実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

嘔吐 実戦教師塾通信七百九十四号

2022-02-04 11:39:17 | その他/報告

嘔吐

 ~久しぶり「病者」となって~

 

 ☆初めに☆

あらかじめ断っておきますが、私のコロナ対処の基本的スタンスは「普通に生活出来ている」ものとして、ということです。病魔に苦しんでいる人たちや、子どもたちに適用できるものではありません。前回の記事に寄せられた感想を見ていると、ここんとこはっきり言っておいた方がいいナと思った次第です。今回の記事もそういう気持ちで読んでください。

どうやら久しぶりに病に罹(かか)ったらしい様子(まだ終わってない?)。改めてコロナを考えるいい機会にめぐまれた、と思っています。そんなわけで珍しく、カテゴリーは「その他/報告」としました。皆さんの参考になれば幸いです。

 

 1 30年ぶり

 日曜の夜中に吐いた。風呂に入ったあたりで、不健康なフィーリングでつばが出るなぁとは思っていた。それが突然こみ上げる、あの嫌な感じで起こされた。トイレまで間に合ってよかった。下痢は普段それなりにあるものの、吐くなんてことは、記憶をたどったら忘れもしない、30年ほど前の厄年以来だった。暴飲暴食とやらには、とんと縁のない私だ。土曜だったかに美味しいサバを食べたことを思い出したが、サバのせいにすることは許さんぞ。人間とはもろいもので、こんな時ご多分にもれず「コロナにやられた?」という思いがよぎることだ。浅ましいというか、情けない。布団に戻って考えた。熱はない。測ってないが、微熱さえもないと思われた。下痢はないし、のども普通で頭痛もない。嗅覚もOK。とりあえず「コロナではない」と思った。

 

 2 原因

 基礎疾患とやらも考えた。前にも書いたが、脊柱管狭窄症と前立腺肥大とやらを、私は「持病」にする。これらは「持病」と言えても、かまびすしい「基礎疾患」と言えるものではなさそうである。とりあえず、これらは「治る」ものではない。肝心なのは「発症or進行」するか否かである。私の病との付き合い方が奏してか、今こいつらは鎮まりかえっている。おまけに、年に一度の集団検診で、私は超がつく(と自分で思っている)健康体である。「くすり手帳」なるものを知らない私の常備薬と言えるのは目薬ぐらいのもので、医者には驚いて欲しいと思うが、医者というものは、相手に「問題」がみつけられないと不満なものらしい。「大したものだ」と言われたのは、3年ぐらい前にあっただけだ。

 誰かから移された風邪(コロナ?)というのも考えた。私を訪れる学校関係者(保護者も)が持ってきたり、私が定期的に回っている学校で移されたということもありうる。もちろんコンビニやスーパーでもありうる。でも、これらは「仕方がない」ことだ。

 我が家の家系は、呼吸器系が弱いが消化器系はイケてる。それでもやられた。私なりの結論は「疲れ」だ。こう言っては何だが、新刊を出した後の一か月、結構大変だった。本を出すというのは、そういうものだ。いつもそう思う。しかし、今まで吐いたことはない。つまり、ここに「加齢」が加わる。トシだ。

 そこでもうひとつ。加齢に伴う根底的な、「終末・最期」という野郎が控えているのかもしれない。つまり、いずれにせよ「仕方がない」という結論が健全と思われた。

 

 3 対処

 珍しく、医者に行った方がいいかなと思った。とりあえず、病院はいま大変だ。行って迷惑をするだろうなと思う。混雑する病院の待合室が、すぐに思い浮かんだ。これはこれで、健康な生活のありがたさが確認できるのでたまにはいいものだが、行かないに越したことはない。ようやく医者の前に座ったとして、今の医者が言うことは分かっている。「(PCR)検査をしましょう」。それで自宅療養やら入院という診断が下る。このご時世、陰性でも「念のため、自宅で静かに」と、医者は言うのだろう。それでまあ、治っていく。この場合、病院に行ったメリットとはなんなのだろう。行かなくとも、どっちみち治るのだ。自分が苦しいのなら、その苦しみを取り除いて欲しいというのは正しい。しかし私は、ひと晩嘔吐で苦しんだというものの、完全ではないが回復している。

