実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

今でないとダメなこと 実戦教師塾通信二百三十二号

2012-11-30 11:49:30 | 子ども/学校
 シリーズⅡ <子ども>の現在

            ~解決篇 その4~


 罪と罰


 保護者が学校に抗議に出向いてきた、という話が私のもとに入ってきている。
 教室(授業)で、忘れ物チェックを多くの教師がやっている。しかし、このブログの多くの読者はご存知ない。その忘れ物を「点数」にしている教師がいる。少なくないぞ。今もこのやり方、健在なのだ。ワークといって教科書に準拠した問題集や、もちろん教科書も、忘れてなんぼの「減点」となる。このことがきっかけで、保護者が抗議に出向いたという。こういう保護者は今、モンスターペアレントなる愛称で呼ばれている。しかしこの保護者の場合、よく聞くと、このことだけで出向いたわけではなさそうだった。あれもこれも、といった鬱憤が重なっているようだった。
 さて、こういった教師のやり方に、私は、あんまりほめられたやり方ではないですよ、とやんわり言ってきた。これは何せ、担当教師の考えに介入するわけだから、相手が青く(赤く)なって、
「私の教育方針に干渉するのですか!」
などと興奮するので、ついやんわりとなる。
 しかし、結論から言えば、こんな間抜けなやり方は、いよいよこれから壊滅的な打撃を受けるはずだ。こんなことを点数化してどうなるんだ? こんなバカなことをやる連中の理由は、
○成績というものは、テストだけで測られるものではない
○私たちは授業で「勝負」している。そのことを軽く見ることは許されない
○必要なものを用意して授業に臨むことは大切で当然のことだ
というあたりだ。
 思い切って言おう。この言い方、全部認めます。しかしとりあえず、この先生どもは「成績というもの」は「テストだけで測られるものではない」が「点数によって測られる」ということを実践していることに多分気付いていない。また、点数をつけ方が、自分の「主義/ポリシー」であることに気付いていない。
 そして、肝心なことが抜け落ちている。過ちを犯したものには、それを責められる必要がある。そして、その過ちを本人に認識させること、これが肝心だ。それが抜けてるよ。「罪」を犯したものは「罰」を受けないといけない。
「はい、それじゃ2点引くから」
みたいな対応が「罰」だって言うの? これって「成績は点数でつけるものだ」って意味のことを後押ししてるだけだって気付いてる? 過失へ課す「罰」が「点数」とはお笑いだ。運転免許かよ。警察か、オマエは。
 面白い話がある。ボクはもう塾で勉強してあるから、と授業中に本を読んでる生徒がいた、という。こいつから、教科書とワーク忘れの点数を引いた教師がいる。生徒も大馬鹿だが、この教師、救いようがない。
 必要なのは、黙って名簿に「-2点」とかのチェックではないだろう。まず、
「どうして忘れた!」
と言わないといけない。例えば辞書なんかだったら、
「オマエ、辞書ぐらい(隣のクラスの奴から)借りられなかったのかよ。オマエ、友だちいねえんだろ」
と、それぐらいは言われてもいい。また内職に関しては、
「授業中だ、何をしている!」
と言われないといけないはずだ。点数を使って、こんな「教師としての威厳」にしがみついてる奴らは、ガムだの携帯だの、これから先どう対応するのかね。まあ、「(生徒が携帯やってるのに)気がつかなかった」とかいうやり方を使っている教師もいるのだが。
 点数でしばるやり方で、確かに「生徒を怒らない」利点がえられるかも知れない。しかしもう、こういった教師連中の行く末は知れたものだ。
え? ボクはそんな生徒を怒っているって? だったらそれで終わりにするのが「指導者(先生)」だよ。それが「罰」ではないのか。それでも相手が反省しないなら、自分の怒り方や怒る理由にどこか問題があるはずだ。あるいはその生徒の胸の内が分かってない。出直すしかないのだ。
 この機会に断るが、私は生徒に「優しく、思いやりをもって接する」教師である。しかし、同時に「全く容赦しない」教師でもある。ブログ上でしか私を知らない人たちは、私を「甘い」教師と思われるかも知れない、とこのシリーズの記事を書きながら思っている。そうではない。遅刻に関しては厳密に、そしてピアス/携帯に関しては厳しくて定評のあった私だ。ゼロ・トレランス(厳罰主義)と勘違いされて、市教委からの評判が良かった時期もあった。違うな。遅刻のようなものでは、その「手続き」をこっちがきちんとしていれば、生徒はそのチェックがどんなに厳密でも納得する、あるいはあきらめる。ピアス/携帯のようなことは、
「『したい』ことと『出来る』ことは違う」
ことを生徒に承認させないといけない。生徒は「子ども」だからだ。これは生徒それぞれ事情があるので大変だが、出来るし、しないといけない。
 これを展開するとなるとまた大変な分量を必要とするので、この辺でやめとくが、とにかく私は「甘い」わけではない。

