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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去のノートから…
 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

「漂い紀行 振り返り版」ご案内

2016-12-31 00:00:01 | お知らせ

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地名は訪問時点での自治体名を表します。(()内を除く)
なお、リンクは各地初訪問または、最初の記事になっています。
2016年8月現在、46都道府県669地区 及び3国10地域
(東日本)
北海道
札幌市中央区北区南区東区豊平区厚別区江別市北広島市恵庭市千歳市苫小牧市小樽市余市町夕張市長沼町栗山町安平町厚真町むかわ町日高町平取町旭川市東神楽町美瑛町岩見沢市、砂川市、三笠市美唄市深川市奈井江町函館市七飯町網走市大空町斜里町釧路市標茶町根室市厚岸町

青森県
青森市、(浪岡町)、弘前市深浦町

秋田県
能代市八峰町大館市

山形県
山形市

岩手県
一関市平泉町奥州市北上市花巻市遠野市

宮城県
仙台市青葉区、宮城野区、太白区名取市塩竃市多賀城市松島町白石市

福島県
郡山市須賀川市会津若松市喜多方市猪苗代町磐梯町

茨城県
土浦市牛久市稲敷市阿見町取手市

栃木県
宇都宮市日光市、(足尾町)、栃木市、小山市

群馬県
前橋市みどり市高崎市富岡市草津町嬬恋村片品村

千葉県
千葉市中央区美浜区、習志野市、浦安市、成田市、君津市、館山市富山町

埼玉県
さいたま市大宮区鴻巣市、和光市、所沢市、飯能市入間市川越市東松山市、坂戸市、毛呂山町吉見町

東京都
千代田区中央区港区新宿区文京区台東区墨田区江東区品川区目黒区大田区世田谷区渋谷区中野区杉並区豊島区北区、荒川区、板橋区、足立区、葛飾区、江戸川区八王子市、立川市、武蔵野市三鷹市、府中市、町田市小平市国分寺市、狛江市、東久留米市、多摩市

神奈川県
横浜市中区、鶴見区、神奈川区、磯子区西区港北区、戸塚区、金沢区港南区、緑区、青葉区都筑区、川崎市川崎区幸区中原区高津区宮前区多摩区麻生区、相模原市中央区横須賀市鎌倉市逗子市葉山町大和市海老名市座間市藤沢市、平塚市、茅ヶ崎市、小田原市、湯河原町

山梨県
甲府市笛吹市韮崎市大月市富士河口湖町高根町、小淵沢町

新潟県
新潟市中央区東区江南区新発田市村上市上越市妙高高原町糸魚川市

富山県
富山市、(八尾町)、立山町朝日町高岡市氷見市射水市、南砺市(城端町)、(平村)、(上平村)、(福野町)、(福光町

石川県
金沢市加賀市

福井県
福井市あわら市、永平寺町、和泉村、敦賀市、三方町

長野県
長野市戸隠村、(鬼無里村)、信濃町麻績村上田市佐久市軽井沢町和田村南牧村松本市波田町安曇村豊科町穂高町塩尻市、(楢川村)、岡谷市諏訪市茅野市下諏訪町立科町富士見町大町市、(八坂村)、白馬村小谷村飯田市、阿南町、下條村、天龍村伊那市、(高遠町)、駒ヶ根市飯島町宮田村木曽福島町木祖村上松町大桑村南木曽町、(山口村

静岡県
静岡市葵区駿河区清水市由比町蒲原町藤枝市、(岡部町)、焼津市、島田市、(金谷町)、沼津市三島市清水町、函南町、伊豆の国市、伊豆市、御殿場市熱海市伊東市東伊豆町下田市富士市富士宮市、浜松市中区北区引佐町細江町三ヶ日町西区舞阪町浜北市天竜市春野町佐久間町水窪町磐田市、(豊田町)、掛川市袋井市森町、御前崎町、湖西市新居町

岐阜県
岐阜市、(柳津町)、羽島市笠松町岐南町北方町糸貫町真正町、(穂積町)、(巣南町)、山県市各務原市関市美濃市郡上市、白鳥町、美濃加茂市坂祝町可児市、(兼山町)、御嵩町大垣市、(墨俣町)、養老町海津市池田町揖斐川町大野町谷汲村垂井町関ヶ原町多治見市笠原町土岐市恵那市、明知町、(岩村町)、瑞浪市中津川市、(山口村)、高山市高根村、(宮村)、(上宝村)、飛彈市(古川町)、(神岡町)、白川村下呂市