 苦しんだ夜、私は梅干しを食べた。楢葉の渡部さんに頂いた梅干しである。信じられない効果を生んだ。

 40年ほどさかのぼる。生まれて初めての海外旅行から帰って、激しい下痢をする。「白い便」だった。恐怖した。知り合いの医者に診てもらうと、予想通り「コレラ」だった。家屋ごと消毒&ニュースに参上、というおぞましい情景を思った。ところが医者は、

「梅干し食べて水分取って、ゆっくりしなさい」

以上おしまい、だった。病気に驚き、処方箋?に驚いた。でもその通りにしたら治ってしまった。この時の経験以来、梅干しの殺菌力を崇拝している。確かに今回も、風邪(コロナ?)のウィルスのせいでよくある、胃のあたりのゴロゴロ重い感じを思い出した。そして今回も、梅干し効果はいかんなく発揮されたと思えた。

 風邪だったんですね、と読者は思っただろうか。そんな読者に言いたいですね。コロナなのかもしれません(まだ過去形には出来ない感じ)。大切なことは、病気の多くが、知らないうちに「移す・移る」ものだということです。そして、今までは「自分で考え耐え」ある時は医者を頼って治癒して来たものなのです。また、重篤化するか否かは、その人個人の体力・資質、そして運があるんだということです。人は死ぬんです。ってカッコ良すぎですか。

 それでも天災は弱いものを襲う、という話は次回にしましょう。

 

 ☆後記☆

晴天に誘われて、ロードワークを兼ね手賀沼を越え、我孫子まで行きました。

写真中央奥のタワマンのそばが、柏駅です。右手にはすぐ我孫子高校。春のきざしが感じられる橋の上でした。

二週間後となった2月の子ども食堂「うさぎとカメ」です。今月は、くらちゃんからいただいた牛すじで、ビーフシチューです。あったまりますよ~ そうだ、一応確認します。前回の「うさぎとカメ」は1月15日。つまり、私の病はここで移されたものではないし、私はここで病をばらまいてもいません。そして、あと三日もすれば私の病も完治するでしょう。念のため。

今月からチラシの裏側で、お便り「もしもしカメよ」も始めました。そのうちここでも、内容をお知らせしま~す。

さあ、今日は立春。節分は昨日だったけど、病気も嫌なことも飛んでけ! 鬼は外、福は内


加齢 実戦教師塾通信六百三十四号

2019-01-11 11:34:44 | その他/報告
 加齢(かれい)
     ~出来事/目標など~


 ☆初めに☆
人の出入りが多い暮れ・新年でした。その中で、気に留まったことを書いておきます。皆さんのご飯のお供か酒の肴(さかな)にでもなれば幸いです。

いつもこの時期にもらってはいただく、浅草の「亀十(かめじゅう)」。どこもまね出来ないふっくらした皮に、はみ出そうな餡子(あんこ)。いつもの新年を味わいました。


 ☆年賀状☆
定年退職のあと、非常勤をやっている友人からです。
「孫のような小学生から『先生の将来の夢はなんですか。僕の夢は………』と真顔(まがお)で言われて、心の底から嬉しかった」
こんなびっくりするようなことが起こるんです。子どもはホントにいい、いいものですね。
私が出したお返事の中で、結構気に入っているのは、
「人の命も限りがあるのです。いい年をして資産運用の喧騒(けんそう)をになってる奴や、カツラをかぶってる奴らは、命に終わりがないと思(いたが)ってる奴らです」
であります。
私の今年の年賀状です。下部は削りました。

今年もよろしくお願いします。

 ☆絶滅な敬語☆
暮れ、教え子の出産祝いをデパートで注文した時のこと。
「では、お包みさせていただき、送らせていただきます」
と店員。呆然としました。もう日本は終わりだ、みんな死んじゃうんだなどと思ったのです。
これが京都のホテルのスタッフが違っていた。空いた食器を、
「お下げいたします」
でした。「下げさせていただきます」ではなかった! 嬉しかった。日本は終わってない、オレもまだ死なないぞと思いました。
ちなみに、絶滅している敬語、ほかにどんなものがあると思いますか(「→」の右側が平気で闊歩(かっぽ)している表現)。
「申し上げます」→「言わせていただきます」
「参ります」→「行かせていただきます」
そしてさらに、絶滅が危惧されている敬語は、
「召し上がる」
です。レストラン/食事処(どころ)で「どうぞ、いただいてください」なんぞと平気で言うもので、気の小さい私は、思わず身体がすくんでしまいます。
ここである反応が予想されるので、ひと言。これとは別件ですが。
新年になって「さすがは国語の先生」と言われました。ほめてもらった私ですが、
「それ、嬉しくないんだけど」
と言いました。

