flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

橦木町

2007-09-07 00:00:36 | 木のたてもの

(名古屋市東区)
 名古屋城北東側、往時は武家屋敷であったこの地区は、空襲の被害を免れ、その後に移り住んだ商人たちによって築かれた、幾つかの近代建築を残す。

(旧井元為三郎邸 市指定文化財)
 大正時代末期に建てられた、陶磁器商の屋敷である。
敷地約2000㎡には、二階建て約200㎡の洋館、隣接して約330㎡の和館と土蔵、離れの茶室がある。
 個人所有の土地家屋であったが、平成8年(1996)に文化財指定となり、喫茶室等を設けながらNPO法人、市民グループによって維持管理がなされるようになった。そして平成19年春、所有者から市に寄付され、「文化のみち橦木館」となった。
 私が訪れたときも、NPO法人橦木倶楽部理事の方からご説明を受け、今後の活用、修復についてや、エネルギー源を太陽光蓄電にする構想等を語っていただいた。
都会にありながら、洋館二階に吹き込む風は涼しかった。
    



(旧川上貞奴 福澤桃介邸 国指定文化財)
 橦木町の北側、東二葉町にあった建物である。
大正9年(1920)約8640㎡の敷地に、二階建て約500㎡の和洋折衷の建物が造られた。
後に二葉御殿と呼ばれたこの建物には、日本の女優第一号といわれた川上貞奴と、大同電力社長の福澤桃介が居住した。
昭和12年(1937)になり敷地が分割売却され、建物も他の所有者に移って一部が解体、増築が施された。そして平成12年(2000)には所有者から建物の寄付を受け、部材の解体保管がなされた後、市が取得した現在地の橦木町に耐震、防火処置及びRC増築を施し再現された。
   
(関連記事:主税町 旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所


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2 コメント

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なつかしい (駿)
2007-09-07 05:51:46
 白壁に4年住み、息子は白壁小を出ました。中日球場が移転する前です。徳川美術館も味噌味も懐かしい。
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白壁 (kourei)
2007-09-07 12:21:47
こちらにお住まいだったのですか。
私も子どもの頃から訪れている地です。
徳川園や赤味噌も、名古屋とても感じますね。
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