそれだけ純粋な甘さがあり人の心を乱す魔力があるのだろう。
成人なら誰でも酒を飲むことができる。体を壊していても、アルコール中毒だったとしても法律で酒を飲むのを禁じることはできない(今のところは)。また18歳以上で資格と能力を満たしていれば誰でも運転免許を取得できる。これもまた国民の権利だ。
だが、酒を飲み同時に運転することはできない。法律で禁じられている以前に「ダメなものはダメ」である。どんなに理屈をこねても、「自分は酒に強いから」「一杯引っ掛けたほうが上手く運転できるくらいだ」と熱心に主張しても認めるわけにはいかない。
私にとっては田母神氏のような制服軍人が政府の基本的認識をひっくりかえそうとするのも酒酔い運転と同じく「ありえないこと」である。高位の軍人に好き勝手を言う自由などあるはずがない。正気でそんなことを主張する人間がいることがまず信じられないし、それを応援する人たちについては何をかいわんや、である。田母神氏が「航空幕僚長にも言論の自由がある」と力説すればするほど「この人はトンデモだ」と思わずにはいられない。

私にとって田母神氏の歴史認識自体はまったくどうでもいいことである。
どんな歴史認識でも内心にとどめている限り、「大日本帝国の戦争は全て正義だった」と思おうが「日中戦争はコミンテルンの陰謀」と考えようがとりあえず問題ない(あくまでも「とりあえず」であり本当は困ったことだが)。邪馬台国が九州にあったのか大和にあったのか、それとも東北とか沖縄にあったのか、という問題が現実の国防とは無関係であるのと同じ程度にどうでもいい。
だが、航空幕僚長の要職にある軍人が自らの歴史認識を公表することで政府に余計な手間をかけさせる、国政を混乱させる、任務に支障をきたすのは全く愚かなことだ。余計なことをして自軍に損害を与えるのはフォン・ゼークト言うところの「無能な働き者」である。関西弁で言えば「いらんことしい」だ。幸い日本は平和なので、最悪の「無能な働き者」もゼークト式に射殺されることはない。更迭と定年退職という処分で退職金を受け取る田母神氏は恵まれている。要職にあるものの無能はそれだけで罪だ。田母神氏の更迭は歴史認識を議論するまでもなく必然である。

あたりまえのことだが、航空幕僚長の任務は「国を憂えて『正しい歴史認識』を広めようとする」ことではない。敵対する航空機やミサイルを日本の上空から排除して国を守るのが仕事だ。そのために必要な装備を整え訓練して有事に備えるのが何より大事である。
「自衛隊員が誇りを持てる『正しい歴史認識』がないと国が守れない」と田母神氏は主張しているそうだが、「馬鹿じゃなかろうか」としか思えない。誇りの持てる歴史がないと国が守れないならドイツはどうなんだろう。ナチを賞賛することは法律で禁じられているけれど、ドイツの将軍が「第三帝国の栄光がないと国が守れない」と泣き言を並べたなどという話を聞いたことがない。
自衛隊に入ったことのない私には言う資格がないかもしれないが、「そもそも歴史ロマンチシズムに頼らないと士気を維持できないようでは軍人としてたるんでる、腕立て百回!」という感じだ。現在の日本は大日本帝国の正義をことさら持ち出すまでもなく「いい国」ではないのか。周辺諸国のどれと比べても豊かで、自由で、安全で、娯楽にあふれ、国民は世界で最も長生きしている。こういう国を守るのに「正しい歴史認識」とやらのドーピングは必要ない。

田母神氏のような「国を憂える」タイプの軍人(自衛官)が私は大嫌いなのである。どうしても昭和初期の政治的軍人たちを思い出してしまう。軍縮に抵抗し統帥権干犯問題の火種となった加藤寛治、ヒトラーに心酔し三国同盟締結の原動力となった大島浩といった人たちだ。
「軍人が憂国の士を気取るとろくなことがない」というのが数百万人の犠牲を払って得た歴史の教訓である。国会の証人喚問で田母神氏が自らの正しさを主張し愛国心を強調すればするほど嫌悪感が募る。「お前はもう黙れ!」と叫んで口にガムテープを張ってやりたいくらいだ。もちろん田母神氏は今はただの民間人だから、そんなことを思う私のほうが間違っているのだが。

繰り返すが、田母神氏の歴史認識自体はまったくどうでもいい。
「どうでもいい」には「そもそも論じる価値がない」という意味が多分に含まれる。田母神氏は体系的に歴史を学んだわけでもなく、一次資料を入念に調べたわけでもない。彼の書いた「論文」なるものは要するに素人の作文である。論文としての体裁も整わず、せいぜい大学のゼミのレジュメになるかどうかといったところ。いや、レジュメとしても教授に鼻で笑われ学生に馬鹿にされるレベルだろう。
そんな作文をまともに取り上げて議論するのは時間の無駄だ。ちゃんとした歴史学者の本を読んだほうがずっといい。
私の知る限り田母神氏の「論文」を評価するのは素人(右寄りの評論家・ジャーナリスト・ネット世論)ばかりで、本職の歴史学者はおしなべて酷評している。私にとって田母神「論文」の評価はそれだけで充分だ。

