草若葉

シニアの俳句日記
 ~日々の俳句あり俳句談義あり、そして
折々の句会も

今日の俳句/隠岐の秋(九分九厘)

2015-09-09 | Weblog
 今週の初めから、2泊3日で隠岐の島に友人夫婦四組で旅をした。後鳥羽上皇などの流罪の島で知られている所であるが、もう一つの興味のあるところは、隠岐群島が火山噴火で形成された経過を生々しく観察できる岩壁の景観があることだ。隠岐群島は、島前、島後に分かれて大きな島が四つあるが、残りは100以上の小さな島で囲まれている。海底火山噴火で出来たものだから、島には砂浜などはなく海から垂直に伸びる岸壁の島ばかりである。写真の岩壁は「赤壁」と称する観光の目玉であるが、赤い岩は噴火の際にマグマに含まれる鉄が空気に触れて酸化したもの、黒い岩は空気に触れることなく酸化しないで固まったものである。この島から産出した黒曜石はとても硬くて石器時代に日本の本土に輸出されていたことが分っている。
 後鳥羽上皇は承久の乱後、ここに流されて17年過ごして亡くなり火葬される。本来身分の高い人を流す島は、気候も良くて食べ物も豊富で、生きていくに心配のない所が選ばれたという。隠岐の島は対馬海流のお陰で温暖なところで、雪も多く積もっても20センチ位という。魚は今も素人が行っても難なく釣れるそうだ。上皇は側室や料理人などを京から連れてきており、在住の豪族が一切の世話をした。現在も宮内庁の役人として40数代目の子孫が史跡の一帯を管理している。上皇はここで何もすることがなかったので、京から刀鍛冶を呼びよせ自分で刀を作り、後は和歌を作ることに余生を過ごすことになる。島のどこでもお目にかかる上皇の有名な和歌は 

    われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波風心して吹け
 
  隠岐を訪ねて
    摂津より隠岐を訪ねん秋の風    九分九厘
    人恋ひて和歌に涙す秋の暮
    虫の声哀史語るや焼葬の地
  
    隠岐一山の草食みし牛の秋
    秋天や絶壁見上ぐ隠岐の海
    波風の心して吹く隠岐の秋
  
 上皇を祀る隠岐神社の資料館に黒田杏子の俳句色紙があった。なかなか達者な句である

    隠岐にありやがて散りゆく花のあり    杏子  

 隠岐神社は桜並木が綺麗で有名なところという。 尚、後鳥羽天皇稜は京都大原にあり、その霊は摂津・大阪三島郡の水無瀬神宮に明治になって復権されて祀られている。天皇を島で死なせたことを認めないことが、現在の宮内庁に於いても続いている。隠岐の島は仮に住まっていた行在所という表現を使う。
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8 コメント

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印象に残る句 (ゆらぎ)
2015-09-11 15:16:57
九分九厘様
 いい旅をされましたね。素敵な写真共々リポートを興味深く拝読しました。後鳥羽上皇のエピソードは詳しくは知りませんが、”生きていくのに心配のない場所”との記述になにやら、ほっとした感じをもちました。二句ほど好きな句を上げさせていただきます。

 ”摂津より隠岐を訪ねん秋の風”~風となって隠岐をたずねる詠み手の気持ちが伝わってきて、秋の風は少し冷たいものがあるでしょうが返って心温まるものをかんじました
   
 ”波風の心して吹く隠岐の秋”~これも詠み手の気持ちが乗り移ったような句。九分九さんは優しいなあ! いいですねえ。
 
御礼 (九分九厘)
2015-09-12 14:41:20
ゆらぎ様
 隠岐の島の湾内は波は静かですが、外海は波が高く小さい遊覧船などはすぐに欠航します。その昔、小舟では隠岐の島に行くだけでも大変な冒険だったでしょう。時にこのような史跡を訪れると、日本の歴史をふりかえる絶好な機会となります。コメント有り難く頂戴します。
好きな句 (龍峰)
2015-09-12 15:00:28
九分九厘 様

写真の赤壁はなかなか迫力がありますね。まだ隠岐の島行った事はりませんが、後鳥羽上皇と聞いただけで心騒ぐものがあります。何れの句も島の秋の情調を感じますが、次の2句を頂きます。

隠岐一山の草食みし牛の秋
隠岐といえば牛突きが有名ですが、その牛が島の山の草を食べ尽くすような勢いがあり、丸々太り、来たるべき秋の闘いに備えているようだ。長い歴史のある文化ですね。