(※文字数がブログ入力制限の20000文字を超えているため西日本と分割しています)

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訪問地名リンク 西日本

2016-12-31 00:00:00 | お知らせ

(※文字数がブログ入力制限の20000文字を超えているため東日本と分割しています)

愛知県
名古屋市中区東区西区、南区、北区港区、中村区、千種区、熱田区中川区瑞穂区緑区、名東区、昭和区、天白区、守山区日進町長久手町、東郷町、豊明市、春日井市、瀬戸市尾張旭市小牧市、豊山町、西春町師勝町西枇杷島町新川町清洲町春日町津島市甚目寺町美和町佐織町佐屋町弥富町一宮市尾西市木曽川町稲沢市平和町犬山市江南市岩倉市扶桑町大口町半田市常滑市東海市知多市大府市武豊町美浜町南知多町、東浦町、岡崎市額田町幸田町豊田市、足助町、旭町、三好町、刈谷市碧南市安城市知立市高浜市西尾市、幡豆町、吉良町、一色町、豊橋市、田原町、渥美町、赤羽根町、豊川市、御津町小坂井町、音羽町、一宮町、蒲郡市、新城市鳳来町作手村設楽町、(津具村)、東栄町富山村

三重県
津市、白山町、美杉村四日市市菰野町桑名市長島町員弁町、鈴鹿市、松阪市、(嬉野町)、伊勢市、小俣町、二見町玉城町鳥羽市、志摩市(志摩町)、(阿児町)、伊賀市、伊賀町、青山町、亀山市、(関町)、名張市

滋賀県
大津市草津市、野洲市、五個荘町、能登川町、近江八幡市、(安土町)、甲賀市(信楽町)(水口町)(甲南町)、彦根市米原町、(近江町)、長浜市木之本町、西浅井町

京都府
京都市下京区中京区上京区北区左京区右京区東山区西京区伏見区南区、山科区、宇治市向日市長岡京市、木津川市(木津町)、(加茂町)、井手町

奈良県
奈良市、山添村、天理市桜井市、宇陀市、大和郡山市橿原市大和高田市香芝市葛城市王寺町斑鳩町明日香村吉野町

大阪府
大阪市中央区浪速区港区天王寺区此花区北区城東区西成区住之江区阿倍野区淀川区、豊中市、吹田市、堺市泉佐野市、八尾市、寝屋川市

兵庫県
神戸市中央区灘区兵庫区須磨区、西区、西宮市、伊丹市姫路市相生市、赤穂市、上郡町、東浦町津名町

和歌山県
和歌山市高野町那智勝浦町

鳥取県
米子市境港市

島根県
松江市出雲市大田市

岡山県
岡山市倉敷市、玉野市、井原市

広島県
広島市中区東区南区西区廿日市市、(宮島町)、大竹市竹原市大崎上島町福山市、(神辺町)、三原市、尾道市

山口県
山口市、(小郡町)、美祢市萩市岩国市、(由宇町)、和木町柳井市、(大畠町

香川県
高松市坂出市丸亀市、宇多津町、多度津町、琴平町観音寺市

愛媛県
松山市北条市砥部町久万高原町、(美川村)、大洲市内子町今治市玉川町朝倉村波方町、大西町、菊間町、吉海町、宮窪町、伯方町大三島町上浦町西条市東予市宇和島市、(吉田町

徳島県
徳島市鳴門市三好市

高知県
高知市南国市、香南市(香我美町)、(赤岡町)、(夜須町

福岡県
福岡市中央区博多区東区早良区太宰府市、筑紫野市、粕屋町志免町糸島市、北九州市小倉北区戸畑区若松区八幡西区柳川市

佐賀県
唐津市、(浜玉町)、武雄市有田町、江北町

長崎県
長崎市佐世保市、島原市、南島原市(口之津町)、(深江町

大分県
別府市国東市由布市竹田市九重町

熊本県
熊本市益城町菊陽町大津町宇土市宇城市、天草市(本渡市)、(五和町)、阿蘇市南小国町南阿蘇村

鹿児島県
鹿児島市、(桜島町)、加治木町、霧島市(国分市)、(福山町)、(霧島町)、(牧園町)、(溝辺町)、指宿市、(山川町)、南九州市、屋久島町(上屋久町)、(屋久町

