(木曽郡南木曾町読書(よみかき))
ウォーキングの一行から離れ、木曽川三留野大橋を渡る。
そこには二つの木造建築があり、資料館として開館している。
その一つ、山の歴史館は、「旧御料局名古屋支庁妻籠出張所庁舎」(宮内省御料林木曽南部出張所)として、明治32年(1899)旧中山道妻籠宿の一角に建てられた。
ペジメント付きコンポジット柱頭の玄関を持つ瓦葺の平屋で、床面積は164㎡である。
昭和8年(1933)には村民に売却され、住宅として移築使用されたが、昭和61年(1986)に国道19号拡幅工事によって立ち退きすることとなり、南木曾町に寄贈、部材保管が成された。そして、平成2年(1990)に天白公園整備事業の一環として、福沢桃介記念館の隣りに復元された。
館内を職員の方に案内いただき、宮内省管轄の建物であったため、部材の面取りや換気口の設置など、細かな配慮が成されていることなどのご説明があった。
また、建物の横には、木曽森林鉄道のディーゼル機関車SKLF5Bが保存されている。
隣接する福沢桃介記念館は、大正8年(1919)木曽川の水力発電を出掛けていた、「福沢桃介別荘」として建てられた。また、川上貞奴もこの別荘によく滞在したといわれている。
昭和28年(1953)の土石流(木曽地方では蛇抜けと呼ぶ)で高床の床下まで岩石が流れてきたが、建物自体には被害が無かったという。然し、昭和35年(1960)の火災で2階部分を焼失し、永らく平屋の状態であった。
平成9年(1997)になって、2階部分の復元が成され、往時の外観を取り戻している。
木曽川の川石を用いた暖炉
“蛇抜け”による岩石
川石が埋め込んである煉瓦の煙突
桃介橋を渡り、三留野宿へと向かう。
(関連記事:名古屋福澤桃介邸)
最新の画像[もっと見る]
南木曽といえば・・馬籠・・・といえば・・・島崎藤村!
我が母校の校歌は、島崎藤村作詞なんですよ~。
・・で、在学中、島崎藤村の子孫という国語の先生がおられました。
・・・それだけです(^^;
南木曽の文字を見て何故か急に思い出したので・・。
校歌に藤村とは、それは伝統ばりばりありそうですね、、
ご子孫が先生ですか、国語の成績があがりそうですね??
私のとこも、著名な方がいれば、もっと立派な生徒が育ったのに…私も含めて…
有名人では伊藤りつ(教科書に出てくる人)が卒業生です。
あと、最近の人だと、元ニュース23の草野光代アナなんかが卒業生なんですよ~!しかも、草野さんは私が1年生の時、3年生だったんですよ~。でも、残念ながら在学中は記憶にありません(^^;2コ上だし!?
だから、街道筋から離れる多治見や土岐よりもしっかりとしたポリシーがありそうな感じがしました。
草野アナは、付知の近くでしたっけ?
このまえ、中津川の90歳のおじいさんに話しを伺ったとき、そこいらへんのことと、「私の親の故郷は福岡じゃ…」と言ってました、、
私の住んでるところだと、渡辺いっけいとか、あみんの加藤さんとか、ギャオス内藤とか、山本勘助の出生説もありますかね…^_^;
お墓参りはいつも草野さんちの前を通ります。
さすが愛知はたくさんみえますよね~有名人~!
しっかりしたポリシー・・ですか~。
・・・保守的?! ・・・田舎くさい!?
って私はまだ行ったことはないんですけどね。
じんわりじんわりおじゃましたいと思います・・
昔は電車が通っていたんですよね。
鉄橋とか、そのままありますし。
保守的ですか…
財政は厳しくなるかもしれませんが、治安が悪くなるよりは、いいかなぁと思います…特に歴史のあるまちは。
まえにおじゃました美濃市でも、市なのに過疎化して、関市との合併よりも、愛する地元を大切にしたいということで、とても民意の高いまちだなぁと思ったことがありました。
私も「美濃市民になりませんか?」と誘われました(^_^;
愛知…名古屋は多いですけどね
デンジャラス三河は、文化人が少ない(苦笑)