波風の心して吹く隠岐の秋
上皇の歌の本歌取りですが、その威厳でさぞかし島の海は穏やかな海だった事でしょう。暮れゆく秋の風情が強く感じられます。
好きな句ほか、コメント (かつらたろう(桑本栄太郎))
2015-09-13 11:36:03
九分九厘様
お早うございます!!
しばらくこの欄に投稿がなく、今朝開いて見てびっくり
です!!。
小生の鳥取の田舎の小高い丘の上に在る墓地から
眺めれば、天気の良い日には遙か沖に隠岐の島影
が微かに見えるのです。
小生の田舎は後醍醐天皇が隠岐から脱出され、船上山へ立て籠る手助けをした名和長年公の太平記で
有名な旧名和町が実家のある田舎です。
このお盆にも日本海に沈む夕日を眺め、今更のように
感動しました。ところが、小生は隠岐には未だ訪れた
事がありません。
ともあれ、前置きが長くなりましたが、どれも良い句
ばかりで悩みましたが、本当に敢えて下記の御句を
選ばせて頂きました。

☆摂津より隠岐を訪ねん秋の風
飛行機で関西からわざわざ隠岐を訪ねられた感慨が
溢れています。
歴史と日本海の荒波が寄せる自然環境の厳しい土地
柄です。

☆人恋ひて和歌に涙す秋の暮
遠島されたのは後鳥羽上皇のみではなく、後醍醐天皇も流されました。
美しく賑やかな京の都からこの隠岐への配流は、和歌ぐらいしか慰みは無かったのでしょう!。情感溢れる
御句に感動です!!。

☆隠岐一山の草食みし牛の秋
隠岐の島と言えば、牛相撲が有名ですがこの近年
人口流失が激しく、約10年前から移住者を求めて
いました。都会から島への希望者には牛数頭と住居
を提供すると言うものです。
今でこそ、地方創生が叫ばれていますが、自治体
海士町の町長が主導し、かなり前から行い今では
大成功しています。

☆秋天や絶壁見上ぐ隠岐の海
火山性の成り立ちの隠岐の島群島ですから、絶壁
の海岸が多いいようですね?
今の時季は良いのですが、北風の吹く冬の厳しさは
如何ばかりかと思われます。
冬の厳しさを知っている小生の好きな句を花期に
御紹介してコメントを閉じさせて頂きます。

☆隠岐やいま木の芽をかこむ怒涛かな  加藤楸邨
好きな句 (四捨五入)
2015-09-13 15:52:31
九分九厘 様

隠岐の島と聞けば、「隠岐の海」と闘牛の島くらいしか思い浮かびませんでしたが、インターネットで見ると、お話しのとおりの険しい絶壁に取り巻かれた島ですね。温暖とはいえ、寂寥感がつのったことと想像されます。
流罪の貴人の淋しさを詠まれた句と牧歌的な句を頂きました。

  人恋ひて和歌に涙す秋の暮

  隠岐一山の草食みし牛の秋
御礼 (九分九厘)
2015-09-14 10:11:06
龍峰様
 二句を選んで頂き有難うございました。伊丹空港から約1時間で隠岐の島につきます。あまりに簡単なのではるばる日本海の孤島にやってきた感じがいたしません。観光と漁業でもっている島ですが、歴史の古い島で方言に京のみやび言葉が残っているとのことです。前もって勉強いていくと面白い旅が出来ます。
御礼 (九分九厘)
2015-09-14 10:22:18
たろう様
 たくさん選句して頂き有難うございます。流石地元出身の方でしか知らない情報を知り大変勉強になりました。もう少し歳が若かったら、空き家の一軒家を借りて絵を書いたり、魚を釣ったりしての一人暮らしをしてみたかったような気がいたしました。明治六年に後鳥羽上皇の霊が摂津に移されるときには、島民は涙を流して見送ったということです。それまでは、村上家という大庄屋が代々霊を守ってきたと言います。現在も史跡一帯は宮内庁所有地となっていて、村上家は宮内庁役人として格式の高い地位にあるそうです。長い歴史が温存されて記憶に残されているのは、やはり孤島であった土地柄のせいでしょうか。おもしろい旅でした。
御礼 (九分九厘)
2015-09-14 10:36:44
四捨五入様
 コメントと選句ありがとうございます。海抜360メートルの絶壁の上に急坂な場所もある広大な牧場があります。11月から3月くらいまでは牛舎に入れるそうですが、後は完全に自然放牧で自然出産で仔牛ができるそうです。先ずは種牛になりそうもない雄牛は去勢されて、4〜5ヶ月目で約50万円で関西に売り、淡路島などで育てられ、その後は成牛が数百万で取引され、殆どが神戸牛となっているとのことです。乗った観光バスの運転手が牧場で50頭位の牛を持っていて、両方で生計をたてていると説明をしていました。

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