            
 (主(母)のいなくなった家の庭です。小さなツリーにも注目ください)


 「今がすべて」という大切さ

 客観的な根拠のある成績の出し方、という手法は、注意してかからないと、厳密という流れに拍車をかける。そうしてエスカレートして、「証拠」を見せるという道に追い込まれる。この「証拠」を相手に示して納得させる、という方法は、本当は学校では「やってはいけないこと」だ。先日、横浜市教委がはしなくも暴露したことがこのことだ、と言ってもいい。通信簿の遅刻や欠席を、生徒に手渡す前に、保護者にチェックさせる、というものだ。
普段、
「教室(学校)は間違うところだ」
などと、子どもたちに言っている連中が、間違いは許されません、なる生活をしている実態が暴かれたということだ。今回のことで、大人になったら間違いは許されないことなのだ、ということを子どもたちが学んだだろうか。いや、市教委(先生たち)の卑屈なまでの慎重な姿勢に、子どもたちは不信感に近い違和感を持ったことは間違いない。過ちに気付いたら正す/謝るということをこそやるべきだった。「その時」が訪れた瞬間だった、と言える。過ちは同時に「納得」や「和解」というものの存在に気付く、いいチャンスなのだ。今回、学校が学んで欲しかったのは、根拠/証拠というものは、人を追い込むということだ。そういうやり方は、人を遠ざけることはあっても、お互いを近づける力を持ってないということだ。前半の「忘れ物減点」でも、このことが言える。
 だいぶ長くなってしまった。本当はこれからが本題なのだが、また次回か次の機会とする。要点だけ言う。
○その時しか出来ない
○その時しか分からない
○その時しか得られない感動がある
○その時決定的な傷を負う
ことがある、ということだ。
 
 ギムナジウム(寄宿舎)のマルティンは、
「クリスマスイヴはあさってなんだ。間に合いっこない」
と、悲しみにくれて言った。母親の愛情に満ちた手紙も、マルティンには、
「大人になれば分かります」
というようにしか受け取れなかったに違いない。

 「いつかきっと」という気持ちと「今、ここで」という世界の両方を私たちは生きている。そこを幸せに生きることは、出来る。

    
       (再び母の、そして私たちが育った小さな家の小さな庭です)


 ☆☆
母の家に行って、掃除と草むしり(冬は楽です)をしてきました。草取りをしていた私に、塀の向こうから声をかける小さな影。
「エビハラさん!」
私は思わず叫んでしまいました。何十年と見ない顔なのに、故郷に出会った気持ちとは、こういうのをいうのですね。広場の向こうの家で、もうひとりになってしまった気丈なお婆さん、庭のクリスマスなんとかいう木を株分けしてくれというのです。目だけはいいのよ、九十を越えていると思われるエビハラさんは可愛らしくそう言いました。でも、腰もしゃんとしていました。

 ☆☆
「聖教新聞」のCM、いいですねえ。私は別に公明党ではありません。でも、そば屋の夫婦が、いつもそこに食べに来るカップルの、とうとうプロポーズの瞬間まで立ち会うって、あり得ねえ~ なんだけど、目頭熱くしちゃいます。

急ごう! 実戦教師塾通信二百三十一号

2012-11-27 13:17:36 | 子ども/学校
 シリーズⅡ <子ども>の現在 

           ~解決篇 その3~


          
 「ぼくたちは、人間のできが悪いのか? まさか。じゃあ、いったいなぜだ? 社会が不公正だからだ。そのために、たくさんのひとが苦しんでいる。こんな社会をなんとかしようと思っている、いい人もいる。でも、クリスマスイブはもうあさってだ。まにあいっこないよ」(ケストナー『飛ぶ教室』池田香代子訳より)


 「戻れる」場所


 あるきっかけで、それはそれは深く傷ついた生徒の相談を受けた。ちなみにそれは、いじめではない。一年近くが過ぎ、その生徒はようやく立ち直りつつある。こういう時は、身近な人間の耳やまなざしが必要で不可欠だ。私は彼女に、
「家族に相談出来ないのか、した方が良くないか」
と促した。ちなみに彼女は小学生でも中学生でもない。即刻、家庭に連絡/相談という対処法がいいとは思えない年齢だった。家はしっかりした家庭だった。しかし、彼女は考えたあげくそれをしなかった。簡単に言えば、家族が心配をするからというのが理由だが、彼女は別な言葉を使った。
「家(の風景)が変わってしまう」
というのだ。
 買い物をすませた母が、忙しく晩御飯の用意をしている。その傍らで父がテレビを見て笑っている。仕事から帰って来た姉が、リビングにひとこと声を掛けながら通りすぎていく。そんな平和な風景。自分がのっぴきならない状態であることを告げれば、家族はみんな自分のことを心配してくれる。しかし、そのことは家族がこの問題に巻き込まれることを意味する。家の風景は一変する、というのだ。
 私なりの通訳をすれば、この「風景」の大切な理由がまだある。彼女が苦しんでいるのは、あくまで、家の外でのことである。家に戻れば、その苦しみとは別な世界が待っている。自分がこうして「戻れる」世界があるというのに、自分の胸の内を明かせば、それまで「緩やかで穏やか」だったものがなくなる、そうなったら、もうこの家は外から「戻れる」世界ではなくなる、外と同じ世界になってしまう、そう彼女が判断したと思えた。しっかりした家なので、この娘の異変に気付かないわけはない。母親が私に、娘がずいぶんやせてしまったように思うんですが、と尋ねたことがあった。結局、私は言葉を濁した。