 ☆報道の傲慢(ごうまん)☆
新年に会って話した人たちが、学校の大変さを「モンスターペアレント」のせいだと言う。報道や噂を丸のみ/鵜(う)のみにした、この間抜けな物言い。これが私を良く知っている人たちの現状だと分かれば、これで私の本を読んだのかと思えば、又してもオレはまだ死ぬわけには行かないぞ、などと思うのです。
京都でのことを思い出します。観光地での外国人のマナーはどうなのか、私が聞いたのです。運ちゃんの話です。
「京都のお客さんは、皆さんマナーしっかりしておりますよ」
「そりゃ大きな声を出しはるお客さんもおります」
「でも、それは日本人でも同じですよ」
「テレビは、一番ひどい例を面白おかしく取り上げますからね」
思った通りだった。と言えば、
「じゃあオマエは100人の運ちゃんに聞いたのか」
などと反感を買うのでしょうか。

 ☆加齢/老化☆
今年の目標。「筋肉を作り直す」です。
四年前に「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」が発症したことを報告したと思います。鼠蹊部(そけいぶ)に今まで経験したことのない激しい痛みを覚え、リンパ腫だと観念しました。
医療系友人のすすめで整形外科に行くと、医者は「脊柱管……」と。しかも「あなたなら自分で直せる」と。医者のすすめは「ストレッチ」。おそらくは「そこからやり直せ」という意味だと思い、頑張った。その過程でいいと分かったのが、ロードワークを「足」でなく「自転車」に切り換えること。腰とひざへの負担がまったく違っていた。自転車は医者&整体院泣かせのツールだと思った。ちなみに他の内臓に関する数値は良好で、毎年「血圧が正常な数値はあなただけです」「医者いらずの身体だ」などと、医者が言ってくれた。
でも間違いなく年はとる。見た目や髪はモチのロンであるが、たとえば道場の夜の稽古。次の日疲れが残る、ではない。それよりも、夜の食事時間が遅くなることで、就寝時間がずれることで体調が崩(くず)れる。少なくとも50代ではそんなことはなかったし、60代前半まではなんとかなった。もう違う。夜はやめた。
なんぞと思っていたら、持病(「脊柱管……」)が再発した。持病の名の通り、持ち物なのだった。その後、あれほど人に「良くない」と言っていた筋トレを、ジムでやった。走り込みもした。血迷ったのだ。状態は悪化した。昨年の秋だった。
逆らわず行こう、改めて思った。外側でなく、身体の芯から柔らかく作り直そう。
今は呼吸中心。超スローに腹筋/背筋/四股/スクワットを繰り返しています。効果は目に見えてて、早ければ春には稽古(けいこ)に全面復帰しようと思います。マリナーズでの練習と食事・睡眠以外はすべて、ウォームアップ&クールダウンと言っても過言ではないイチローや、怪我を公言し休場に踏み切る白鵬から学ぼうと思っています。最後は結局みんな、医者や薬に頼り入院して死んでいく。でも、それは出来るだけ先にと思うのは、みんな同じでしょう。そのために短気を起こさず、医者に通っているつもりで身体を調えようと思っています。
良く言ったものです。「年には勝てない」。その通りです。



 ☆後記☆
「レーダー照射」をめぐって日韓の確執(かくしつ)が続いています。様々な思惑(おもわく)がからんでて、単純に断言できる状況ではないようです。皆さんはどう思いましたか。1937年の7月、日中戦争の引き金となった「発砲事件」(蘆溝橋事件)を思い出します。
「そっちが先に撃った!」
こうして戦争に突き進んだのを思い出した人は多いことでしょう。
 ☆☆
初詣(はつもうで)行って参りました。
       