沖縄県
那覇市糸満市豊見城市南城市、与那原町、八重瀬町、座間味村、浦添市宜野湾市、沖縄市、うるま市嘉手納町読谷村中城村北中城村名護市本部町恩納村今帰仁村、宮古島市(平良市)、(下地町)、(上野村)、石垣市竹富町


イタリア共和国
 ラーツィオ州ローマ県
        フィウミチーノ

 ヴェネト州ヴェネツィア県
       ヴェネツィア

 トスカーナ州フィレンツェ県
        フィレンツェ

 ロンバルディア州ミラノ県
          ミラノ

 リグーリア州ジェノヴァ県
        ジェノヴァ
       インぺリア県
        ヴェンティミリア


モナコ公国
 モナコ市街区 モンテカルロ区


フランス共和国
 プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
  ニースカンヌ

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元住吉平成二十八年

2016-09-04 00:00:00 | 街道・宿場町

(川崎市中原区木月)
 昨年初めて訪れたモトスミは、東横沿線の他の駅前商店街に比べ、格段に商店数が多く活気が感じられた。
 東急元住吉車庫
    
 オズ通り綱島街道入口
 元住吉駅から武蔵小杉方面を望む

(関連記事:元住吉平成二十七年)

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市田片瀬

2016-09-03 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県豊川市市田町片瀬 1993年5月6日)
 赤塚山西側、豊川市営墓地周辺が伐採、開発されていた。墓地自体はそのままであるが、横方、裏方が削られ、大きな石の上に乗る石祠が露になっていた。その近くには塚あるいは古墳のような土盛りがあり、裾の一部が今回の開発により削られていた。墓地の下で農作業をしている人にこの開発のことを尋ねてみると、墓地を拡張するために山を削ったようで、現状以上範囲は広げないということであった。また、祠について、昔からあるが詳しいことは分からない。ただ、お稲荷さんであるという人がいると話してくれた。この日は夕方であったため辺りが暗く、日を改めて訪れることにした。そして、改めて訪れ、標高約35mの斜面に最大横270cm,最大縦150cm,露出高80cmの石室の蓋石のような長方形の岩の上に、記銘のない江戸時代とみられる石祠があり、裏方には少し小さな岩が一つ並んでいた。この祠の北東約8mに土盛りがあり、斜面のため下方へ少し垂れているような形していて、南北約15m,東西約12m,高さ約4mであった。また、土盛りの北裾に東西約3m,南北約5mにわたって陥没のような穴が開いていた。近くの霊場巡礼参拝道で一ヶ所陥没しているところがあり、祠の下側の崖も多少ショベルで手を付けただろうが、陥没のような落ち込みに見え、それら陥没地点を一本の線で結ぶことができた。南東1kmには豊川海軍工廠があり、ここに防空壕を掘ったのであろうと思われる。赤土で掘り易いこともあるが、代わりに崩れ易いのでこのような状態になったのであろう。そして、土盛りであるが、古墳と仮定するならば、斜面で変形しているにも関わらず墳高が高く、石祠の敷石を石室の石とすると6世紀頃と推定できる。然し、大小2個の石だけが土盛りから若干離れて、何故それだけが残るのか。この石が出ているということは、内部が既に出されている可能性もある。更に他の石材があってもよい筈であるが、ないということは祠や墓地が造られた江戸時代頃、墓地の土留めに使われた可能性も考えられる。また、石材が抜き取られたとすれば、墳形が崩れ跡形として残る筈だが、された時期が古いことと土砂が下方へ流出し、目立たなくなったとも推定できる。
  
 現場のスケッチ

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綱島

2016-09-02 00:00:00 | 街道・宿場町

(綱島街道 横浜市港北区綱島)
 鶴見川と早渕川によって形成された中洲(砂島)の地である。故にかつては氾濫が多く、それを鎮めるべく石造の信仰対象物や祠等が比較的多い。江戸時代は東海道神奈川宿から綱島を経て、丸子(川崎市中原区)、溝口(川崎市高津区)に至る綱島街道(稲毛道)が往来し栄えた。近代に入り、大正時代になると冷泉が湧出した。大正15年(1926)には綱島温泉駅(1944-綱島駅)開業して、「綱島温泉」として最盛期には旅館等80軒もの一大温泉地となったが、次第に衰退し現在宿泊施設はなく、変わって駅前商店街となっている。綱島駅の東方には、相鉄線と東急線が相互乗り入れする神奈川東部方面線新綱島駅が予定され、それに伴う開発が行われている。
  