 「間に合わない」時は、急がないといけない

 この「解決篇」の、規則正しさを基調とする「早寝早起き」という方策が、一部の読者には抵抗があったようだ。これが、ずいぶん古びた「保守的」なものとして聞こえたようだ。少年院がやっていることを奨励するのですか、というようにも言われた。
 家庭や薬や友人関係が原因で、生活のリズムにすっかり変調をきたしてしまっている子どもたちには、その生活リズムを回復することが大切だ、と少年院は考え、そうしている。生活リズムの回復で得られることは、
○ 心身に程よい緊張感と快感をもたらす
○ 一日というものの流れや、世の中の動きを認識させる
等というものだ。
 これらを鵜呑みにして、学校現場に有効な指導法として持ち込む輩もいらっしゃる。大事なところでひっくり返っているこれらの手法は、子どもたちを追い込むことはあっても、安らぎを与えることも出来ないし、力にもならない。
 「早寝早起き」「規則正しい生活」が、私たちの「強い味方」になることは間違いない。しかしそれは、「そうするとよい」ことではあっても「そうしないといけない」ことではない。「そうしないといけない」という「矯正」の姿勢が、今の学校・社会、あるいは家庭のあり方だ。起床の音楽(ベル)が鳴って、点呼・清掃、そして朝読書と、少年院の生活は始まる。通路(廊下)に後ろ向きで正座し読書する姿を、その通路から担当官が見ている。
「こら! よそ見をするな」「しゃべるな!」
同室の仲間と話してはいけない。実に学校とよく似ているものだ。学校も「矯正機関」であるということの証か、とも思える。こうして少年院は「社会で生きる力(social skill)を養う」と唄うのだ。
 これをさきほどの生徒の家がやるはずがない。
「まだ寝ているの?」
「ご飯ですよ」
この家は、そんなやり方で彼女を放置しない。こういう家庭が、彼女が言うところの「戻れる世界」だ。自分の中で止まったと思っていた世界が、本当は揺るぎなく動いているという事実。季節のように同じことを繰り返し、やって来ては去っていく。世界がそんな風にあるのだ、と思える人はそれだけで幸せではないのだろうか。太陽や季節や自分の身体、というそんな流れのどこかに合わせることは、やはり自分の意志が必要とされる。そこで自分が「育つ」。少し嫌なことがあっても、晩御飯の用意をしているうち(自分でちゃんと調理する、という意味でだ)に、気が紛れていたりするのも、卑近だがその例と言える。「強くなる」「抵抗力をつける」とはそういうことだ。
 自分の意志や感情とやらが、すっかり衰弱してしまったものは、「ご飯」も「早寝早起き」も、なかなか出来ない。挫折を繰り返す。それが「いけないこと」ではなく「挫折」として承認できるかどうかという問題は、よき大人であるか否かの根幹だ。子どもの成長や性格、生活とそして「傷」を見極めないと出来ないことだ。大変な作業だぞ。「少年院に来たからには」などというお題目を掲げることからは、何も始まるわけがない。先の言葉を「中学校に来たからには」や「最高学年として」などと置き換えることが簡単に出来る。いや、そうしている現実だ。
             

 最近、浅草に出向く用が増えた。この写真、クリスマスが近づく浅草の、雨に煙るワンショットであります。クリスマスと言えば、冒頭の『飛ぶ教室』。ギムナジウム(寄宿舎)に暮らす子どもたちの、一年の中で最大のイベントは「クリスマス前の帰郷/帰宅」。でも、わけあって故郷に帰れないマルティンの悲痛なつぶやきが、この冒頭の引用だ。偏狭で頑固な学校。でも、そんな中に子どもたちが尊敬して、そして愛してやまない先生がひとり。素敵なサンタさんの登場で、物語は静かにクライマックスを迎える。
 この『飛ぶ教室』は、我が敬愛する大先輩が「まだ読んでないのなら、是非読むべきだ」と勧めてくれたものだ。このラスト、拭っても拭っても溢れる涙。その読後の感動を伝えると、大先輩は「高橋健二訳もいいよ」と言う。二回目はそれで読んだ。
「いますぐそのへらず口をとじないか!」
「さあ、早いとこ荷造りだ!」
心優しいサンタさんは、そうマルティンを急かした。

