(長野県木曽郡南木曽町 国指定重要文化財)
桃介記念館から天白公園を通り、桃介橋を渡る。
遠目に見るこの吊り橋は、灰色を呈し一面コンクリートのように見えるが、橋脚は石積み、橋桁は木製である。
大正11年(1922)水力発電を手掛けていた福澤桃介が、木曽川読書発電所の資材運搬のために計画し、架橋されたのが始まりである。
橋脚基礎から主塔部頂までの高さは27.7m、橋長は4径間247mあり、わざわざ広い幅の地点に架橋している。これには秘められた思惑があるようだ。
昭和53年頃から老朽化のために通行止めとなり、橋桁が落下するなど廃橋の危機に瀕したが、平成5年(1993)に修復され、文化財として保護されることとなった。
この橋は、近づいてみた方が趣きがある。
床面は木造だが、橋脚上には往時のトロッコの痕跡を残し、この橋の当初の目的を表している。
橋を渡ると、そこは中山道三留野宿である。
(関連記事:名古屋福澤桃介邸 美濃橋)
桃介記念館から天白公園を通り、桃介橋を渡る。
遠目に見るこの吊り橋は、灰色を呈し一面コンクリートのように見えるが、橋脚は石積み、橋桁は木製である。
大正11年(1922)水力発電を手掛けていた福澤桃介が、木曽川読書発電所の資材運搬のために計画し、架橋されたのが始まりである。
橋脚基礎から主塔部頂までの高さは27.7m、橋長は4径間247mあり、わざわざ広い幅の地点に架橋している。これには秘められた思惑があるようだ。
昭和53年頃から老朽化のために通行止めとなり、橋桁が落下するなど廃橋の危機に瀕したが、平成5年(1993)に修復され、文化財として保護されることとなった。
この橋は、近づいてみた方が趣きがある。
床面は木造だが、橋脚上には往時のトロッコの痕跡を残し、この橋の当初の目的を表している。
橋を渡ると、そこは中山道三留野宿である。
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シラホネ温泉に行ってきたらしい。
私はまだ行ったことありませんが、、