実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

桐島聡Ⅱ 実戦教師塾通信九百九号

2024-04-19 11:47:47 | 戦後/昭和

桐島聡Ⅱ

 ~何故の選択か~

 

 ☆初めに☆

やはりあれ以来、桐島聡のことが頭を離れません。続きを書かせてもらいます。少し前に、ドラマ『不適切にもほどがある』について触れました。昭和と令和のどちらに軍配が挙げるべきか、のような見方をする人もいましたが、今の息苦しい社会に一石を投じたドラマなんだと思って見ていました。昭和と令和の何とも珍妙な断絶は、笑えません。私たちの同じ世代間でも、類似した断絶がありました。ドラマの昭和は1980年代で、私たちは1960年代ですが、桐島と私たちとは大きく隔絶しています。どこが一緒でどこが違っていたか、考えてしまいます。思い返すことは一杯あります。追加記事は今回だけでなく、あわせて二回となります。お付き合いください。

手賀沼沿いのベーカリー「ペジーブル」そば。空・桜・ジョギング・風🌸

 1 1969年

 ドラマに見る昭和は茶髪・金髪・リーゼント&口紅など、今のようにファッションとして練れて馴染んだものではなく、極めて痛々しい時のものだ。でも、いま改めて見ても、軒の下がった家や水たまりの道など、周囲の景色とのマッチングは当時も悪くなかった。これらに見える若者の「あがき」は一瞬、恐らく80年代半ば5年間ほどだ。一方、私たちの「あがき」は60年代、いや、60年安保と私たちは全く別な場所なので、正確には60年代後半、もっと言うなら1969年のものだった。68年も入ると言えるのは、東京の連中だけだ。私たち地方大学(東京の一部も含む)の人間は、69年がポイントだ。70年はギリギリで、71年となると全くの「乗り遅れた」世代なのである。

 赤坂真理を始め、あんなちっぽけなものを、よく「革命」と言えたものだと言われた。革命を「もしや」と、信じた時があったのは確かだ。労働者や弱いものが権力を握る、という聞いた風な言い方をしたのは完全に若気の至り。しかし、二点反論したい。私たちは、違うだろ正直に答えろと正面から問い、責任者・担当者を次々にたらい回しにされても、追及するのをやめなかった。気が付いたら私たちの目の前には、大きいものが立ちはだかっていた。警察はもちろんだが、その警察発表を丸写しで報道するメディアの姿も知った。私たちが出来ることは、大学では集会・討論・ビラで訴えることだけだった。街頭ではデモで訴えることだけだった。しかし、学生の表情は確実に変わったし、ニュースの映像は正直だった。学生が学ぶべき相手だった教授の醜態を、ベトナム反戦の可能性を示した。また繰り返すが、当時、王子の病院ではベトナムで負傷した米兵が入院・相模原では米軍の戦車を修理・佐世保には空母エンタープライズが寄港・新宿駅構内を米軍が使うジェット燃料を輸送など。ベトナム戦争は日本のすぐそばに、いや、日本と共にあった。ちっぽけな私たちの、ちっぽけな行動は、いつしか目に見えない相手を目の前に引っ張り出した。これらが私たちに1969年を「革命」とカン違いさせたものだ。いや、実はこれが私たちの「革命」だった。

 2 武装

 もうひとつは「暴力」についてだ。意見が通らなければ力ずくで通すのは間違ってるだの、逆に、ゲバ棒で革命とはちゃんちゃら可笑しいだのという、今もってこんな言い方がされる。しかし、通過した現実はそんなものとは違っている。例えば、34億円に上る大学当局の使途不明金や、教授に狼藉を働き退学処分を受けた学生が実はその日その場にいなかった等に対する抗議がもみ消される。学生は学生らしく、静かに意見を述べなさいという当局に、初めは従っていても何時までそうは行くまい。デモも同じだ。もともと道路を「占拠」するものを称してデモというのである。それに対して、占拠を抑えるものを「規制」と言う。「占拠」と「規制」は相いれない。この対立が繰り返されて来た。端に寄れ拡がるなと、同じく警棒で攻撃を加える「規制」に対し、反撃するのは道理なのだ。60年安保闘争の当初、デモ隊と警官隊がぶつかった時、警官はメディアに分からないよう下からデモ隊の腹部を警棒でえぐった。デモが所属する組合・大学を鮮明にする旗の棒は、やがて横に倒され警官隊に向けられる。私たち69年世代も同じだ。力ずくで主張を通そうとしたのではないし、革命を起こそうとしたのでもなかった。これを「武装」と表した恥ずかしさはあるが、これらは「起こるべくして起きた」のだ。さて、では「乗り遅れた」世代は、どうしていたのか。

 

 ☆後記☆

目まぐるしいオオタニさん周囲の情報ですが、想像を絶する状況下での見事なプレー、どうなってるの?って……。いやあ、ホントに応援しますよ。それしか出来ないんだから💃 「別に野球をずっと続けなくてもいい」とは、自分があげたグローブを使った子のその後を語ったものだそうで。「楽しんで欲しいんです」と。語録が増え続けます🏃🥎

明日が「うさぎとカメ」となりました。お待ちするこちら側も楽しみです。焼きそば⛺ いつも通り、明日用の記事『もしもしカメよ』掲載します。またオオタニさんの出番で~す☺

 


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