 いま、子どもたちはあられもない方向をひた急いでいる。そして、怠惰な大人たちのムチはますます容赦ない。前回に私は「まだ間に合う」と書いた。しかし、周囲からは「急がないといけない」ことばかりが入ってくる。
 子どもたちは「どうせ間に合いっこないよ」と言っているかのようだ。「クリスマスイブはもうあさってだ」とマルティンは悲痛に叫んだ。

 まだ間に合うが、急ごう。


 ☆☆
民主党の政調副会長さんと話してきました。被災地への取組が余りに遅いことと、役所的手続きの紛らわしさを聞きたかった。副会長さんは、橋下市長と同じく「明治維新からのガチガチの中央集権」と、役所単位での「予算の奪い合い」を原因としてあげていました。「でも、このことは政権を取る前は分からなかった」と、嘆いてもいました。

 ☆☆
白鵬おめでとう! 四場所ぶりの優勝杯。14日目のインタビューでは「夢のようです」と言い、表彰式のインタビューでは新横綱を気づかうことも忘れませんでした。さらに「両親が見ていると思うので」とインタビュアーに断りを入れ、愛や心は遠い国や人をつなげる、というようなことを言いました。中継のアナウンサーと解説は「いやあ、驚きました」と言うしかない。
それに引き換え、一昨日の横審(横綱審議会)では、5連敗の日馬富士には「次が(白星が)一桁なら引退」。白鵬には「勝てばいいもんではない」。これは牽制で張り手をしたあと、回しを差すことを言っている。実はこの「張り差し」、白鵬が師匠として尊敬している大横綱大鵬の十八番です。この大馬鹿揃いの横審も、相撲をどんだけ分かってるのか。「やけになって掛けた投げ」だの「横綱の意地」だのと、無知をさらけ出しているメディアとどこが違うのか。馬鹿どもが。
白鵬おめでとう! 勝負の高みへと、さらに邁進されますように!

核のゴミ 実戦教師塾通信二百三十号

2012-11-23 10:56:17 | 福島からの報告
 知っているようで知らない


 安全な処理 1


 原発関連のゴミを処理する方法で、もっとも安全なものをご存知だろうか。宇宙に捨てるというのがその答だ。放射性物質は、地上から永遠になくなる。では、その方法を誰もどこも採用しないのはなぜか。ひとつは経費がかかりすぎるということだ。原子力による発電が一番安上がりだという従来の言い方が、福島の事故でいかにいい加減だったか、多少は明らかになってきたが、このロケットによる宇宙への排出となれば、経費はさらに膨れ上がる。
 実は宇宙に捨てられない一番重要な理由がある。それは、核のゴミを積んだロケットが打ち上げに失敗する可能性がある、ということだ。ロケットの打ち上げが失敗した時、通常殆どが大気との接触によって、その殆どを燃やしてしまう。しかし、核を積んだロケットが燃え尽きるとは、言ってみれば大気中で大量の核拡散が起こることを意味する。「原発は絶対壊れない」という宗教的な信念は維持されてきたが、この場合、ロケットが「失敗しても安全」とは言えなかったようだ。

 
 安全な処理 2

 反原発運動の盛り上がりを見ていて、最近気になってきた。世界の原発のどこが「廃炉」の作業に成功しているか、ということがだ。私たちは、すでに日本で東海発電所(1966年運転開始)が、廃炉を終了していると思っているのではないだろうか。記憶の新しいところだ。東海発電所は1998年に運転を終了している。廃止行程を見てみよう。

① 1998年 運転終了
② 2001年燃料搬出完了
③  〃 解体作業開始・使用済み燃料冷却プール洗浄
④ 2003年タービン建屋内の機器の撤去およびタービン発電機の解体
⑤ 2004年建屋の解体開始

そして、再来年の2014年に原子炉解体が始まる。
と、こう書くと順調に見える。原発が事故もないままで運転を終了して20年もかければ、廃炉は終了するという気になりそうだ。しかし違う。この(東海)原子炉から出てきた、あるいは解体したものに残る高レベル放射性廃棄物の処理や管理については「未定」なのだ。こう言われれば、これらの廃棄物が安全な低レベルにまで線量が下がるのに数百~数万年かかることを、私たちは即座に思い出せるはずだ。
 さて、そこで私たちの脳裏をよぎったのは、福島原発廃炉30年という「廃炉工程表」のはずだ。野田首相のいい加減な「事故収束宣言」は、原発の冷温停止状態を指している。だから今は、いわゆる「ステップ2」を終えて、廃炉作業が開始されていることになる。廃炉が「完了」するのは2041年以降となっている。すべては昨年、政府・東電が公表した「廃炉工程表」に書いてある。
 しかし、もちろんここにも、この廃炉作業に伴って排出された、高レベル放射性廃棄物の処理方法は記されていない。ちなみに、フランス・アメリカで廃炉になった原子力発電所のその後に、そこが公園になって子どもたちが遊んでいる、というようなものはない。