       鶴見川
 厳島神社(弁財天)
 自然石の道祖神
 平内稲荷
  綱島街道
 パナソニック綱島事業所跡で開発が進むTsunashimaサスティナブル・スマートタウン(綱島SST)

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旧松原用水 日下部

2016-09-01 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡一宮町豊津 1993年3月23日)
 一宮中部地区圃場整備事業により辺りは一変した。それまでの不規則な区割りの耕地から碁盤状に改修され、旧松原用水も現在の流量に沿った幅へと改修されつつあった。旧松原用水は、明治2年(1869)豊川への河口の付け替えが行われた宝川の流路跡を利用して、松原用水の前身である大村井水の取水口がそれまでの日下部(草ヶ部)村から松原村に変更されてから、昭和43年(1968)牟呂松原用水頭首工に統合され、照山分水工井嶋サイフォン経由となるまで、松原・豊津地区を流れていた旧水路である。工事によって削られた用水の護岸を見ると、初期の石積みや、陶磁器の破片等が散見していた。
 元々は三枚の板を渡しただけであった見板橋(三板橋)

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新丸子

2016-08-31 00:00:00 | 漂い紀行

(しんまるこ 川崎市中原区新丸子)
 多摩川右岸、武蔵小杉に近接するこの地は、昭和18年(1943)上丸子から、東急東横線の駅名を基に分立した地区である。丸子は古代の部民制丸子部(まりこべ)が由縁とされ、『吾妻鏡』(あづまかがみ:鎌倉時代の歴史書)にも地名の掲載がみられる。室町時代末期には丸子から上丸子が分立し、江戸時代には「まりこ」から「まるこ」へと呼び方が変わった。駅の近くには、昭和26年(1951)東京と横浜の中間に創建された京濱伏見稲荷神社がある。
   
     

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祖父川

2016-08-30 00:00:00 | 水のほとり

(そぶがわ 愛知県宝飯郡一宮町金沢 1993年3月23日)
 金沢字滝平より発し、豊橋市賀茂町手棒で豊川(とよがわ)に注ぐ普通河川である。金沢字段戸に所在する照山墓地の麓を流れる川、父祖の墓前を流れるということで祖父川と呼ばれるようになったという。明治20年(1877)賀茂用水(1878-牟呂用水)が開削された際に中流が取り込まれ分断された。


 その他、金沢地区の水に関係する地名として以下がある。
 金沢(カナザワ)現行大字 明治11年(1878)12月28日、御薗村と養父村が合併し、金沢村となった際、生まれた地名である。旧養父村の大照山、小照山の谷あいを源とする西沢という沢がある。この沢の付近の地質に雲母を含んでいるため、水で洗われると黄金の様に輝きを放つ。そこから俗称を黄金沢と呼ぶようになったという。黄金沢は養父村鎮守大坂神社の横を通り、祖父川に注いでいたが、牟呂用水通水後は取り込まれてしまい、沢の存在をあまり知られなくなってしまったようである。この沢の名前から命名した、いわゆる好字地名「金沢」はこのような由来がある。
 池川(イケガワ)現行小字 吉祥山から金沢大池に流れ込み、流れ出る池川(祖父川)に由来する。
 池田(イケダ)現行小字 豊川沿いの低地は氾濫河道であったため、地形が網目状に凹凸し、上流から運ばれた土砂・沖積土が堆積した中洲・自然堤防の微高地と、流路の低い所ができた。この付近は、豊川が運んでくる肥沃な土により、平常時は水田耕作地であるが、氾濫時は豊川の流路となり、周囲の水田よりもこの池田の地が低い所であったため、水が引いても池のように水溜まりが残り、このような地名となった。
 池端(イケバタ)現行小字 字池端の内、現在水田となっているところは土地が低く、大雨の際には池のようになるため、民家側の微高地を見て池の端、池端と呼ぶようになった。

(関連記事:養父 宮下川)