恒例の広幡八幡宮、いつもより早めに行ったせいでしょうか、行列はそれほどはありませんでした。

お礼とお願いを、しっかりとして参りました。

 ☆☆
続編「家売るオンナ」始まりましたね。

大晦日  実戦教師塾通信五百八十一号

2018-01-05 11:23:20 | その他/報告
 大晦日
     ~行く年来る年(4)~


 1 アメ横/尾張屋
例年同じコースです。間もなく閉店、おそらく一番安い時間帯のアメ横。ズワイガニ一杯8000円が3000円という次第。ずいぶん迷いましたが、何も買わずに、人波を楽しんで歩きました。


浅草のそば屋『尾張屋』で年越しそば。居並ぶ行列がどんどん処理され続けます。あっと言う間に店内に案内される。毎年感心してます。
去年と全く同じく、銀杏のから揚げと天ぷらそば。


そばもお酒と一緒に頼んだのですが、若い店員さんが、じゃそばは時間をおいて作った方がいいですね、と言う。こんなに忙しい中、客を急(せ)かさない。そういうことが出来る店は、今どきホントに少ない。やあ、嬉しいね、と店員さんに思わず声をかけます。


そんなわけで、お店の神棚まで撮っちゃいました。


 2 浅草寺
ほろ酔いで雷門。

今年も誰か来るのか、映像スタッフの準備を横目で見ながら、通りすぎます。


仲見世通りへ。まだシャッターを閉めている店がほとんどです。一時間後には全店開くのです。

スカイツリーと五重の塔。





 ☆後記☆
新しい年となりました。今年は明治から150年。そして、新宿の10,21からは50年です。皆さん、今年もよろしくお願いします。
さて、今回で「行く年来る年」も終わる予定だったのですが、3日に地元柏出身の十両・隆の勝の祝賀イベントがありまして、行って参りました。「行く年来る年」の結びということで、次回に報告したいと思っています。よろしくです。
 ☆ ☆
大晦日より少し前なのですが、20年ぶりに、駿河台『山の上ホテル』にお邪魔しました。ワンショット。

行く年来る年(続)  実戦教師塾通信五百二十九号

2017-01-06 11:20:16 | その他/報告
 行く年来る年(続)
     ~風に吹かれて~



  
新しい年が明けました。今年もよろしくお願いします。多分初めてだと思うのですが、年賀状貼っときます。
     
毎年交換してる人は、昨年のと似てないかと思ったかな。思うわけねえじゃねえかと言われそうですが、皆さんにも去年のものをお送りします。
     

  ☆☆
大晦日はいつも、上野アメ横と浅草を回ってます。

     国際通りから、スカイツリー

いつもの賑わい雷門、と思ってたら、内田裕哉の収録にばったり


  ☆☆☆
  仲見世のホントの混雑はこれから。

  尾張屋の天ぷらそばで年越し。銀杏のから揚げも。

  いよいよ人出が多くなって、大量のお巡りさん。

  これはTX沿線の「おおたかの森」駅前。

 今年始めたスケートリンクです。近々、真央ちゃんのお姉さんの舞さんが来て滑るそうです。

  ☆☆☆☆
暮れは、とっときの映画(DVD)をみます。今年は『砂の器』でした。これからも頑張れよ、そんなことを言われてる気分になります。あの時の森田健作、良かったなあ。知事にまた出馬だと? ああ恥ずかしい。
暮れが好きで、正月は嫌いな私です。正月のテレビってなんにもない。でも、再放送SPで『孤独のグルメ』をやってたので、2話だけ見ました。この番組は深夜の時間帯だったから見られなかった。良かった。旭川の居酒屋「三四郎」、いいですね。箸袋の表書きが「ご主人の手書き」ってとこで、いつか紹介した柏の居酒屋「和さび」を思い出しました。ここは、味噌汁も注文受けてから、一杯ずつ作るんですよ。千代田町です。近くを通り掛かったら、ぜひ一度どうぞ。女将さんのお酒の講釈も、単純明快で深いですよ。

読者の皆さん、今年もよろしくお願いします。