 安全な処理 3

 使用済み核燃料を抱える国は、保有量第一位がアメリカ、二位カナダ、三位が日本である。四位フランス、五位ロシアと続く。
 この使用済み燃料を再処理するかどうかに関わらず、この燃料はどっちみち冷却プールに保管される。この冷却プールは、世界のどこの原発立地点でも原発敷地内に建設・設置されている。福島原発事故の時、福島の冷却プールが原子炉建屋内にあることで、世界中の原発関係者が驚いた、というニュースを覚えているだろうか。しかし、そんなことはどうでもいい気がする。今、全国54基の原発は、点検・事故のため、大飯原発以外は停止中だ。それで私たちは少し安心してはいないだろうか。考えてみよう。東海地方に地震が起こり、仮に「停止中」の浜岡原発の原子炉が無事だったとしても、その時の地震、またはその後の津波で燃料プールが壊れる、または燃料プールの水が下がるとかすれば、またしても「メルトダウン」の危機は一気に加速することを覚えておかないといけない。とんでもないものを私たちが抱え込んでいる、作ったということだ。
 だから、即座に全原発の停止・廃炉という訴えが出てくる。しかし、ここで確認しないといけない。「停止」=安全ではない。停止状態のいいところは、原子炉が臨界状態でないこと、それ「だけ」だ。財界や自民党が「原発は安全に操業しつつ、原発に頼らない方向を」、そして「原発が停止した状態のままでは日本は沈没する」という。しかし、「どっちみち危険なのだから」とは言っていない。分かってないのだ。いや、原発が「危険極まりない」との認識を言わないといけなくなるから言えないのかも知れない。
 だから「廃炉」が大切なのだ。しかし、その道筋を示した国や実績がまだない、という恐ろしいことになっている。多分、正しい廃炉の行程を作り出すためにも、実験的ということだけでも、原発を何基か動かし続けることが必要不可欠となるのではないだろうか。


 現在の動き

 世界第一位の発電力を誇る、東京電力新潟県柏崎刈羽原発のお膝元で、この18日に選挙があった。ご存知と思うが、柏崎・刈羽の両方とも現職が当選。それはいい、というか置いといて、両者共に言い方が変わった。
 柏崎市長(会田洋)は、今回の選挙時「当面は原発と共存、地域の経済や雇用を守る」と言った。しかし、これを逆上った夏には「再稼働を議論できる段階にない」と言っていた。
 一方、半年前「安全が確保されれば再稼働」と言っていた刈羽村長は、今回の選挙で「福島原発事故は乗り越えられる」と言った。二人とも「前進」したのだろうか。
 残った現職の新潟県知事(泉田裕彦)は、同じくひと月前に当選している。主張は一貫して「福島の検証なくして再稼働なし」だった。
 その福島事故関連の廃棄物は、8000ベクレル以下のものが最終処分場に送られる。また、その処分場候補地は挙げられたが、紛糾している。ここまでは誰も知っている。しかし、原発立地点・周辺から出たゴミの体積を縮小するために、高性能の焼却炉が双葉町内に二箇所建設されたことはあまり知られていない。そして、忘れているが、第一原発が廃炉になったあとは、その跡地は、巨大なゴミ置き場、いや危険な場所として隔離されるのだ。

 総選挙っても、この辺の田舎の人たちは「自民」か「民主」の選択しかしないよ。公約(マニュフェスト)だの、人物だのってのはどうかね。楢葉地区の第9仮設の牧場主さんは、さらりと言った。では、町議あたりだとやっぱり変わるんですかね、その人の顔が見えますからね、と私は聞いた。人物?っていうか、その人に親戚関係がどれだけ多いかってのが当選の鍵だよ。だって200集まりゃいいんだよ、とこれも主さんは笑いながら答えるのだった。


 ☆☆
「熊出没中」が冗談ではない日本となりました。福島で困ったことになっているのは、熊ばかりではない、イノシシなんです。「イノシシ急増中」なんです。多くの住民が避難したあと、イノシシは山を降りてきて、農家が再開した後の農地を荒らしまくっています。住民が避難したということは、ハンターもいなくなったということです。また、ハンターが減った理由はそればかりではない。「捕獲しても、肉が汚染されているので売れない」からです。パンチがダブル・トリプルです。
イノシシは生まれてから二年で出産が可能だそうで、福島県の自然保護課は、捕獲一頭あたり5000円の奨励金を示していますが、効果はないといいます。

 ☆☆
前回の「アベ」、表記を間違えました。正しくは「安」っぽいぞ、それは何「倍」も、の「安倍」だったんですね。「阿」=やさしい、「部」=集団の「阿部」ではなかった。

 ☆☆
師走が近づいてきたせいでしょうか、珍しい方たちから連絡を受けることが出てきました。多くが「まだ(支援)がんばっているんですね」と言ってくれるのです。でも、この言いかたって、あんまり嬉しくないですね。
そうそう、学校からの相談がいくつかあるのもここ最近の現象です。ここに書けないのが残念です。いつか報告したいです。

