flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

東大寺 奈良の大仏

2008-07-25 03:00:14 | 大きな仏さま

(華厳宗大本山東大寺廬舎那仏 奈良市雑司町 世界文化遺産 国宝 国指定史跡)
 伏見城から久し振りの東大寺を訪れた。奈良市に初めて訪れたのは、小学校の修学旅行であったが、奈良の長い歴史故に、振り返って比較してみてもあまり変化が感じられなかった。ただ、以前よりアジア系観光客が増えているのを実感した。
 (国宝 金銅八角燈籠)
   
(重文 木造虚空蔵菩薩像 宝暦二年(1752)開眼)

(廣目天像 江戸時代)
  (増長天 持国天像頭部 江戸)
  東大寺は元々、天平五年(733)金鐘寺として創建したのが始まりとされ、天平十三年(741)には聖武天皇が国分寺建立の詔を発し、大和国分寺となった。そして、天平十五年(743)には大仏造立の詔が発せられれ、天平勝宝四年(752)開眼供養会が行われた。その後、天災や戦乱に巻き込まれ、斉衡二年(855)の地震による大仏破損、治承四年(1180)平重衡(たいらのしげひら)の兵火焼失、永禄十年(1567)松永久秀による兵火焼失、慶長十五年(1610)の大風による仮堂倒壊と仏頭落下等、災難に見舞われている。その都度補修、再建が行われ、現在の大仏殿は元禄四年(1691)に再建されたものであり、大仏は破損したものを修復し、当初よりやや小さくなったものの像高は約15mで、元禄五年(1692)改めて開眼供養されたものである。また、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が柱に開けられ、「招福の柱穴」として多くの人がくぐり抜けている。
 
(多聞天(毘沙門天)像 江戸時代)
 
(重文 如意輪観音菩薩像 元文三年(1738)開眼)

     (賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)  

 この後は、二月堂方面へと向かった。

(関連記事:転害門 薬師寺 元興寺 春日大社 法隆寺


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2 コメント

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こんにちは! (みっちゃん)
2008-07-25 14:45:27
朝から、蝉が煩く鳴いて、御他聞にもれず、暑いですよ~~^^。

私は、ここへ初めて行ったのは、中学の修学旅行でした。その後も、何回とは訪れた事はありますが・・・
何か、奈良の大仏と言えば、修学旅行と言うイメージが、今でもあります。

今日は、久しぶりで中学の時を思い出しました。

今日は、どうも有り難うございました。

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みっちゃんさん (kourei)
2008-07-25 19:38:02
こんばんは~お越しくださってありがとうございます

今日も暑かったですねぇ
猛暑日でしたね。

奈良って、修学旅行のイメージが強くて、ナカナカほかの観光地と同じ見方ってできませんね

私は小学校のときだったので、また少し違った印象でした
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