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茶沢通り

2016-08-29 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都世田谷区北沢・代沢・太子堂)
 文字通り、三軒「茶」屋と下北「沢」を結ぶ区道の通りである。中間地点には代沢十字路があり、代田と北沢の合成地名である代沢と太子堂の境になっている。
 代沢三叉路
  
 北沢川緑道
        御嶽山日之本教会

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養父 宮下川

2016-08-28 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡一宮町金沢 1993年3月23日)
 金沢の東山台地から発し、斜面と田圃の境を流れながら、金沢村合併前の養父(やぶ)村鎮守である大坂神社前で祖父川に注ぐ小さな川である。途中、大照山と小照山の間から発する、金沢の地名由来ともなった黄金沢を合する。

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下北沢平成二十八年

2016-08-27 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都世田谷区北沢)
 私は下北沢駅付近の工事をしていない状態を見たことがない。小田急線の複々線及び立体交差事業に伴う駅前再開発であるが、確かに駅前は非常に狭いものの、シモキタ特有の情緒が失なわれないか気になるところである。
   高架工事中の京王井の頭線
     
  
    小田急地上線跡
       
      
  昭和4年創建の比較的新しい曹洞宗大雄山真龍寺と稲荷神社
  

(関連記事:下北沢平成二十三年)

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足山田城山開発

2016-08-26 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県宝飯郡一宮町足山田 1993年3月21日)
 造成中であった一昨年の暮れに訪れて以降、付近はほぼゴルフ場としての体を成していた。これによって多くの自然や歴史が失なわれた。黒谷ニノ沢は芝とクラブハウス、三ノ沢は道路下の下水管に変わり、城山の登山口に繋がる町道橋はホールを結ぶ連絡橋に変わって、欄干がガードレールから丸太風になっていた。クラブハウスの裏手には調整池ができ、ニノ沢の水が注いでいる。その辺りは敷と岸に岩を配置し、庭園風にしていたが、元々人工的に造られた川に親水工事を施すならまだしも、自然の川であった場所に自然風造作をするのは違和感ほかならなかった。
 黒谷一ノ沢
 黒谷一ノ沢と黒谷遺跡(旧石器)
 黒谷二ノ沢調整池
 黒谷池と城山
 新たに設けられた調整池
 欄干が変わった黒谷川城山橋

(関連記事:足山田開発 黒谷川 膳棚古墳群 足山田城)

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旧鎌倉図書館と御成小講堂

2016-08-25 00:00:00 | 学びのやかた

(神奈川県鎌倉市御成町)
 奈良・平安時代は鎌倉郡衙(ぐんが:郡役所)であったこの場所は、鎌倉時代には武家屋敷となり、明治32年(1899)には鎌倉御用邸となった。昭和6年(1931)鎌倉町に払い下げられ、翌々年、鎌倉郡立御成尋常高等小学校(1947-御成小学校)が設置された。現存する講堂(木造平屋建塔屋付、床面積686平米)はこのときのものである。また、隣接して旧三井銀行取締役だった間島弟彦氏の夫人が昭和11年(1936)に、それまで関東大震災で倒壊し仮施設として由比ガ浜の鎌倉小学校教室を利用していた図書館を、町に建設費を寄付して建設された旧鎌倉図書館(木造2階建、床面積455平米 1950-鎌倉市図書館)がある。長らく図書館として利用されてきたが、昭和49年(1974)新設の中央図書館に機能を移転させ、その後は教育センターとして利用された。然し、講堂共々老朽化及び維持管理コストを理由に解体の話が持ち上がった。市民の運動により現在は保存にシフトしたが、具体的な利用方法や維持管理は不透明な状態である。
   

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水久保池跡

2016-08-24 00:00:00 | 水のほとり

(愛知県豊川市千両町水久保 1993年3月13日)
 佐奈川支流水久保川の途中には池があったという。然し、堤防が決壊して今は痕跡をみせるのみである。

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関取場跡

2016-08-23 00:00:00 | 街道・宿場町

(神奈川県鎌倉市二階堂)
 天文十七年(1548)北条氏康が荏柄天神社の造営費用に充てるため、金沢街道(六浦道)と荏柄天神社参道の接点に関所(関取場、関場)を設け、通行税をとった場所である。徒歩は五文、背負人は十文、里人の行き来及び僧侶は無料であったという。

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