阿部だけはダメだ 実戦教師塾通信二百二十九号

2012-11-21 13:21:04 | 福島からの報告
 被災地-総選挙


 壊される新築の家


 旅館「ふじ滝」は今を盛りの紅葉である。向こう側では湯の岳の紅葉がいざなっている。カラスが柿の実をついばんでいる。この景色も二回目となるのだ。

 次の日の天気はうって変わっていわきは本降りの雨だった。天気予報がまた外れた。私は、海岸線の通りを四倉に向かった。雨で灰色の海と空が、モノトーンになっている。この海岸線の通りは、海がすぐそこで、手の届きそうなところを走っている。通称「浜通り」は、ここからさらに、田畑や丘陵を大きく隔てた国道6号線のことを指している。四倉まで行かないと、浜通りからは海が見えない。つまり、道は小名浜地点から浜通り(6号線)と、海沿いの通りに、と分岐している。これが、北の四倉で合流するのだ。
 この海沿いの通りを二週間ぶりぐらいで私は走った。崩れ落ちた道路の最後の修復をやっていた。片側通行で、長い工事用の信号を待った。道路と海の間に、小さな瓦礫置き場がある。旅行者がこれを見て、瓦礫置き場を見た、と思うのが残念である。ほんとうは東京ドームが充分に入る瓦礫置き場は、市内の何箇所か、それは山奥や、人の少ない、道から隔たった沢に作られている。遠目にも、まるで山崩れでも起こしたような茶褐色のてっぺんぐらいは見えるのだが、土地の人でないと見逃す。こちらにお出でになる方は、やはり案内人と共に、と私は改めて思う。

「怖くないのかね。また新しい家を建てているよ」
「この辺の人がやっているんではないだろうね」
「少なくとも津波の時にここにいなかった人だ」
「いつか防災工事で壊されちまうぞ」
とついこの間、そんなことをニイダヤの社長さんと話しながらここを通った。全部津波で吹き飛ばされた家。その土台の上に、ポツリポツリとホントにわずかだが、新築の家が去年の暮れぐらいから建ち始めていた。海沿いの通りより、さらに海に近い場所に、だ。いわきの海岸は震災前より1m近く下がったというのに、だ。流出した家の持ち主が、またしてもその上に新築の家を建てたとは信じ難かった。
 さて、変化とはそのことではない。道路の嵩上げの始まりと見えることが起こっていた。社長さんが「壊されちまうぞ」と言っていたことが起こっていた。
 東北の被災地のどこでもそうだが、このいわきでも海岸線の整備にかけている。いわき市の計画では、この海岸線に高さ7,2mの防潮堤を建設。そしてその堤防の内側には高さ8,2mの津波防災緑地を整備することになっている。小名浜から市北端の久之浜まで30㎞は下らない。そして、小名浜の南の勿来の海岸だってやらないわけには行かないだろう。小高い丘が延々とどこまでも続くというこの人口の「断崖」の完成まで、計画では5年だ。完成のあかつきに、ふもとの田畑から海を見ると、この堤防がきっと見上げるようなのだ。この計画でいくと、今回の津波で助かったわずかな家、そして、なぜか流出した土地のあとに新築された家は、すべて堤防より海側か、あるいは堤防の一部になってしまう。
 堤防の嵩上げ準備とも思えることが始まっていた。テトラポットが波に洗われているのではなく、陸地に大きく入り込んでいた。テトラポットに置いていかれた格好の家、あるいはテトラポットの行く手を阻むと言ったらいいか、テトラポットに追い出しをかけられている新築の家。どうやら嵩上げ工事と共に壊されるのだ。


 みんな沈んじまえばいいんだ

 この雨の次の日に第一仮設に出向いた。いつもお昼前の時間になってしまうのだが、この日も第一仮設に着いたのは11時だった。スーパーで焼き芋を買った。でかいのが三本で丁度よかった。集会所には六人いたのだ。
「手ぶらで来てよね」
常連さんは紙袋をテーブルに置いた私にそう言うのだが、
「スーパーでいい匂いがするもんで、つい」
と、紙袋から出した焼き芋を見ると、
「あら、おいしそうだこと」
「呼ばれっか」
と笑ってくれる。副会長さんが台所で切ってくれる。
 「あの日」の話になった。今でも、いや、今だからか、饒舌だ。豊間幼稚園の話。

○保母さんが地元の人で、高台とその近道を知ってて、みんな背中とお腹に小さい子をおんぶに抱っこだ。偉かった。大きい子はみんな自分で走って。
○お迎えの爺さん婆さん、高台に逃げねえで自宅まで戻って流された。孫を迎えに行ったはいいが助けられなかった。あの家も新しく子どもができたと。良かったな。授かりもんだ。
○車で逃げたら、津波に襲われて川に落とされて、もうダメだと思った。ところがその川が道路まで溢れて、気がついたら車は、山の上の瓦礫の上に乗せられてた。と、助かった人の話。
○汐と雪でずぶ濡れになって、命からがら高台に着いた。もう夜だった。以前、ずいぶん世話した知り合いで、その高台の家を通りかかったから「毛布でもなんでもいいから」と声を掛けたけど、うんでもスーでもなかった。一生忘れねえ。