田母神氏がどうしても「正しい歴史認識こそが国防の基本だ」と信じるのであれば、装備や人事、予算や計画といった雑事は人に任せて全力を挙げて歴史研究に取り組めばよかった。幕僚長を辞して防衛省防衛研究所戦史部に移動を申し出るとか、あるいは制服を脱いで近代史研究に情熱を捧げるとか。そこまでやるのであれば私とて「ああこの人は本気なんだな」と敬意を抱くこともできる。
だが田母神氏が実際にしたことは、仕事の片手間に資料もろくに調べず(本人談)、そこらの本から都合のいいところばかりつまみ食いしたような数ページの「論文」を書き、かねてより親しかった会社社長の主催する懸賞に応募して300万の賞金を得る、ということだ。
みみっちく、薄汚く、潔さのかけらも感じられない。こういう軍人が自衛隊の高位にあり、愛国者を自称し、そしてそれに喝采する人が少なからずいる、という現実は私の想像力を超えている。もう笑うしかない。

田母神氏のような憂国の士を気取る軍人、略して国士軍人は日本にとって有害無益だ。
昭和の戦争の時代はもちろん、平成の現在でも国士軍人が日本をよくする役に立つとは思えない。右であれ左であれおしなべて「無能な働き者」と認定して制服を脱いでもらうのが本人にとっても国のためにも一番だろう。その意味で田母神氏の退任は見本を示してくれたともいえる。
民主国家の軍人は、民意を代表する政府の有能な道具であることに満足と誇りを見出すべきだ。自分たちが先頭に立って民意を動かそうとか、政府の基本的な方針を変えてやろう、などというのはとんでもない思い上がりだ。
軍人が憂国の士である必要はまったくない。なによりもまず有能な戦士として自らを鍛えるのが義務だ。「戦士」というと実際に戦争しなければいけないと勘違いする人もいそうなので、「戦闘のプロ」「兵器を操る職人」と言ったほうがいいかもしれない。
イデオロギーや「正しい歴史認識」のアルコールに酔っていては戦闘のプロたりえない。悲憤慷慨して顧客に説教するのは勘違いした職人もどきのやることだ。ちゃんとした職人なら、ストイックに仕事を愛し、技を磨き、世間の評判に惑わされず、売名も利得も望まず、ロマンチックなフィクションに耽溺することなく、常に平常心を保って任務を遂行するものである。
もちろんこれは理想であり、現実の自衛隊員にそこまで高い基準を求めるつもりはない。「無事これ名馬」でトラブルを起こさずに国の守りを固めてくれればそれで充分だ。逆に田母神氏のように「よけいなことしい」で無駄な混乱を引き起こし、自衛隊と政府に迷惑をかけ、国民の信頼を失わせるような国士軍人は論外である。

かの「真の近現代史観懸賞論文募集」には多くの自衛隊員が応募していたそうである。田母神氏のような「国士軍人」が無視できないほどたくさんいるようだ。まったく困ったものである。これまで自衛隊員はきつい任務と社会の冷遇に耐えて本当によくがんばっていると感心していたのだが、これからは「自衛隊の教育と人事評価はどうなっているんだ」と寒心することになるのだろうか。本当に情けない。
「正しい歴史認識」とやらには興味がないが、結果的に自衛隊の教育問題を明らかにした点で田母神氏の行動を評価すべきなのかもしれない。たぶんご本人にとっては不本意だろうけれど。


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6 コメント

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どうってことないことですが (とのま)
2008-11-12 21:14:04
田母神氏の論文はともかく、他自衛官の論文は何が書いてあるのか我々は判らない(これからも知る術もない)んで、応募したことを理由に責めるのは保留してもよいのでは?
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Unknown (ほの暗き闇の底)
2008-11-16 17:10:13
下記の故吉田茂氏の言葉が、我が国の歪さをよく表しています。
吉田茂
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
 きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
 どうか、耐えてもらいたい」
(昭和三二年二月、防衛大学第一回卒業式にて)

引用元 http://www.tamanegiya.com/hero.html
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リンク切れを見つけましたのでご報告。 (teikokujinn)
2008-11-17 00:10:17
以下のサイトはリンクを変更なさっています。

軍事板常見問題&良レス回収機構
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/index.html
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Unknown (雪斎)
2008-11-22 21:48:54
おひさしぶりです。
御説、全面的に賛成です。
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宸襟を悩ます (玄倉川)
2008-11-27 19:47:13
>とのまさん
田母神氏以外の自衛官は上長の許可を得て投稿したそうなので、服務規程違反にはなりません。
ですが、私の感覚としてまともな自衛官(というか公務員全般)なら「「真の近現代史観」懸賞論文募集」「最高賞金300万円」という文字を見た時点で「これは臭い」と感じて距離を置くくらいの用心深さを持ってもらわないと困ります。
偏ってるのと緩んでるのと両方が問題で、「トラックの荷崩れ事故」などを連想してしまいます。

>ほの暗き闇の底さん
自衛隊員が国民から尊敬される大きな理由のひとつが「克己」「自制心」だと思います。
「そんなの関係ねえ」「どこが悪いのかわからない」田母神氏の思い上がりにはとてもがっかりさせられました。

>teikokujinnさん
ご指摘ありがとうございます。さっそく直しました。

>雪斎さん
これが田母神氏一人のことなら笑い話にもなりますが、保守を名乗る応援団が大声を張り上げ、自衛隊内にも同調者が少なからずいるらしい状況は本当にシャレになりません。
自衛隊を信頼し応援していた人ほど憂鬱になる大問題です。
興奮しておだを上げるのは自衛隊を利用して維新ごっこをやりたい人たちでしょう。まさに宸襟を悩ます不忠者です。
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Unknown (Unknown)
2009-01-01 20:16:01
麻生さんが、マスコミに叩かれる本当の理由を書いてます。
飯島愛さんにも関係があるかもしれません。
「人権擁護法案」(法案の内容をご存じなければぐぐってください)にも関連があります。
国民一人一人の力が必要なので支援を・・

http://blog.goo.ne.jp/nakagawasake/
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