
中山道五十三番目の宿加納は、美濃十六宿の中で最大の宿場であった。
また、この地より越前大野郡石徹白(いしとろ)村に至る郡上街道が分かれていた。故に今も県都岐阜として栄え、商業及び交通の要衝となっている。
中山道の前身である東山道は長良川の北側を通っていたと伝えられるが、時代の流れと共に道と町は南下していった。
加納宿は加納城に近いところに開設されたため、当時の中心地からやや南方になった。そのため、御鮨街道といわれた岐阜街道を整備し、縦に長い街が形成された。
加納宿の西部は、空襲や市街化で面影は無いが、東部の岐阜街道と交わる付近は、当時の面影を所々残している。
中山道を通って来た旅人が、ここより岐阜街道、美濃路、佐屋街道及び東海道を経て伊勢路へと向かったであろう道標が今も立っている。また明治に入ると、当時の中心部であった伊奈波方面へと短絡的に結ぶ安良田新道が地元有力者の私財を投じて建設され、加納宿中心部が衰退し始めたといわれている。
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