そして、復興住宅の話は「広報いわき」に顔を突っ込みながら。私は上の階がいい、私はやっぱり一階がいいと、それぞれがそれぞれの「安心」のイメージを抱えながら言う。しかし、豊間のサブリーダーさんが言う。
「みんな海に沈んじまえばいいんだ」
彼女が、この集会所の近くに「平屋で小さい」家を、豊間の大工さんに頼んで建てていることは前に書いたと思う。「桜が咲く頃」に完成だ。復興住宅の多くが、高台に出来ないことはすでに報告した通りだ。その復興住宅への抗議の思いか、してやったりの思いか、彼女の声は燐としている。廻りの皆さんがどっと笑う。

 私はどうしても聞きたかったと、総選挙のことを尋ねた。みんな顔を見合わせた。そして、ホントに困っちまう、どいつもこいつも、と言った。石原さんはどうしても一回総理をやりたいんだべ、とも言った。そして、顔を歪めて、
「阿部、あいつだけは総理にしたくねえ」
「ボク、突然ですが今日総理を辞めますってふざけんなって」
と、口々に言った。それにしても、と、被災地のことを誰が考えてくれんだか、と勢いはすぐ衰えるのだった。


 ☆☆
「ニイダヤ水産」の補助金、なんとかなると思います。ここに詳しく書けない事情がいっぱい出て来ているんですよねえ。でも大元は結局、この間の「補助金の不適切な使用」がからんでいるとしか私には思えないのですが。「今度」があれば、私も県(会計監査)まで付いていきますよ、と社長さんに進言しました。
ニイダヤの従業員のみなさん、元気でした。みんなが社長を支えてるって感じで。この日はTBS福島が取材に来てました。朝の9時からやってんだよ、と社長さんは午後の休憩時に渋い顔でした。
補助金が決まったら、忘年会も兼ねてお祝いしようって、板さんと決めました。

 ☆☆
慌ただしくて、という言い訳はまずいですが、ここのところ、いろいろな方からのコメントやメールの返信をしていません。ここで御礼にかえさせてもらうという不精で卑怯なやり方を使います。すみません。そうそう、ボランティア仲間から、秋吉久美子が来たので、いわきの被災地案内をしたというメールもあったんです。

手応えのある世界へ 実戦教師塾通信二百二十八号

2012-11-16 21:17:10 | 子ども/学校
 シリーズⅡ <子ども>の現在その4

              ~解決篇その2~


 ありもしないこと


 前回ここで、『北のカナリアたち』の報告を少しした。映画の中で、
「世界が明日終わると分かっていても、自分は林檎を収穫する、と決めていた。だから、今日は林檎を収穫する」
だったか、それがチェーホフだったか、全く記憶はデタラメだが、そんなことを柴田恭平が言った。やっぱり震災をくぐり抜けた言葉だと思えた。私たちは震災直後、そんな透明感のある覚悟の姿を、東北の人たちに見ていた気がする。品物が全くないスーパーの前に、黙って長蛇の列を作って待つ姿、そして大変な自分を差し置いて「いや、もっと大変な人がいる」と言う姿にそれを見たのだ。それでおそらく、私たちはいても立ってもいられなくなった。あの人たちが(無言で)語っている「希望」や「絆」や「生きる」ことがなんなのか、それを確かめたい、そして出来ることなら、そこに一緒にいたいと思った。それで東北に向かった。私たちがあの頃言っていた「希望」や「絆」にはちゃんと根拠があった。
 評論家どもが言っていた「絆」「希望」は違っていた。そして、今言われる「絆」「希望」も、変わってしまったように思う。それは、
「日本人は、希望を持つべきだ」
「日本人は家族の絆を見直すべきだ」
「今こそ生命の大切さを知るべきだ」
などという言葉。今や、これらの言葉のひとつひとつが、もとの「個別の場所」、つまり、ひとりひとりのそれぞれの場所に戻ってしまったことを私たちは知っている。「絶望」があいまいな分「希望」も見えないといった程度の「希望」に。そして、強い「絆」を退け、やっぱり緩やかな「絆」を選択しつつある私たち。それらは「ほんとうはありもしないもの」に戻った。被災地でさえそうだ。預金通帳・株券・不動産、それらが回復する「復興」の中で、それは始まった気がする、とは、以前ここで報告した。それは、貧富や格差が戻る(「回復する」)ことでもあった。そして、以前のような「ありもしない『絆』や『生きる大切さ』」という言葉が、再び語られ始める。


