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(岐阜県各務原市 1990年6月17日)
木曽川・中山道・高山線・名鉄線・各務原飛行場などが東西に延びている。故に市域も東西に長い各務原を訪れた。先ず歴史民俗資料館を見学。最初予想したより、原始・古代が発達していて出土品も豊富であった。やはり濃尾平野の付け根、木曽川に面した南向きの斜面、気候も比較的温暖で食物も豊富であったからであろう。資料館では宮崎憲二氏のご説明を聞き、各務原の資料を入手した。
踏査散策順は、前方後円墳の坊の塚古墳・最大級の円墳衣裳塚古墳・一輪山古墳・空安寺・墳丘上に社殿が建てられ石室が開口している二ノ宮神社古墳、中山道五十二番目鵜沼宿本陣跡であった。古代から東山道も通い、また名古屋へと続く稲置街道も分岐する、要所である鵜沼の地。然し中山道の鵜沼宿ができたのは、慶安四年(1651)とやや新しい。ここには織田信長の家臣、後に脇本陣を務めた坂井家があり、その子孫が著した資料を手にし、坂井家に関することをお聞きすることができた。また松尾芭蕉が三度、この脇本陣坂井家に滞在したそうである。
その際に詠んだ句が、脇本陣跡に句碑に残り、
「汲溜の 水泡立つや 蝉の声」
「ふぐ汁も 喰へば喰せよ 菊の酒」 とある。
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