 戦わないで生きるために

 私たちが丁寧に世界を知り、つかむことが出来た時代は終わっている。子どもが誕生する。この幼児の目の前を何かが動く、そして幼児はその形を捉えて「目が見える」状態になる。それが、40日。「世界が見える」ようになる。そして、全身の筋肉とそのバランスが取れて、ようやく捕まり立ちをするのが、約1年(あくまで統計的な話だ)。それで、視界は床から一気に高いところ(自分の身長の高さ)へと移り、世界は拡がる。人間関係は母親から両親、家族。移動は家屋内から、自分の成長に合わせて時速15キロで走行できる範囲(自転車)に拡がる。地図でしか知らない北海道や九州。というように「世界」は手さぐりで、しかし、確実なものとして自分の中に構築されてきた。
 このように昔は、近所や町へと、脳や身体が了解する速度と量は、緩やかだった。自然な拡がりを持ったそんな時代と違い、今はそう行かない。全部はしょって現在の話にしてしまうが、今、子どもたちは圧倒的な「世界」や「宇宙」空間を、幼児期から注入される。「実際に生きる」現実空間と、それら「バーチャル」な空間と折り合いをつけるため、大変なストレスを抱えている。いや、それらを家族や地域や学校というすべての場所は引き受けなくてはいけなくなっている。だから、そのストレスを引き受けているのは、子どもばかりではない、親兄弟、先生や友人など、「実際を生きている」人々すべてだ。
 ほんとうは「ありもしない世界」との折り合いは、

○リビングでの(またはファミレスでの)ゲームをしながらの無言の食事
○「掲示板」でのありもしない密告や、それに基づく罵倒
○「面白半分」の陰湿化とエスカレート

などでつけられる。前回言ったがこれら「バーチャル」な空間の特徴は、
「無限」で
「終わりがない」。

 対して「有限」で「終わりがある」のが、私たちの出立する場所だ。ここを根拠地にすることから始めよう。それを知る、了解し承認することから始めるのだ。ほんとうは簡単で無理のないのが私たちの場所だ、そういうことだ。人が生きるというのは、明るい時に起き、暗くなったら静まり、そして眠りに入る、ということだ。心臓や脳は休めないが、激しいあとは静かに心地よくありたいと、きっと思っている。
 しかし、もちろん簡単なことではない。私たちの身体には「無限」で「終わることのない」世界がすっかり浸透している。「したい」はずのことが、いつの間に「しないといけない」ことへと変わっているのはまだいい。今や私たちは「したい」と思っていることがどれだけあるのだろう。また、そう思っている人がどれだけいるのだろう。あのイチローでさえ、そんなことを今年、何度考えただろう。イチロー自身の「プレッシャーは実力の証」という言葉は、今年はもう使えない道具となっていたはずだ。「他人と競い合う喜び」が「他人と比べる不幸」となることから、どれだけの人が自由でいるのだろう。
 私たちが「無限」で「終わることのない」世界によって奪われている自由のひとつに、そんな「自分の意志」「自分の欲望」がある。不思議なことだが、それを奪い返そうとすると、他人を傷つけたり、追い越そうとしていたりする。「戦って」しまうのだ。
 様々な相談を受ける中で、私はその子どもたちや大人が、ある決まった「不幸のパターン」をもっていることに気付いた。彼ら彼女たちが、

「自分自身に目標を課していること」
「未来を設定していること」
「他人と比べていること」

である。
 これらはいかにもいいことであるかのように見える。しかし、これらが本人を縛りつけるものとなっている。そんな状態だった。これらが何のプラスにもなっていないのだ。だから相談に来る。さて、そんなわけでこれを読んでいる子どもたち、親、教師に言おう。

○ちゃんと寝る、起きる
○疲れたら休む
○無理な時はそれをやり過ごす

ことが出来ないとしたら、その「目標」「未来」とやらは全部「よくない」あるいは「してはいけない」ことだ。それをおいて「目標」だ「未来」だと言うな、ということだ。それをおいて「自分の意志」「自分の欲望」なんてないんだ。それを知るべきだ。
 まだ間に合う。


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前々回だったか、市会議員さんとのやりとりで「余裕がなくて」思い出せなかった「ICRPの20㎜シーベルトへの勧告」ですが、期日は3月21日でした。あの頃、当時幹事長だった枝野さんが繰り返し言っていた「日本は国際的に見て放射線の規制が厳しい国だ」ということも、ついでに思いだしておきましょう。

 ☆☆
この間たまたま「笑っていいとも」のテレフォンショッキングを見ました。見ましたか、樫木メソッドを(カーヴィダンスですね)。やはり、今は「抜く」ことが基本で、スポ根の時代ではないのですね。あの人の語り口・教え方は入って行きやすいですね。面白い。でも、私に言わせれば、実際に指導を受けないと、あの人が言った通りには動けません。見てなかった人のために、そして樫木メソッドを知らない人のために報告しておきます。「お尻が落ちるのは、ウェストが緩むから」です。ウェストが締まればヒップは上るのですよ。

 ☆☆
このブログを読んでいた不登校の子が「ニイダヤさんが頑張ってるんだから、ボクも頑張る」と登校を始めた、という報告を受けました。母親の温かいまなざし、それが一番です。